第10話 カフェ

 ――タン、タンタン、タン、タタン、タン、タンタタタンッ。


 新茶のノートパソコンをいじる音が教室に響く。


 不思議な光景だ。新茶が教室でパソコンをいじっている姿なんて。しかしなんでパソコンなんか持っているのだろう。

「うーん、だいぶ上達してきたぞー」

 まさかAB組にいるうちにエクセルでもマスターしようとしているのか。まさか新茶に限ってそんなスキルアップだなんて……。新茶はじっとパソコンの画面を眺めている。俺はそっと新茶の裏へ回ってチラリと見た。


 真っ白な画面には、たったの一行だけが記されていた。



『あtsんdkdgksdhcckdんsでdhjcvs』



 ホラーじゃねえかっ!? 

 まったくもってわけがわからないぞ? なにが上達したっていうんだ?


「新茶……おまえ、なにやっているんだ?」

「あっ、親友! ちょうどいいぜ、感想を聞かせてくれ!」

「感想……て?」


 そして新茶はまたパソコンを打ち込む。

 ――タン、タンタン、タン、タタン、タン、タンタタタンッ。

 いまだに理解できない俺はもう一度、新茶のパソコンをのぞいた。




『あtsんdkdgksdhcckdんsでdhjcvs、dhwkshjdぐぃすぅsjshddksksjdhsksjでゃskdsjちゃかksj』




 怖い怖い怖い怖いッ!!

 俺になんの感想を求めているんだ!?


「ね、ねえ新茶くん。それってドヴォルザークの『新世界より』だよね?」


 俺がパニックに陥っていると、パラパラ漫画を描いていたエマがそうたずねた。


「そうそう! そんな名前のやつだ! よくわかったなエマ!」

「えへへ……クラシックはすこし得意なんだ」

 クラシックだって……?

「…………もしかして、タイピングの音がクラシック曲になっていたのか?」


 二人は答えた。

「そうだぜ!」

「うん!」

「マジかよ……」


 パソコンのタイピング音でクラシックを奏でようとする新茶の発想もヤバイが、その意図を理解できたエマにも恐れ入る。


「それじゃあ親友。いまの感想をきかせてくれ」

「よし感想を言おう。おまえはアホだ。ピアノを使え」

「そ、その手があったか……!?」


 本当におまえってやつは……それはさておき。

「気になっていたけど、なんで学校にパソコンを持ってきているんだよ」

「ん? あー、それは父ちゃんから『学校へ行くときは持っていきなさい』って言われているからなんだぜ」

「そうなのか。なんでだろうな」

「それも父ちゃんが言ってた。『パソコンをもっていれば賢そうに見られるから』って」


 申し訳ないけど、父ちゃん……逆効果だよ。


 息子がまさかパソコンでドヴォルザークの『新世界より』を奏でているとは思うまい。すると一部始終を聞いていたアリスが言った。


「いい御父様じゃないの。息子の欠点をよく理解してそれを補おうとしてくれるなんて」

「そうなのか……!? うう、父ちゃんはオレのために……」


 話の中身はどうあれ、新茶が家族から愛されているのは、なんだかほっこりした。


 すると新茶が立ちあがる。

「よし! オレがかしこく見られているところを父ちゃんに見せてやらねえと! なあみんな! なにかいい方法はないか!?」


「あるわよ」

「本当か、高飛車アリス!?」


 アリス。シバく。新茶。


「本当か、タカミネアリス!?」

「ええ、パソコンを持っていれば賢く見える場所を知っているわ」


 もう慣れたものだな。お互いに。


 パソコンを持っていれば賢く見えそうな場所か……。

「なあアリス、それってもしかして」

「ええ。さあ、みんなでコーヒーブレイクをしましょうか」

 アリスは面白そうにニヤリと笑う。


   ―――――


 AB組は街へと繰り出し、ある場所へ足を運んだ。

 アリスが足を止めると、目の前にはお洒落なカフェがあった。

「やっぱりここか」

「そうよ。カフェよ。それも大通りに面しているところが全面ガラス張りのバリバリに歩行者からのぞかれるタイプの」


 ガラス張りをじっと見つめる、エマと鬼ヶ島。

「ぼ、僕、こういうお洒落なところは、入ったことないな」

「……俺も、だ」

「心配いらないわよ二人とも。お店なんてのはね、お洒落だろうがダサかろうが、品と金さえもって入れば問題ないのよ」

 随分とまあ、ざっくりとした考えで。


 パソコンをかかえている新茶がアリスにたずねる。

「なあ、なあ。この店に入れば本当にオレもかしこく見られるのか?」

「もちろんよ。ほらごらんなさい。ガラス張りの奥にあるカウンター席の客を。パソコンを広げているだけで、ホラ! 手も動かしていないのに賢そうに見えるでしょう?」

 酷い偏見だな、おい。

「あっ、本当だ! なにをやっているかわからないけど、かしこそうに見えるぞ!」

「そうでしょう、そうでしょう。だからあなたも、あのガラス張りの奥のカウンター席に座って黙ってパソコンを広げていれば、一瞬で賢そうに見えるようになるわ。そうしたら私たちが写真を撮ってあげるから、これで御父様に見せられるわね」

「おお、サンクス!」

 どことなく毒気のあるアリスの発言だが、新茶が喜んでいるのならなにも言うまい。

「よっしゃ! それじゃオレ、先にかしこそうになってくるぜ!」

「おい、ちゃんとなにか注文するんだぞ」

「わかってるぜ、親友!」

 本当にわかっているのかよ……。

 

 新茶はパソコンをかかえてカフェに入店していった。

 

 しかし数十秒後、神妙な面持ちの新茶がカフェから戻ってきた。


「どうした?」

「……あの店、ラーメンないのか?」

「おまえ、カフェの概念ないのか?」


 呆れる俺の隣ではアリスが声をあげて爆笑していた。エマが優しく説明してあげる。

「あ、あのね新茶くん。カフェって、食べるというより、休憩したり雰囲気を楽しんだりするところだから、基本的にはね、ご飯屋さんみたいな料理はないんだよ」

「そうだったのか、サンクスゥ……。またひとつ勉強になったぜ」

「……ハァ……ハァ……! 新茶、あなたって最高ね!」

「そ、そうか? ハハハ、なんだか照れるなー!」

 新茶、褒められてないぞ。


 そんなやりとりをどこか一歩引いたようなところで見ていた鬼ヶ島。


「………………俺が、最初に行かなくてよかった……」

「おまえもかよッ!?」


 さらに爆笑するアリス。

 すると本来なら見られる側であるカウンター席に座る客が、否、カフェにいる全員が外側にいる俺たちに目をむけていた。それどころか近くを通る歩行者ですらなにかしら思ったような視線をAB組にむけてくる。アリスが大通りで堂々と爆笑しているから……だけではない。よくよく考えればそうだ。AB組は、見た目だけでも十分にヤバかった。


 堂々と笑う美少女。

 2メートルはある強面の大男。

 おそらく世界一可愛い美少年。


 そして。

 それらを際立たせるように一般的な見た目をしている、俺と新茶。

 

 アホ毛を生やしてノートパソコンを抱えている分、奇抜さは新茶のほうが若干リードしているが、そこはどうでもいい。


 AB組で外界に出るとどうなるか、やはりこうなったか。


「……フゥ、大いに笑ったわ。ありがとう。さて、そろそろみんなで入りましょう」


 カフェに入っていくアリス。彼女についていく俺たち。

「い、いらっしゃいませぇ……」

 うん、だよな。

 どうやらカフェ店員も俺たちのことを覗き見ていたみたいだ。

 AB組が入店したことで店内の雰囲気が明らかに変貌したが、そんなことを気にもせずアリスは注文を受ける店員の前に立ち、メニュー表を見下ろす。



「…………フ、フラペチーノって?」

「おまえもはじめてなのかよッ!?」


「うるっさいわね、このバカ! 財閥令嬢であるこの私がフラフラと庶民的カフェに足繁く通うわけないでしょうが! そこまで言うんだったらアンタが先に注文しなさいよ!」

 ぷんすかと後退するアリス。

 かわりに前に立たされ、気まずそうな店員と目が合う。


 俺はひと呼吸置いた。


「それじゃあ、ですね。えっと……グランデノンファットミルクノンホイップチョコチップバニラクリームフラペチーノで」

「かしこまりましたー」


 唖然とするAB組一同。

 フフフ。なめるなよ、この俺を。


 高校生活を過ごすうえで必ずやどこかのタイミングでお洒落なカフェに入店する機会があるだろうと想定していたから、スマートかつクールに対処できるようにこの長い呪文を受験前に必死で覚えたんだ。おかげでこのザマだが、まさか役に立つとはな。やはり勉強は偉大だ。

 

 俺はこれでもかと言わんばかりにガッツポーズを見せる。


 そのなかでワナワナと拳を振るわせてこちらを睨むアリスが、俺を強く指さした。


「い、色気づいてんじゃないわよッ!」

「どういうキレ方だよ!?」

 つづけてアリスが店員を睨んだ。

「私にもそれをお願いッ!」

「か、かしこまりましたっ」

「じゃあオレもソレで!」と、新茶。

「はいっ」

「ぼ、僕も……!」と、エマ。

「か、かわいいっ」

「……俺はアイスコーヒーで」と、鬼ヶ島。

「ひいっ!?」

 AB組がすみませんね、店員さん。


 俺たちは、アイスコーヒーとグランデノンファットミルクノンホイップチョコチップバニラクリームフラペチーノをもって、テーブル席を囲った。


 アリスは訝しげにその手にもったグランデノンファットミルクノンホイップチョコチップバニラクリームフラペチーノを観察する。


「で、おいしいの? このグラ、グランデ、ノンステップ――」

「グランデノンファットミルクノンホイップチョコチップバニラクリームフラペチーノな」

「ええい、長ったらしい! そんな長ったらしい商品でおいしいのかしらねえ!?」

「だったら飲んでみなよ」

「ああ飲んでやるわよ! どうせ名前のインパクト頼りの飲料物でしょうけれど!」


 ――ちぅぅぅー。


「おいしいわね。コレ」

 完璧なノリツッコミ。


 つづけてエマと新茶もグランデノンファットミルクノンホイップチョコチップバニラクリームフラペチーノを喫茶する。

「うん、おいしいね!」


「おお、うまいぞ! この『クラウドファンディングヤサイマシマシニンニクマシマシアブラカラメオーガニックフラペチーノ』ってやつ!」


「よくその流れで最後にフラペチーノに着地できたな。途中まで出資者を募って二郎系ラーメン作って有機栽培にまで手を出していたのに」


「なんかちがったか? とにかくコレうまいぞ!」

「そうかい。そりゃよかった」


「………………フゥ」


 鬼ヶ島は静かにコーヒーの香りを堪能していた。


 なんかおまえだけ嗜みの次元が違うよな。もうコーヒーじゃなくて珈琲だよ。

 なにはともあれ、俺たちAB組はお洒落なカフェを満喫する。一時は騒がしかったけれど、ささやかながら幸せそうな表情をする彼らを見られて、素直にここに来てよかったと思えた。


 モダンな店内に、しっとりと、ゆったりと、流れる時間。

 コーヒーの香りを含んだ、落ち着きを覚える温かな空間。

 なんて素晴らしい世界なのか。


 俺は外界を見た。たくさんの人生が大通りで行き交うのを感慨深く眺めながら、そっとグランデノンファットミルクノンホイップチョコチップバニラクリームフラペチーノを口に運ぶ。


 そんな俺を見て、新茶が言った。

「一曲、弾こうか?」

「ああ。頼む」

 おもむろにノートパソコンを開いた新茶はキーボードにそっと手を添える。


 ――タンッ……。タンタタ、タンタタ、タタタタタタタタ、タンタタ、タンタタ、タタタタタタタタ、タンタタタンタタ、タタタタタタタタ、タンタタタンタタ、タタタタタタタタ、タンタタ、タンタタ、タタタタタタタタ、タンタタ、タンタタ、タタタタタタタタ、タンタタタンタタ、タタタタタタタタ、タンタタタンタタ、タタタタタタタタ、タンタタ、タンタタ、タタタタタタタタ、タンタタ、タンタタ、タタタタタタタタ、タンタタタンタタ、タタタタタタタタ、タンタタタンタタ、タタタタタタタタ、タンタッタッタッ、タンタッタッタッ――。


 テーブルの上で淡々と響くキーボード音。

 もはや『タン』の音しかなかったが、それでも新茶は往年のピアニストのように指先に魂を込め、表情をつけていった。聴いたことがある、この曲ははたしか……。


「パッヘルベルの……『カノン』、かな?」


 新茶は弾く手をゆっくりと止めて、小さく拍手する。


「そのとおりさ。親友」

「そうか…………いい旋律だったよ」

「サンクス」



 このときたしかに俺たち――いや、ボクらは親友だった。



 世界のすべての心を感じ、それらを受けとめるように目を閉じたボクは、残り半分となったグランデノンファットミルクノンホイップチョコチップバニラクリームフラペチーノを味わったのだ。



 実に優雅な空間の中に、聞き慣れた声が届く。

「あなたたち、生粋のバカね」


 …………ん? バカ?


「あっ、そうだった! おい新茶! なんでおまえがテーブル席で飲んでいるんだよ! ガラス張りの前のカウンター席で飲まなきゃ意味ないだろ!」

「あー! やべ! 全部飲んじゃった! かしこそうに見られたかったのに!」

 慌てる俺と新茶。


 アリスとエマは笑っていた。鬼ヶ島も、少しばかり。


 新茶は急いで新しい飲み物を注文しに行った。



「あの! 二郎系オーガニックフラペチーノでクラウドファンディングおねがいします!」


 もうグチャグチャじゃねえか、あいつ……。

 

 その後、無事にカウンター席で賢そうに座る写真が撮れた新茶だった。

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