降臨するトリと自由にあこがれる少年
長月瓦礫
降臨するトリと自由にあこがれる少年
暖かな風と共にふっくら冬毛を蓄えた鳥が飛んでいる。
空気が少しだけ湿っており、羽ばたく翼はいつもより重い。
あと少しで雨が降る。沸き立つ雨の香りを感じる。
行くあてもない、ただの気まぐれな旅だ。
トリはトリだ。名前のない茶色の鳥だ。
それ以外、何もない。
「さて、ちょっと休憩させてもらいましょうかねえ」
窓の手すりにとまり、部屋を見る。
壁に絵がいくつもかけられており、中心にひときわ大きい絵が立てかけられている。誰かの作業部屋だろうか。わずかに画材の匂いがする。
「はあ、ずいぶんと立派な作品ですねえ」
「今、君が喋ったの?」
少年が窓を開ける。
「ごきげんよう、トリの降臨です。この後、雨が降りそうですね」
「僕の聞きまちがいじゃなかった。こんなところでどうしたの?」
「雨が降りそうなので、ちょっと休ませてほしいです」
「そうなの? こんなに晴れてるのに」
少年は不思議そうにトリを見る。
どこか表情が暗く、青白い。体調が悪そうだ。
「君はどこから来たんだい?」
「向こうのほうから来ました。
あそこじゃ、人形を綺麗に飾っていたんですよ」
「へえ、そうなんだ」
華やかな衣装に身を包んだ人形、お雛様の話を聞かせる。
階段に並べられた人形たちは愉快で楽しかった。
ここらだとまず見かけない衣装を着ていたし、顔つきも全然違う。
「君はいいね。自由に空を飛べて」
「ええ、よく言われます」
「僕はこんな体だから、外に出られないんだ。
お医者さんが言うには、あとちょっとで死ぬんだって」
「それはそれは、大変ですねえ」
少年はうらやましそうに、トリをじっと見つめる。
体に穴が空きそうだ。
「君は大騒ぎしないんだね」
「何がですか?」
「僕が死ぬって言うと、うるさいんだよね。
それこそ、鳥みたいに騒いでさ。嫌になっちゃうよ」
少年の差し出した手にトリは飛び移る。
細く白い手に包まれる。
「ねえ、鳥さん」
「はい、なんでしょう」
「君はあの絵をどう思う」
少年はイーゼルにかけられた一枚のキャンバスの前に立つ。
革張りの椅子に座った少年の絵だ。
白黒で描かれており、どこか冷めたような表情でこちらをみている。
「写真にもようやく色がついたというのに、この絵は白黒のままなんですね」
「先生もそう言ってた。けど、母さんの言うとおりにしてほしくなかったんだ。
そうしたら、試しに色を消そうと言って、白黒の絵にしてくれた」
トリは鳥目で観察する。長旅ができる程度に目はいい。
立てかけられた絵は写真のように精密に描かれており、今にも動き回りそうだ。
少年は家族の意志に逆らって、自分の要望を貫いた。
彼なりに抗い、もがいている。反抗期という奴だろうか。
「先生もこんな注文を聞いたのは初めてだって言ってた。
けど、君がそうしたいならそうするって聞いてくれたんだ」
「他には?」
「他?」
「この絵、なんだか不気味です。
あなたのそっくりさんを見ているような、そんな気分になるのです」
どう表現すればいいだろうか。少年の見た目をした違う何かに見えるのだ。
少年とまったく違う思想を持ち、自立しているように感じる。
「鳥さん、家族を嫌うのはそんなに悪いことかな」
「どうでしょうねえ……」
トリは飼い主の顔も名前も思い出せない。
ただ、想像をするだけで悪寒が走る。足元に暗い影ができる。
何かが這い寄るような感覚を覚えた。それが何かは分からない。
「そうだ、鳥さんを描いていい?」
「別にいいですけど、白黒にしないでくださいね」
「分かった、いいよ」
トリはテーブルの上にのり、少年は色鉛筆と画用紙で描き始めた。
一生懸命に手を動かして、トリを観察する。
たまに指でトリの頭をかいたり、くちばしを撫でたり、遊んでいる。
「ねえ、鳥さん」
「なんですか?」
「あの絵が動いたら、これを渡してほしいんだ」
「そんなことだろうと思いましたよ。何か仕掛けがあるんでしょう」
少年は手を止めて、しばらく黙る。
何かが屋根を叩いている。案の定、雨が降ってきた。
しばらくはここにいるしかないか。
「俺と先生で考えた魔法だよ。
確かに、母さんには悪いことをしてしまうかもしれないけど」
「自由になりたいんですよね、あなたは。
それはトリも同じです。トリはあなたの意志を尊重しますよ」
「ありがとう。あの子は俺の代わりとかじゃなくて、自由に生きてほしいんだ」
あの絵は生きているとでも言いたいのだろうか。
自分で考え、行動することができる。言葉にできない恐怖を感じる。
「たった一回しか使えない魔法だからさ。
あの子が額縁から出た後、どうなるか誰にも分からないんだ」
「今日みたいな雨の日は、大変でしょうね」
「うん、絵の具が流れて消えちゃうかもって先生も言ってた。
けど、あの子は俺じゃないからさ。
もしかしたら、自分で魔法を使って長生きしちゃうかもしれないよ」
「それはそれですごいですね……」
しばらく雑談をしながら、少年は絵を描いていた。
雨がやんでも、ずっと会話を続けていた。
病気になってから、家を出ることができない。
家族と絵を描く先生以外、会話をすることがない。
鳥でも何でもいいから、話し相手がいるのが嬉しいらしい。
「鳥さん、生きているうちにまた会えたらいいね」
「世界をひと周りした後、覚えていたら考えます」
「世界一周かあ、いいなあ。
いろんなものを見て、きっと楽しいんだろうね」
「まあ、行く当てのない旅路ですけどね」
「それもいいんじゃない? きっと見つかるよ」
「そうだといいんですけどねえ」
自由に憧れる少年から絵を預かり、飲み込んだ。
トリの胃袋は宇宙だから、どこかに行ってもすぐ取り出せる。
少年は窓を開けると、雨のしずくがはねる。
空は明るく、空気も軽くなっていた。
「それじゃあ、いってらっしゃい」
「いってきます」
トリは飛び立ち、次の世界へ向かった。
降臨するトリと自由にあこがれる少年 長月瓦礫 @debrisbottle00
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