当たり前の恋

ガビ

当たり前の恋

「ありがとうとごめんなさいが言えるから」


 これは「どうしてパパと結婚したの?」と聞いた時のママの返答だ。


「そんなの当たり前じゃん」


 当時中学生だった私は、半笑いでそう言った。

 格好いいとか、面白いとか、お金持ちとかではなく、そんな誰でもできることで結婚できたなんて、パパはラッキーだなぁと思ったのだ。


「いや。これがビックリするんだけど、大人の6割くらいはこれができないのよ」


「嘘だぁ」


 何かしてもらったらお礼を言い、悪いことをしたら謝罪する。

 幼稚園でならうことだ。


 それができない大人?

 なんじゃそりゃ。


「そうよね。ミミは賢いからできるわよね。でも、ちょっと頭の弱い人はできないの」


「バカってこと?」


「もう。せっかくオブラートに包んだのに」


 口調は叱っているが、表情は緩んでいる。


 私はママのこういうところが好きだ。

 真面目なんだけど、不謹慎な発言も受け入れてくれる柔軟さがある。

 一部のSNSユーザーは見習うべき人間性だ。


「まあ、私はもっと凄いことを成し遂げる人と結婚したいなぁ」


「それもいいわね」


 14歳の戯言に、ママは穏やかに同意した。


 しかし、10年後の私、佐藤ミミは全力でこの世間知らずのガキをこう叱りつけてやりたい。


「当たり前のことができない奴は、デカい夢も叶えられないんだよ!」

\



「ん」


 平日のお昼過ぎに起きてきた悠人は、私に向かって右手を出す。


 その手のひらは綺麗だ。

 仕事も家事もしていないから。


 若干の苛立ちを持ちつつ、その手のひらに5000円札を乗せてしまう。


 ところで、人からお金を受け取って言うべきことって皆さん分かりますよね?

 聡明な読者様には説明するまでもないだろう。

 それを、この男は30歳手前にしても言うことができない。


 その代わりに出てきたのは「へい」という間の抜けた鳴き声。


 最近「ん」とか「へい」とか発語しなくなった。


 もしかしたら、こいつは人語を忘れてしまったのかもしれない。

 

 だとしたら、ギターの弾き方も忘れただろう。


 最近、メンテナンスをしている様子すら見ない。


 かつては毎日持ち歩いていたが、今は手にすることもなく、薄ら埃が積もっている。

 部屋の片隅にあるギターを見ていると、なんだか寂しい気持ちになってくる。


 今は人語すら発することのできない大人になってしまった悠人だが、出会った時はそうではなかった。


 それなりにファンもいる、5人組のインディーズバンド『クウキョ』のギター&ボーカルだったのだ。


 幼い私が言った「凄いことを成し遂げる」可能性を秘めたバンド。


 ベースの新山さんの書く歌詞は孤独に沁みる、センスのあるものだった。そして、リードギターの田代さんによる曲で、さらに完成度が高くなる。


 ドラムの曽山さんは作品を作ることはできないが、バンド1の努力家だった。その練習量は凄まじく、音楽に詳しいお客さんを唸らせる腕前を得るに至った。


 そして、私の彼氏である加納悠人は、いわゆるビジュアル担当だった。


 演奏中にギターを持ってはいるが、ほとんど飾りのようなものだった。

 歌も、巧いと手放しで褒めるには抵抗のある中途半端なものだ。


 それでも、悠人はバンドの中心にいた。

 何故か。

 イケメンだったからだ。


 顔が良ければ、技術が未熟でも愛される。


 事実、2年前までの『クウキョ』のファンの7割は悠人の顔ファンだった。

 ライブでは女の子達の黄色い声援が響き、悠人はぶっきらぼうに応えていた。


 私も、時間ができた時にはライブに行っていた。

 ここだけの話、自分の彼氏が女の子から人気があるというのは割と最高の気分なのだ。


「今皆様が夢中になっているステージの男は、私の彼氏でしてよ」と心の中で呟くのは気持ちがいい。


 しかし、悠人は調子に乗りすぎた。


 私も同席させてもらった、ある日の打ち上げで悠人は次の失言をしてしまう。


「このバンドは、俺1人の力で持ってるな」


 さすがの私も凍りついた。


 曲や演奏は他のメンバーに頼りきりなのに、人はここまで愚かになれるものなのかと愕然とした。


 しかし、3人は何も言い返さなかった。

 返せなかったのではない。返さなかったのだ。

 要するに、スルーをしてくれた。


 彼らは賢く、夢に向かって直向きに努力している素晴らしい人達だ。

 そんな人達を蔑ろにした人間が幸せになれるはずもない。


 だから、あの結果は必然だったのだ。


「メジャーデビュー?」


「あぁ! 大手のレーベルから声がかかってな。俺の曲を出せることになったんだよ!」


 この知らせには、私もテンションが上がった。


「俺達の」ではなく「俺の」曲と言ったことに違和感を覚えたが、やっぱりこの男は「凄いこと」を成し遂げる人なんだと惚れ直した。


 翌日、仕事先であるスーパーでも、その興奮は治らなかった。


「木村さん、何か良いことあった?」


 同い年の工藤くんにそう聞かれた。いや、私の雰囲気によって聞かせたのだろう。


 この手の自慢は、自分からは言い出しにくい。誰かから聞かれて初めて切れるカードなのだ。


 待ってましたと言わんばかりに、私は自分の彼氏の偉業を語った。


 工藤くんは凄いね。凄いね。と何度も言ってくれた。


 そうだよ。私の彼氏は凄いの。


 承認欲求はタプタプに満たされて、その日の私のパフォーマンスはいつもより良くなっていた。

 レジの回転率も高かったし、クレームの対応も巧くできた。


「木村さん、ありがとうね。助かるよ」


「全然ですよー」


 これくらい、どうってことない。

 だって、私の彼氏は凄いから。


 そんな日々を過ごすこと1ヶ月。


 ついに、あの日がやってくる。


 仕事から帰ると、悠人の気配はするのに電気がついていなかった。

 寝ているのかなと思い、忍足でリビングへ行くと、そこには真っ白の壁をただただ睨む悠人がいた。


「……ただいま」


「……」


 挨拶も無視だ。

 明らかに何かあった様子。


 話を聞きたいが、それをさせない危うさがあった。


 とりあえず、ごはんを作る。

 今日は悠人が好きなオムライスだ。これを食べて、少しでも元気になってほしい。


 よし。巧くできた。

 できたてを食べてもらおう。


「ごはんできたよー!」


 意識的に元気な声を出す。

 しかし、帰ってきた返答は食事に関係ないものだった。


「……俺、いらないんだってよ」


「え?」


「なんか、プロデューサー? みたいな奴がメインボーカルだけを変えてデビューした方が売れるとか言い出しやがってよ。写真見たんだけど、俺より全然ブス。でも、実力はあるとか何とか言ってさ。他の奴らもそのブスの方が良いんだとさ! 誰がここまで引っ張ってやったと思ってるんだろうな!! なぁ!!!???」


 その大声に、私の身体は固まる。


「クソッ! クソッ!! クソが!!!」


 しかし、少しでも彼の力になりたくて、震える声で言う。


「そ、そっか……。それは辛かったね。オムライス食べて元気出そう?」


「あぁ!? こんなもんいるか!!!」


 オムライスを皿ごと投げられた。

 お皿が割れ、卵とご飯がベチョっと床や壁にくっついた。


 感情的になっている人間は怖い。

 だって、理屈が通じないから。


「あぁァぁぁぁぁァァァァァァァァ!!! どいつもこいつもクソだ!!!」


 絶叫する彼を、無力な私はただ見ていることしかできなかった。

\



 その日を境に、悠人は完全なヒモと化す。

 バンド活動はもちろん、職探しもしていない。


 それでも私は、2年近く彼を支え続けた。


 その間に、彼の唯一の取り柄の見た目も衰退の一途を辿る。


 外出頻度が極端に減ったので、お腹が出てきた。

 そして、人間はやるべきことが無いと表情に覇気がなくなる。

 その結果、29歳の小太りニートが出来上がった。


 そんな歪の生活は、私がブチ切れしたことによって幕を閉じる。


 悠人が、私の勤務先であるスーパーのレジまできて金を縋ったためだ。


 その日も5000円は与えていた。しかし、パチンコでスってしまったらしい。


「なぁ。頼むよ。1000円で良いからさ」


 こんな情けない奴が私の彼氏だと周りに思われたくない。


 周囲の視線が痛い。


 特に、こんな奴のことを得意げに自慢したのを聞いてくれた工藤くんが見ているかもと思うと、恥ずかしくて死にそうだった。


「なんで下向いてんだよ! 金くれよ! いつもくれるだろ!? くれよ!」


 羞恥でどうにかなってしまいそうな時、工藤くんが現れた。


 地味で、髪型も服装も普通の、いかにも弱そうな工藤くんがやってきた。


「申し訳ありません。他のお客様のご迷惑になりますので、外でお話できますでしょうか」


「あぁ!? テメーは関係ねぇだろうが!」


 そう言って、悠人は工藤くんの頬を殴った。


「……ッ!」


 工藤くん。

 こんな厄介な客の相手なんか、絶対にしたくなかっただろうに出てきてくれた工藤くん。

 その工藤くんが殴られた。


 その瞬間、私の中の何かがプツンとキレた。


「何してんだお前!!!!!」


 あぁ。


 公共の場で。しかも職場で怒鳴り声を上げてしまっている。

 非常に良くない。


 でも、自分を止めることはできなかった。


「人を殴ったな!? 犯罪だな!? 私は犯罪者とは付き合えない! 今すぐに別れる!!! あ! でも、今までの金返せよ!? 5000円を2年毎日だから、730✖️5000で3650000円だ! 絶対に返せよ! あ!? そんな金無いだ!? 知るか! 闇金に頼ってでも用意しろ!!!」

\



 3日後。


 パートの竹本さんが「あの時の木村さん、格好良かったわよ!」と言ってくれたが、感情をコントロールできなかった私は格好良くなんかない。


 そういう意味では、悠人と大差のない下らない人間なのだろう。


 そんな女から悠人は逃げ出し、今はどこで何をしているのかも分からない。


 金は返してもらっていないが、もうどうでもいいや。あんな奴。


 そんなことより、気になることがある。

 あのクズに殴られた工藤くんだ。


 今日のシフトは、彼と一緒だ。


 クズに言いたいことを言った後、私にできる範囲で応急処置をした。


 でも、あんなので治るはずがないのだ。

 痣とか残っていなかったら良いけど……。


「お疲れ様です」


 あ。

 この落ち着く声は。


「……工藤くん」


 彼の左頬は、少し赤くなっていた。


「あ。あ、あ……」


 申し訳なさすぎて、言葉が出てこない。


「木村さん」


 工藤くんに声をかけられる。

 私のせいで怪我をしたのだ。どんな罵詈雑言でも受け入れよう。


「この間は、余計なことしちゃってすみませんでした」


 しかし、彼の口から出たのは謝罪の言葉だった。


「俺が出しゃばったせいで、あんなことになってしまって……本当にごめんなさい」


 なんで。

 なんで工藤くんが謝るの。

 悪いのは私なのに。


(ありがとうとごめんなさいが言えるから)


 ふと、かつてのママの言葉を思い出す。


 パパと結婚した理由。


 当たり前のことができるから好きなんだと、幸せそうに語っていたママ。


 今なら、ママがパパを選んだ理由が分かる。

 その当たり前のことを持続している人間は、きっと誰よりも強いからだ。


 工藤くんを改めて見る。

 あれ? こんなに格好良かったっけ。


 ホウっと見惚れてた私は、ポケットからスマホを取り出して言う。


「謝ることなんか、何にもないよ! っていうかさ! お礼したいからLINE教えてもらっていい?」


 酷い恋愛をしたのに、私は懲りずに次の恋に進もうとしている。


 でも、この人なら大丈夫。


 ありがとうとごめんなさいが言えるこの人なら。



-了-

 

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