乙女月の物語 ~紅穹の月・異世草紙~

桜隠し(mamalica)

1章 出会い、そして運命は動く

1話 蘇芳色の髪の少女

 夜が明けた。

 空は群青から透ける緑に染まり行き、地平の果てから天道てんとうさまの光が零れる


 村の真ん中の家から、家人が姿を見せた。

 井戸水を汲み上げ、椀を冷水で清め、入り口の戸板の前に水を撒く。

 もう一度椀に水をすくい、土間に掲げた厨子ずしの前に椀を捧げる。

 厨子ずしの中には、木彫りの人形ひとがたの立像が佇んでいる。


 大いなる慈悲深き御方――。

 皆が健やかに過ごせるよう、お守りください――。

 西の彼方の五色の国から、見守っていてください――。


 祖先より受け継がれた祈祷を唱え、朝食あさげの準備をする。

 に火を入れ、米を炊き、汁物を作る。

 豆を炒り、干した芋を焙る。

 

 今日は『忌み日』で、肉や魚を口にすることは出来ない。

 殺生も厳禁だ。

 けれど、山や水の神さまは喜び、より多くの恵みを与えてくださるだろう。


 板間に集った一家六人は、温かいいいと青菜の汁物、豆と干し芋を食す。


 

「じゃあ、行って来ます!」

「いっぱい、アケビを取って来るよ!」


 少女と少年は編かごを背負い、家から走り出た。

 

 少女の呼び名は『サカキ』。

 少年の呼び名は『アクリ』。


 アクリは七歳で、サカキは少し年下のようだ。

 アクリは村長むらおさの孫だが、サカキは違う。

 父も母も分からぬ『拾い子』だ。


 だが、村人たちは『大いなる慈悲深き御方』が遣わした子だと信じている。

 村長むらおさの息子夫婦の手でアクリの妹のように育てられ、健やかに育った。


 髪の色は蘇芳色(黒みがかった赤)で、隣の国の夜空の色に似ている。

 極めて珍しい色だが、それも『大いなる慈悲深き御方』の遣わし子の証だと村の大婆おおばばさまは言う。


 長い髪を項で結んだサカキは、アクリと共に野山を駆けまわる。

 男の子のように袴を履き、わらで編んだ沓を履き、樫の枝を握る。

 枝を振れば、狼どもは近付かない。

 鹿は、後を付いて来る。

 鳥はさえずり、肩にとまる。


 

「ミカやリョクも誘おうよ!」

「うん……待って、アクリ!」


 サカキは足を止め、風の音を聴く。

 スズメたちの声を聴く。


「……何か変だ……」

 サカキは眉をひそめた。

 両の耳を押さえ、立ちすくむ。


「……西の御山に行く。アクリは待ってて」

「はあ?」


 ポカンと口を開け、サカキを見る。

 西の御山は、古い神さまのお社がある。

 獣たちも多く、『忌み日』に足を踏み入れることは厳しく禁じられている。


「駄目だよ、サカキ。知れたら、爺さまに叱られるよ」

「でも、変なんだ。まさか……誰かが殺生したのかも」


 サカキはアクリの口を押さえ、しかしすぐに身を翻す。

 

 ――助けを求める声が聴こえる。


 サカキは樫の枝を構え、一目散に走り出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る