地球組

 次の金曜日、まいは有休を取得した。理由は、実家に帰省するためだ。仕事の忙しさと疲弊により、三ヶ月家族に顔を出していない。そのため、久しぶりに帰ることにしたのだ。

「帰省ってなると、新幹線、飛行機、船を使って長旅するものだと思うけど、私は乗り物酔いがひどいから、徒歩圏内のところに実家があるのだわ」

 リュックを背負い、 実家への帰路を辿っていた。

「徒歩圏内って言っても、四十分かかるから、人による道のりだけども。自転車も乗れないしなあ」

「あれ? 姉ちゃんじゃん」

 と、声かけしてきたのは。

「ゆうき!」

 弟のゆうきだ。自転車に乗っている。

「なにしてんのよこんなとこで」

「なにしてって、鉄道模型見てたんだよ」

「相変わらず暇な生活してんのね」

「しゃーねえだろ。無職なんだからよ」

 ゆうきは中学で学業不振になり、風邪以外で休むことはなかったものの、不良になっていた。進路もろくに決めず、中卒に。以降は就職活動に勤しむが、それも虚しく、いまだ無職である。

「ていうかよ。姉ちゃんが帰ってくるせいで、俺の寝床がなくなんじゃねえか」

「うるさいわねえ。実家なんだから、姉弟で同じ部屋なのは仕方ないでしょ?」

「で、でもよ。さすがにお互い二十前半で寝食を共にするってのは……」

 照れるゆうきに、

「そういうこと考えてんじゃないわよ! たった二泊なんだから我慢しろ!」

 怒った。

「バカじゃねえの? さすがに実の姉をやらしい目で見ねえよ。考えすぎ」

「はあ? そ、それじゃあ私がいやらしいみたいじゃん!」

「はいはい。乗れ」

「は?」

「ここからじゃ歩くと長いだろ。いいから乗れって」

 ゆうきは、自転車でまいを乗せるつもりだ。

「ダメよ。自転車の二人乗りは法律で禁止されてるんだから」

「ははん。そんなの破ったって、黙認されるだけだろうに」

「ダ・メ!」

 断固否定した。


 結局ゆうきは、自転車を引いてまいと歩くことにした。

「最近どうなんだよ?」

「うーん、まあまあ」

「まあまあじゃわからん」

「まあまあは、まあまあなの」

「ふーん」

「そっちこそ。親しい人とは連絡取ってるの? ほら、あかねちゃんとかさ!」

「あかねはいないよ。あいつは中学を出て、アメリカに行ったからな」

「ああ、そうだった」

「あいつすごいよな。保育園の時からバイオリニスト目指してさ、今じゃ両親と同じ、世界を飛び回る演奏家と来たもんだ」

「ゆ、ゆうきだってそのうちなにか見つかるわよ」

 彼をなぐさめたつもりだった。

「どうも」

 そのなぐさめに、一言だけ返し、ゆうきは自転車を漕いで先に家に向かった。

「……」

 まいはしばらくその場に立ちすくんだ。


 まいの実家、平屋建ての金山宅に戻ってきた。

「まい!」

 タクシードライバーをしている母、さくらが彼女の姿を見ると、パッと顔を明るくした。

「お母さんただいま。今日は休みなの?」

「ええ。だって、帰ってくるんでしょ? 初日で顔を合わせないなんてこたしないわよ」

「あはは……」

 苦笑した。

「そうだ。今夜久しぶりに鍋やるから、一緒に作るわよ?」

「え?」

「作るわよ!」

「あ、はい」

 そして、夕飯の準備にかかった。まいは野菜を切り、さくらはご飯を洗っていた。

「どうなの今?」

「あ、えっとー。まあまあかな」

「まあまあじゃわからないわ」

「それ、ゆうきにも言われた……」

「あら、ゆうきと会ったんだ」

「うん」

「大変? 楽しい?」

「うーん」

 少し考えて、答えた。

「大変かな」

「どの辺が?」

「一年経って、営業に異動したんだけど、なかなかうまくプレゼンできなくてさ。なんか、毎日訪問先に頭下げてるだけになっちゃって」

「なるほどねえ。まあ、客商売って、しゃべりのテクニックも命だからね」

「このままでいいのかなって、時々思うんだ。給料はいいけど、なんの成果も出さないまま会社にいていいのかなって……」

 洗米した米を炊飯器にセットし、さくらが答えた。

「まいはさ、どんなことが好き?」

「え?」

「得意なことはなんだと思う?」

「うんと……」

 すぐに思いつきそうなはずなのに、なかなか出てこない。

「ゆっくりでいいわ。そのうちわかってくるはずよ」

「ただいま」

 父、たけしの声が聞こえた。

 久方ぶりに揃った金山家。四人で座卓の上の鍋を囲っている。

「なんだか久しぶりの光景だな」

 と、たけし。

「姉ちゃんと母さんがいるだけだろ」

 と、冷めたことを言うゆうき。

「まあ、そうか。母さんがいない時は、二人きりの時もあるからな」

「そういう日に限って、カレーなんだよな。今日は久しぶりに鍋を食う気がする」

「まったく。まい、これが今の男どもの様子よ?」

「は、はあ」

 唖然とした。

「ゆうきもせめて家事ができるようになりなさい」

「わかってるよ母さん」

「まあまあ。ゆうきはゴミ出しの日を覚えているし、それでもりっぱじゃないか」

「お父さん、それホメてる?」

 まいがツッコんだ。

「まい、お前いつまでここにいるんだ?」

「二泊するから、明後日、日曜には帰るわよ」

「そうか。まあ、特に大したことはできないけど、ゆっくりしていけよ」

「うん」

「ねえねえまい。隣の家のおばさん、覚えてるでしょ? こないだねえ……」

 そのあとはひたすらさくらが最近の話で盛り上がっていた。金山家の指揮を執るのは、基本母親のさくらである。


 夕飯も終わり、お風呂も上がったまいは、部屋で布団を敷いていた。

「おう。湯上り美人の参上だ」

「やかましい」

 ゆうきにツッコミを入れるまい。

「どうだ。父さんと母さん元気そうだろ」

「そうね」

「健康診断でも、母さんはどっこも調子悪くなかったらしい」

「お父さんは?」

「父さんが……」

 少し間を作り、

「こないだ尿路結石になって、母さんが車で病院まで時速百キロで搬送したんだぜ?」

「はあ?」

「あはは!」

 ゆうきは笑った。

「で、ゆうき。少し耳が痛い話になるかもしれないけど」

「うん?」

「いつになったら仕事を見つけるの?」

「ま、そう言うと思ったぜ」

 ゆうきはまだ残っている勉強机の引き出しから一冊のノートを取り出した。

「これ、見てみ?」

「なにこれ?」

「それは俺が中学時代に購入した、やりたいことを書くノートだ」

「開いていいの?」

「いいよ」

 開いた。

「あれ? なにこれ、まっさらじゃないの」

「そうさ。俺はやりたいことがないんだ。勉強もやる気がないし、中学時代もあかねや連れといるだけで、ずっと怠惰に過ごしてきた」

「で、でもお父さんとお母さんはそんなあんたに見かねているはずよ? いつまでもこんな生活が続くと思わないで」

「じゃあなんで姉ちゃんは働いてんだよ?」

「え?」

「そんなに言うなら、働くための理由があんだろ」

「そ、それはお金を稼いで生きるためでしょ」

「生きるなんて、お金を稼がなくって、できるじゃないか。俺は今家族がいて、一緒にいるから生きていられる」

「でもいつかは二人もお仕事ができなくなって、私たちで頑張らないといけない日がくる。そういうことを考えてるわけ?」

「わかってるさ。でも、俺にはなんもない。なんもないやつなんかにできることなんて、あんのかよ」

「……」

「姉ちゃんは、今の仕事ができて、それでお金を稼いで生きていくんだもんな」

「!」

「俺さ、今みたいに父さんと母さんに気持ち伝えたんだよ。そしたら、自分のペースでいいから、見つければいい。自分たちもそうしてきたって言われたんだ。一番いけないのは、焦ることってな」

「いけないのは、焦る……」

「なんか、こんな真剣に話をすること、これまでなかったよな。今週末は、ゆっくりしてけよ?」

 と言って、ゆうきは部屋を出た。

「ゆうき……」

 まいは、物思いにふけった。


 ゆうきの幼馴染みである西野にしのあかねは、今や世界的バイオリニストだ。アメリカの高校を卒業してから、両親と同じく世界を飛び回る演奏家として活躍している。いつか有名なバイオリニストになること、それが幼い頃からの彼女の夢だった。

 しかし、現実は違った。

「げほげほ!」

 あかねは今夜もホテルのトイレで戻していた。

「まずい……。この頃、毎日吐いている気がする……」

 しかし、戻すと前に起きる震えと不安が収まる。なにか病気にかかっているかもしれないと、病院にかかろうと思うが、最近はスケジュールが埋まっていて、時間がない。両親に相談しようとしたが、余計な心配をかけまいと、黙秘していた。

「明日も演奏会があるんだ。もう寝ないと……」

 ベッドに入り、市販の睡眠薬を口にした。

「眠れない……」

 市販の睡眠薬を口にしても、のちに眠れない日々が続いた。眠れたとしても浅く、夢を見て目が覚める。

「また小学生時代の夢を見るんだろうな」

 ゆうきやまい、まなみがそばにいた日々が、夢の中で鮮明に浮かび上がる。

「もうこんな毎日いや。助けて……」

 目から涙を流した。

 部屋のインターホンが鳴った。

「誰、こんな時間に?」

 ベッドを出て、ドア穴を覗いた。

「え?」

 そこにいたのは、小学生の頃同じクラスだった知人がいた。

「も、もしかして。こうき?」

「久しぶり、あかねちゃん」

 こうき。ゆうきのもう一人の幼馴染みだ。今は金髪に髪を染め、両耳にピアスを通している。

「な、なんでここがわかったの?」

「今度イタリアでコンサートを開くって情報をネットで調べてさ。ホテルを調べたんだよ。それで見つけたってこと」

「い、いやだとしてもさ。なんでここに来たの?」

「それはね……」

 と言い、扉を閉め、ビラを見せた。

「君を入信に来たからだよ」

 あかねが見つめるビラには、地球の写真に、地球組とでかく表記されたビラだった。

「ここ地球組は今信者が百万人に到達していて、目的としては、人類を、本来あるべき姿に戻すことなんだ」

「ほ、本来?」

「そう。今や人類はなれ果てと化した。したくもないことをして毎日毎日毎日毎日生きるために稼いでいる。自分を犠牲にしてまでやりたいことがあるのか? そんなにしてまでお金が大事か? この星はおかしい!」

 熱く語るこうきを見て、呆然とするあかね。

「そこで! 我々地球組はそんな世界を変えるべく、立ち上がったわけさ。君も、今の生活に不満を抱えているんじゃないのか? それも、地球組に入れば、自分の思うままさ」

「自分の、思うまま……」

 あかねは、小学生時代の楽しかった思い出がよみがえり、中学卒業後、アメリカに引っ越し、新たな生活に戸惑いながらもバイオリニストの夢を叶えるために頑張った日々を思い出した。現在は故郷のことばかり考え、忙しなく動く毎日に心身ともに限界を感じている。

「あかねちゃん」

 こうきが手を差し伸べる。あかねは、ゆっくりと、彼の手に触れた。


 翌日、テレビで世界的バイオリニストの西野あかねが行方不明というニュースで話題になった。

「あ、あかねちゃんが行方不明!?」

 まいががく然とした。

「あかねちゃんって、あんたたちがよく遊んでた子よね」

 さくらが言った。

「ま、まさかさらわれたんじゃ……」

 まいが震えた声でつぶやいた。

「いや、ただのエスケープかもよ?」

 ゆうきはとぼけたことを抜かした。

「あんなにバイオリンに熱を注いでいたあかねちゃんがエスケープなんてありえないわ! 警察に届け出るわよ」

「いや、姉ちゃん。もう警察は動いてるって」

「あ、まなみからだわ」

「あかねが失踪したどうしよどうしよってか?」

「まなみもあんたと一緒で、エスケープかもだって」

 ゆうきをにらんだ。

「ほらな。あいつも有名人という肩書がつらくなって、逃げたんじゃねえの?」

 と言い、ゆうきはみそ汁をすすった。

「ええ? そうなのかなあ」

 まいは納得いかない様子で、首を傾げた。


 とある企業ビルの前で、こうきはスマホを見ていた。

「おいおいあかねちゃん。君も有名人だねえ。ニュースで行方不明だって、謳われてるよ」

「う、うう」

「まあいいや。さーて、地球組の活動に取り掛かろう」

「な、なにするの?」

「今、俺たちはスーツを着ているわけだが、これからこの会社に営業マンとして乗り込む」

「え、え?」

「ここは大のブラック企業として有名なんだ。だから、我々地球組であることをラストに明かす感じで、まずは飛び込み営業をする」

「は、はあ」

「行くぞ!」 

 他の信者たちに飲まれるように、あかねもビルに向かった。

 ビルの社長室に呼ばれた地球組一同。

「で、君たちはなにしここへ来た?」

 社長が問う。

「社長さん。僕たちは、これをしに来たんですよ」

 と言い、こうきは胸ポケットからサイレント銃を取り出し、社長の心臓を命中した。

「……」

 社長が倒れる瞬間、あかねは彼と目が合った。

「急げ!」

 こうきの合図で、信者たちは窓から飛び降りた。背広をパラシュート代わりにして、ハイエースに降り立ち、こうきの運転でその場を去った。

 地球組が去った直後に、ビルが大爆発を起こした。瞬く間に火の海と化し、跡形もなく、消滅した。

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