違法使いの都神解体《ジェイルブレイク》

志波 煌汰

第一章 少年と違法使い

第一話 下層の少年

 ゴミ溜めのような街の底をトーガは疾走していた。


 年齢は十代後半に入ったくらいだろうか。乱雑に切られた短髪はややくすんだ黒色で、顔立ちは精悍だが輪郭にはまだ丸みを残している。青い瞳が印象的な青年だった。

 泥まみれのスニーカーが大地を蹴る度にばしゃばしゃと跳ね返るのは、汚濁か吐瀉物か。どちらにせよ今のトーガに気にしている余裕はなかった。


 このシナズの街は廃墟を寄せ集めて無造作に継ぎ接ぎしたような様相をしている。裏路地は迷宮のように複雑に入り乱れ、角を曲がればまるで別時代のような建物が姿を現す。共通しているのはどれも煤けて薄汚れていることくらいだ。

 住民がおかしいから街が歪むのか、歪んだ街だからろくでもない連中が集まるのか。ともあれ普通に暮らす分には不便な街だが、道を知り尽くしていれば逃走には便利ではあった――特に、下層に不慣れな相手に対しては。


「待ちやがれコラアアアアア!!!」

「逃げてんじゃねえぞおおおおおお!!!」


 後方から怒号が聞こえてくる。思ったより距離を空けることは出来ていないようだ。

 パァンと乾いた破裂音がして、トーガの進行方向の壁に弾痕が生成された。ちらりと後方に目を向けると、銃を向けながら追いかけてくる男たちが目に入った。その数、六人ほど。真ん中にいるスキンヘッドの巨漢が目につく。


(銃を使ってるってことは、やっぱり雑魚みたいだな)


 上層に住む『重罪人』ならわざわざ銃なんて使う必要はない。そもそもこんな『微罪人』が肩を寄せ合って暮らす下層のスラムで騒いでいる時点で、使い走りであることはお察しだ。

 とはいえ油断は禁物。トーガには彼らと違って『力』がない。純粋な格闘技術のみで言えば遅れを取るつもりはないが、真正面から立ち向かうには無理がある。なので今はとにかく逃げに徹する。

 嗅ぎなれて麻痺していたつもりの街の腐臭も、疾駆に伴い荒げた呼吸のもとではやけにきつく感じる。えずきそうな喉を必死に抑えながらトーガは走り続ける。追手は執念深く、まだ振り切れそうにない。流石に足も疲れてきた。


(畜生、どうしてこんな目に遭ってるんだ)


 自分のせいではない。全部この街が悪いのだ。自分はただ、間違いを正したいと思っただけなのに。


 数メートル横を飛んでいく弾丸に注意を払いながら、トーガは工場か何かの跡地になっている廃ビルに滑り込む。焦りながらも施錠を終え、人心地ついたところで荒い息を整える。

 ドアを乱暴に叩く音が背中側から聞こえた。振り返って舌を出し、小馬鹿にする。ここは置き去りにされた大型の機械類のせいで路地にも負けず劣らず複雑な構造だし、吹き抜けの上階は隣接する建物に繋がっていて逃走経路が豊富だ。ドアが破られる前に逃げられれば、奴らも見失うはずだ。

 その考えが甘かったとトーガが痛感するのに、そう時間は要らなかった。


「こういうの、袋のネズミって言うんだったかぁ?」


 ドア越しに聞こえた言葉。声色に危険を感じ本能的に左に飛ぶ。その判断自体は最速で最適なものではあったが、それ以前にこの状況に陥ったこと自体が過ちであった。

 ドゴォ!

 激しい爆発音と共に吹き飛ぶドア。咄嗟の回避行動によって直撃こそ避けたものの、爆風の余波を受けて転がったトーガは壁に勢いよくぶつかり、したたかに背中を打つ。


「がは……っ!」


 先ほど取り込んだばかりの酸素を、強制的に吐き出させられた。揺れる視界で前方を見ると、ドアどころか直線状の機械類がまとめて吹き飛ばされている。漂う焦げ臭い匂い。


「路地じゃあ崩落に巻き込まれるせいで使えなかったが、逃げ込んでくれたおかげで気兼ねなくぶっ放せたぜぇ」

(爆発系か!)


 見誤っていた。遠距離系の能力はないものと決めつけていた自分の落ち度だ。

 げほげほと咳き込みながらも立ち上がる。幸い目に見える損傷はないようだが、叩きつけられたせいで全身が痛い。目に見えてふらついているトーガの前に、爆発を行使したと思しき巨漢の男が悠々と歩み寄る。スキンヘッドで威圧感のある男だ。


「下層のゴミが調子に乗りやがって。この『発破のロック』様から逃げられると思ったかぁ?」

「……よく聞こえないな。はっぱろくじゅうし、がどうしたって? 九九が出来るならお使いには十分だな」


 不敵に挑発するトーガに、ロックと名乗った男の前蹴りが浴びせられる。思わず背中を折り、膝から崩れ落ちた。


「ぐっ……」

「舐めてんじゃねえぞ、ガキが! 俺はあのライマー様の配下だぞ!」

(ライマー……ライマー・ポリドーリか)


 その名前には聞き覚えがあった。最近勢いをつけているらしい悪党、通称「伯爵」。まだこのシナズに来てから日が浅いが、怒涛の早さでめきめきと罪を重ね、そろそろ都市長の膝元に招かれると噂の男。なるほど、その手下ということなら調子づいてるのも納得がいく。


「直々に任された大事な仕事に茶々入れやがってよぉ」


 ロックはトーガの腕を掴んで無理やり立ち上がらせる。


「どう落とし前つけてくれんだ、コラ」

「……露天商の恐喝が、大事な仕事か? ライマーってのは話に聞いていたよりチャチいみたいだな」

「ナマ言ってんじゃねえぞテメェ!」


 顔面を殴りつけられる。口の中を切ったようで、血の味が広がった。


「ライマー様に楯突こうたぁ、どこの傘下だ? その様子だとそこそこ幅利かせてるみてぇだが、バックごと潰してやるから覚悟しろ」

「……別に、誰の傘下でもない」

「じゃあ何でうちに喧嘩売ってきたんだ、ああん? まさかあの露天商のツレかぁ?」

「いや。あのジジイがどんな目に遭ってようが俺には関係ない。いっつも吹っ掛けてくる奴だから、むしろいい気味だぜ」

「じゃあなんであんなことしやがった、意味わかんねえぞお前」

「別に……」


 トーガは吐き捨てる。


「お前らみたいなのがデカい顔してるのは我慢ならねえんだよ」

「んだとぉ……?」


 怒りでこめかみをひくつかせながら、ロックは片手だけでトーガを宙づりに持ち上げた。


「罪を犯す度胸もねえ『微罪人』の癖に、偉そうなこと言ってんじゃねえ!」

「……俺は『微罪人』じゃない」

「はっ、よくもそんなホラを吹けたもんだ。下層で暮らしてるけど実は『重罪人』なんだぜ~とでも抜かすつもりかぁ?」

「あっ」


 と、声を上げたのはロックの手下と思しき男の一人だ。


「どうした、ヤス」

「旦那、確かにそいつは『微罪人』じゃないですよ」

「何ぃ?」


 ロックの眉が顰められた。自分を掴んだ腕に僅かに緊張が走ったことにトーガは気付く。


「まさか、本当に『重罪人』だって言うんじゃないだろうなぁ……?」

「いえいえ、むしろ逆ですよ、逆」

「逆ぅ?」


 訝し気な声を上げるロックに対し、手下の男はケヒヒ、と下卑た笑みを浮かべて答えた。


「そいつぁ下層ではちっとばかし有名でしてね……この街で唯一『無罪』のガキなんですよ」

「……ムザイ?」


 一瞬、単語が結びつかなかったのかオウム返しできょとんとした顔を浮かべるロック。だが数秒後には驚愕から目を見開いた。


「『無罪』? 全く罪がないって言うのかぁ!?」

「へぇ、その通りで」

「うはははは! こいつは飛んだお笑い草だ! まさかこの街にそんな奴がいたとはなぁ!」


 大笑するロック。思わず力が緩んだところで「放せ!」とトーガは暴れ、その腕から抜け出すことには成功する。だが周囲には男たちが待ち構えており、そのまま逃げ出すことは出来ない。それを分かっているロックは、余裕綽綽のにやけ面でトーガに話しかける。


「よぉ、ベイビーフェイス。お前、無罪だからってヒーロー気取りをやってやがるのかぁ?」

「そんなんじゃねえ! ただ、お前らみたいなのが偉そうにしてるのは間違ってる!」

「おーおー、そうかそうか。確かにお前からすればこの街はどうかしてるんだろうなぁ。だが……」


 言いながらロックは掌を天井に向ける。次の瞬間、その手の上でボボン! と爆発が連鎖した。焦げ臭い風がトーガの鼻腔に届く。

 通常の物理現象を逸脱した力――罪能(ざいのう)だ。


「このシナズの街じゃ、文字通り罪の重さこそが力の強さ! 悪い奴ほど強い能力を与えられ、弱者を支配する! 弱肉強食のシンプルなルールだ! テメェの御託は何の意味もありゃしねぇ!」

「……っ!」

「いい機会だから、ここで覚えておくんだなぁ?」

「……よく知ってるよ、ずっとここで生きてきたんだからな」

「そうかい、じゃあど忘れでもしちまったのか? なら――二度と忘れねえように、その顔に火傷として刻んでおいてやるよ!」


 広げた手を向けながら、じりじりとトーガに詰め寄るロック。トーガも後退りをするが、背後は壁で逃げ場はない。獲物を追い詰める嗜虐的な笑みを浮かべながら、ロックは一人ごちる。


「しっかし、一切能力を持たねえガキがこれまで生きてこれるたぁ、下層ってのは本当にぬるい環境みたいだなぁ?」

「ああ、それはですね、そいつの姉貴のムツミって奴が――」

「アタシを呼んだ?」


 場にそぐわない可愛らしくも硬質な声が、剣呑な空気の中に割り入った。


「あ?」


 声のした方向――吹き抜けの上階に目をやるロック。しかしそこには誰の影もなく、次なる音は意に反して背後かつ下方から聞こえてきた。とん、と軽やかな着地の音と、どさり、と人が倒れる音が複数。

 首を捻って後方を見やれば、そこには吹き抜けから飛び降りてきたらしい少女と、その横で倒れた手下が二人。


 少女の姿はトーガによく似ていた。年も変わらないだろう。肩口で切りそろえた黒髪は痛み尽くしたトーガのそれより柔らかで美しい。顔立ちはよりシャープで鋭さを感じさせるが、同時にどこか女性の柔らかさも兼ね備えている。眼窩に収まる青い瞳はこのシナズで培われ研ぎ澄まされた獰猛さを感じさせた。背は、トーガよりも幾分か高いか。全体的にすらりとした印象だが、貧相ではない。

 グレーの革製ベストに身を包み、紺の短パンから伸びる足が眩しい少女。その姿を視認して、トーガが声を上げる。


「ムツミ!」

「また面倒に巻き込まれてるわけ? まったく、世話の焼ける弟だこと」

「姉貴面するな!」


 姉弟のそんなやり取りに、一瞬呆けていた他の手下が我に返る。ムツミのすぐ傍にいたチンピラが声を上げる。


「てめっ、何を――」


 だがその叫びは最後まで言葉になることはなかった。

 ムツミが男の顔面を掴む。いわゆるアイアンクローだ。そのまま、ぱりっ、と小さな音と共に火花が散ったかと思うと、ムツミより上背のあるその男は声もなく崩れ落ちた。


「あと三人」


 鉄のように冷たく、少女はカウントする。


「こいつ……!」

「よくもうちのトーガに手を出してくれたわね」


 色めき立ち、武器を構える男たち。相対するムツミは自然な立ち姿で、その両の手からはパチパチと小さな紫電が迸っている。


「電撃使いか……! だが所詮は微罪人、出力は大したことなさそうだなぁ!」

「そうね、でもアンタたちを寝かしつけるのには十分。それに……こっちばっか目を向けてていいの?」


 言葉が告げられるのとほぼ同時、


「うごぉ!?」


 チンピラのうち一人が悶絶の声を上げて倒れる。


「こっちを忘れんなよ」


 トーガによる容赦のない金的。倒れた男から落ちた拳銃は遠くへ蹴り飛ばす。


「こいっ――」

「ほらまた余所見」


 倒れこむように滑らかに、稲妻の如くムツミの手が閃く。注意を逸らした男の意識がいとも容易く刈り取られた。手下は全て倒れ、残るはロック一人。ムツミはそのまま巨漢の男へと向かう。


「っ! 舐めてんじゃねえぞガキが!!」


 ロックが吠え、その手に力が収束する。二つ名の象徴たる爆破の能力。それを眼前の小娘に叩きつけようとしたところで、


「遅い」


その腕に微弱な電撃が流され、男の腕は不随意に跳ね上がる。疑似生体電流による身体操作。集まろうとしていた力は行き場を失い、吹き抜けの先の天井に炸裂した。

 その大きな隙をトーガは見逃さない。


「お返しだ!」


 がら空きになった鳩尾に、いつの間にか回り込んでいたトーガの拳が突き刺さった。意図せず全力をスカされた肉体は無防備で、その一撃に対する用意が出来ていない。思わずくの字に折れ曲がる体。そうして高度が下がった頭部……その顎に、回し蹴りが直撃する。

 ぐわんぐわんと揺れる巨漢の視界。脳を激しく揺さぶられ、発破のロックは白目を剥いて地に伏した。


◇ ◇ ◇


「……ふぅ」


 一息ついたトーガは口の中に溜まった血を唾と共に吐き出す。足元で昏倒するロックの頭をつま先で小突いた。


「ざまぁ見やがれ」

「ざまぁ見やがれ、じゃないわよ!」


 その脳天に、ムツミの鉄拳が叩き込まれた。


「いってえ~~~~!!! 何すんだよムツミ!」

「お姉さまと呼びなさい、馬鹿弟! 何度も言ってるでしょ!」

「俺だって姉貴面すんなって何度も言ってる! 双子の癖に偉そうなんだよ!」

「双子だろうとアタシがお姉ちゃんでアンタは弟! 生まれた時からそう決まってんのよ!」


 私の方が背も高いし! と言うムツミ。それを言われるとトーガは言葉に詰まる。


「とりあえず、こいつらが伸びてるうちにさっさと逃げるわよ」

「仕切るなっての」

「アタシが来なかったら危なかったくせに意地張るんじゃないの」

「俺一人でもなんとかした!」


 言い合いながら、姉弟は肩を並べて歩く。上階に上がり、繋がった隣の建物へ。また階を上がり、窓から近隣の屋根に飛び乗って、しばらく屋根沿いに歩いた後に雨樋から地表へ。熱帯雨林のようにしっちゃかめっちゃかに建物が生え絡み合うシナズの街を、双子は立体的に散歩する。


「で、今回は何に巻き込まれたわけ?」

「……東大通りの露店ジジイが恐喝されてたから、チンピラに飛び蹴りをかましてやった」

「アンタねぇ、こんなこと続けてたら命が何個あっても足りないわよ? 強くて優しいお姉ちゃんが居るからって、当てにしないでよね」

「当てになんかしてねえ! あとから仲間がやってこなきゃ俺一人で……」

「いい加減無鉄砲なことは辞めなさい。そもそも、一時止めたところでまたあいつらが来るだけよ。今度は報復にもっと酷いことするかもね。優しさなんてものは仇にしかならない」


 ムツミの言葉に、トーガは足を止める。


「優しいわけじゃない。ただ……間違ったことは見過ごせない。それだけだ」

「そんな甘っちょろいことを言っていられる街じゃないでしょ、此処は。何よりも自分の生存を優先するべきよ」


 分かっている。トーガにだって、ムツミの言うことは正論だと分かっているのだ。それでも――間違いは正さなければいけないと、心の奥底で何かが叫んでいる。



 立ち止まったトーガは、錆びれた路地の隙間から辛うじて見える天へと目を向ける。

 シナズの天蓋は、今日も暗雲が覆いつくしていた。

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