第44話 寄り添う手

 私はただ、詩織に手を引かれるまま、その場を離れた。


 ——心臓が、痛い。


 それでも、振り返ることはなかった。


 「……よく頑張ったね、結菜ちゃん」


 詩織の声が、やけに優しく響いた。

 私は何も答えられず、ただ地面を見つめる。


 「苦しかったでしょ?」


 詩織の指が、そっと私の頬に触れる。

 私は、小さく息をのんだ。


 詩織の指先が、ひどく優しくて。

 だけど、そこに触れられるたびに、胸の奥がざわつく。


 「でも、これでよかったんだよ」


 詩織はそう言って、私の肩をそっと抱き寄せた。


 「……」

 「今は、何も考えなくていいよ」


 温かい。けれど、その温もりに甘えてはいけない気がした。

 詩織の声は柔らかいのに、どこか確信に満ちていて。


 私はただ、何も言えずにいた。

 静かな裏庭での時間は、まるで止まっているかのように感じられる。


 そして、ふと聞こえてきたのは、学校のチャイムの音だった。


 「——あ、チャイム鳴っちゃったね」


 詩織が軽く呟くように言った。

 私がそれに反応する間もなく、彼女は続ける。


 「今更、授業受ける気ないでしょ? 気分も乗らないだろうし、今日は休んだほうがいいよ」


 私は少し迷った後、静かに頷いた。


 「……うん、そうだね」


 詩織は満足げに微笑んだ。


 「じゃあ行こうか」


 詩織は私の手を引いて、学校の外へと歩き出す。

 そのまま、私たちは足を止めることなく、校門を抜けていった。


 歩きながら、私は少しだけ疑問に思った。

 

 「ねえ、どこに行くの?」


 詩織は歩きながらすぐに答える。


 「私の家だよ」

 「え?」

 

 思わず立ち止まりかけると、詩織が振り返らずに続ける。


 「結菜ちゃんの家だと、穂香さんが来るかもしれないでしょ?」


 それを聞いて、私はすぐに思い当たった。


 「……そうだよね、穂香は合鍵を持ってるし」

 「うん、それにもし外にいたら、ばったり会っちゃうかもしれないし」


 詩織の言葉には、私を気遣ってくれているような意図が感じられた。

 でも、そこにはそれだけじゃない何かがある気がして、胸の奥で引っかかるものがある。


 私は、少しの間、考え込んだ。

 確かに、今の私には帰る場所がない。

 穂香のことも、どうしていいのか分からないし、ひとりでいるのも不安だ。


 結局、私は詩織に従って歩き出した。


 「……私、詩織の家に行ってもいいのかな?」


 言葉に出すことで、心の中に湧き上がる不安を少しだけ整理できた気がする。

 でも、その答えはすぐに出せなかった。

 本当に、詩織の家に行っていいのだろうか?

 これでいいのか、私はまだ分からない。


 詩織は少し歩みを止めて、私の手をぎゅっと握った。


 「もちろんだよ。ゆっくり休んで、落ち着こう」


 その言葉に、私はまた、迷っていた気持ちを押し込めるように頷いた。


 「……うん、ありがとう」


 詩織の家に向かう道のりが、少しだけ重く感じられる。

 でも、今はそれしかない。

 

 詩織の家に行けば、穂香にばったり会う心配もないし、私は少しだけ安心できる気がした。

 心の中でモヤモヤを抱えながらも、私は詩織の手を握り返した。

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