第37話ドレイク家の苦悩(2)

 私はジークフリートを見据え、静かに言葉を紡ぐ。


「事前に調べた情報を踏まえて、改めて伺いたいのです。ドレイク家が買い集めている食材や薬にアルヴィン家が関わっている理由を」


 ジークフリートは短く息を吐き、目を伏せる。


「なるほど。……そこまで掴んでいるなら、隠す必要もないか」


 彼の沈んだ声が、静かな応接室に響いた。


「どこから漏れたか知りませんが、私の妻が体を病んでいるのは知っているようですね」

「……ええ。人の口というのは塞ぐことのできないものです」


 私が静かに答えると、彼は小さく笑った。それは自嘲にも似た笑みだった。


「そうでしょうな。貴族の屋敷の壁は薄い。使用人たちの噂話がどれほど早く広まるか、私も十分承知しています」


 彼は椅子の背にもたれかかり、ゆっくりと天井を仰いだ。


「……妻は数年前から病を患っている。ありふれた病なら、貴族の財力をもってすればどうにでもなったでしょう。しかし、彼女の病は違った」

「違った、とは?」

「医師たちは『こんな病は見たことがない』と言うばかりで、通常の薬も効果がない。そこで私は、何としてでも妻を救うために、手に入る限りの薬を求めた」


 ジークフリートの声は淡々としていたが、その奥には切実な想いが滲んでいる。

 その言葉を聞いた瞬間、胸の奥で何かがざわめいた。


(医師が原因を特定できず、通常の薬が効かない病……?)


 それは、かつて私が聞いた話と酷似している。ヴィオラ様が倒れた時も、医師のレインですら原因が分からず、どんな治療も効果がなかったと言う。そして、彼女の遺品には、人を蝕む呪いの首飾りがあった。


(まさか、ドレイク伯爵夫人も……?)


 視線を伏せ、思考を巡らせる。ヴィオラ様の場合は身に着ける装飾品に仕込まれていたから、直接的な影響が強かったとも考えられる。もしドレイク夫人の症状が緩やかに進行しているのなら、もっと間接的に、じわじわと影響を受けている可能性もある。


 もしこれが呪いの品のせいなら――私にも解決できるかもしれない。


 張り詰めていた心の中に、一筋の光が差し込んだ。


「そして、その薬を手に入れるためにアルヴィン家の商人と取引を?」


 考えを悟られぬよう冷静さを保ちつつ、私は問いを続けた。伯爵は僅かに眉を寄せる。


「結果としては、そうです。最初は抵抗がありましたが、妻の病状が重くなるにつれ選択肢がなくなった」


 ドレイク家当主としての仮面が崩れ、彼の目が潤む。本当に、妻を愛しているのだ。そんな彼を追い詰めるようなことを言って良いのか? 揺れそうになる心を抑えこみ、話の続きを待つ。


「……彼女の笑顔を最後に見てから、もう二年になります。彼らだけが、私の求める薬を持っていた。あるいは、持っている者と繋がりがあったと言うべきか。しかし、領主様。私は単なる客です。彼らの裏事情に首を突っ込んだわけではない」

「ですが、その薬がどこから来たものか、ご存じなかったわけではないでしょう?」


 ジークフリートは黙ったまま、しばらく私を見つめた。まるで心の奥を探るような視線だった。


「……領主様は、アルヴィン家を疑っているのですね?」

「私はただ、市場の健全な運営を望んでいるだけです。ですが、ドレイク家が購入している薬品は、闇市場――影の市を経由して流れてきている可能性がある。そして、それを扱う商人の中にはアルヴィン家とつながりのある者がいる」


 私の言葉に、ジークフリートは表情を険しくした。


「つまり、私がその闇市場に加担していると?」

「加担しているかどうかは問題ではありません。貴族として市場を利用する以上、取引相手の背景を知るのは当然の責任かと」


 彼は短く息を吐き、指で額を押さえた。


「……確かに、私はこの取引が完全に正当なものだとは思っていなかった。しかし、私は貴族である前に、一人の夫だ。妻のためなら、どんな手を使ってでも薬を手に入れる。それを否定することは、あなたにはできますか?」


 苦悩に満ちた眼差しが私を射抜く。


「いいえ、否定はしません」


 私は真っ直ぐに彼を見返した。


「ですが、あなたの選択が結果的にダイダリーの市場、ひいては都市全体に影響を与えている可能性は否定できません。そして、アルヴィン家が本当にあなたの味方かどうか……考えたことは?」


 ジークフリートの顔がわずかに曇る。


「……どういう意味です?」

「もしアルヴィン家が、この取引をあなたの弱みとして利用するとしたら? 今は薬を提供しているかもしれませんが、いずれあなたに対して何らかの要求をしてくるかもしれない」


 彼は唇を引き結んだ。貴族同士の関係は利害で成り立っている。相手の弱みを握った者が、主導権を取るのが常だ。


「……それは考えすぎでは?」

「本当にそうでしょうか?」


 私が問い返すと、彼は言葉を失った。


「ドレイク伯、あなたに選択の自由があるうちに、決断するべきです。アルヴィン家に頼り続けることで、本当にご夫人を救えるのか。あなたの家を危険に晒しているのではないか、と」


 沈黙が落ちる。


 ジークフリートはしばらく考え込んでいたが、やがて静かに口を開いた。


「……領主様。あなたは、私がアルヴィン家と手を切るべきだと?」

「最終的に決めるのはあなたです。ただ、私は……あなたのご夫人を助けるための別の手段を探すこともできます」


 彼の目が揺らぐ。


「別の手段?」

「ええ。私はあなたに、アルヴィン家に依存しない道を探ることを提案します」


 ジークフリートは再び長い沈黙を挟んだ後、低く笑った。


「あなたは本当に、手強いお方だ」


 その声には、警戒と、そしてわずかな期待が滲んでいた。ジークフリートの苦悩を胸に刻みながら、私は決意を新たにした。アルヴィン家を暴く鍵は、この先に隠されているはずだ。


「……私とて、アルヴィン家を全面的に信頼しているわけではありません」


 溜息混じりにそう言ったジークフリートは、傍に控えていた使用人に何かを持ってこさせた。それは一見普通の錠剤のように見える。


「病を癒す秘薬だと、闇市場……影の市、か。そちらで取引されている薬です。アルヴィン家の商人から、持ち込まれました」

「……! それを服用した結果は?」


 私が問うと、ジークフリートは苦い笑みを浮かべた。


「まだ試す勇気がない。だが、追い詰められれば、頼るしかなくなるだろうな」


 錠剤を凝視しながら、胸の奥に冷たいものが広がるのを感じた。


「アルヴィン家に、話を聞く必要がありそうですね」


 次の標的は決まった。いよいよ、アルヴィン家に迫る時が来たのだ。

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