第34話 気配
穂香が私の袖を握ったまま、そっと寄り添ってくる。
机の下では、彼女の指が私の手をゆっくりと撫でていた。
周囲の視線が気にならないわけじゃないけれど、私は穂香を拒むことはできなかった。
むしろ、こうして甘えられることに、どこか安心している自分がいた。
(穂香……本当に、変わったよね)
今までは私が穂香にべったりくっついていたのに。
こうして穂香から距離を詰めてくるのが、なんだか不思議な感じがする。
——でも、それ以上に嬉しい。
私のことを求めてくれているのが、素直に伝わってくるから。
「……穂香、もうすぐ昼休み終わるよ?」
そう言っても、穂香はすぐには離れなかった。
「もうちょっと……」
小さな声でそう呟くと、私の手をぎゅっと握る。
なんだか、いつもより力がこもっている気がして、私は彼女の横顔をそっと見つめた。
——そのときだった。
「結菜ちゃん、ちょっといい?」
静かだけれど、はっきりとした声。
私はそちらへ顔を向ける。
いつの間にか、詩織が私のすぐそばに立っていた。
「……詩織?」
少し驚きながらも名前を呼ぶと、彼女は穏やかに微笑んだ。
けれど、その瞳はどこか探るように、私と穂香の手元を見つめている。
「もうすぐ昼休み終わるし、戻る前にちょっと話したいんだけど……いいかな?」
柔らかい口調だったけれど、断りにくい雰囲気を含んだ言葉だった。
「……うん、いいよ」
私がそう返そうとすると——
「……結菜、行くの?」
隣にいる穂香の声が、わずかに硬くなる。
そっと私の袖を握る指に、また少し力がこもるのがわかった。
「うん、ちょっとだけ」
そう答えても、穂香は不満げに視線を落としたまま。
それでも無理に引き止めたりはしなかった。
「すぐ戻るから」
私はそう言って、穂香の手を優しく解く。
詩織の方へ向かう前に、ちらりと彼女の表情を盗み見た。
穂香は微かに唇を噛んで、何かを堪えているように見えた。
────
廊下を歩くと、窓から差し込む光が柔らかく床を照らしていた。
私の隣を歩く詩織は、穏やかな笑みを浮かべたまま、どこか気楽な足取りだった。
「……で、話って?」
私がそう尋ねると、詩織は軽く目を細めた。
「いや、たいしたことじゃないよ。ただ……この間の休みの日、楽しかったなって思って」
「え?」
一瞬、何のことかわからなくて、私は足を止めそうになった。
けれど、詩織はそのまま歩きながら、さらりと言葉を続ける。
「水族館、結菜ちゃんと一緒に行ったでしょ?」
「あ、あぁ……」
詩織との水族館の記憶が蘇る。
あのときは、穂香と距離を取ったばかりで寂しさを感じていたから、誘われるままに行ったんだった。
「楽しかったよね」
詩織が、わざとらしく含みを持たせるように言う。
「水族館でさ、結菜ちゃんにあ~んしてあげたの、覚えてる?」
「……っ」
一瞬、言葉に詰まった。
思い出すまでもなく、あのときの光景が頭に浮かぶ。
けれど、それ以上に——何か視線のようなものを感じて、背筋が僅かにこわばる。
(……気のせい?)
周囲をさりげなく見渡す。
けれど、そこには誰の姿もない。
「それから……ペンギンのぬいぐるみもお揃いで買ったよね?」
詩織は楽しげに笑う。
「結菜ちゃんが、ちょっと悩みながらも結局買うの、可愛かったな」
妙な気配が、まだ消えない。
(……何だろう)
直接何かを見たわけじゃない。
けれど、ただの思い過ごしとは思えない。
「……話がそれだけなら、戻る」
少し強引に会話を切り上げると、詩織は「うん」と軽く笑って頷いた。
「ありがと。じゃあ、またね」
詩織が手を振り、私もそれに軽く頷いて足を進める。
けれど、心のどこかに、ざわつくような違和感が残っていた。
(……何だったんだろう)
答えの出ないまま、私は教室へと向かった。
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