第40話影の市の終焉(2)

「逃げられると思ったか、領主様?」

「…っ!」


 シグベルが剣を構え、私を庇うように前に出る。門を背にした半円状の空間に、崩れた瓦礫が散らばり、左右から炎が這うように迫っていた。崩れた瓦礫の影から現れたのは、クレイヴだ。冷たく鋭い目つきが私を射抜き、数人の部下と共に周りを囲む。剣を構えじりじりと間合いを詰めてくる仮面の男達――どうやら彼らが脱出の最後の関門になるらしい。


「私は決して、あなた方の思う通りにはなりません!」


 決死の思い出そう叫んだが、クレイヴの殺気に満ちた目に、心臓が締め付けられるような恐怖を覚えた。だが、私はダイダリーの領主だ。民を守るために、ここで死ぬわけにはいかない。


「そんなことはもうどうでもいい! この市場は、俺のすべてだった。これが終わるなら、お前も道連れだ!」


 彼の言葉には強い殺意がある。先ほどまでは私を殺さないだけの余裕があったクレイヴだが、今の彼はそうではない。私への憎悪をむき出しにし、命を奪おうと武器を構えた。一瞬でも気を逸らせば、殺される。私にはその敵意に怯えることすら許されなかった。


「ここで死ね、ロゼリア。お前が生きている限り、俺の居場所はどこにもない!」


地下の天井がさらに軋み、炎と煙が視界を遮る。遠くで崩れる壁の音が響き、戦闘が始まった。


熱気が肌を刺し、焦げた空気が喉を焼く。瓦礫と炎が揺らめく中、クレイヴの剣が鈍く光った。


「死ね!」


 彼の怒声とともに、足元の石畳が爆ぜる。魔術の衝撃波に弾かれ、私は咄嗟に飛び退いた。いつの間にか迫っていたクレイヴの剣が一気に振るわれ、風を切る音が響く。私の右腕を刃がかすめていく。まさに死線だ。だがその刹那、シグベルが間一髪で私を庇い、火花を散らして剣と剣がぶつかった。


「させませんよ」


 クレイヴを押し返したシグベルが細剣を閃かせ、近付いた取り巻きへと切り込んでいく。鋭い剣先が迷いなく喉元を貫き、一人が崩れ落ちた。そのまま流れるように身を翻し、別の敵の刃を紙一重でかわすと、逆手に持ち替えた剣で腹を貫く。


「チッ……!」


 クレイヴが苛立ちに舌打ちし、指を弾いた。瞬間、周囲の炎が形を変え、蛇のようにシグベルへと襲いかかる。しかし、シグベルは冷静だった。滑るように身を翻し、軽やかな足さばきで炎の軌道を読んで回避する。そのまま細剣を一閃。傍にいた男の喉が裂けた。しかしシグベルの額に汗が光り、息がわずかに乱れる。


「水よ、溢れろ!」


 私は水属性の魔術式を編み、シグベルに迫る炎を打ち消した。前の襲撃から今日まで、スクロールに頼らない魔術を勉強しなおしていて良かった。私だって、前より力になれる。


「ありがとうございます。……しかしまさか、この程度とは」


 シグベルが呟きながら戦場を振り返ると、すでに取り巻きは残りわずか。だが、その間にクレイヴは私へと駆けていた。


「今度こそ逃がすか!」


 鋭い殺意を孕んだ斬撃が振るわれる。私は右手をかざし、魔術を紡いだ。私の手のひらに集まる冷たい空気が、徐々に圧縮されていく。風の力を借り、壁を作るその感触はまるで生きているかのようだ。


「風よ、渦巻け!」


 圧縮された風による不可視の壁が剣を受け止める。だが、クレイヴはすぐに左手を掲げ、電撃を奔らせた。瞬く間に空気を焼き、壁を貫いて私へと迫る。


「まだよ!」


 私は即興で呪文を組み替え、風をさらに圧縮していく。稲妻が触れた瞬間、爆発的な風圧が生まれ、電撃を弾き飛ばした。予想外の反撃に、クレイヴが顔を歪めて一歩後ずさる。だが即座に剣を構えて再び迫ってきた。


「……はっ!」


 だが、私が魔術を練り上げる方が早かった。次は回転する刃のような風だ。


「風よ、切り裂け!」


 鋭い魔力の刃が疾風となって駆ける。クレイヴは避けようとするが、一部が肩に深く食い込み、血飛沫が舞った。


「クソッ……!」


 だが、彼は怯まない。傷を顧みず、剣を振り上げる。彼の足元にはすでに魔術式が展開されていた。呪文を完成させれば、強大な魔術が放たれるだろう。


「させない!」


 私は咄嗟に魔力の塊を地面にぶつけた。術式を編むほどの効果はでないが、地面を破壊し妨害するには十分だ。しかし今ので魔力をほとんど使いきってしまった。武器があればよかったのだが、短剣は誘拐された時に奪われたままだ。今の私に使えるのは……。


 不意に、ルカの顔が脳裏をよぎる。――『ロゼリア様の護身用に、色々と良いものをお持ちしましたよ』

 その時に半ば冗談で買った、ワイヤーが飛び出す手袋。服に紛れていたから気付かなかったのだろう。あるいは、ルカがただの手袋だと偽ってくれたのか。教わった通りに細工を稼働させるとワイヤーが飛び出し、クレイヴの両腕を絡めて締め上げる。彼が呻きながら振り払おうとするが、その隙にシグベルが跳躍した。


「終わりだ」


 剣が火花を散らしながら突き進み、クレイヴの胸を貫く。その瞬間、彼の目が驚愕と憎悪に染まり、血を吐きながら膝をついた。


「…………ぐっ…………!」


 彼の体が大きくのけぞる。剣を支えにしながら、苦しげに私を睨みつけた。彼は最後に指を震わせ、微かな炎を放つ。しかしそれは力なく宙に散った。


「ロゼリア……貴様が……貴様さえいなければ、俺はまだ……っ!」


 言葉を途切れさせると、クレイヴは力なく倒れ伏した。炎がさらに激しく燃え上がり、影の市の崩壊が目前に迫る。


「シグベル様、急ぎましょう!」


 私は燃え盛る瓦礫を飛び越え、出口へと向かう。封じられた門を開いた直後、クレイヴの最後の呻きが聞こえた。脱出する瞬間一度だけ振り返ると、轟音と共に石壁が崩れ、地面に深い裂け目が走るのが見えた。崩壊した天井が全てを押しつぶし、炎の渦が影の市を呑み込んでいく。


 長年この地下に根付いた闇が、ついに終焉を迎えたのだ。

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