第4話

 マリアーヌは屋敷に戻ると、馬車を連れて市場に向かった。


「お待たせ。そこの人を連れて行くわ」


 マリアーヌは、男性を馬車に乗せると、おじさんにチップを渡した。


「迷惑料よ。今日も良い商売を」

「ありがとよ。今度来た時はサービスしてやるからなー」


 店の前に馬車が止まっていては商売の邪魔になる。

 マリアーヌは挨拶もそこそこにおじさんに別れを告げて出発した。


「お屋敷はどちらですか?」

「王都に向かってくれ」

「分かりました」


 男性は先ほどよりも元気そうだった。


(眠ってくれていた方が良いのに。男性と馬車で二人きりだなんて何を話せばいいの?)


 マリアーヌは外を眺めた。


「君は確か……カッセル夫人か。改めて感謝を」


 男性は丁寧に頭を下げた。耳にかかっていた艷やかな黒髪がさらりと落ちる。

 顔を上げた彼はオレンジトパーズ色の瞳を持っていた。太陽のようだな、とマリアーヌは思った。


 一見すると冷たく見える彼の顔には、申し訳なさそうな色が滲んでいる。


「お気になさらないでください。それにもう夫人ではありません。昨日離縁しましたので」


 マリアーヌがそう言うと男性は少し驚いたような顔をしたが、ふっと微笑んだ。


「離縁したばかり? それは相手の見る目がなかっただけだ。良かったじゃないか。君はもう自由だ」

「自由……? そっか。ふふっ、本当ですね」


 男性の言葉はマリアーヌの胸にストンと落ちてきた。


(そうね、もう自由だわ。シャルル様と縁は切れたし、横暴なお父様だって顔を合わせなければ問題ないし)


 そう思うと自分の世界が広がったような、余裕が出来たような、明るい気持ちになれた。



 すっかり打ち解けた気になったマリアーヌは、男性と他愛もない話をたくさんした。


 馬車が王城の前を通った時、男性はスッと真剣な表情になった。


「ここでいい。世話になったな」

「今から国王陛下に謁見でもするのですか?」

「そんなところだ」


 男性は馬車を降りる際、マリアーヌに懐中時計を握らせた。


「い、いただけませんよ! こんな高価な品」

「構わない。今は渡せる物がこれくらいしかないんだ。ではまた」


 颯爽と去っていく男性の背を見て、マリアーヌは彼の名前を聞いていないことに気がついた。 


(見たことあるような方だったけれど……誰だったかしら)






 マリアーヌは自室のソファーに座って深いため息をついた。


「あの方、誰なのかしら? 見つけ出してお返しをしないと……。あーあ、もっと社交場に出て皆の顔を覚えておくべきだったわ」


 社交場に興味がなかったことを後悔しても、もう遅い。

 モヤモヤとした気持ちを抱えて懐中時計を眺めていると、マリアーヌのお腹がぐうぅと音を立てた。


「ご飯も食べ損ねたし。はぁ……」


 昼過ぎに帰っただけで父の機嫌は最悪だった。

 マリアーヌは昼食を取り上げられてしまったのだ。


 もう寝てしまおうとマリアーヌは目を閉じた。




「お嬢様! 旦那様がお呼びです! 早く起きてください!」

「んあ? お、お父様……?」


 使用人の焦った声に目を開けると、部屋は夕暮れの光で赤く染まっていた。

 随分と長く昼寝をしていたようだ。


「お客様がいらしています。その……カッセル伯爵が……」

「シャルル様が?」


(昨日の今日で一体なんの用?)


 マリアーヌは最低限の身なりを整えて、客間へと向かった。

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