第16話 親睦会 その1

「親睦会をするわよ!」


 一時間目の自習が始まったところでアリスは教壇にあがり、そのように発言した。

 不意に告げられたイベント告知。

 俺はおろか新茶やエマもキョトンとしていた。鬼ヶ島は寝ていた。梶原は不在。


「親睦会をするわよ!」

「聞こえているから」


 アリスは咳払いする。

「えー、このクラスでの高校生活もすでに三週間が経とうとしています。けれど私たちはまだまだお互いのことを知りません。そこで明日の土曜日に親睦会を行います。時間と場所は追って連絡しますので質問がある方はどうぞ」


 ……またとんでもないことになったな。これは間違いなくよくないイベントだ。


 親睦会についてどうこう言いたいわけじゃない。むしろそういうイベントはわりかし好きなほうだ。……けれどAB組のメンバーで決行するとなれば話は別だ。

このメンバーで何度か外へ出掛けてみたが、やはり毎回のようにトラブルが起きている。

 AB組とは、なるべく外で集まるべきではない。

 ここはうまいこと回避せねば。


「アリス。ちょっといいかな」

「発言を許可します。どうぞ」

「親睦会をするにしても少し急すぎやしないか? いきなり明日と言われてもみんなにも予定があるだろうし……なあ、みんな」

「オレはないぜ」

「僕も、ないかな」

「……zzz……ない……」

 なんかあれよ。休みの日くらい。

「とまあ、三人にはないが俺には予定があ――」

「予定って何よ」

「へ?」

「予定があるんでしょ。言ってみなさいよ」

 再度、アリスが問う。


 ……痛いところを突かれたな。

 三人には『なんかあれよ』と苛立っておきながら、残念ながら俺にも予定なんかない。だからといって、今さら「じつはありませんでしたー! ぷっぷりぷりー!」とアリスに謝ったところで絶対に許してはもらえないだろう。……困ったな。


 ――ダンッ!!


 アリスが教卓に鉄槌をくだす。

「……ねえ、テル。まさかとは思うけれど『親睦会に出たくないから嘘をついている』ということはないでしょうね?」

「ハハッ、そんなまさか」

 大当たりである。


 ――ダンッ!!


 それやめて。怖いから。


「だったら……言ってみなさいよ。明日の予定を、ね」

 アリスの視線が、冷たく、鋭い。

 引っ込みつかなくなってしまった……。ええい、もう出任せで誤魔化せ! 

 頭をフル回転させて、ふと思い出したのは一昨日見たバラエティ番組、そのバラエティ番組ではアイドルの一人が番組の途中で握手会の告知を行っていた。

 

 それだ! その握手会がちょうど明日だったはずだ!

 

 唾をのみ、覚悟を決めて、言葉を吐き出す。


「……あしたは、アイドルの握手会があるんだ」

「は?」

「だから明日は! アイドルに会いに行くんだよ!」

 ついに言ってしまった……。

 想像していない答えだったのかアリスは沈黙していた。

「………………」

「あ、握手をね? しにいくんだよね?」

「………………」

 こ、この反応、どっちだ? 

 途端、アリスが声を荒げた。

「はぁ!? あなた! アイドルなんかに熱を入れているの!? バカじゃないの!?」


 オッシャ! 信じたぁ! 


 心の中でガッツポーズを決めてからアイドルファンになったつもりで言い返す。

「バカは言い過ぎだろ。それに熱を入れているとかじゃなくて、なんかこう頑張っているから応援したくなっただけだ」

「クソみたいな言い訳はよしなさい、テル。どうせ『もしかしたら自分のことを好きになってくれるかも』と便座の黄ばみよりも汚らしい妄想を浮かべながら金を払って握手をしにいくのでしょう? 一言で済ますなら、哀れよ。ねえテル、耳に拡声器をがっぽり突っ込んでよく聞きなさい。いくらアイドルに大金を貢いだとしてもね、あなたとアイドルが恋仲になることは決してなければ、それらの金は芸能プロデューサーの豪邸のローン返済に回されるか、イケメン俳優とのホテル代になるか、またはその両方よ。無駄なのよ。無駄。アイドルからしてみればあなたたち、ただの働く財布よ? そんなことするくらいなら自分に金を使うか、あなた自身が芸能界へ入って努力して自らアイドルに近づくべきよ!」

「えっぐいこと言うね」

「えぐい? 正論を述べているだけじゃない。これだから客観視のできない人間は」

 これが、以前にヤバイラーメン屋を主観でしか捉えられなかった人間の発言である。


「まあいいわ。人の生き方に首を突っ込むのは野暮よね」

「首を突っ込むどころか蹴り入れていたけどな」

 まあ、これで明日は行かなくて済みそうだ。

 いやー、よかった、よかった。

「それでアイドルの名前は?」

「え?」

「そのアイドルの名前よ。教えなさいよ」

 一難去って、また一難……!

 しかもアイドルの名前だ? ファンでもないから憶えてねえよ…………いや、まて。そういえば売り文句があったような……『世界を笑顔でいっぱいにすルリマリー!』だったか? なんか絶妙にダサくて語呂も悪いけどそこから察するに……。


「……ル、ルリマリだよ」

「ルリマリ? 誰それ?」

「知らないのか? 最近、人気が徐々にあがっているあのルリマリだよ」

「……ふうん。ルリマリね。わかったわ」


 アリスもようやく納得してくれたようで、それ以上はなにも聞かれなかった。それからアリスは急に教室を出て行ってしまい、その奇妙な行動に不安を覚えるがそれよりも危機を脱したことに安堵していると、新茶が声をかけてきた。

「おい親友! ルリマリのことをしってるのか?」

「知るわけねえだろ」

「え?」

「あ?」

 一時間目が終了した。


     ・・・・・


 結局、アリスは昼休みになっても帰ってこなかった。

 五時間目になってもアリスがいないので、どこへ行ったのか少しばかり気になっていると廊下から足音が聞こえてくる。

「おまたせ」

 ようやく帰ってきたアリス。

「どこへ行っていたんだ?」

「すぐにわかるわ」

 アリスの自信に満ちた表情を確認したことで、多少ながら嫌な予感がする。

 俺たちは自習を中断し、教壇にあがったアリスに注目する。


「今からイベントを開催します!」


 そういうとアリスが黒板になにかを書くためにチョーク入れを引いた。しかし引いたチョーク入れにはタバコの吸い殻だらけだったようで力強く閉じられ、そのあと教卓の中にあった新品のチョークを見つけて黒板にコツコツと大きく字を書いていく。

 黒板には達筆な『握手会』という文字。

 アリスは自分の席に戻り、「入っていいわよ」と廊下に合図を送る。

やってきたのは執事の芝鳥さん、と、もう一人。

ピンクと白を基調とするフリフリの衣装を着たツインテールの女の子。なんだかとてもキャピキャピしている。


「流里田様、お願いします」

「はぁーい!」


 その女の子はピョコピョコと小走りで俺たちの前に立つと大きく息を吸った。


「みんなー、こんにちわー! 世界を笑顔でいっぱいにぃ……すルリマリー!」


 あっ!? 絶妙にダサくて語呂も悪い! ……まさか。

「世界のアイドル『ルリマリ』こと、流里田マリでぇーす!」


 ……マジか。

 あのルリマリがAB組にやってきた。途端、新茶とエマが沸き立つ。


「マジかぁー!? ルリマリだー!?」

「わぁ……本物のルリマリさんだぁ……カワイイ……!」

 その歓声に鬼ヶ島が目を覚まし、寝ぼけ眼でルリマリをチラリと見る。

「…………ツインテールにすれば、俺の方がカワイイ」


 今、すんごいパワーワードを耳にしたけど気のせいだ。


「さあ、テル! さっさと握手を済ませてしまいなさい」

「……え、まさか」

「ふふん。これであなたの明日の予定はなくなったわね」

 こ、この財閥令嬢……! 強引に俺の予定を前倒ししやがった……! 

「よ、よく呼べたな……呼ぶって言ったって今日の話だぞ。いったいどうやって?」

「お金よ」

「まあそうだよね」

 さすが芸能界。美しくも汚い。

「ちなみにいくら?」

 するとアリスは指を三本あげる。

「三万?」

「バカなの? そんなわけないでしょう」

「ま、そうだよね」


「三千万円よ」


「ハハッ……」

 乾いた笑いしか出てこなかった。

 これでウソがばれてみろ。下手すれば高校生にして三千万円の負債を負うことになる。

「それにしても……そんなに喜んでな――」

「いやいやいやいや、いや! そんなわけないだろ!? あの大好きなルリマリがいきなりやってきたもんだから驚きが脳を一周して、リアクションが取れてないだけさ!」

「そう? ならいいけど」

 あっぶねえ……下手を打つ前にさっさと握手しに行こう。

 すでにエマと新茶は握手会の列に並んでおり、いつの間にか鬼ヶ島も並んでいた。


 一番手はエマ。

「あ、握手、おねがいします!」

「……!? カワイイ……」

「へ?」

「あ、なんでもないよー! はぁーい! 応援ありがとね! ぎゅっ!」

 エマの手をしっかりと両手で握手するルリマリ。

「わあ、ありがとうございます!」

「……! こ、こちらこそありがとね!」

「?」

 首をかしげるエマ、頬を紅潮させるルリマリ。

 どうやら彼女もエマの天使の笑みに悩殺されたようだ。逆握手会になっている。


 次は、新茶。

「すげー、近くで見てもルリマリだ」

「あ、ありがとうございます?」

 ま、そういう反応になるよな。

 遠近法にイマイチ理解のない新茶はルリマリと握手を交わしながら話をつづける。

「じつはオレんちのとなりの家の人がファンでよ。オレはちがうんだけどさー」

「そ、そうなんだぁ……じゃあ! あなたもぜひルリマリのファンになってね!」

「おう。時間があったらな」

「あ、ありがとうございます……」

 なんちゅう無重力な会話をしてやがる。ルリマリも対応に奮闘しているが新茶のどこへ飛ぶかわからないトークの前では無力に等しい。

「あと1つ聞きたいんだけどよ、ルリマリの身長と体重っていくつなんだ?」

「えーっとぉ、身長が162センチで……体重は、ヒ・ミ・ツ♪」

「ああ、そっか! アイドルは夢をこわさないために体重はリンゴの数とかで例えないといけないんだったなー。これは失礼したぜ!」

「ううん、気にしないで♪」



「30kg米俵でいうと何個分なんだ?」

「……い、一個半ですね……」


「なるほど。半年は食っていけそうな重さだ」

「新茶様、タイムアップでございます」

 芝鳥さんの“はがし”により、ようやく新茶節は止まった。

 ルリマリはなんとか笑顔を作っているようだが、そこには疲労が伺える。よく頑張ったと思う。俺もあそこまで真面目に新茶と向き合ったことはない。


 けれど次は。

「……流里田マリ、か」

 自分のほうがカワイイと豪語したあの鬼ヶ島。

 両者が向かい合う。まずルリマリの表情が引きつった。だがあちらもプロ。すぐに笑顔を作り直す。すると鬼ヶ島もニヤリと笑う。今度はルリマリの笑顔が固まった。ルリマリを過労死させる気か? 


 すると鬼ヶ島はいつもの仏頂面に戻して言った。

「きっと大物になれる……頑張ってください」

「え? へ? あ、ありがとうございます! あ、あのっ! まだ握手がっ!」

「……そのときに、させてもらう」

 そう言い残して鬼ヶ島は席へ戻っていった。

 敏腕プロデューサーか、おまえは。


 で、俺の番か。

 ルリマリに手を差し出す。

「ファンです。これからも頑張ってください」

「あっ! はぁい! いつもありがとね! ぎゅっ」

 今『あっ!』って、ホッとしなかったか?

 まあ、あの流れのあとに俺だからその気持ちはわかる。脂っこい物がつづいたあとにやってきた烏龍茶みたいなものだから気兼ねなく営業スマイルもできている。……いっそのこと俺も奇行に走ってやろうかな。


 でもやっぱり彼女はアイドルだけのことはある。


 近くで見てもカワイイし握る手もなんだかもちっとしていて握っていたくなる。

 ……しかしだ。このAB組には頭一つ抜けた美人が二人、エマとアリスがいるわけで。もし二人に出会わないままルリマリと握手していたら俺もきっとテンパるにテンパっていただろうけど、彼女らを拝んだあとではルリマリというアイドルを前にしても感激はしなかった。そう考えると金額に思考がいってしまう。エマやアリスレベルならわかるが、このルリマリに三千万円を払うのはどうも高すぎる。うーん……。


「もっと安くていいと思うけどな」

「へ?」

「あ、いや。こっちの話です」


 握手を終えると、俺の裏にはアリスがいた。

「えっ、アリスも握手するの?」

「当然でしょ。さあ、人生初の握手会を楽しむわよ!」

 こうしてアリスはルリマリと握手をする。

 俺はその一部始終を見ていたが、じつにひどいものだった。アリスは「プロデューサーとは何回寝たの?」とか「死んでほしい芸能人いる?」とか「そのキャラいつまでつづける予定?」とか、とにかくロクでもない質問ばかりして、ルリマリは営業スマイルとおとぼけで必死にかわしまくっていたが、そんなアイドルがハラスメントされている異常事態にはがし役の芝鳥さんはなにをしているのかと目をやると、いつぞやのように壁面に顔をむけていた。そうだった。この人はアリスの息のかかった人間だということを忘れていた。


 いい加減にしておかないと収拾がつかなくなるので、かわりに俺がアリスをはがし、頬が痙攣気味になっていたルリマリを芝鳥さんに任せた。


 去り際に彼女に言う。

「ゴメン。ウチのクラス、ああいうのしかいないんだ」

「……大丈夫です。仕事ですので」

 最後に見せてくれた笑顔はとても健気に見えたが、疲弊を隠しきれていなかった。

 ルリマリが教室を出たあとにアリスが話しかけてきた。

「テル。彼女は芯のあるアイドルよ。あれなら抱いてやってもいいわ」

「おまえ、女じゃなければ訴えられているからな」


 かくして俺の休日の予定(実際はない)は前倒しされてしまい、AB組の親睦会に出席せざるを得なくなってしまった。くそっ!


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