第2章「秘密結社へようこそ」

ep.4 秘密都市ふたたび

 4日後。昼食時の活気にあふれたモンターニャ・デラーゴの裾野にて。

 私服の百瀬がスーツケースを足元に抱えて路面電車待合所の椅子に座っていた。

 街の玄関口となるこの裾野エリアには南部で空港からのリムジンバスが乗り入れており、丘にぐるりと線路が敷かれた路面電車との交通結節点となっている。巨大な塔が立ち並ぶ奇妙な街だが、この付近は南欧に似つかわしい煉瓦と漆喰の街並みが広がっていた。

 その日は秋晴れの散歩日和。しかしスーツケースを転がして階段と坂だらけの街を歩き回るのは現実的でなく、百瀬は待合所で路面電車の到着を待っていたわけだが――、

「百瀬様」

 あるときそこへ声をかけられる。張りのある若い男の声だ。彼が視線を上げたところ、旅客に混じってクローク姿の白人男女が並んでいた。いずれも秘密結社の制服である。

「本部の者です。お迎えにあがりました」

「迎えに?」

 百瀬は眉を顰めたが、職員ふたりは硬い表情をしたまま――。

 案内された先の駐車場には見るからに高そうなセダンが一台止まっており、その後部座席にクリーム色のスーツを着た青年が座っていた。少年が背だけ人一倍伸びたような――、どこかあどけない空気の残る栗毛の青年である。

「やぁ、兄さん。乗りなよ。隣は空いてるぜ」

 軽く会釈を挟んで百瀬は車に乗り込む。職員たちがスーツケースをトランクに入れて前方の座席に着いたのち、すぐさま高級車は駐車場を出て路上へ走り出した。

 百瀬は細長い指先で虹色の毛先を弄びながら、ちらと隣を覗く。隣の青年は曖昧な目つきを彼に返した。――彼は広めの二重のせいでどこか眠たげだ。

「貴方は確か……幹部のひとりの」

「コタロウ・アラン・シラユキだ。初めまして。好きなように呼んでくれ」

「よろしくお願いします。あの……何故ここに?」

「これから幹部になる男をひとりで帰ってこさせる訳にはいかない」

 揺れる車内で罰が悪そうに座席へ座り直す紳士を見て、青年は高らかに笑う。

「――ましてや、上司を蹴落としてでも幹部にのしあがろうとする野心家ともなれば」

「法定の手続きでしょう、幹部の背任を暴き出した社員が残存任期を受け持つのは」

「ごめんごめん、意地の悪い発言だった。取り消そう。前にクリスが幹部になったときも、同じことを言って怒られたのを思い出したよ。こういう事件って度々あるんだよね」

 百瀬は彼の柔い態度に曖昧な顔を返した。前の席の職員たちはポーカーフェイスを保ったままであるが、いったい何を思いながらこの話を聞いているのであろうか。

 ――赤信号で車が止まった際、青年はだらりとした姿勢で右手の指輪を回した。

「おっちゃんのその後は知ってる?」

「いえ、先週の段階で情報が止まっています。船の入港時に連行されたところまでしか」

「捜査情報は管轄部署止まりか。どうも逃げ出したらしいぜ。歳のわりに元気なもんだ」

「伝説的な錬金術師と聞いていますから、騙しの奇術もお手の物なのでしょう」

 しばらくして信号が青になり、車は丘の裾を抜けて下町の中を走り出す。うすら笑いをした青年が車窓を覗いたところによれば、窓に映った若紳士は頑なな表情であった。

「――それはそうと、今日はありがとうございます。わざわざ迎えに来て頂いて」

「いいんだ。幹部会議で会社に向かうところだったから。ついでさ」

「そうでしたか。お手間をおかけしていないのであれば良いのですが」

「新入りは大切にしなきゃね。雑魚は群れないとやってけないから」

 長い足を折りたたんだ若幹部は「これからよろしく」と爽やかに笑って窓を開ける。涼しい秋風が車に舞い込み、皆の髪がふわりと揺れた。

 心地いい風だ。沈黙も不審に映らない。百瀬は青年を尻目に車窓へ肘を置き、流れゆく外の景色へ顔を傾ける。そうすること、しばらく――。

「おっと」

 突如、車が急停車した。まだ下町は抜け切っていない。住宅街の閑静な路地だ。

 百瀬はすぐさま頬杖を解いて前方に視線を転がした。そして目を丸くする。車道を塞ぐのは人間が象られた氷像の群れであったのだ。なんと氷像たちは――、蠢いている。

「あれは……?」

「野生のアイスゴーレムだね。何故か死んだ生物を模倣する習性があるんだ。この土地では珍しくなくて、放っておけば仲間を呼ぶから秘密結社の執行部隊がいつも片付けてる」

 フロントガラスに視線が釘付けになった日本人と比して、青年の声色はしごく落ち着いていた。職員の顔色も同様だ。助手席の女性職員が無線をかける傍ら、運転手は滑らかにハンドルを切る。車は無駄のない挙動で道を引き返し、するりと大通りへ抜けた。

「まだゴーレムには慣れないかい?」

 ホッとしたように息をつく新参者を見てシラユキは微笑みを浮かべる。

「ええ。まぁ……」

「なに、これから僕が色々教えてあげるさ。休日、開けといてよ」

 高級車は馬車やタクシーを避けながら緩い坂をぐんぐん上っていく。次第に大きくなる摩天楼の影を見て、若紳士は静かにため息をついた。

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