第26話 シャワー

 しばらく穂香を抱きしめたまま、私は彼女の髪に指を通して遊んでいた。

 穂香は目を閉じて、私の胸元に顔をうずめたまま動かない。


 心地いい時間だった。だけど、そろそろ起きなきゃいけない。

 身体にはまだ昨夜の余韻が残っていて、シーツに絡みつく肌が少し気になった。


 「ねぇ、穂香」


 穂香の肩を軽く揺らしながら、私は声をかける。


 「ん……」


 甘えるような声が返ってくる。

 眠たいのか、それともまだこうしていたいのか。


 「そろそろシャワー浴びない?」


 そう言うと、穂香は私にぴったりとくっついたまま、顔を上げた。


 「……あとでじゃダメ?」


 潤んだ瞳で見つめられると、つい甘やかしたくなる。

 でも、だからといって先延ばしにする理由にはならない。


 「ダメ、起きよ」


 私は穂香の腕をほどこうとするけれど、彼女はしがみつくようにぎゅっと抱きついてきた。


 「もうちょっとだけ……」


 まるで、離れたくないと訴えるみたいに。


 「シャワー浴びたら、またベッド戻ってもいいよ?」


 そう言って軽く笑ってみせたのに、穂香はすぐに答えなかった。

 私の指をぎゅっと握り返して、顔を伏せる。


 いつもなら、こういうときに未練がましく縋るのは私のほうだった。

 もう少しだけ、と引き止めて、穂香を離したくなくて。


 だけど、今は違う。


 私が立ち上がろうとするたびに、穂香が腕を絡めて引き留めようとする。

 まるで、前の私みたいに。


 穂香は小さく唇を噛んで、それからゆっくり腕の力を緩めた。


 「……結菜も一緒なら、行く」

 「いいよ、一緒に行こっか」


 そう言うと、穂香はしぶしぶながらもついてくる。


 私の手を握る力は、どこか不安げで——それでも、私は気にせず微笑んだ。



 ─────



 浴室のドアを開けると、少しひんやりとした空気が肌に触れた。

 湯気のない静かな空間に、私たちの足音がそっと響く。


 シャワーのレバーを引くと、勢いよく水が流れ出し、すぐに温かな蒸気が立ち上る。私がシャワーヘッドを手に取った瞬間、背後から穂香がぎゅっと腕を回してきた。


 「……結菜」


 名前を呼ぶ声は、どこか甘く、でもかすかに縋るようでもあった。

 私がシャワーを出すために動こうとすると、穂香の腕の力が少し強くなる。


 「ねぇ、一緒に浴びよ?」


 くすぐるような吐息が耳元にかかる。

 そんなの、いつもなら私がする側なのに。


 「うん、いいよ」


 私がシャワーヘッドを持ち直し、穂香の肩へそっと湯をかけると、彼女はすぐに私の身体に密着してきた。

 腕を解くどころか、むしろ絡めるように、私の背中に柔らかな肌を押し当ててくる。 

 

 しっとりと濡れた肌が吸い付くように密着し、そこからじんわりとした熱が伝わってくる。押し寄せる柔らかな感触が、わずかな動きに合わせてふわりと形を変える。


 「ねぇ、もっと近くにいて……?」

 「え、これ以上?」


 思わず少し困惑してしまったけれど、穂香は真剣な顔で私を見つめていた。


 私の腰に絡みつく腕、ぴたりと合わさる身体。

 前までなら、私がこうやって離したくないってしがみつくのに——今日は立場が逆転したみたいだった。


 「……しょうがないなぁ」


 私は苦笑しながらも、穂香を抱くように腕を回す。

 すると、穂香は満足したように私の首元に顔をうずめ、さらに深く寄り添ってきた。


 シャワーの音に紛れて、穂香のかすかな吐息が聞こえる。

 私に触れていないと落ち着かないみたいに、何度も腕をぎゅっとしてくる。


 ——まるで、離れまいとするみたいに。


 けれど私は、それがどうしてなのかなんて、深く考えはしなかった。

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