第28話 送る

 気づけば、窓の外はすっかり夕焼けに染まっていた。

 オレンジ色の光がカーテンの隙間から差し込み、穂香の頬を優しく照らしている。

 時計を見ると、もうこんな時間。

 私は穂香の髪をそっと撫でながら、少し躊躇いがちに口を開いた。


 「……そろそろ、帰らないとだね」


 穂香の指が、ぎゅっと私の服を握る。

 その力が、ほんの少しだけ強くなった気がした。


 「今日も……泊まっちゃダメ?」


 小さな声でそう言う穂香の顔は、どこか不安げだった。

 瞳の奥が、かすかに揺れている。


 私の中にも、穂香を引き止めたい気持ちはある。

 だけど——


 「明日、学校あるでしょ?」


 穂香の髪をそっと梳きながら、優しく言うと、彼女は少し俯いた。


 「……うん」


 言葉では納得したように見えるけれど、その手はまだ私の服を掴んだまま離れない。

 かすかに震える指先が、名残惜しさを物語っている。


 「家まで送るよ」


 そう言って立ち上がると、穂香は渋々といった様子で私の服を掴む手をそっと離し、静かに頷いた。



 ────



 穂香の家までの道のりを並んで歩く。

 私たちは手を繋いでいて、指先がぬくもりを分け合うように重なっていた。


 時折、肩が触れ合うたびに、彼女はそっと私に寄り添うように身体を寄せてくる。

 離れがたい気持ちが伝わってくるようで、私は穂香を見つめた。


 「……明日朝、結菜の家行っていい?」


 ぽつりと呟く声は、どこか遠慮がちで、少しだけ心細そうだった。


 私は立ち止まり、穂香の顔を見つめる。

 少し伏せられた瞳が、こちらを覗うように揺れている。


 「もちろん。待ってるね」


 そう言うと、穂香は安心したように微かに微笑む。

 その笑顔が、なんだか少し切なく見えた。


 私は彼女の家の前まで送った。

 玄関の灯りが、穂香の横顔をぼんやりと照らす。


 「じゃあ、また明日ね」


 穂香が、寂しげに私を見つめる。

 帰したくない。私も、そんな気持ちになってくる。


 私は、そっと彼女の頭を撫でた。


 「おやすみ、穂香」

 「……おやすみ」


 小さく囁くような声が、夜の静けさに溶ける。

 私は穂香を見送り、後ろ髪を引かれる思いで帰路についた。



 ────


 

 翌朝、チャイムの音が響き、私は扉へと向かった。

 ドアを開けると、そこには少し眠たそうな顔の穂香が立っていた。


「おはよう、結菜……」

「おはよう、穂香」


 言葉を交わすと、穂香は自然と私の方へ寄ってくる。

 私は扉を閉めながら、彼女を家の中へと招き入れた。


「朝早くからありがと。……でも、そんな眠そうな顔して、大丈夫?」


 穂香は小さく瞬きをして、それからそっと私の袖を握る。


「……大丈夫」


 その言葉に、私は少しだけ苦笑した。

 穂香の声はいつもと変わらないようでいて、どこか頼りなく聞こえる。

 本当は眠れなかったんじゃないか——そんな気がして、昨夜の寂しそうな表情を思い出す。


「本当に大丈夫? 少し眠そうに見えるけど」


 そう問いかけると、穂香はふっと瞬きをして、「うん」と小さく頷いた。

 けれど、その仕草が余計に眠たそうに見えて、私は思わず小さく笑った。


「とりあえず、まだ登校するには時間あるし……少しゆっくりしよっか」


 そう言って、そっと穂香の手を取る。

 穂香は一瞬こちらを見上げた後、静かに頷いた。


 そのまま、私は彼女の手を引いて、自分の部屋へと向かった。

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