私のお姫様

暁紅桜

私のお姫様

少女の朝はいつも早かった。

設定していたアラームよりも先に、カーテンの隙間から差し込む日差しによって目を覚ました。

大きな欠伸を一つ、そして固まった体を伸ばすためにグッと背伸びをする。その一連の流れを終えて、やっとベットから降りる。

着ていたパジャマを脱ぎ、壁にかけていた制服に袖を通す。

軽く身支度を整えて、鞄を手にして浴室へと向かった。

洗濯かごに入った洗濯物を洗濯機に押し込み、洗剤を入れて回す。完了時間をチラリと確認した後は、そのまま歯磨きや顔を洗ったり、軽く身だしなみを整えて、そのまま今度はリビングへと向かった。

カーテンが閉められ、電気もつけられていないリビング。静まりかえったそこは、少女にとっては日常で、そのまま台所に向かって食事の準備を行う。

冷蔵庫の中身を適当に引っ張りだし、一人分の食事を準備し、完成した品にラップをかけて近くにあるメモ用紙に言葉を添える。

遠くから洗濯機の止まる音が聞こえて、そのまま早足で浴室へと向かい洗濯物を引っ張り出す。

スマホで今日一日の天気の状況を確認し、雨が降らないことを確認したらバルコニーに洗濯物を干していく。

二人分の洗濯物はそう大変ではないが、タイムリミットがある少女には少しばかり大変な作業だった。

数十分をかけてなんとか洗濯物を干すことができ、そのタイミングで設定していたアラームが鳴る。

少女は少し慌てながら、ラップをかけた食事を冷蔵庫に入れてソファーに置いた鞄を持って家を出た。

そのまま少し急ぎ気味にエレベーターに乗り、上の階のボタンを押した。

少しだけそわそわしながら、目的の階に着くのを少女は待った。

音がなり、扉が開くとなるべく音を立てないように少し急足で廊下を進んで、目的の部屋の前に立った。

鞄から鍵を取り出し、鍵穴に差し込んで少女はそのまま部屋の中に入っていく。

マンションの最上階。少女が住む部屋よりも広く、豪華な部屋。

だけど生活するスペースにある家具は必要最小限。一番物がある部屋は、家主の作業スペースとなっている部屋だけ。


「あいりさん、もう朝だよ」

「んっ、んー……」


少女は、机に突っ伏して眠っている女性を起こそうとした。

肩を揺らしたり、ほっぺを突っついたり。そして少し大胆に、女性の唇に触れてみたり。

しばらくすれば、女性の目がゆっくりと開き少女と目があった。


「おはよう、あいりさん」

「……おはよう、れな」


大きな欠伸を一つ、そして固まった体を伸ばすためにグッと背伸びをする。その一連の流れを終えて、やっとこちらに笑みを浮かべる少女に同じように笑みを浮かべた。





白露あいり(はくろ)。この部屋の家主であり、世間では有名なファッションデザイナー。服飾系の高校に通い、服飾系の大学に進学し、とても優秀な成績を収めた。大学在学中にはすでに自分のブランドを立ち上げており、作業はもっぱら自宅。会社へは必要な時にしか足を運ばない。

そんな彼女だが、ファッション関連以外はからっきしで、家事や食事は全くできない。

そんな彼女の家に出入りして、家事や食事の準備をしているのが少女だった。


「んー……よしっ!あいりさーん!ご飯のできましたよー!」

「んー、今行くー」


現在悩み中のデザインに目を向けながら、生返事を返すあいり。

夜遅くまで何度も描き直してはいたが、それでも少し納得ができていない。

結局気がつけば気を失うように寝てしまっていたのが現実だ。


「それ、新しいデザイン?」


呼んでも全く来なかったため、わざわざ部屋まで呼びにきた少女が、あいりが手にしているデザインに目を向ける。

夜長れな(よなが)。あいりと同じマンションに住む、高校2年生。

勉強スポーツはそこそこ。ただ容姿がとてもよく、自他共に認める美少女。

両親が単身赴任だったり、夜勤の仕事をしていることで、家事や料理のスキルがとても高い。

現在はあいりの部屋に通って家事や食事の面倒を見ている、いわば通い妻のようなものだった。


「んー。れなはどっちがいい?というか着たい?」


手にしていた二種類のデザイン。色々と悩んだ結果、現在この二つであいりは悩んでいた。差し出されたデザインに、可愛らしい仕草をしながら悩むれな。

「そうだなー」と言葉をこぼしながら、左右のデザインを見比べて、指をさした。

その様子にあいりは自身のデザインよりも、彼女の様子にじっと視線を向ける。


「れなは右かな。かわいい」

「……じゃあ右ね」


れなの選択ですぐにデザインは決定した。

毎回悩んだ時は、いつもれなにデザインを選ばせていた。れな自身は納得いっておらず、雑だと口にするが、れなが選ぶ服は例外なく今まで全て売れ行きがとてもいい。

だから、別に適当というわけではなかった。


「いいの。れなに似合う服は、全部いいものなの」

「何それ。あいりさん、れなのこと大好きすぎでしょ」

「んー?大好きだよ。れなは私のお姫様なんだから」


そう、あいりにとってれなという存在はお姫様のような存在だった。

その容姿を目にした瞬間に、着飾り(あいし)たいと思えるほどの理想のモデルだった。でも、同時にあいりは彼女に恋をした。いわゆる一目惚れだった。

告白はしてない。ただあいりがれなを好きなことを、れな自身も知っており、それを受け止めてはいるが明確な形にしていないというだけだった。

そしてそれは逆も然りだった。


「わーい、嬉しい。ん?その隅にあるのは、試作品?」

「あーうん。ただ、作ってみたものの、なーんかしっくりこなくてね。今のお題と合わないの」


二人が向ける視線の先には、適当に置かれた一着の服。

あいりがなんとなくで作った一着だ。ただ、今回あいりがブランド内で決められたお題とは合わない上に、女の子が着るにはかなり地味すぎるためボツにしたものだった。

しかしれなは、その服を手に取って自分の体にあてがう。

あてがっただけでもわかるほど、彼女の体にその服はあまりにも大きすぎる。


「れな、この服欲しい」

「えっ、これ?」

「うん。ほら、れな可愛いから目立つでしょ?これ着れば、目立たないし」


確かに、れなの容姿は酷く人目を引く。どんな服であれ、きっと彼女のその容姿を隠すことはできないだろう。ならいっそ、れなには可愛い服をたくさん着て欲しいとあいりは思っていた。

別のではダメかとあいりが尋ねるが、れなは頬を膨らませて不機嫌な表情を浮かべる。その表情も、あいりにとっては可愛いと思える仕草だった。


「いいの。れなにとっては、あいりさんが作った服ってだけで、価値があるんだから」


それは、デザイナーとして嬉しいことではあったが、それ以上に想いを寄せている子からそんなことを言われて嬉しくないはずがなかった。

高まる感情は爆発する前にスッと深く深く沈んでいき、一つの大きなため息が溢れる。


「どうしたの?」

「れなが可愛すぎて辛い」

「ふふっ、知ってるよ。れなが可愛いのも、あいりさんがれなのこと大好きなのも」


自画自賛と見透かされている感情に、また感情が昂りそうになる。

愛おしくて愛おしくてたまらない。

今すぐに、感情のままに彼女を抱きしめてその柔らかい唇に口付けをしたいと思ってしまう。でもそれは、今の関係を崩すかもしれない。

たとえ、相手に自分の感情がバレていたとしても、それを気にせずに彼女が自分のそばにいてくれたとしても、一線を超えてしまえば崩れ去ってしまうかもしれない。

相手は女子高生で、自分は成人した大人だ。

だからあいりはまた、高まった感情を吐き出すように、大きくため息をついた。


「あー、いまだにこんな可愛い子がうちにご飯作りに来てくれるとか受け止めきれない。夢か」

「現実だよー。ほらほらご飯冷めちゃうし、れなが学校遅刻しちゃう」


時計の針は7時30分を指していた。

すっかり仕事とれなとの会話にのめり込んでしまっており、脳がやっと食事のことを思い出したのか、あまり品のある音とはいえない空腹の音が響いた。


「それはいけない。れなの手料理を冷ますことも、学校に遅刻させることも」

「そうでしょ?だからほら早く、お仕事は一旦終わり。今からはれなを見る番だよ、あいりさん」


ぐっと距離が縮まり、れなの顔があいりの顔の目の前にやってきた。それこそキスしてしまいそうな距離。

浮かべる表情はひどく妖艶で、女子高生とは思えないほどに大人びて見えた。

あまりに突然のことで、それを見た瞬間にあいりの心臓は激しく鼓動した。

でもにっこりといつもの愛らしい笑みを浮かべながられなが離れていき、あいりの手を取る。

そのまま手を引かれるままについていき、いつも一緒に食事をするリビングに腰を下ろした。


「今日のお味噌汁はなめこです。卵焼きはね、中にほうれん草をを入れたのと、甘いの作ったよ。あとね、昨日さけが安かったからそれも焼いた」

「至れり尽くせりだ。れなが来てくれてからは、健康的な食生活だよ」

「あいりさんが倒れたら、世の女の子が悲鳴をあげるよ。あいりさんのブランド、人気なんだから」

「ありがたいことだけど、できれば私は、れなだけのために服が作りたいよ」

「……嬉しいけど、お仕事なんだからそんなこと言っちゃダメだよ」


あいりは半分本気だった。

すっかりれなに彼女は魅了されてしまっていた。いけないこと、おかしなことという自覚はあったが、それでもデザインする時のモデルはいつだってれなだった。

後にも先にも、あいりにとってれな以上の存在は現れない。彼女こそが、あいりが理想とする女神(ミューズ)そのもので、心も体もすっかり彼女に陶酔してしまっている。


「お昼の分も作って冷蔵庫に入れてるから。忘れず食べるんだよ」

「もちろん」

「そう言ってたまに忘れるでしょ?お仕事もいいけど、ちゃんと食べないとダメだよ」

「……はい」

「夜ご飯は何がいい?」


幸せな日常。今の二人にとっては当たり前の毎日だった。

最初はお互いの寂しさを埋めるためだった。いわゆる共依存。一人でいる寂しさを消すために一緒にいるような関係だった。

しかしそれはやがて恋心へと変わり、ただ会いたい、ただ一緒にいたい。そういった感情が表に出るようになった。


「それじゃあ、れなは学校行くね」

「うん、気をつけていくんだよ」

「晩御飯、食べたいのあったら早めに連絡してね」

「わかってる。ほら、遅刻しちゃうよ」

「うん。いってきます、あいりさん」

「いってらっしゃい、れな」





乱雑に床に散らばる描き殴りされたデザインたち。

見本の布を眺めながら、新しい紙に新しいデザインを描いていく。そしてできたデザインはまた床に置かれる。それをもう数時間は何度も繰り返していた。

息抜きに準備していた珈琲を一口飲むが、すでに中身は空っぽになっていた。そのときやっと、あいりは時間を気にしてスマホの画面を見る。

時刻はすでに15時。すでにお昼は過ぎてしまっており、今朝れなに言われた言葉を思い出して腰を上げた。

珈琲を沸かし直している間に、れなが準備してくれた昼食を口に運びながら、没にしていた試作品の手直しをしていた。

れなが学校から戻ってきた時にすぐに渡せるように、彼女のサイズにあわせて手直しをする。

直しをしている最中、何度もあいりの顔は納得しないと顔が歪む。それでも、れなが嬉しそうにこれを着たいと言ったのが嬉しくて、自然と笑みが溢れてしまう。


「手を加えたられな怒るかな……」


れなが似合うようにこの服に手を加えたいが、もしそれでれなが不機嫌になったしまったらと考える。

頭の中で、不機嫌な顔をして頬を膨らませる彼女の姿が浮かび上がる。

機嫌は悪くなるだろうが、それ以上にその様子が可愛いと思ってしまって、長い時間あいりは葛藤した。結果、サイズだけ直してそれ以外は手は加えないことにした。


「ご馳走様でした」


洗い物を済ませ、入れ直した珈琲を注いで仕事を再開する。

しばらくすれば、スマホに着信がなり、誰だろうと思いながらも通話に出た。


「もしもし」

『あ、もしもし姉さん』


通話相手が仕事関係ではないため、あいりはスピーカーにして仕事をしながら話をした。


「なに、今仕事中なんだけど」

『わかってるよ、ごめんって』

「何か用?」


相手はあいりの弟だった。

彼女が大学を卒業するのと入れ替わりで大学に入学して、楽しいキャンパスライフを送っているらしい。

連絡は大抵昼間に、頻度低めでかかってくる。両親からではなく、いつも弟からの連絡。


『母さんが今度そっちに荷物送るらしくて、何か欲しいのある?って。後、また服送って』

「欲しいものね……あ、使ってない調理器具とかある?フライパンとか?」

『え?どうだろう……というか、姉さん料理したっけ?なに、やっと家事するようになったの?』

「あんたね……とりあえず、あれば送って欲しい」


両親にれなのことは話していなかった。

大騒ぎするのは目に見えてるし、弟がれなに会いたいと言ってくるのもどうしても避けたかった。

逆にあいりのことは、れなの両親は把握していた。

というよりも、話をしたその時に感謝をされてしまった。

小さい頃から仕事の都合で彼女を一人にさせることばかりだった。本当なら自分たちが時間を作って一緒にいるべきだが、れながあいりと一緒にいたいならと許してくれた。


『了解。あっ、後服も忘れないでよ』

「お願いする立場のくせに偉そうね。私の作った服がどれだけの価値があるか分かってんの?」

『……オネガイシマス、オネエサマ』

「おい、片言だぞ。まぁでも、置いてても誰も着ないしね。いつも言ってるけど、売ったりしないでよ」

『わかってるって。じゃあ、用事はそれだけだから』

「遊んでばっかいないで勉強もしなさいよ。お金は絶対貸さないから」


そう言ってあいりは通話を切った。

大きく深々とため息を一つついて、残っている珈琲を一気に飲み干した。

あいりは、家族との通話はあまり好きではなかった。

一般的な家庭に生まれたが、たまにある家庭環境で、姉は厳しく、弟には甘くといった感じだった。

あいりが服飾の高校や大学に進学するときも大いに揉めた。その時から、両親との関係にひびができてしまった。結果をだしてからは両親は何も言わなくなり、彼らがあいりに言葉を投げかけたのは、家を出る当日だった。


「体に気をつけなさい」


たった一言投げかけられたその言葉に返事をすることなく、あいりは実家を出た。

いまだに両親はあいりに対して一歩引いたところにいるため、先ほどのような連絡は弟からしかかけられてこなかった。

時間があれば、弟から両親のことを聞いたり、弟の悩み相談を受けたりなどもしている。今の距離感は、あいりにとっても両親にとっても一番いい結果なのかもしれない。ただ一人、間に挟まれている弟はきっといい迷惑かもしれないけど。


「あ、晩御飯の連絡忘れてた」


そんな血を分けた両親よりも、あいりにとっての一番大事な存在。

彼女の心の拠り所は、画面に映る愛しい存在。


「れな、遅いって怒るかな」


くすくすと笑いながら、あいりはれなに晩御飯のリクエストを送信した。





どんよりとした曇り空。今にも雨が降りだしそうな天気だった。

降水確率は80%。今日の洗濯物は室内に干したほうがいいだろう。

いつも通りの朝。れなが朝食を作って一緒に食べる。会話はいつも通り、昨日あったこと、今日の予定だったり、今話題のことなどなど。

そして、そんな時間もあっという間で、すぐにれなが学校に行く時間になった。


「それじゃあいくね」

「うん、いってらっしゃい」

「……」

「れな?」


だけど、さっきまで明るかったれなの表情が曇る。

あいりの服をぎゅっと握り、彼女の胸に顔を埋める。


「あいりさん」

「ん?」

「一緒に暮らそう」


ポツリとつぶやかれたその言葉に、あいりの動きが止まった。

突然のことで状況がうまく理解できなかった。

長い長い沈黙。やがて雨が降り始めたのか、外から雨音が窓を叩く音が響き始めた。


「……なんてね。いきなりごめんね。そろそろれな行くね」


体が離れ、顔を上げたれなはいつも通りだった。

いつも通りに振る舞っていた。

れなはそのまま家を出ようとした。だけどあいりはすぐに彼女の手を掴んでそれを止めた。

驚いて思わず振り返るれな。あいりと視線が混じり合い、心配そうな、不安そうな、でも真剣な表情をするあいりの顔がそこにあった。

余計なことを言ってしまったと思いながら、れなは必死に腕を振り払おうとするが、あいりはゆっくりと手に力を込める。


「れな」

「あ、あいりさん……はなしっ……」

「我慢、しなくていいんだよ」


たった一言、あいりがそう言った瞬間に、れなの体から力が抜ける。

その場にへたり込み、驚いた表情を浮かべながらあいりのことを見上げる。

あいりはゆっくりとれなを抱きしめて、もう一度同じ言葉を口にする。

その瞬間、れなは幼い子供のようにわんわんと泣き始めた。

あいりに縋るように、体に腕を回し、胸に顔を埋め、ずっとずっと泣き続けた。


「なにがあったの?」

「……れな、学校行きたくない」

「……どうして?」

「……れな、学校で、いじめられてて……」


あいりにとってはあまりにも意外なことだった。

れなは決していじめられる側の人間ではないと思っていたからだ。

明るく、フレンドリーで、クラスでもきっと人気者なんだろうと勝手に思っていた。だけど実際は、学校に行きたくないと思わせるようなことが彼女の学校で起きている。あいりは自身の無力さをひどく憎んだ。何もできない、してあげることができない自分自身に。





あいりと知り合う前、れなには片想いの相手がいた。

一つ上の同性の先輩。れなのことを可愛がり、いつも隣に居させてくれた相手。

登下校に昼食。先輩との時間はれなにとっては幸福なものだった。


例え、先輩が自分じゃない他の人を好きになったとしても。


先輩の想い人は、彼女のクラスメイトだった。男子の中でも中心人物で、誰にでも優しくて明るい男の子。他の男子のような下品な会話などは一切しない、清純な男の子。

だけど、先輩は知らなくてれな自身は知っていた。彼が、れなに想いを寄せていたことを。

れなはそのことを先輩には言わなかった。言ってしまえば、自分のそばから離れていってしまうと思った。ずっと先輩と一緒にいたい。例え両想いになれなくても、先輩にとって一番の可愛い後輩でいたかった。

だけどそれは、あの日の出来事によって叶わぬものとなってしまった。


「好きです!俺と付き合ってください!」


誰もいない校舎裏。そこでれなは彼に告白をされた。

当然れなはそれを断った。満面の笑みで、全く好意なんて抱いていない。そういう顔で。

幸い人目のない場所での告白だったため、先輩にこのことが知られることもないだろうと思っていた。だけど、ことはそう簡単にはいかなかった。

その告白の現場を、先輩の友人が目撃し、すぐに先輩の耳にもそのことが伝わった。それを知らないれなは、いつものように先輩に声をかけた。だけど、いつものような優しい表情ではない。嫌悪の表情だった。


「私に近づかないで」


それは、れなにとって絶望的なことだった。好きだった人に酷く拒絶され、もう二度とそばにいることはできない。とても悲しいことだった。

あの時彼が告白さえしなければこれから先もずっと先輩といられたのに。そう思いながら、れなは涙をグッと堪えた。

それからしばらくして、れなの根も葉もない噂が流れていた。


彼女に好きな人を教えると取られてしまう。

たくさんの男と関係を持っている。

先生に色目使って成績を誤魔化している。


きっと、元は先輩が流したものだろう。それがたくさんの尾鰭がついてあらゆるありもしない噂が流れた。

クラスメイトや同学年、生徒たちはその噂を間に受け、近づかない者、悪意を持って悪口を口にする者、ヤれると思って彼女に迫る者。たくさんの人間がれなを傷つけた。

暴力など、目に見えて残る形であれば問題になるが、彼女を襲い、孤立させるものは目に見えないもの。

例え教師が指摘しても、あくまで「そう聞いたから」と言われるだけ。

教師も何が大元か探るような面倒なことはしない。結局、彼らも注意をするか見て見ぬふりをするだけだった。

両親に話そうとも思ったが、勇気が出ないということと例え学校側に話しても対応されないだろうという諦めがあった。

れなはただただ耐え続けた。それこそ、きっといつか時間が解決してくれる。そう信じて。





部屋のリビング。

れなの肩を抱きながら雨音をBGMに、あいりはれなからことの顛末を聞いた。学生の間であるよくあるいじめ。目に見えた行動がないのは、運がいいのか悪いのか。それでも、肉体的なダメージよりもメンタル的なダメージの方が人間は簡単に壊れてしまう。

現に、れなはメンタル的ダメージを受け続け、耐えることができなくなってあいりに縋って言葉をこぼした。

あいりはれなを優しく抱きしめて、優しく頭を撫でてあげた。まるで、子供をあやす母親のように。


「気づけなくてごめんね」

「あいりさんは……悪くないよ……」


もう学校に行くのが辛く、ずっとあいりの側にいたいと。

彼女は苦しい思いから解放されたいがための言葉だった。それでも、あいりは思ってしまった。愛しい人がずっと自分のそばにいてくれるなんて最高だと。そんなに辛いならもう学校に行かずにずっと一緒にいよう。もう二度と家に出なくていいよ。そう思い、口にしてしまいそうだった。

だけどそれは、あくまで自分の欲望を満たす好意。人間的じゃないし、れなのためにならない。


「ねぇれな」

「……ん?」

「学校のことは、私ではどうにもしてあげられない。私とれなは、結局のところ他人だから」


自分で言って苦しかった。

あいりとれなは、恋人同士でもなんでもない。あいりがれなを好きなこと、それを知ってなおそれを受け入れて、それを言葉にせずにそばにいるれな。二人の関係を明確な形にしていない今、あくまで二人は他人。そんな他人のために、あいりができることには限界があった。

学校の外では守れるが、学校の中までは守れない。

例え学校に行かない選択をしても、現状は何も変わらない。これから先も誤解されたまま、噂が真実となってれなにくっついて回ることになってしまう。

れながそんなことをするような子じゃないことは全員じゃなくても、一部の生徒は知っているはずだ。そこから少しずつ、誤解を解いていく必要があった。


「でもね、私から一言アドバイスをあげるよ」

「アドバイス?」


ゆっくりと体を離し、不安げな表情を浮かべるれなに、あいりは優しい笑みを浮かべた。


「れなはれならしく振る舞っていればいいんだよ。れなは自他共に認める美少女なんだから」

「れな、らしく……」

「なんなら、毎日学校まで迎えにいくよ。で、一緒に買い物しよう」

「えぇー、でも迷惑じゃない?」

「そんなことないよ。んー、じゃあ服のデザインの参考の散歩のついでってことで」


あいりがほぼ無理矢理な理由をつけ、それにれなは笑みを浮かべた。

涙をみせながらも浮かべる笑顔はとても綺麗で愛おしくて、そのまま彼女をあいりは抱きしめた。それに応えるようにれなも腕を回し、二人はしばらく抱きしめあった。


「学校、サボちゃった」

「たまにはいいんじゃない?1日休んだからって、成績には響かないよ」


一度家に帰って制服から私服に着替え直して戻ってきたれな。

れなの母親は前日が夜勤だったため、まだ眠っており、、れなは書き置きだけをして今日一日はあいりの家に泊まることにした。


「そんなに勉強したいなら、家庭科の勉強でもする」

「服飾に全振りだね。逆にれながあいりさんに家庭科の勉強してあげようか?」

「その場合、今度は料理に全振りでは?」


くすくすと笑うれなに、あいりは入れたばかりの珈琲を手渡して隣に腰掛けた。

仕事は大丈夫なのか言われたが、仕事以上にれなを優先したかったが、さすがに緊急の連絡があればそちらを優先することになる。


「雨すごいね」

「そうだね。洗濯物が乾かないよ」

「……そういえば、初めてあいりさんと会ったのも、こんな雨の日だったね」

「そういえば、そうだったね」





その日、あいりは限界だった。

お披露目イベントのための新作のデザイン案で徹夜続きだった。

流石に何か食べないとと思いながら、フラフラの足取りで冷蔵庫を開けたが空っぽだった。

仕方なく買い物に行くかと思いながら外に出れば、ひどい雨だった。

徹夜続きの体に、その憂鬱な雨は酷く答えた。

傘を差し、一番近くのコンビニで適当に食べ物をカゴに突っ込んで会計をする。

早く帰って何か口にして仕事をしなければ。そうお思いながらたどり着いたエントランス。

フラフラしているせいか、雨で濡れた床に滑って転んでしまった。結構限界が来ているなとそう思っている時だった。


「大丈夫ですか?」


目の前に天使が現れた。

正確には、雨でずぶ濡れになったJKだった。

だけど、一目見た瞬間にあいりの感情がひどく昂った。

整った顔立ちに長く綺麗な黒髪。すらっとした体。長い手足。

あいりの目の前には今、彼女が今まで出会ったことがないほどに理想的なモデルの姿があった。でも、その他にも別の感情が彼女を襲った。


「あの……」

「え、あ……ごめんなさい。ちょっとふらついて」

「大丈夫ですか?」

「大丈夫大丈夫。貴女こそ、ずぶ濡れだけど大丈夫?」

「……はい、大丈夫です」


その濡れた姿を見て、どくどくと激しい心臓が脈打つ。

その姿を言い訳に、彼女を部屋に招き入れたいという衝動に駆られたが、流石にJK相手にそんなこともできるはずもなく、慌てて部屋番号を入力して、その場を後にした。

部屋に着くなり、あいりは扉にもたれかかって、必死に気持ちを落ち着かせた。

あんな子が同じマンションに住んでるなんて知らなかった。

どの部屋だろう……また会えるだろうか。

あいりの頭の中は、先ほど出会った女子高生のことでいっぱいだった。

それでもお腹はひどく減る。

とりあえず、買ってきたものを胃の中に押し込もうと、買い物袋の中身を取り出して口の中に流し込んでいく。


「こんばんは」


それから数日後、あいりの家に例の女子高生が鍋を抱えて訪ねてきた。

これは夢だろうかと、あいりはただ茫然と彼女のことを見つめていた。


「あの、もし晩御飯がまだでしたら、一緒に、どうでしょうか」

「……」

「あ、あの……」

「……」

「お姉さん?」

「え?あー、ごめんなさい。ちょっとびっくりして。とりあえず、中にどうぞ」


玄関で話すのもと思い、彼女を家の中に招き入れた。

片付けされていない部屋の中。なんだかそれが恥ずかしかったけど、彼女は「台所お借りします」と言って、持ってきた鍋に火をかけ始めた。


「あの、おたまって……」

「あ、ちょっとまって!えっと……」


普段料理をしないせいで、どこに何があるのかわからないあいりは、ひたすら引き出しを開けていき、おたまを探した。


「あ、あった。はい」

「ありがとうございます」

「……えっと、名前なんていうの?」


何を話していいのかわからず、とりあえず名前を聞いた。

彼女が持ってきた鍋にはカレーが入っていた。鼻をくすぐるいい匂いがして、あいりのお腹が素直に音を鳴らした。

それを聞いて、彼女はくすくすと笑いながら、自己紹介をしてくれた。


「れなは、夜長れなっていいます。お姉さんのお名前は?」

「……私は、白露あいり。よろしくね」

「よろしくお願いします」





「それから、晩御飯抱えてあいりさんの家に通って、持ってくるのも大変だから家で作るようになったんだよね」

「そうだね。れなが作ってくれてから、体調がすごく良くなったよ」


当時の思い出話は大いに盛り上がった。

あの日の出会いがあったからこそ、今こうやって一緒にいることができていた。


「初めて会った時、声聞くまであいりさんのこと男性だと思ってたんです」

「あー、よく間違えられるよ」

「……たった少し、エントランスで話したのに、家に帰った時に酷くあいりさんのことをが気になったんです」


あいりの視点とは違う、れなの視点。

その日はちょうど、例の告白をされた日だった。

すぐに先輩の耳に入って、酷く拒絶をされたれな。心にぽっかりと穴が空いたような無気力感を感じながら、傘もささずにマンションまで帰ってきた。

込み上がってくる感情。熱くなる目頭。まだ泣けない。部屋について一人になるまでは。そう思っていた時、目の間で人が転んだ。

フラフラとした体。酷く虚な瞳。あまり顔色が良さそうではなかった。


「大丈夫ですか?」


思わず声をかけてしまった。

相手は顔を上げてれなのことを見た。見惚れた。

視線が混じり合った瞬間にれなは気づいた。この人は今、自分に好意を向けていると。


「あの……」

「え、あ……ごめんなさい。ちょっとふらついて」


声を聞いた瞬間、れなは少しだけ驚いた。

見た目から男だと思っていたが、相手は女性だった。そして、頭の中で理解する。自分が初めて同性に好意を持たれたことに。


「大丈夫ですか?」

「大丈夫大丈夫。貴女こそ、ずぶ濡れだけど大丈夫?」

「……はい、大丈夫です」


不意に先輩のことを思い出し、れなの表情は暗くなる。

少しだけ忘れていた感情を思い出し、また今にも泣きだしてしまいそうだった。

その時、相手の女性は慌てながら自分の部屋番号を入力してマンションの中に入って行った。

嵐が過ぎ去ったように、静かになったエントランス。

女性の後を追うように、れなも自分の部屋番号を入力して帰宅をした。

翌日から、れなの環境は大きく変わった。

クラスメイトに無視されたし、知らない噂が流れたり、それを間に受けて男たちが彼女に言い寄ってきたり。学校に行くのが憂鬱だった。


「それじゃあれな、後はお願いね」

「うん、いってらっしゃい」


その日、母は夜勤でれなと入れ違いで家を出ようとしていた。

笑顔の母。れなも同じように笑顔を浮かべるが、脳裏に学校での出来事が浮かび上がってくる。


「お母さん」

「ん?なに?」

「……なんでもない。気をつけて行ってきてね」

「うん。れなも、何かあれば遠慮せずに連絡しなさいよ」

「わかってるよ。行ってらっしゃい」


閉じられる扉、遠くなる足音。

言えなかった。どうしても、心配をかけたくないと思ってしまって、自分の現状を話すことができなかった。


「お腹減った……」


どんなに落ち込んでもお腹は減る。

冷蔵庫の中身を適当に引っ張り出し、れなは晩御飯の準備をした。


「そういえばあの人……大丈夫かな……」


料理を作ってる最中に、ふと脳裏に数日前に出会った女性のことが浮かんだ。

顔色がひどく悪く、手にしていたコンビニの袋にはたくさんのインスタント食品。ひどく不健康な生活を送ってるかもしれない。


「確か、部屋番号は……」


鍋の火を止め、軽く身支度を整えると、れなは鍋を抱えで女性の部屋を訪ねた。

開かれた扉から女性が顔を出し、挨拶をするれなに驚いていた。


「あの、もし晩御飯がまだでしたら、一緒に、どうでしょうか」


返事がなかった。ただじっとれなのことを彼女は見つめていた。

声をかけて返事はなく、数度声をかけてやっと彼女はれなのことをちゃんと見た。

中に招き入れれてもらい、台所を借りて持ってきたカレーを温める。

マンションの最上階の部屋。自分が住んでいる部屋よりも、広さも雰囲気も全く違う。


「……えっと、名前なんていうの?」


カレーをかき混ぜるお玉を受け取った時に、女性に名前を聞かれて自己紹介をする。

女性も、同じように自己紹介をしてくれた。


白露あいり。れなに好意を向ける大人の女性の名前。



「れなはあいりさんとの時間が一番幸せなの。あいりさんの好意が心地よくて嬉しくて幸せで」


話を終えて、れなはあいりに擦り寄るように身を任せた。

あいりも同じように、そんなれなに身を任せる。

付き合っていない。でもお互いに好意を抱いている。お互いにお互いの好意が心を満たされ、とても離れ難い。


「全然言わないけど、れなもあいりさんのこと大好きだよ」

「……うん、知ってる。言わなくてもわかってる」

「本当にれなは、ずっとあいりさんと一緒にいたい。ずっとそばにいたいよ」


握っている手が、徐々に絡み合い、いわゆる恋人繋ぎになる。

ぎゅっと強くお互いの手が握られ、そのままれながあいりの胸に顔を埋める。

少し息を吸い込めば、れなの肺いっぱいにあいりの匂いが充満する。それが、ひどく心を満たしてくれる。


「あいりさん……」

「ん?」

「好きになってくれてありがとう」

「……こちらこそ。私の好きを受け止めてくれてありがとう」


絡まった手がほどけ、二人は互いに抱きしめあった。





「それじゃあ、行ってきます」

「うん。行ってらっしゃい」


翌日、れなはあいりの部屋から学校へと向かった。

このまま彼女の部屋にいたいと思ったが、これ以上迷惑をかけるわけにはいかないと思った。

勇気を出して、れなは学校に向かう。

多くの不安を抱きながら、一歩一歩と足を進めていくが、その一歩がとても重く感じてしまい、やがて足が止まってしまった。

不意に、真横のショーウィンドウに映った自分の姿を見た。

丸まった背中、虚な顔。そこには全く可愛くない自分の姿があった。


『れなはれならしく振る舞っていればいいんだよ。れなは自他共に認める美少女なんだから』


あいりのその言葉が、れなの背中を押した。

思いっきり頬を叩き、まるまった背筋を伸ばし、視線を上に向ける。

重かった足をあげ、まるで飛び跳ねるような足取りで学校へと向かう。

敷地に入れば、周りに向けられるさまざまの悪意の視線。

だけどれなは気にせず歩き進め、教室の扉を開く。


「おはよう」


久しぶりにする挨拶。でも当然、誰も返事を返さない。そんなことはわかっていたことだったため、れなは気にせず自分の席に着く。


「ずいぶんご機嫌ね、夜長さん」


授業の支度をしている時に声をかけてきたのは、クラスメイトの女性生徒。

クラスメイトたちの大半がれなのことを無視する中で、彼女は数少ない、れなに絡んで悪口を口にする人間だった。


「何かいいことでもあったのかしら」

「もしかしていい男でも見つけた?」

「いいなぁ、私も夜長さんぐらい可愛ければ彼氏もできるのに」

「ねぇー。夜長さんほどの美少女なら、たくさんの男の人が言い寄ってきて楽しいでしょうね」


くすくすと笑う彼女たちは、明らかな悪意を向けていた。

だけどれなは気にする様子もなく、ただニコッと笑みを浮かべるだけだった。

そんな彼女の表情が癪に触ったのか、最初に声をかけてきた女子生徒が思いっきりれなの机を蹴り飛ばした。

机は大きな音をたてるが、倒れるほどではなく、真横をただ向くだけだった。


「気は済んだ?」

「っ!」

「近くに他の生徒がいるのにこんなことをしたら危ないよ」


気にせず、特に怒りもせずにれなはそのまま机を元の位置に戻した。

またその行動が彼女の癪に触ったのか、怒りをあらわにし彼女が腕が勢いよくれなに伸びようとした。

その時、タイミングよくチャイムがなり、同じくタイミングよく先生が教室に入ってきた。

れなは前を向き、女子生徒たちは彼女を睨みつけながら自分の席に着く。

その後も、れなへの悪口はクラスだけではなく学年全体、学校全体から降り注がれた。

だけど、れなは気にせずいつも通り振る舞った。

いつも通り授業を受け、いつも通り昼食をとり、いつもどおり授業を終えた。

一昨日までの彼女とは違う雰囲気と行動に生徒たちは困惑していた。だけどそれさえもれなは気にした様子もなく、登校よりも軽い足取りで下校をする。


「れな」


正門を潜ろうとした時に声をかけられて振り返った先には一人の男性がいた。

いや、男性のように見えるが、しっかりと見れば女性だ。


「あいりさん!」

「お疲れ様、迎えにきたよ」

「本当に来てくれたんだ」

「約束したからね。それじゃあ晩御飯の買い物して帰ろう」

「うん、今日は何が食べたい」

「そうだなーちょっとさっぱりしたのがいいかな」

「んー、それなら」


楽しそうに会話をしながら帰宅する二人。

しかし、それは学校の正門の前で行われており、翌日には学校中の噂になった。


イケメンの恋人ができた。

年上だった。

声が高かった。

よく見たら女性だった。

とても親しそうだった。


それらの話から、れなに女性の恋人ができたことが学校中に広まっていった。

翌日もその翌日も、あいりが正門までれなを迎えにきて一緒に帰る。

その様子を間近で見た生徒は、コソコソと噂の信憑性を確信していた。

そして、元々の噂のこともあり、れなとあいりの関係に嫌悪感を抱いたり、あいりのことを悪く言う生徒もいた。すぐにでも文句を言いたかったが、このことはあいりも予想していたため、気にしないように言われていた。


「あいりさん」

「あ、れなおかえり」

「あら、夜長さんこんにちは」


いつものように正門にいるあいりの元にやってきたが、そこには家庭科の担当教師である光樹雫(みつきしずく)の姿があった。

どうしてこの二人がと思いながらみていれば、あいりが事情を説明してくれた。


「雫は高校の同級生なの」

「え、そうなんですか?」

「えぇ。まぁあいりほど才能がなかったから、大学は別だったんだけどね」

「まさかれなの通ってる学校に雫がいるなんて思わなかったよ」

「私も、ここであいりと会えるなんて」


楽しそうに会話をする二人。その様子をれなはじっと見ていたが、すぐに雫に嫉妬をしてあいりの腕にしがみ付いた。


「れな?」

「あいりさん、れながいるのに楽しそう……れながいるんだかられなのこと見てよ」

「……ふふっ、れなが人前でヤキモチやくなんて珍しい」

「だって……」


ムッとするれなのご機嫌を取るために、あいりがれなの頭を撫でる。

最初は少し不服そうだったが、すぐにれなの表情は柔らかく、嬉しそうな表情に変わった。そんな二人の様子を見て、雫は少し動揺しながらあいりに関係を尋ねた。

あいりは一瞬れなのことを見つめるが、すぐに特にやましいことはないように堂々と、そして幸せそうな表情を浮かべて答えた。


「別に。ただお互いに好き合ってるだけだよ」

「好きって……それはえっと」

「恋愛的な好きだよ。恋人同士ではないけど」

「え……でも……


雫はれなの方を見た。彼女が驚くのも当然だ。同性以前に、二人は社会人と女子高生。下手をすれば問題になってしまう関係だ。あいりがそれを分からないはずもないと。

雫のその考えを、あいりはすぐに悟って、大丈夫だと返した。


「今の私たちの関係は、生活が壊滅的にダメな大人の面倒を、家事スキル完璧の女子高生が面倒を見ているって感じだし」

「それでも結構問題が」

「一応れなのご両親にも許可はもらってるよ。家で一人でいるれなとどんな形であれ、一緒に食事をしてほしいって」


たとえ教師でも、生徒一人一人の家庭環境を把握しているわけではない。

それに、学校の外のことに口を出すわけにはいかない。それでも、何か問題が起きてからでは遅い。


「あいり、申し訳ないけどさ……」

「雫。雫の言いたいことはわかるけど、学校内の問題が解決してないのに、学校外のことに口出しするのはどうかと思うよ」

「え?」

「雫も教師だし、学校内でどう言う噂が流れているのかぐらい把握してるでしょ」


そう言われて雫の体は震え、視線はれなに向けられる。

あいりの腕にしがみついていたれなは、ただにっこりと笑みを浮かべた。


「雫。私はこの学校の関係者じゃない。だから、学校の外ではれなのことを守れるけど、中まではれなを守れない。だから雫、元同級生のよしみでお願い」


あいりは雫に深々と頭を下げて、雫を守ってほしいと頼んだ。

当然雫の耳にも噂のことは入っていた。でも実害はなく、あくまで噂。

時々、生徒の中にその噂を真に受けて彼女に危害を加えようとする生徒もいて、ただそれを注意することしかできなかった。


「私はただ、れなには笑って高校生活を過ごしてほしいの。青春ってさ、大人になったら味わえないでしょ?」


苦笑いを浮かべるあいりに対して、雫は下唇を噛み締める。

雫は何も返事をしなかった。あいりは軽く彼女の肩を何度か叩いた後に、れなと一緒にその場を後にした。





翌日。

この日も、れなは多くの悪意に晒されながらも一日を終えた。


「夜長さん」


帰り支度を済ませ、教室を出ようとした時に、雫が彼女に声をかけた。

少し気まづそうな表情をかべる彼女に、れなは何か用でしょうかと尋ねた。


「今日もあいりと帰るの?」

「はい」

「そう……えっと……その……」


何かをいいたそうにしている彼女のことを、れなはただ黙って待っていた。

雫は強く唇を噛み締めた後に、少しだけ不安げに彼女に尋ねた。


「夜長さんはあいりのことが好きなの?」


恐る恐ると言う言葉だった。

正直、教師が口にしていい言葉ではないし、場所も教室前。まだ多くの生徒たちが残っている場所で聞くような言葉ではなかった。

それに気づいた雫はすぐにそれをとり消そうとした。だけど……


「はい。大好きです」


嘘偽りない言葉。なにより彼女の表情はひどく幸せで満ちていた。

そして、今彼女の瞳に映っているのは自分ではなく、別の人だと雫は気づく。この子は最初から、自分のことなんて見てもいなかったのだと。


「そうですか……とても素敵ですね」

「それじゃあ先生、私は行きます。あ、そうだ」


何かを思い出したかのように、身を翻し、れなは雫の耳元で囁いた。


「あいりさんのこと、好きになっちゃダメですよ」


クスリと笑う彼女は、女子高生とは思えないほどに妖艶で大人びていた。

そのままれなは廊下をかけていき。放心状態の雫は、じっと彼女の後ろ姿を見つめた。そして、先ほどの表情と嘘偽りない言葉を思い出す。

あいりもそうだったが、れなもまた彼女を本気で好きだと言うことがわかった。

こんなところであんなことを訪ねてしまって、明日からまた彼女が嫌な思いをすることがあれば、その時は助けないとと思った。

しかし、ここでの出来事は、翌日かられなの生活を大きく変化させた。


「お、おはよう!夜長さん!」


翌日登校したれなに、クラスメイトの女子数名が挨拶をしてきた。

あまりに突然のことで、さすがのれなもきょとんとした表情を浮かべ、一拍遅れて挨拶をした。


「え、っとあの……夜長さん、最近一緒に帰ってる人、いるよね」

「……あいりさんのこと?」

「こ、恋人?」

「ううん。でも、大好きな人だよ」


幸せそうな表情を浮かべるれなの顔を見て、女子生徒たちの顔も赤くなる。

そして、小さな声で「やっぱりあれ嘘だよ」「だよね」「だってそもそもおかしいし」と話をしていた。

れなは知らなかった。昨日、教室前で雫が大声で尋ねた問いに対し、何の迷いも、嘘偽りもなく、そしてとても幸せそうな表情であいりのことを好きだと言った出来事。あれを多くの生徒が目撃しており、同時に一緒に帰っている二人の姿を見かける生徒たちも、噂になっているいかがわしい関係にはとても見えなくて、流れている噂に疑問を抱く生徒が多くなっていた。


「ど、どんなところが好きなの?」

「……れなのことをすっごく好きなところ」

「相思相愛!?」

「きゃー!いいな!」


女性同士の恋愛なのに、彼女たちはそれでも恋愛であることには変わりないようで、れなの話を楽しそうに聴いていた。

そんな話を、様子を伺うように他の生徒たちも耳を傾けていた。

あの、れなに突っかかってきていた女子生徒たちも、ただ黙って話を聞いていた。

最初にあいりとの関係の噂が持ち上がった時、真っ先にれなに悪意のある言葉を彼女は浴びせていたのに。

少しずつ、少しずつ、れなを取り巻く環境が戻って行った。

クラスメイトたちとの会話が増え、クラスメイトたちとの行動が増え、周りの悪意ある視線が減っていく。

そして最近聞こえる話は、噂話の大元の話だった。

そもそもどうしてあんな噂が流れたのか、誰かが意図的に流したのではないのか。そう言う話が学校に流れ始め、好奇心でそれを探している人たちも現れ始めていた。


「あ……」


そんな話に耳を傾けていれば、向かい側からかつての想い人である先輩が歩いてきた。

一瞬目があった瞬間、彼女は顔を逸らした。

れなはまだじっと彼女のことを見つめるが、止めていた足を進めながら彼女の隣をすり抜けた。

背の丸まった先輩と、ピンと背が伸びたれな。

それはひどく対照的だった。





「あいりさん見て!れな可愛い?」

「かっ!わいいです!」


すっかり元気を取り戻したれなは、毎日笑顔が絶えなかった。

前まではあまり学校のことを話さなかったが、最近では学校での出来事も話すようになり、同級生からの服装やメイクの相談をされた時は、あいりに助言をもらったりもしていた。

あいり自身も、元気になったれなに嬉しさを感じ、尚且つ眩しすぎる笑顔に好意も、インスピレショーンにも刺激を与えてくれていた。


「……ねぇ、れな」

「んー?なーに?」

「私の専属モデルにならない?」


あいりの提案に、れなはきょとんとした顔を浮かべる。

ずっと、あいりは考えていた。自分のブランドの服は、基本的にれなが選び、れなに似合う服ばかりだった。

あいりの服のデザインの源はいつもれな。れなのために服が作りたい。数ヶ月前から、あいりはその感情に襲われ続けていた。

だから、いっそ彼女を専属モデルにした方がいいのではないかと。それに、彼女は自他共に認める容姿をもっており、他のブランドのモデルになるのは私的なことではあるが、あいりは許せなかった。


「ダメかな?」

「……それって、隠語?」

「え?隠語?」

「そ。お嫁さんになってくださいっていう」

「え?」

「違うの?れなはてっきり、プロポーズかと思ったけど?」


脳内で情報の処理をした瞬間、言われてみれば確かにそう言う答えになるかもしれない。

お互いに好きだと言うことはわかっているが、告白自体はお互いにしていない。

あいりは頬を染める。雫も心配していたが、あいり自身今のれなと付き合うつもりはなかった。

彼女が学生じゃなくなったら。正確に言えば、れなが20歳になった時に告白をするつもりでいた。だから今はまだ、この関係を続けたいと思っている。


「れな、あのね……私はまだ……」

「……そっか、違うのか。なら仕方ないね」


あいりの元に近づき、彼女と同じ目線になったれなは、ぎゅっと両手を握り、満面の笑みを浮かべる。それはあまりにも現実離れをしており、それこそ舞い降りた天使と目があった瞬間になんでもない自分に笑いかけるようなそんな感覚。


「好きです。れなの恋人になってください」


名も無い関係に、今この瞬間、れながそれを明確にした。

あいりの感情がぎゅっと締め付けられる。嬉しくて嬉しくて、こんな可愛い子が私の恋人になっていいのか、本当にこれを受け入れていいのかとそう思ってしまう。

だけど、大好きな彼女からの告白を、あいり自身が拒むことなんてできない。

握られていた手を振りほど、彼女のために作った可愛らしい服がしわくちゃになってしまうのも気にせずに、あいりはれなを抱きしめた。


「私なんかでよければ」

「あいりさんだからだよ。れなは、あいりさん以外をこれから先、好きになることは多分無いよ」


子供をあやすように、あいりの頭を撫でるれな。

強く強く、自分の昂る感情を表すように、れなを抱きしめるあいり。

今この瞬間、二人はようやく恋人同士になった。





それから、あいりとれなは同棲のことやモデルのことについて彼女の両親に相談しに行った。

同棲についてはあっさりと許可がおり、むしろ今からでもお願いしたいと言われるほどだった。

やはり、両親ももう高校生とは言え、一人で家に居させるのは申し訳ないと思っており恋人ができたならすぐにでも一緒にいるべきだと言うことだった。

ただ、れな自身はもうすぐ高校三年で大学受験もあるし、あいりも仕事でバタバタしてしまうことがある。もし邪魔しちゃいけない、勉強に集中したい時はいつでも実家に戻ってきていいとのことだった。

モデルについては、会社内ではすでに許可が下りており、残りは両親の許可のみだった。同棲と違い、いくつか条件は出されたが、それを守るのであれば問題ないとご両親に許可をもらった。


・大学には絶対に行く。

・学生の間はモデルはバイトとして行い、基本的に学業優先。

・本格的なモデルの活動をする場合は、大学を卒業してから。

・出演したものは必ず報告する。


大まかにはこの四種類。あいりもれなもそれを承諾した。

そして、数日前に最初のれなのお仕事が行われた。

もちろん、撮影はれなが休みの土日に。

スタッフもカメラマンも、もちろんあいりも、れなの可愛さにメロメロだった。


「れなね、料理系の大学に行こうと思うの」


仕事をするあいりのそばで、進路調査票を眺めなられなはそういった。

もうすぐ高校三年。進路についてはずっと先生に言われていたが、れなはどこに行こうかと考えていた。だけど、あいりと出会って家事をしている中で、あいりがちゃんと食事をしていることが何より嬉しかった。


「栄養とかしっかり勉強して、あいりさんの胃袋をガッ!とつかんで、健康診断で引っかからない健康体にしたい!」

「あはは。もうすでに胃袋も掴まれてるし、健康体にされてるんだけどな」

「もっとだよ。もうれなの食事じゃ満足できない体にしてあげる」


含みのある言葉に、あいりがお叱りのチョップをする。

れなはいたずらっ子のように舌を出しながら、手にしていた紙を床に置いてそのまま顔を近づける。

何をされるかあいりはすぐにわかったが、それを拒絶することなく受け入れ、唇を重ねた。

付き合い出す前は、あいりがひどくれなに対する愛情表現を表に出していたが、付き合い出してからは逆に、れなが愛情表現を表に出すようになった。


「やっぱりあいりさんは大人だなー」

「んー?なにが」

「こんなに可愛いれながキスしたりしても、理性壊れてくれない」

「こら」

「ふふっ、わかってる。でも、もうれなは心も体もあいりさんに捧げてるんだから、我慢できなくなったらいつでもいいからね」


人の気も知らないでと思いながら、あいりは作業の手を止めてれなを抱きしめる。

こんな調子では、本当にいつ枷が外れて、20を迎える前に手を出してしまいそうだと不安になるあいり。それを知ってか知らずか、嬉しそうな笑みを浮かべるれな。



それから季節は巡り、れなは高校3年生となった。

始業式が終わり、足早に家に戻り、まとめていた荷物を手にする。

この日、母は日中の仕事のため家を出ており、昨日まで単身赴任先から帰ってきていた父は、朝一番で仕事先に戻っていった。

誰もいない家の中。確かに家族がいたはずなのに、ずっと一人でひどく寂しさを感じていた、生まれ育った場所。

れなは玄関先で、そんな家に一礼をして扉を閉めた。

エレベータで最上階に登り、通い慣れた家の前に足を運ぶ。

いつもは渡された鍵を使って部屋に入るが、今日はあえてインターホンを押した。

しばらくすれば、ガチャっと言う音をがなり、開かれた扉の先に愛しい人の姿が現れた。


「こんにちは、今日からお世話になります」

「いらっしゃい。ちょうど珈琲入れたから、荷物置いたら一休みしよう」

「うん!あ、れな学校帰りにお菓子買ったから食べよう」

「なっ!これ、人気パティスリーのお菓子じゃん!れな、レシート出して!払うから」

「えー、気にしなくていいのに」

「ダメ!学生の間はこういうの払わせて!」

「あはは、本当にいいんだよ。お金出す代わりに、れなのこと可愛がって」

「え?いつも可愛がってるよ?」

「足りなーい。もっともっとれなのこと可愛がって」

「……仕方ないな。仰せのままに、私の可愛いお姫様」



【完】

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私のお姫様 暁紅桜 @ab08

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