第9話医師レインの診察(2)

 不意に人の気配を感じた。ヒルダが戻ってきたのかしら。ゆっくりと目を開けると、視界に映ったのは光を受けて輝く銀髪だった。私の知り合いでその髪色を持つ人は、一人しかいない。


「シ、シグベル様!?」

「おはようございます、ロゼリア様」

「申し訳ありません、私はお止めしたのですが……」


 ヒルダがそう言いながら慌てて入ってくる。良かった、と胸を撫でおろす。流石に身嗜みも整えていない姿のまま男の人と二人でいるわけにはいかない。シグベルはそう言うことを気にしないのかしら。


(……気にしなさそうね)


 相手が誰だろうと必要な時は踏み込んでくる。私から見たシグベルはそういう人だった。もしかすると今も、何か考えかあってのことなのかもしれない。話を聞こうと体を起こす。


「横になったままで結構ですよ。倒れられたと聞いたので、見舞いに来ただけです」


 彼が持っている籠にはオレンジが盛られていた。聞けば教会の庭になる物だという。


「そんな、いただけません……教会のものは教会の方がお食べになってください。ほら、孤児院の子どもたちも……」

「神の恵みとは言え、皆同じものばかりで飽きてしまっているんですよ」


 病人相手にいつになくぐいぐい来るなこの人……! ヒルダは後ろで完全に困ってしまっているし、受け取るまでこのやり取りは終わらない気がする。ひとまずお礼を言うと、彼は籠を優しく置いてから自然にベッド脇の椅子へと腰かけた。


(えっ、帰らないの?)


 シグベルは私の顔をじっと見ている。髪もまとめていないし化粧もしていないのであまり見てほしくはないのだけれど、その気持ちは通じそうになかった。ただ静かに私を心配してくれている。


「……本当に大丈夫ですか? レインは腕こそ確かですが、少し意地が悪いでしょう」

「それは……」


 悪口を言うみたいで気が引けるが、シグベルの言うことを否定はできなかった。かけられる言葉はいつも皮肉っぽいか嫌味っぽいかだ。あまり好きになれそうな人柄ではない。


「彼も昔はそうではなかったんですがね。信仰は違えど、良き隣人でした」


 その言葉は私にとって意外なものだった。レインが『良き隣人』? 今の彼からはあまり想像がつかない。

 信仰が違うのは分かる。医師なのだから、きっと『すべての人に必要な治療を』と掲げる医神カカムルなどを信仰しているのだろう。


 しかしその善良なる神と、レインのイメージは結びつかなかった。


「お知り合いだったんですね」


 少し考えてから尋ねると、シグベルはわずかに目を細めた。「ええ、それなりに」という含みのある言葉が気になる。だが、問い返す前に彼は続けた。


「変わったのは……前領主夫人の一件があってからです」

「前の、領主夫人……」


 私の胸がざわついた。私はルーディックの四番目の妻である。当然二番目や三番目の妻もいたはずなのだが、今まで深く考えたことはなかった。


「一年ほど前に亡くなった、ね」

「……!」


 ひゅ、とヒルダが息を呑む音がする。頭の中で何かが弾けた気がした。あえて見ないようにしていたことが、シグベルの手によって掘り返されていく。


「一年前の……ええ、ちょうど、ルーディック・シェル・ライオネルが亡くなったのと同じ日です」


 いつも通りの落ち着いた声に、ほんの少しだけいつも通りではない響きが混じっている。それはまるで、私を試すような色をしていた。不意に強い風が吹き、カタカタと窓を揺らす。


「あなたはこれを、偶然だと思いますか?」


 シグベルの青い瞳が真っ直ぐに私を射抜いた。今日はよく喋ると思ったが、そう言うことか。彼は私に調べさせたいのだろう。そのうえで出てきた情報をどうするのか見ているのだ。彼らしいが、面白くはない。私が調べずにはいられないだろうことも含めて。


 彼の問いに答えるには、情報が必要だった。


「……偶然かどうかは、まだ分かりません」


 絞り出すようにそれだけ言うと、シグベルは「なるほど」と頷いた。追及はせず、私の様子を窺っている。


 私の中で、ひとつの考えが浮かび上がる。ルーディックと前領主夫人――ヴィオラ・ライオネル。この二人についてよく知る者がいれば、何か手がかりを得られるのではないか。


(テオドアなら、何か知っているかも……)


 だが、今の私はまだ体を起こすのもままならない。自ら調査に動くことは難しい。


「……誰かを呼びましょうか?」


 シグベルがそう提案する。私が何を考えているのか、ある程度察しているのだろう。

 私は深く息を吐く。


「ヒルダ、テオドアを呼んできてちょうだい。あと何か書くものを持ってきてくれると助かるわ」

「かしこまりました」


 ヴィオラの死とルーディックの死。そこに何か関係があるのだとすれば……。

 私が領主になってしまったのは、本当にただの不幸な巡り合わせなのか?


「シグベル様、今日は見舞いに来てくださってありがとうございました」

「いいえ。早く良くなるよう祈っておりますよ。では、またいずれ……」


 どこまで本気か分からないシグベルを見送ると、病室には静けさが戻った。ようやくひと心地ついた気持ちでベッドに体を預ける。まだ、すべてはここからなのだけれど。


 今の私にできるのは、考えを巡らせることだけだった。

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