第十九話 ただの人
記憶の回廊の最奥。そこは、柔らかな光に包まれた、まるで夢の中にいるかのような場所だった。幼い頃に両親と訪れた、花々が咲き乱れる小さな庭園。風に揺れる木々の葉擦れの音、小鳥たちのさえずり、そして、花々の甘い香り。それらは、私が忘れていた、温かく優しい記憶を呼び覚ます。
庭園の中心には、白い木製のベンチが置かれており、その上に両親の残魂が静かに腰かけていた。
「アキ……」
両親は、優しい眼差しで私を見つめ、微笑みかけた。その笑顔は、私が幼い頃からずっと見てきた、変わらない両親の笑顔だった。
「大きくなったね、アキ。立派になったね」
「私たちの愛する娘、よく頑張ったね」
両親の言葉は、私の心を温かく包み込んだ。それは、まるで春の陽だまりのように、私の心を優しく温めた。
「お父さん? お母さん?」
「そうだよ、アキ……」
私は、両親の胸に飛び込み、子供のように泣きじゃくった。
両親は、私の背中を優しく撫で、私の涙を拭ってくれた。その手は、私が幼い頃に何度も触れた、温かく優しい手だった。
「アキ、私たちはいつもあなたのそばにいる。あなたの心の中に、私たちの愛は生き続けている。だから、もう悲しまないで。強く生きて」
「アキ、あなたは私たちの誇り。あなたの未来は、あなた自身の手で切り開いていくのよ」
両親の言葉は、私の心の傷を癒し、私に新たな一歩を踏み出す力を与えてくれた。それは、まるで暗闇の中に光が差し込み、道を示す灯火のように、私の未来を照らし出した。
両親の言葉を聞き、私は心の底からそう思った。両親を失ってから、私の心にはぽっかりと穴が空いたようだった。悲しみ、寂しさ、そして、後悔。様々な感情が渦巻き、私は自分の居場所を見失っていた。
しかし、両親との再会を通して、私は心の穴が少しずつ埋まっていくのを感じた。両親の愛は、私が思っていたよりもずっと深く、温かいものだった。その愛は、私の心に深く刻まれ、私を支え、私を導いてくれる。
もう一人じゃないと、私は、強く思った。両親は、いつも私のそばにいてくれる。たとえ、姿が見えなくても、心の中に生き続けている。だから、私はもう、悲しまない。強く生きていく。
「お父さん、お母さん、ありがとう。私、頑張る。あなたたちの娘として、誇りを持って生きる。今まで忘れててごめんなさい。愛してくれてありがとう」
私は、両親との別れを受け入れ、感謝の気持ちを伝えた。両親は、微笑みながら私を見つめ、静かに消えていった。それは、まるで朝露が太陽の光に消えていくように、静かで穏やかな別れだった。
両親の姿が見えなくなっても、私は涙を流さなかった。心の奥底に、温かい光が灯ったから。それは、両親の愛という名の光。私は、その光を胸に、未来へと歩んでいくことを決意した。
両親との再会を終え、私は死者の国からの解放を願った。この場所で得た経験、両親との思い出、そして、フアナさんやシオン、リュカエル様との出会い。それから、忘れちゃいけない、良きパートナーでいてくれたヒスイ。それら全ては、私の魂に深く刻まれた。
「ヒスイ、そばにいてくれてありがとう。フアナさん、両親の魂を導き、私に両親の愛情を教えてくれてありがとうございます。リュカエル様、両親との繋がりを再び結ぶきっかけを与えいただきありがとうございます。あなたたちのおかげで、私は大切なものを取り戻すことができました。」
私は、出会った一人ひとりに向きながら、心からの感謝を伝えた。フアナさんは、いつものように優しく微笑み、リュカエル様は私を称えるように誇らしそうだ。そして、ヒスイは泣くのを堪えるような声で言った。
「ぜんぶ、アキが、頑張ったからだよ」
私はヒスイに近づき、ぎゅっと抱きしめる。
「それは、ヒスイがそばにいてくれたから」
私は、ヒスイとのハグを終えた後、ここには居ないシオンへの伝言を頼めないかリュカエル様に尋ねた。
「リュカエル様、シオンに『死者の国まで私を導いてくれてありがとう』と代わりに伝えてくれませんか?」
「わかった。必ず伝えるよ」
リュカエル様は、快諾してくれた。
死者の国の空は、深い藍色に染まり、星々が静かに輝いていた。その光は、まるで私たちが過ごした時間の尊さを物語っているようだった。
「アキちゃん、あなたの魂は再び生者の国へと還り、新たな生を受けるでしょう。それが、あなたの魂の宿命なのです」
リュカエル様の言葉に、私は頷いた。私の魂は、輪廻の輪の中で、再び新たな生を受ける。
『アキ、元気でね』
ヒスイの言葉に、私は笑顔で答えた。
「ヒスイも、新しいパートナーと仲良くね。フアナさん、リュカエル様もお元気で」
私は、みんなに見送られ、死者の国を後にした。
光の扉がゆっくりと開き、眩い光が私を包み込む。その光は、まるで新しい命の始まりを告げるような感じがする。
扉の前で、私はもう一度みんなを振り返った。フアナさんの優しい笑顔、ヒスイの涙を堪えた瞳、リュカエル様の誇らしげな眼差し。それら全てが、私の心に深く刻まれた。
私は、深呼吸をして、光の扉をくぐった。眩い光が私を包み込み、意識が遠のいていく。
どれほどの時が経ったのだろうか。私は、産声と共に、新たな生を受けた。
数十年後――。
私は、画家として生計を立て、穏やかな日々を送っていた。
アトリエに並ぶ色彩豊かな絵画。それらは、見たこともないはずなのに、どこか懐かしい風景や動物、そして大木をくり抜いたような家、翠眼を持つ鹿。空が灰色ということ以外は日本の田舎という言葉が合う風景。それらが描かれていた。私は、ふと脳裏に描かれる絵を自分で描きたくなった。それは見たこともないはずなのに、既視感のある場所や動物。みんなにも見て欲しくて、筆をとった。
今日も、心の奥底に眠る感情をキャンバスに解き放つ。
〈わたし、ナニモノでしょうか 完〉
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