第2話

空の色が変わり、一日の始まりを告げた。

「行って来ます」

身支度を整え、朝食も食べ終えた羽雪は、玄関でスリッパを靴に履き替えると、忍にそう言った。

「ああ、行っておいで」

食器を洗っていた手を、一旦止めて、忍は羽雪を見送った。

羽雪が、明星(みょうじょう)高校に転校して来て、三日目になる。

午前の授業が終わって行き、昼休みになった。

今日も屋上に行くと、巧、樹里亜の二人が、先に来ていた。

弁当を食べていると、ふいに、巧が言った。

「ねえ、お弁当のおかず、交換しようよ」

「え?交か、」

「わーい、するする」

羽雪の言葉が、樹里亜が燥いだ(はしゃいだ)為(ため)に、途中で遮られた。

「舞夜さんは?」

巧が促してくれたおかげで、もう一度、羽雪が言えるチャンスが、出来た。

「いいけど、大した物、入ってないよ?」

「決まり、じゃ、まず、俺からね」

巧はそう言うと、箸(はし)をひっくり返して、樹里亜には魚肉ソーセージ、羽雪にはミートボールを、それぞれ分けた。

「じゃあ、次は樹里亜、行っきまーす」

樹里亜はタコさんウィンナーを巧に、卵焼きを羽雪によこした。

「最後は私ね」

言うと羽雪は、巧に唐揚げ、樹里亜にベーコンのアスパラ巻きを渡した。

三人はそれぞれ、自分の弁当箱に置かれた、おかずを食べた。

「んー、おいひい」

樹里亜が言った。

「うん、美味しい」

そう言うと、巧は続けた。

「舞夜さんて、料理上手なんだね」

「え?」

と、羽雪は軽く驚くと、首を振り、続けてこう言った。

「あ、ううん、それは兄が作ったの、私が作る時もあるけど、全部兄の手作りよ」

「えー、そーなんだー、男の人が作ったように、見えなかったー」

「俺も、てっきり、舞夜さんの手作りだとばかり」

「でも、褒めて(ほめて)くれて嬉しい(うれしい)、ありがとう」

頬を紅く(あかく)染めて、羽雪は礼を言った。

巧の、胸の鼓動が、高鳴った。

挟んでいた箸から、唐揚げが落ちた。

「ねー、落ちたよ」

樹里亜が声をかけた。

しかし、巧はピクリともせず、惚けて(ほうけて)いる。

「ねえー、ねえったら」

今度は肩を揺さぶった。

すると、我に返ったらしく、言葉を出した。

「え?あ、ああ、何だ?」

「唐揚げ、落としたわよ」

樹里亜が伝え直した。

「え!?ウソ!?」

樹里亜の言葉に驚いて、巧は慌てて、自分の足元を見た。

確かに、唐揚げは落ちていた。

巧の弁当箱の、ご飯の上に。

地面じゃなかったのが、幸いである。

「よかったー」

安心の溜め息をつきながら、巧が言った。

「どうしたの?大丈夫?」

羽雪が声をかけた。

「な、なんでもないよ、大丈夫、大丈夫」

羽雪に気遣いをさせまいと、両腕を振り回して、巧は気丈に振る舞って見せた。

「ほら、ね?」

そう言って巧は、羽雪を見た。

そして、返答を待った。

「そう、まあ、美作君本人がそう言うなら、いいけど」

その言葉を聞いた巧は、胸を撫で下ろし、本日二度目の溜め息をついた。

「ところで」

話を変えるように、巧が言った。

「そっちはどうだった?」

「どうって?」

羽雪が聞き返す。

巧がずっこけた(体の半分で)。

「味だよ、味、さっきまで三人で、食べ合いっこしてたでしょ」

「あ、そっか」

「で、どうだった?」

「美味しかった」

羽雪の言葉を聞いて、巧は嬉しそうに顔を、綻ばせた。

「本当に?よかった、それ、手作りなんだよ」

羽雪も絆されつつ、巧が話すのを聞いていた。

「舞夜さん?舞夜さんてば」

呼びかけながら、手を羽雪に近づけて、上下に降ると、我に返ったらしく、それに気づいた。

「え?あ、ああ、ごめんなさい、そのお弁当、手作りだって言う話でよかった?」

「そう、俺の手作り」

「……手作り?」

「手作り」

「嘘?これ、全部?」

羽雪は、驚きの声を上げた。

「うん、樹里亜の分も、作ってるからね」

気恥ずかしそうに、巧が答えた。

「黒原さんの分も?じゃ、黒原さんが今持ってるお弁当も、美作君の手作り?」

「まあね」

続けて巧が照れ笑いした。

羽雪は、今度は平常心を保てた(らしい)。

「それと、転校初日から、また言い忘れないうちにに、言っておくけど、美作君じゃなくて、巧でいいから」

「え、いいの?」

「うん」

巧は頷いた。

「じゃあ、私も羽雪でいい」

と、羽雪はぶっきらぼうそうに言った。

「分かった、羽雪ちゃん」

それを聞いた羽雪は、急激なスピードで赤面した。

そして、その場を取り繕(とりつくろう)ように、火照った(ほてった)顔を手で扇いだ。

「どうしたの?大丈夫?」

「な、なんでもない、大丈夫、大丈夫」

「ならいいけど」

誤魔化すように、話題を変えるように、羽雪は話した。

「巧君って、料理上手なんだね、二人分も作れるなんて、凄いね」

「そう言われると、嬉しいな、ありがとう」

そう言って巧は、また照れくさそうに笑った。

そして、話題を変えるように、こう言った。

「そう言えば、今日は何処の部活に行くの?」

「今日は、」

と、言いかけるが、いつの間にか、三人から二人だけのになっていた会話は、

「もう、二人共、いつまで喋ってんの、食べる時間、無くなっちゃうよ、樹里亜もう、食べ終わっちゃった」

樹里亜によって、打ち切られた。

「それと、樹里亜の事も、樹里亜って呼んで」

樹里亜は、むくれながら言った。

「え?いいの?」

「だって、たー君だけ先に、狡い(ずるい)、樹里亜も名前で呼び合いっこする」

「ええと、いいかな?」

羽雪の顔色を窺うように、何故か巧が聞いた。

「うん、別にいいけど」

「決まり、ほら、早く食べちゃわないと、お昼休み、終わっちゃうよ」

「そうだった、忘れてた」

羽雪がハッとして、言った。

「急ごう」

巧の言葉を合い図に、二人は急いで、お弁当をかき込み、飲み物で流し込んだ。

『ごちそうさま』

言うと同時に、二人は揃って、手を合わせた。

二人の声が重なった。

やがて、チャイムが、昼休みの終わりを告げた。

放課後が来ると、羽雪は朝雨の所へと向かった。

朝雨の隣りに、冴が既に来ていた。

「一ノ瀬君、沢渡さん」

二人の名を、羽雪は呼んだ。

「やあ、来たね」

「来てくれて、嬉しいわ、それじゃ、行きましょ」

二人に連れられて、今日、体験する部活へと向かう。

視聴覚室へ着くと、綺麗にハモった、コーラスが聞こえて来た。

吹奏楽部と同様、中に入り、歌声に耳を傾ける。

中にいたのは、顧問を含め、部員全員が女性だった。

やがて、歌が終わると、三人から拍手が贈られた。

すると、此処でも顧問から声がかかり、部員達の脇に並ばされ、楽譜が配られた。

基本的な、発声練習をしてから、十人で、森山直太郎の〝さくら(独唱)〟を歌った。

一通り、歌っては繰り返し、それが二時間続いた。

BEGINの〝風になりたい〟も練習して、今日の部活は、終了した。

その頃、バス停では、巧と樹里亜が、待っていた。

「バス、まだ来ないね」

樹里亜が言った。

「そうだね」

巧が返した。

その後、数分間の沈黙が、二人の間に流れた。

「今日の授業、難しかったね」

また、樹里亜が言った。

「そうだね」

また、巧が返した。

「樹里亜、全然分かんなかった」

「後で教えてあげる」

「うん」

また、沈黙。

「今日の宿題の所も、教えてね」

「うん」

と、話しながら、通学路になっている、横断歩道の向こうを見やると、人が三人、こちらに向かってやって来るのが、見えた。

それは、つい数時間前まで、部活体験をしていた、

羽雪・朝雨・冴だった。

羽雪を間に挟んで、何やら談笑していた。

そしてーーー。

「さあ、着いたよ」

「じゃあ、私達はこれで」

「うん、二人共、ありがとう、また明日」

そう言って、羽雪は二人に、頭を下げた。

「また明日」

「また明日」

手を振り、別れると、朝雨が車道側に並び、冴にペースを合わせ、二人寄り添うように、歩いて行った。

羽雪は、そんな二人を見送ると、巧と樹里亜の方に、向き直った。

「ごめんなさい、待たせてしまって」

「いや、大丈夫だよ、まだバスも来てないし」

巧がそう言って、羽雪を宥めた。

「そうそう、気にしない、気にしない」

樹里亜も、同意を述べた。

「ありがとう、そう言ってくれると、助かる」

羽雪は安心した。

「今日も、一ノ瀬君や沢渡さんと、一緒に周ったの?」

隣りに立って、同じようにバスを待っている、羽雪に巧は聞いた。

「うん、そうだよ」

羽雪が答えた。

「ちなみに今日は、合唱部」

「へーえ、で、どうだった?」

「そうね……私と沢渡さんも大変だったけど、三人の中で、一番大変だったのは、一ノ瀬君じゃないかな、あの中で男性は一ノ瀬君、一人だけだったから」

「一人!?そりゃ確かに大変そうだな」

「私もそう思う」

と、話している途中で、

(あ……)

羽雪は気づいた。

巧と二人で、並んで立っている事に。

先程、二人で歩いて帰って行った、朝雨と冴の事を思い出して、なんとなくだけど、嬉しくなった。

羽雪は紅潮し、思わず口元を緩ませた。

「どうしたの?」

巧の声で、羽雪は我に返った。

「え?」

「顔がニヤけてるからさ、そんなに部活で、面白い事、あった?」

「あ、ううん、ごめんなさい、なんでもないの」

首を横に振り、羽雪は答えた。

そして、話を変えようと、別な話題を持ち出した。

「そう言えば、今日の体育の授業、加藤君のホームラン、凄かったね」

「ああ、結構遠くまで飛んで行ったよな、アレ」

と、話していると、

「ちょっと、二人共、バス来たよ」

樹里亜の呼びかけが、二人の会話を中断させた。

樹里亜の言葉に沿って、向こうを見ると、確かに、三人の至近距離まで、バスが近づいていた。

バスは三人を乗せると、それぞれの家のある駅まで、送って行った。

部屋に入ると、羽雪はスクールバッグを、ベッドの脇へと置いた。

そして本を取り出すと、机に向かって、読書を始めた。

七ページ程、読み進めていると、着信音が聞こえた。

本を開いたまま伏せて置き、スクールバッグの所まで行って、ケータイを取り出し、見た。

巧からだ。

〝今、まだバスだよ、課題やった?〟

羽雪は青ざめながら、返信を打った。

〝そう言やあったね、忘れてた〟

〝大丈夫?今からやったら?〟

〝うん、そうする、終わったら、メールした方がいい?〟

〝うん、そうだね、じゃ、また後で〟

〝うん、また後で〟

羽雪は課題に取りかかった。

そして、二時間後ーーー。

〝お待たせ、今、終わったよ〟

〝おつかれさん、こっちは、今、始めたばかりだよ〟

〝そっか、頑張って、終わったら、メールして〟

打ち終わると、

「羽雪、ご飯だぞ」

下の階から、忍が呼ぶ声がした。

「はーい」

返事をすると、部屋を後にした。

数十分程して、風呂から上がった羽雪は、パジャマに着替え、タオルで頭を拭きながら、戻って来た。

タオルを首に掛け、机の上に置いてあるケータイを手に取った。

着信二件。

〝お待たせ、今、終わったよ〟

〝夕飯呼ばれたから、ちょっと行って来る〟

羽雪が二通目を読んでいると、新たな着信が入った。

〝ごめんごめん、風呂に入ってた、随分待たせて悪かったね〟

羽雪は返事を打った。

〝おつかれさま、返事するの、遅くなってごめんなさい、私も今、お風呂に入って来たばかりだったから〟

〝そうなんだ、今日はもう遅いから、明日にしない?〟

〝分かった、じゃ、おやすみ〟

〝おやすみ〟

次の日の、放課後。

朝雨と冴の二人に連れられて、羽雪が向かったのは、テニスコートだった。

朝雨に言われて、事前に、ジャージに着替えは、済ませておいてある。

元気のいい、掛け声が聞こえ、ボールの弾む音や、ラケットに当たる音が、響いていた。

準備運動や基礎トレに参加し、その後(あと)は部員達の練習を、見学した。

すると、顧問から、二人で試合をしてみてくれないかと、声がかかった。

指名されたのは、羽雪と冴だった。

二人は向かい合って、コートに立った。

「大丈夫、大丈夫、ボールをよく見れば、打てるから」

冴が、羽雪を宥めた。

「う、うん」

審判役の、部員の掛け声を合図に、試合が始まった。

「じゃあ、行くよ」

羽雪のサービスから始まった。

冴が打ち返す。

羽雪も打ち返す。

朝雨と部員達は、二人が打ち返す、ボールの行方を目で追う。

日が暮れるまで、二人のラリーは続いた。

最後は、冴が打ち返したボールを、羽雪がボレーで決めた。

この試合は、羽雪の勝ちで終わった。

それまで、と、顧問から声が掛かった。

コートを、ブラシや箒で、綺麗に整えると、三年生から順に、一列に並び、顧問から一言、申し出を受けた。

「どの試合も、なかなか良い試合だった、これからもこの調子で、この次の大会に臨むように」

『はい!!』

元気の良い返事をした。

そして、終いの言葉として、謝礼と別れの挨拶を述べた。

「帰ろっか」

冴が言った。

「うん」

羽雪が頷いた。

三人も一緒に、部員達と更衣室に向かい、テニスコートを後にした。

五日目の午後三時。

LHR(ロングホームルーム)を終えた羽雪は、二人の元へと向かった。

「一ノ瀬君、沢渡さん」

「来たね」

「じゃあ、行きましょ」

羽雪はまた着替えてから、二人に連れられて、次の部活へと向かった。

着いた場所は、校庭のホームグラウンドだった。

活気の良い掛け声と共に、強い衝撃音や響きの良い、金属音が聞こえる。

試合の練習中だったようだ。

三人は黙って、成行きを見守った。

メンバーは、ゼッケンを着けてるチーム九人と、そうでないチームの九人。

そして補欠が二人と、マネージャーが一人の、計二十一人である。

やがて、ホイッスルが鳴り、試合終了の合図を告げ、休憩に入った。

部員達は水分補給をしたり、チーム関係無く、談笑したりして、過ごした。

その後、ストレッチを入念に行なった後、朝雨が試合に参加させられた。

ゼッケンを着けてる方の、チームである。

羽雪と冴は、マネージャーと一緒に引き続き、試合の行く末を見守った。

結果は、朝雨達のチームの勝ちに、終わった。

全員でグラウンドの整備や球拾い、道具の後片付けを行なった後、綺麗に一列に並んで、

〝ありがとうございました〟、〝さようなら〟と部長が言った後に続いて、全員で挨拶を述べ、解散した。

次の日の放課後もジャージで、三人は部活に向かった。

三人が到着したのは、グラウンドにも使われている、校庭だった。

ゴムが弾ける(はじける)ような音や、砂地が擦れる(すれる)ような音が鳴っていた。

此処でも三人は、暫し(しばし)の間、試合の様子を見届けていた。

ドリブルやパスが三回程行なわれ、ゴール前にいた部員がボールをタップし、シュートを放った。

見事にゴールが決まり、顧問の吹くホイッスルが、試合終了の合図を告げた。

休憩を挟んで、次の試合が始まった。

この試合には、朝雨が参加させられた。

残った女子二人は、野球部と同様、引き続き、見学となった。

ボールが次から次へとパスされ、朝雨の足元に周って来た。

朝雨は息を呑み、シュートを放った。

ゴールが決まった。

ホイッスルが鳴った。

朝雨が参戦したチームが、勝利した。

その帰り道。

羽雪は二人の後を、黙ってついて行った。

朝雨と冴は、歩きながら、談笑を始めた。

「どうだった?今日の試合」

朝雨が冴に聞いた。

「うーん、五十点かな」

冴が答えた。

厳しめの採点に、朝雨が慌てた。

「え!?嘘!?」

「嘘、本当は百点」

本当の結果を知って、朝雨は胸を撫で下ろした。

「よかったー」

「格好良かったよ」

追加の褒め言葉に、朝雨は喜んだ。

「やった!」

歩きながら、朝雨はガッツポーズをした。

「そう言えば、今日の数学、分かった?」

話題を変えるように、冴が言った。

「あれ?分かんなかった?じゃ、今日、家(うち)においでよ、教えてあげる」

「行く行く」

二つ返事で、冴が承諾した。

「その代わり、英語教えて?」

朝雨が頼んだ。

「いいよ、じゃ、帰って着替えたら、行くね」

どうやら、羽雪の知る限りでは、男子は文系が苦手らしい。

「楽しみに待ってるよーーー……と、着いたよ」

三人が足を止め、見やった向こうには、バスの停留所があった。

その屋根の下には、巧と樹里亜がいた。

こちらに気づいたらしく、巧が手を振った。

羽雪達も、手を振って返した。

「行きましょ」

羽雪の背中を押すように、冴が言った。

三人は、信号の無い、横断歩道を渡った。

バス停に着くと、羽雪はそこで、二人と別れた。

「今日は、何処の部活に行って来たの?」

「うん、あのねーーー……」

と、今度は羽雪が巧と一緒に、談笑を始めた。

「ーーーそこで一ノ瀬君がシュートして、ゴールを決めたの」

そこまで話すと、バスがやって来た。

「あら」

バスに気づいた羽雪が、声を漏らした。

「来ちゃったね」

巧が言った。

「うん」

羽雪が頷いた。

勿論、バスに乗ってからでも、話は出来る。

羽雪にも、それは分かっていたが、話しているのを邪魔されたと感じた羽雪は、少し残念そうな顔をした。

そんな羽雪の、顔つきを察してか、巧が言った。

「さあ、とりあえず今は、バスに乗ろう、話の続きは、それからでも出来るでしょ?」

「うん、そうだね」

答えると羽雪は、巧に促されるようにして、バスに乗った。

一人残らず、乗客を乗せると、人気(ひとけ)の少ない、狭い道路を、バスは走り去って行った。

七日目の放課後。

ジャージ姿に着替えた、羽雪達が向かったのは、体育館の裏だった。

ばねがしなるような音や、壁に何かが当たるような音が鳴っていた。

体育館の一部と化していた壁には、的に見立てた、得点板が貼られた、畳が三枚程立て掛けられていた。

それには、部員達が放ったであろう矢が、三本、四本と刺さっていた。

弓がしなる、矢が飛んで行く。

そして、次々に点数を得て行く。

三人は、矢が飛んで行く、行方を暫く目で追った。

此処でも、実戦に入る前に、三人にトレーニングが課せられた。

三人がトレーニングを終わらせると、丁度、部員達が、休憩に入る時間だった。

十五分の休憩は、あっと言う間に終わり、羽雪達も実戦に、参加させられる事になった。

アーチェリーの道具は、ずしりと、思っていた以上に重く、肩に掛けて持ち運ぶのが、やっとだった。

次々と順番が周って行き、三人の番となった。

力いっぱい弓を引き、なんとか真っすぐに矢を打てた。

すると、顧問から声が掛かり、三人は二つのチームに分かれて、対戦する事になった。

弓が引かれる、矢が飛んで行く。

得点板へと刺さり、軽い音を鳴らす。

次から次へと矢は刺さり、得点板に穴を開けて行く。

全部の矢を打ち終わると、

「それまで!」

と、声が聞こえ、ホイッスルが鳴った。

結果は、この勝負は羽雪と冴の、勝ちだった。

そしてまた、次の日の放課後。

三人が向かったのは、体育館。

ドリブルしている、ボールが床を叩く音と、シューズが、床を擦る(こする)音が鳴っている。

今の練習試合が終わるまで、三人はその様子をずっと見ようとしていた。

すると、顧問から、今から試合が終わるまでの間、トレーニングを申し付けられた。

それぞれ、腕立て、腹筋、背筋、ランニングと進めて行き、後七周の所で、ホイッスルが鳴った。

次からは、朝雨も参加させられた。

ボールを持ったのは、荒井。

羽雪と冴は野球部同様、引き続き試合の見学である。

ドリブルしながら、二人、三人と敵を追い抜いて行き、ゴールを目指す。

だが、敵に前後を挟まれ、行く手を阻まれた(はばまれた)。

荒井はパスを出した。

次から次へとパスを繋いで行き、朝雨の手元へと渡った。

朝雨は思い切って、ゴールめがけてシュートを放った。

フリースローが決まった。

ホイッスルがけたたましく鳴った。

この勝負も、朝雨のいるチームの勝利となった。

着替えて、荷物を持ち、玄関へと向かう。

そこには誰もいなかった。

「ちょっと、先に着いちゃったみたいね」

羽雪が言った。

「そうだね、少し待ってみようか」

冴が言った。

「うん」

二人は向かい合うように、壁に寄りかかりながら、

朝雨の到着を待った。

だが、一ノ瀬が現れるまで、数秒しか、かからなかった。

「あれ?二人共、早いね」

そう言ってすぐに姿を見せた。

その手には、肩に掛けた、スクールバッグの紐が握られていた。

「ごめんね、待たせちゃったかな?」

朝雨が詫びると、

「ううん、全然、今来た所」

冴が答えた。

こう言う台詞のやりとりを、本やドラマでしか、見た事がなかったので、羽雪は、こんな事って、本当にあるんだ、と思った。

今日も談笑を聞きながら、二人に送られ、バス停まで行った。

そして、バスは羽雪、巧、樹里亜の三人を乗せて、走り出した。

次の日の放課後。

今日も、羽雪、朝雨、冴の三人はジャージに着替え、次の部活へと向かった。

着いた場所は、道場だった。

中に入ると、柔道部員達が練習をしていた。

弾ける(はじける)ようなマットの音と、気合いの入った、活きのいい掛け声が、飛び交っていた。

道場のもう半分は、剣道部が折半していた。

三人は柔道部の練習をじっと見ていた。

すると、ホイッスルが鳴り響いた。

部長を始めとする部員達は全員、顧問の周りを取り囲むようにして、集合した。

「まだまだ行ける、お前達の限界を見せてみろ」

聞いてて気持ちのいい、揃った返事が響いた。

言った後、顧問は十五分の休憩を与えた。

休憩中の部員達を、じっと見ていた三人に、こんな声が届いた。

「よし、十五分休憩!」

声がした方を振り向くと、その正体は剣道部だった。

顧問の掛け声を合図に、部員達は散り散りになった。

水分を補給しながら談笑する様子を、三人は暫くの間、それを眺めていた。

すると、マットの弾けるような音が、聞こえた。

それが三人の意識を、剣道部から柔道部へと戻した。

三人は再び、柔道部の練習を集中して見ていた。

すると、部長らしき先輩から、こんな声が掛かった。

「おい、そこの三人」

呼ばれた三人は、一瞬分からなかったが、すぐに自分達だと、気づいた。

「お前ら入部希望者だろ?お前らも練習に参加しろ」

先輩の言葉に、三人は一人ずつ、こう返した。

「あ、いえ」

冴が言った。

「俺達は見学だけでーーー」

朝雨が言った。

「そうなんです、充分です」

羽雪が言った。

そう無難に断わろうとしたが、同学年らしき部員に、

「いいから、いいから」

と、無理矢理、道着を上だけ着せられながら、連れていかれ、結局、練習に参加するはめになった。

三人が練習を終える頃には、日が暮れていた。

「よーし、今日の練習はこれまで」

顧問の声が響いた。

「ありがとうございました」

部長が声を発した。

三人を含む柔道部員達は、綺麗に列を作って並び、道場に向かって一礼しながら、そして、顧問にも向かって一礼しながら、〝ありがとうございました〟を繰り返した。

「よ、ようやく終わったー」

冴が言った。

三人は、ジグザグになるように、倒れ込んだ。

三人はヘトヘトだった。

なんとか起き上がり、剣道部の方を見やると、手品を行なったかのように、その姿は無く、振り返ると、柔道部もいつの間にか、消えていた。

「ふーっすっかり遅くなっちゃったね」

ゆっくり、上体を起こしながら、冴が言った。

「だな、そろそろ帰るか」

起き上がりながら、朝雨が言った。

「うん」

羽雪も体を起こしながら、頷いた。

荷物を持って、校舎を出ると、夕焼けの空に烏が二羽、鳴きながら列を作って飛んでいた。

今日も羽雪は、二人に送られながら、帰って行った。

そして、部活見学最終日。

三人が向かったのは、昨日に引き続き、道場だった。

今日、体験する部活は柔道ではなく、その隣り、剣道部だった。

竹刀(しない)がぶつかる音や、床を踏み込む音が響いていた。

暫く見学していたら、三人にトレーニングが、課せられた。

三人は自分のペースで、素振り、摺り足(すりあし)、ランニングと進めて行った。

一番最後に、トレーニングを終えたのは、羽雪だった。

そして、試合に参加させられる為、三人に竹刀と防具が配られた。

三人は勿論、それらを着けて、試合に参加した。

結果は朝雨だけが勝ち、二人が負けた。

昨日の柔道同様、部員達は綺麗に並び、顧問から、申し出を一言、貰った。

挨拶が済むと、部員達は道場を出て行った。

朝雨、冴、羽雪の三人を残して。

「やっと終わったー」

冴が言った。

「二人共、お疲れー」

朝雨が言った。

「一ノ瀬君もね」

羽雪が言った。

「お疲れ」

冴も返した。

一息ついて、体の調子を取り戻すと、帰り仕度を済ませて、校舎を出た。

「周った部活は、これで全部ね」

歩きながら、冴が言った。

「後、どの部活に入部するか、それとも帰宅部にするかは、舞夜さん次第だね」

羽雪を挟んで、左側を歩きながら、朝雨が言った。

冴は右側である。

「今日も二人共、最後まで付き合ってくれて、ありがとう」

二人に礼を、羽雪が述べた。

「あの」

と、羽雪が言った。

「どうしたの?急に改まって」

冴が返した。

「突然、何かな?」

朝雨も加わった。

「二人さえ良ければ、これからもよろしく」

羽雪が続けた。

三人共、いつの間にか歩みを、止めてしまっていた。

緊張が三人に、走った。

「……な」

最初に声を出したのは、冴だった。

「なーんだ、何を言うかと思えば、そんな事」

と、続けると、更に付け加えるように、朝雨にこう訊ねた。

「勿論よ、ねえ?」

「うん、当然」

朝雨は答えた。

(二人共……)

「うん、ありがとう」

羽雪は喜んだ。

その眼尻には、涙が滲んで(にじんで)いた。

「ちょっと、泣かないでよ」

羽雪の背中を擦りながら、冴が言った。

「そうだよ」

朝雨も羽雪を宥めた。

「うん、ごめんね」

謝りながら羽雪は、袖口(そで口)で涙を拭った

(ぬぐった)。

「それなら、これからは私の事、冴って呼んでね、私も羽雪って呼ぶから」

会話の続きをしながら、三人は再び足を進めた。

「あ、それいいね、僕の事も、朝雨って呼んで」

冴の話に乗るように、朝雨が言った。

「分かった」

羽雪は頷いた。

名前の呼び合える仲間が増えて、羽雪は嬉しくなった。

「さあ、もうすぐ着くよ」

と、朝雨。

三人は、バス停の向かいの、横断歩道まで歩いていた。

向こうには、巧と樹里亜がいた。

そして、三人の足が止まった。

羽雪は、朝雨や冴と、バス停で別れた。

この日も羽雪は、バスに揺られて、帰って行った。

部活見学の日々の最中(さなか)も、羽雪は昼休みになると、巧と樹里亜の待っている、屋上を訪れていた。

羽雪は最初こそ、ぼちぼちだったが、日が経つにつれて、段々親しげになって行った。

そんなある日の放課後。

教室の引き戸を開けると、朝雨が見つけたのは、羽雪の姿だった。

「あれ?まだ残ってたんだ?」

席に座ったまま、何やら作業している羽雪に、近づきながら、朝雨は声をかけた。

「うん、日直だったからね」

羽雪の、机の上には、学級日誌が開いて、置かれていた。

「あ、そうだったね、忘れてたよ」

そう言った後、思いついたように、羽雪に再び訊ねた。

「今日も、美作君達、待たせてるの?」

「んー多分ね」

手を休める事無く、羽雪が答えた。

「本当、仲良いよね、あの二人」

朝雨達や、巧達と下校出来るのが、楽しみになっていた羽雪は、嬉しそうに話した。

すると、朝雨がこう言った。

「あれ?知らない?あの二人、付き合ってるんだよ」

驚愕の事実を、羽雪は知ったような気がした。

羽雪は動揺を覚え、硬直したかのように、動くのを止めた。

「学校じゃ、有名だよーーーって、舞夜さん?」

羽雪に朝雨の声は、なかなか届かず、何度目かの呼びかけによって、羽雪は我に返った。

「え?」

「どうしたの?大丈夫?」

「ああ、うん、ごめんなさい、なんでもないの」

羽雪は一呼吸おくと、落ち着きを取り戻し、冷静に、朝雨に聞いた。

「そうなの、知らなかったわ、いつから付き合ってるの?」

「幼稚園の頃からだって、聞いてるよ」

「そうなんだ、だから色々助けたり、いつも一緒にいるんだね」

「ああ、黒原さんが、車椅子なのを、助けてあげてるのはね、昔、道路で遊んでて、美作君が事故に遭いそうになったのを助けて、自分が身代わりになったからなんだって」

「そうなんだ、詳しいね」

「黒原さんから聞いてね」

溢れ出そうな感情を、なんとか堪えながら、羽雪は最後まで聞いた。

そして、

「じゃあ私、そろそろ帰るから」

最後は視線を合わせられずに、朝雨と別れた。

荷物を持って、教室を出て、階段を降り、校舎を出ると、一目散に走り出した。

それは、バスに乗るのを除いて、羽雪が、自分の部屋に帰るまで、止まらなかった。

一気に駆け込むと、羽雪は勢い良く、ドアを閉めた。

「……う」

堪えていたものが緩み、ベッドに飛び込んで、羽雪はひっそりと、泣き出した。

巧と過ごした日々を、思い出しながら。

そして、多分、気づいた。

自分の、巧に対する思いに。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る