ep.8 アンティークの聖女

 1時間後、秘密結社本部の最上階にて――。大理石の大広間には、修道服に身を包んだ幹部たちが集っていた。

 ギャルの幹部は所用で不在。美青年と醜悪な老婆は心なしか口角が上がっているように見え、普段通りの硬い表情で卓につく淑女と令嬢はまるで鏡写しのようだ。不機嫌そうな表情を湛える白人大男の斜め前で百瀬が椅子に座り直す傍ら、銀髪の黒人はいつにも増した渋顔をして天井画を見上げている。

 ――沈黙の議場で給仕人が資料を配り終え、いよいよ議長が円卓へ一声かけた。

「すでに皆の耳にも入っているだろうが、表世界の報道機関に例の事件の情報が漏洩したことが確認できている。今日の会議では今後の対処について議論することとしたい」

 彼の落ち着き払った態度が伝播するのか、円卓は極めて平静である。静寂の大広間へガスランプの音が仄かに響くなか、令嬢の隣に座ったメリケン男が不意に喉を鳴らす。

「錬金マフィアの規模がデカくなって頭を悩ませていたところにこれだ」

「これまでの成長は錬金術師のはぐれ者が流出したものであったか」

「ああ。で、これからは表世界の中からも錬金術絡みの犯罪者が出てくることになるんだろう。どうにかして重要な技術だけでも流出を止めたいところだが……」

 筋張った背を椅子に預ける白人中年を覗き見て、太った夫人は嗄れた笑い声を立てた。

「無理な話だ、あっちじゃ金になる技術だからね」

「表世界の連中はどいつもこいつも欲だらけでいけねえ。このままじゃ俺たちの仕事の量がこれまでの倍になるぞ。バアさんのところで何か話を丸く収める妙案はないか?」

「人間がそう都合よく動いたら苦労しない。ゴーレムでもあるまいし」

 円卓の片隅で置物のように押し黙っていた令嬢が小さく喉を鳴らし、再び無言に包まれる大広間。目を瞑って服の首元を直す議長の姿が黄金椅子に映り込む。

「ミセス。言葉を慎め。ここは神聖な議場なるぞ」

 始末屋あがりとしか思えない視線を受け、魔女のような夫人は口角に腫れぼったい皺を寄せた。円卓の片隅で淑女が呆れたようなため息をつく。

「――話を戻す」

 そして議長が咳払いをしたその時であった。不意に青銅の大扉が開かれる。

 一同の視線を受けながら内陣へ雪崩れ込んできたのは、目の血走った老祭司であった。青銅の扉を開けっ放しにしたまま、毛深い老人は両膝に手をついて肩を揺らしている。

「……何事だ。幹部会議の最中だが」

「申し訳ございません。至急お伝えしたいことが」

「申せ」

「【人魚】の代表者を名乗る者が会社の受付に参っております」

 どよめく円卓――。百瀬はあの議長が目を丸くするのを見る。皆の視線が泳ぐのに乗じて視線を水平に転がせば、淑女も円卓の対岸から自分を見つめてきているのが見えた。

「……人魚だと?」

「はい。秘密結社の創設に関わったという修道女たちです」

「何を寝ぼけている。彼女らは4百年前の人物であろう」

「それが……そう語っているのは、人間のゴーレムなのです。自身を4百年前の修道女たちから生まれた存在だと語っており……」

 黒人の薄い唇が弓のように引き絞られる。議場の端に控えていた給仕係が身構えた。

「捕らえよ」「なりません」

 互いに脊髄反射の如き応酬だった。

「スクリッタは4百年前に生まれた法律です。それより過去の事実を遡及的に縛るものではございません。もし来訪者の言が事実であれば彼女らを裁く法的な根拠がない」

「祭司ともあろう者が、何処の馬の骨とも知れぬ輩の言葉を信じるのか」

 全方位からの視線にさらされながら、祭司は汚れた手で口元の髭を押さえる。

「彼女らにいくつか問いかけをいたしました。すると驚くべきことに、彼女らは秘蔵の公式文書にまつわることさえ熟知していたのです。どうも訪問者が人魚として法的責任を果たしてきたことは確かな事実らしい」

「仲間内でゴーレムに入れ替わり、いつからか契約の当事者となっていたと?」

「それが彼女の答えです。我々の知る【人魚】とは、ゴーレムである彼女らそのものなのであると」

 先日の余裕たっぷりな態度から転じて、やたら弱気な口調でそう言った老祭司。議長が深く息をつく傍ら、シラユキ青年が大広間へ「あーあ」と素っ頓狂な声を放り投げる。

「おばちゃんが罰当たりなことを言ったからだね」

「冗談はよしとくれ!」

 議長は円卓の最奥でしばし喉を温めたのち、ランセット窓から青空を覗き見た。

「……追い返すわけにもいくまい。しろ」

「分かりました」

 老祭司は慌ただしく議場を出ていき――、大扉はいちど閉じられる。そして円卓の面々が背筋を正して待つことしばらく。給仕係が来訪者の到着を知らせる。緊迫した空気を割いて再び青銅扉は開かれ、ヴェールで顔を隠した3名の修道女が広間へと入ってきた。

 先頭にひとり、その後ろにふたり。いずれもシャープな体つきの若い女性で、古びた修道服を身にまとっていた。ヴェールの中はよく見えないが、銀髪の先達はどこか落ち着きがあり、藤色と珊瑚色の髪をした後ろのふたりは一挙一動が張り詰めて見える。

 ――どう見ても人間にしか見えなかった。しかし大理石の床を歩く彼女らの足元からは、まるで重装備の騎士が歩くような音が鳴っているのだ。

「……」

 百瀬がヴェールの中を注視するなか、修道女たちは内陣にて足を止めた。黄金椅子の隣に立った聖女は円卓の半円を一瞥してうやうやしく礼をする。

「ごきげんよう」

 発音にどこか違和感のある挨拶を受け、幹部たちは一斉に頭を垂れた。

「ごきげんよう、マドモアゼル。すぐ紅茶を持たせましょう」

「ふふ、人形に気遣いは無用ですわ」

 まさに人としか思えない冗談めかした声色だ。これだけ重苦しい空間で幹部たちに囲まれていても、来訪者たちの顔色は落ち着いている。――まるで銅像のようですらある。

 石造の広間が気まずい静寂で埋まらないうちに、議長は気品よい鼻笑いを響かせた。

「うちの祭司より伺いましたが、何でも貴女は伝説の修道女から生まれた存在だとか」

「ええ、いかにも。あるいは伝説の存在そのものと言えるかもしれません。――そのご反応から察するに、私どもの話も長い年月を経て擦り切れてしまっていたのでしょうね」

「いえ……」

 茶色の薄唇から漏れ出た曖昧な否定に、改めて議長は「いえ」と言い重ねる。

「伝承はしかと継承しておりました。しかしどうもそれは一部に過ぎなかったようです」

「無理もございません。私どもはこれまで太陽から隠れ暮らしてきましたから」

「それは貴女らが作ったとも言われる錬金術師の法律スクリッタに従ってのことですか」

「ええ。私どもは権利を持たざる存在。人目に触れて暮らすわけにはいきません」

 百瀬を含めた円卓の面々が神妙な顔をしていたのは、聖女の操る古代の発音を聞き取るのに苦心していたからか――、彼女たちから漂う形容し難い香りを意識し始めたからか。

 半透明のヴェールに阻まれた表情を読み取ろうと黒人議長は目元を緊張させた。

「しかし我々からすれば時を超えた同志に代わりございません。――ぜひ席へどうぞ」

「それではお言葉に甘えて」

 聖女は黄金椅子に腰掛け、従者たちは無言でその背後に並ぶ。彼女らが踏みしめるたびに大理石の床は角ばった音を立て、頑丈な椅子も鉄材を乗せたかの如く悲鳴を上げた。

 ――瞬きをしない乙女の白い瞳へ、議長は真正面から落ち着いた視線を返す。

「人魚と呼ばれた修道女たちの組合も今や秘密結社とは無縁の存在。ゆえに私のことは単なる旅人のひとりとお考えください。アルラピネと気軽にお呼びになって」

「分かりました。――旅人アルラピネ。今日はどうしてこちらに?」

「とある凶報を耳にしたからです。表世界の報道はご覧になって?」

 彼女の言葉に議場の空気は収縮した。冷や汗で背中が湿り出すのを感じながら、百瀬は聖女に視線を置き続ける。――ゴーレムは依然として穏やかな面持ちであった。

「錬金術の秘密が漏れ出しております。人間のゴーレムのことも」

「むろん存じ上げております。我々の落ち度は否定できません。こと人間を元に作られたゴーレムの存在については、情報が流出せぬよう厳重に取り締まっておりましたが」

「しょせん人の営みですもの、いずれこうなる日は来るとは思っておりました。しかしこうなってしまっては世界の混迷に指を咥えて見ているわけにもいきません。――それで謹慎を解いたのです。風来の旅人ながらこの土地にしばし留まってお力になれればと」

「それは心強い。今回の件については円卓においてもまさに今後に向けた議論を交わしていたところです。――ですがまだ会議は始まったばかり。しばしお時間をいただきたい」

「むろんです。待ちましょうとも。世の流れが許す限りは、いつまでも」

 古風な言葉遣いで優しく返したのち、聖女はぎしりと黄金椅子に座り直す。

「それで、ひとつお願いが。――城の方にしばらくお邪魔してもよろしくて?」

「あれは貴女たちから預かり受けたもの。止める理由もございません。ただ、崩落に御用心ください。地下などはもう崩れて入れなくなってしまっております」

「ありがとうございます。あの城は私どもが住んでいた当時からご覧の有り様でしたの。もう幾ばくも保たないでしょうが、しばらくの拠点にはなるでしょう」

「奇しくも秋の生誕祭が近々控えております。この土地で息抜きもなさっては」

「ええ。そうですね。そうさせていただきます」

 そう言って黄金の天井画を見上げる聖女。ヴェールから仄見える彼女の口元は淡い笑みを浮かべていた。30メートルの円周に散らばる幹部たちがちらと真鍮の置き時計に視線をやるなか、従者ふたりは依然として無表情で直立している。

「さて、ここからは世間話をいくつか。――吹田様はどうなさったのです? ついに稀代の錬金術師に御目見できると思っておりましたのに」

「吹田ですか。実は最近不祥事を起こし、そこの百瀬氏と交代になったのです」

「不祥事?」

「ええ、囚人を拉致しての違法な拷問を。元部下の彼がその不祥事を暴きまして」

 隣の席から仰々しいため息が聞こえるなか、百瀬は密かに向かいの席へと視線を零す。夫から視線を逸らして目を伏せる淑女の首筋は、心なしか筋立っているように見えた。

「……そうでしたか。そんなことが」

「彼は今も逃亡しています。同志の不始末で申し訳ない話です」

「いえ、よいのです。皆様は人間ですから。律を破るのも往々にしてあること」

 そこで会話は打ち止めとなり、無言となる広間に再びガスランプの音が響き始める。

 ――そんななか聖女の青白い顔が自分の方を振り向くのを見て、百瀬は澄まし顔でその視線に答えた。整った姿勢で椅子に座った聖女は、淑やかに悲痛な面持ちを作っている。

「百瀬様。部下の立場から見て彼の様子はいかがでしたか」

「え?」

「彼も人の子とはいえ、著名な錬金術師が道を外れた経緯が気になりまして」

 聖女の白い瞳に見つめられ、彼は肌寒い空気へ小さくため息を浮かべた。

「あいにく彼の態度に不審な点は何らございませんでした。卓越した錬金術師とあれば、その心も捉えがたいところがございます。しかし彼の殺めた囚人が引き起こした事件に、彼が執着していたことだけは確かです。なにせ実の娘が犠牲になった事件ですから」

「……なんということでしょう」

 悲痛げな表情を浮かべる聖女だが、その声色はあくまで一定であった。

 人形がわざとらしく肩を落とすのを見て百瀬は咳払いとともに座り直す。視線を内陣の石床に垂らす人間の仕草を、悲しげな面持ちの裏で聖女はどう見ていたのだろうか。

「――アルラピネさん。私からもひとつお伺いしてよろしいでしょうか」

「ええ、もちろん」

「吹田氏の御子女を殺害したのは、貴方たちと同じ人間のゴーレムでした。ユニコーンのような角を持つゴーレムで――、人の言葉を喋ったそうです」

 百瀬は黄金椅子の向こうで妻が鬼のような顔をしているのを見てしまった。だが当の聖女が動揺している気配はない。彼女は胸骨に手を添えて誠実な面持ちを彼に返すのみだ。

「世界の裏からそのような存在が見えておられましたでしょうか」

「……いえ、残念ながら。でもそれをお聞きになるということは……」

「はい。あいにく取り調べは失敗しました。ゴーレムの使命は分からずじまいです」

「彼はそれを知ろうとされているのでしょうかね。復讐のために……」

「貴方たちにも復讐という無益な行いを理解できるものなのですか?」

「ええ、分かりますとも。私どもがそのような感情を持つことはありませんけれど」

 百瀬は窓から差し込む陽光の中で足を組み替え、椅子の肘掛けへ静かに両手を乗せる。

「……失敬」

「構いませんわ。同胞の死に心を患わない私どもが生命の異端なのですから」

 口を渋らせて椅子に座り直す若紳士を見て、彼女は小さく首を横に振った。

「人の心とは、本人も持て余すほどに難しいものですのね」

 石壁に軋み音を響かせて、ゴーレムの聖女は黄金椅子からそっと立ち上がる。この場にいる人間たちはみな口を半開きにして彼女の言葉の中に閉じ込められていた。

「あまりお邪魔し過ぎてもいけませんわ。お困りのことがあればお呼びになって」

「ええ、お言葉に甘えて」

「それでは、皆様、ごきげんよう」

 唾を飲み込む百瀬にちらりと視線を垂らして、彼女は踵を返した。これまで銅像のように黙していた従者ふたりもその背を追って歩き出す。メイドたちが慌てて引きあけた扉をくぐって、耳に残る鋭い足音とともに姿を消していった修道女たち――。

 硬く閉ざされる青銅の大扉は、円卓に再び秘密の安寧をもたらすのであった。

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