2025年11月23日「ご都合展開批判至上主義者たちへ」
どうも〜名無之です。
最近の創作界隈は真偽不明の情報をさも真実かのように垂れ流すアカウントが増えていて、まったく嫌になります。
つい先日も、「小説家全員の脳には映像が流れている」という断定に対し、著名なラノベ作家さんが「同僚に聞いてみても3割くらいが活字が思い浮かんでいると答えてるなぁ」と苦言を呈していました。
それに対して発信したアカウントは無反応。
う〜ん、なんか本当にXでの議論が実の結ばないことになっていて、時間が無駄にされているな、と感じます。
けど、そういう議論に参加しないと、Xでは拡散力を持てないように設計されている。
なかなかどうして、生きづらい世の中になったもんだ。
さて、そういった創作界隈では既存作品への批判が行われることがあります。
いろんな言葉が使われていますが、一つとして聞くのは「ご都合展開」という単語です。
作者の思い通りになるように物語が組み立てられることをここでは「ご都合展開」と定義しましょう。
これをさも悪者かのように引き合いに出して批判している人がいます。
けど、僕はそれが悪いことだとは思わないのです。
例えば昨日、僕は「ヘッド・オブ・ステイト」という映画を見ました。アメリカ大統領とイギリス首相が銃を手に取りテロリストに立ち向かうというコメディアクションです。
その作品は、墜落する飛行機になぜかパラシュートが二つだけ残っている、ピンチのところで増援が来る、寝返った敵が情報を教えて死んでいく、今までアジトに篭っていたラスボスがラストになって登場する、とご都合展開の見本市のような作品でした。
けど、僕はその作品をつまらなかった、と思いませんでした。ドタバタのアクションがあったり、二人の性格が衝突するところだったり、それ以上の魅力を感じることができました。
これを「ご都合展開の駄作だ」と批判する人はいないのではないでしょうか。もし、いるとしたらその人は作品の良さを認めたくない嫉妬心の塊屋さんです。
気になる方はぜひ見てみてください。普通に面白いので。
では、なぜ世の中には「ご都合展開批判」が蔓延るのでしょうか。
もちろん、一つにはそういう投稿している方の知性に問題があると思います。……まあ、いってしまえば「自称・評論家」の方たちなので汗
そもそも、世の中の作品はほとんど「ご都合展開」で作られています。詳しいことは割愛しますが、そうだと僕は考えます。
なので、「この作品は『ご都合展開』だ!」と批判することは、「空から雨が降ってきた」と同じくらい意味のないことだと思うのです。
ただ、彼らにも面白いと思えるような作品があったわけです。すると、彼らはかつて自分が見た面白い作品と比較して当該作品が「つまらない」と感じ、数少ない語彙力から「ご都合展開」といういかにも知的に見える言葉を捻り出して多用している、と考えることはできないでしょうか。
すなわち、彼らが「つまらない」と感じさせた作品側にも問題があるのではないか、と問題提起したいわけです。
では、作品にどのような問題があるのか。詳細は個々によって違うと思いますが、共通していることとして
相手とのコミュニケーション不足ではないか、と思います。
例えば、先ほど挙げた「ヘッド・オブ・ステイト」では冒頭で読者に「これはリアリティをある程度無視した荒唐無稽な映画である」と提示しています。それは冒頭のサム・クラークが目覚めるシーンや、ウィル・デリンジャーの妻との会話から感じ取ることができます。
ここで視聴者に「この映画はバカバカしい映画なんだ」と印象づけることができれば、あとはどれだけご都合展開を重ねても視聴者は笑って許してくれます(もちろん限度はありますが)。それ以外のアクションだったり、キャラの掛け合いに視聴者の興味を引っ張っていけばいいわけです。
一方で、そうでない作品——例えばシリアスな作品でのご都合展開は受け手に最悪の印象をもたらします。なぜなら、受け手は「この最悪の状況をどう乗り越えるんだ?」というところに重点を置いているからです。それなのに、「なんかわからないけど、解決できました」なんてテヘペロされたらホットスナックやジュースが空を飛びます。つまり、受け手と作り手の間でコミュニケーションエラーが起きているわけです。
あまり作品を悪く言いたくはないのですが、そこのコミュニケーションエラーが起きているなと感じたのは「竜とそばかすの姫」でした。
ラストで監禁された子供を助けにいくのに、同行していた大人たちは監禁場所へ向かう道中で主人公を見送り、監禁していた人もそれまでは平然と子供に暴力を振るっていたのに主人公の目にやられて暴力を振るえなくなる。ラストで表出した重い社会的テーマであるからこそ、しっかりと現実的な路線で解決に導いてほしかった。なのに、主人公が一人で全部解決してしまったので、「あれ? なんか違くね?」と思いました。
本作はそれ以外は面白かっただけに、ラストで致命的なコミュニケーショエラーを起こしていると思いました。
では、こういう作品はどうすれば良かったのでしょうか。
先ほど、僕は世のエンタメ作品のほとんどはご都合展開だと言いました。
この言葉に従えば、そういう作品は許されないのではと思われるかもしれませんが、そういうわけではありません。
じゃあどうしたらいいか、というと——
ご都合展開であることを隠すのです。
さもキャラクターが自分で考えて解決策を導き出しているように見せるのです。
一番簡単なのは、そのキャラクターの境遇を想像することです。このキャラクターはどう考えて動くのか。そして、自分が望む結末にたどり着くためには、どうヒントを配置すればいいか。それを頭がショートするまで考えて物語に落とし込めば、受け手は自然と物語に没入してくれます。
いわゆるシリアスでも面白いとされている作品は、そういった工夫が随所に行われていると思います。例えば「Fate/Stay Night [Heaven's Feel]」なんかがそうですね。あれは、本当に全ての要素が盛り込まれた奇跡的な作品だと思います。
今日は例として映画を挙げましたが、小説でも言えることです。
そう。なんでこんなことを書こうかと思ったかというと、僕がいま書いている作品のラストが、どうも「ご都合展開」っぽくなっている気がしてならないのです苦笑
いったん書き終わったのですが、このまま投稿しても伸びないだろうと思うので、いったん寝かせて未来の僕にパスを渡しました。
頑張れ、未来の僕。
みなさんの中で「これはご都合主義満載だけど面白かった」もしくは「これはご都合展開が見え見えで冷めた」みたいな作品はありますか?
もしよければ教えてください。
それでは、今日はこの辺で。
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