第2話 異常者

昼が終わり、私の朝が来る。

ボーッとしてたら夜九時を回っていた。


「あー、配信か……」


何だか今日はやる気がしない。

あたりまえか。

何せ私は昨日身バレしたのだ。


近所のよく行くコンビニ。

その店員が私の配信の常連だった。

しかも乳首ぴんことかいう最低の名前のやつだ。


良い距離感の太客だと思っていたのに、

まさか女性だなんて思ってもみなかった。

汚いおっさんより全然マシだけど、リスナーに身バレして気分が良いわけがない。

本当なら逃げ出したい気分だ。


「……配信休もうかな」


SNSでお休み告知をしようと思ってふと留まる。

私のように何の生産性もない人間が、配信まで止めるようになってしまったらどうなるのだろう。

いよいよ生きている価値なんて無くなるんじゃないだろうか。

私は自分の役割をなくすのが怖かった。


配信は私にとって崖際で唯一見つけた足場だ。


人と話すのも、家族と過ごすのも怖くないのに、いつも学校に近づくと体から震えが止まらなくなる。

胃が痙攣して吐き気がして、数分とまともに立っていられなくなるのだ。


もうまともに生きていくことなんてできないんだろうな。

そんな時に見つけた唯一の足場が配信者だった。


一日中家に居て、ゲームしているだけの自分が唯一お金を生み出すことのできる場所。

たった一人に身バレしたからと言って、配信を止めるわけにはいかなかった。

だってそうしたら、私は本当に生きていけなくなるから。


「こうなったら仕方ない……」


その日の配信を終え、私は上着を身につける。

家を出ようとすると、兄が部屋から出てきた。


「お前、またコンビニ行くの?」

「そうだけど……」


「昨日の女、大丈夫なの? 自分の乳首がどうとか言ってたやつ」

「あ、たぶん大丈夫。悪い人じゃない……と、思う」

「いや、どう考えてもヤバいやつだろ」


どうなのだろう。

考えてみれば、昨日はあのまますぐ逃げてしまったのだから、良い人なのかどうかすらも分からない。


そもそも私にとってリスナーはAIなのだ。

実在しない、文字列だけの存在。

それが実在したこと自体が自分の中で驚きだった。


私はリスナーが理解できない。

ラジオ感覚的に配信を流してる人は共感できるけど、コメントしたり投げ銭する類のリスナーは異常者な気がする。

知り合いでもない人の配信にコメントしようだなんて普通は考えない。


じゃあ、乳首ぴんこは異常者なのだろうか。

……名前だけだと異常者か。流石に。


「おい、大丈夫か?」


考えていると、私の意識を確かめるように兄が目の前で手を振っていた。

小さく首を振ると、私は玄関に向かう。


「着いていかなくて良いのか?」

「別に良い。子ども扱いしないで」


「子どもだろ、お前は。夜中四時にJKが一人で歩くのはヤバいだろ」

「……別に、どうなったところで私に価値なんてないし」


「あっ? 何て言った?」

「別に。行ってくる」


兄の言葉を振り切って家を出る。

足早に歩くと、二月の冷たい風が私の体を通り抜けていった。

まるで夜に包まれたみたいだ。


歩いて十分ほどで、見慣れたコンビニへとたどり着く。

中に入ると「いらっしゃいませ」と小さく声が聞こえた。

見なくても分かる。

乳首ぴんこだ。

品出しをしているらしい。


品物を選ぶフリをして徐々に近づいてみた。

チラリと名札を見る。

胸元に『東雲しののめ』と書かれていた。


「あ、さーや」


視線を感じたのか、声をかけられる。

そもそも深夜帯のコンビニに来る客なんてそれだけで目立つのだから、気づかれないはずがなかった。


「いらっしゃい。もう配信終わったの?」

「『さーや』って呼ぶの辞めてもらってもいいですか。配信の話も。身バレ怖いんで」


「あ、ごめんなさい。えっと……じゃあなんと呼べば……?」

「別に呼ばなくていいです。私とあなたは……他人なので」


ショックを受けた顔。

傷つける意図はなく、ただ事実を端的に述べただけなのだが。

罪悪感で言葉に詰まる。


「……やっぱりさーやで良いです」


自分の本名を伝えることの方が怖く、何となくそう言うと「良かった」と東雲さんは弱々しく笑みを浮かべた。


「そういえばさーや、彼氏いたんだね」

「彼氏?」


思わず眉をひそめる。

しかしこちらの様子には気づかず彼女は続けた。


「大丈夫、私そういうのは口にしないから」

「何の話ですか」


「昨日、男の人と来てたから」

「いや、あれ兄なんで」


「え? 兄って、一回雑談配信で話してた?」

「はぁ、まぁ……」


気まずい。

私の家庭の話はなるべく逸らしたい。


「乳首ぴん……東雲さんはいくつくらいなんですか」

「私? 二十歳だよ」


私より四つも歳上なのか。

同い年くらいに見える。

彼女は髪の毛が長くて、目元が見え隠れしていた。

割としっかり話してくるけど、少しビクビクして見える。

見るからに草食系の女子だ。


「実は私、ずっと引きこもってたんだよね。通信制の高校をどうにか卒業して、しばらくしてからアルバイトするようになって、色々点々としてたの」


へへ、とごまかすように東雲さんは笑う。

笑い方が下手な人だと思った。

でもこれくらい不器用な人の方が、今の私にはなんだかありがたい。


どうやら東雲さんは、私と同じような境遇の人らしい。

きっと、配信をしてなかったら私も同じような感じだったのだろう。


何となく商品を手に取り、レジへと運んだ。

彼女は私の眼の前で、緊張した様子でレジ袋に商品を詰める。


「どうして外に出ようと思ったんですか?」


「それはね、さーやの配信見たから。元気もらって、表に出ようって思えたんだ」


巷の有名配信者と違って、私は人に元気をあげるような配信は行っていないのだが。


「一度、超長時間配信やってたよね。APEXでマスター耐久してたやつ。初心者なのに、エイム練習からずっとやってて。どんどん上手くなって、達成した時すごく感動した」


「どうも……」


あれは私がマゾゲーマーだからできたことだ。

何百回殺されて、何百回死んでも平気でチャレンジできた。

ゲームのコツを掴んで上達するのも、正直やりがいがあった。


対戦相手の配信を見ながらゲームをする不正のことをゴースティングと言う。

私はどのゲームでも自分の活動名と配信プラットフォームを名前に入れていたから、くだらないやつにゴースティングされまくっていたが、それでも平気だった。

それも全て、私がマゾだからだ。


「VALORANTもアセンダントまで行ったよね。最近のホラゲーチャレンジも面白いし、さーやはいっつも新しいことに挑戦してて、私も頑張らなきゃって思うんだ」


「……止めてください」


思わず言った。


「私は、頑張ってなんかないです。私がやってるのは、ただの逃避です」


新しいゲームにチャレンジするのも。

FPSゲームで高ランクを目指すのも。

何も目標がなくて、ただ空虚だからだ。


私は同学年の友達が持っているものを何も持っていない。

私の人生にはなにもない。空っぽなんだ。

だから私は、莫大な人生という時間を配信で潰している。


私を見て励まされたから外に出ただって?

そんなの、私のお陰じゃない。

この人が勝手に頑張っただけだ。


私の手柄みたいに言われるのが、なんだか妙にかんに障る。

だって、私の人生は一ミリも向上してなんかいないんだから。


悔しくて、ムカついて、腹が立って。

私は半ば引ったくるようにして、ビニール袋を手に取った。

呆然としている東雲さんに目を背け、店を出て、足早に家路につく。


「くそっ、くそっ、くそっ!」


夜は私の時間のはずなのに。

何故だか今日は、夜闇が鬱陶しく、私に張り付いて感じられた。

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