第5話 道徳とあだ名 その1

 入学して三日目。

 残念ながら体調は回復してしまい、今日もAB組に足を運ぶ。

 教室に行くとまだだれも来ていなかったが、それはそれで入学式のことを思い出して心がヒヤリとする。


 俺は昨日と同じ席へ座った。昨日は席替えをしたが、くじ引きの結果、窓側から鬼ヶ島、左衛門次郎、俺、高峰、新茶、と、結局は席が変わらないというささやかな奇跡が起きた。


「ん?」


 黒板の隣の掲示板に目をやると、新しく時間割表が貼られていた。


 そうだ、今日から授業がはじまるんだ。

 梶原は「筆記用具だけでいい」と言っていたから本当に筆記用具しか用意してこなかったけど、そもそも教科書の購入を促すイベントもなかった。とはいえ、あくまでも俺の在籍している高校は、あの支援の手厚い聖学だ。そこらへんはすべて学校側が負担してくれると聞いている。たとえAB組でも、授業内容くらいはさぞかし立派なもののはずだ。……まあ、立派すぎてついていけなくなるのも困るが。


 俺は席をはなれ、時間割表の前に立った。

「さて。どんな感じなん――」




月曜日――『道徳、道徳、道徳、道徳、道徳、道徳』

火曜日――『道徳、道徳、道徳、道徳、道徳、道徳』

水曜日――『道徳、道徳、道徳、道徳、道路、道徳』

木曜日――『道徳、道徳、道徳、道徳、道徳、道徳』

金曜日――『道徳、道徳、道徳、道徳、道徳、道徳』



 …………筆記用具もいらなかったな。


 このときばかりは自分の目のほうを疑った。

 

 目頭を強くつまんで見直してみても、まごうことなき『道徳』が時間割表に二ダースと六個も詰め込まれていた。

 

 一週間まるごと道徳って……。

 まず、この時間割を考えた人間の道徳性を疑う。


 どれだけ俺たちの精神を矯正させたいんだ。AB組はアホとバカを集めたクラスなのは認めるが、犯罪歴のある生徒を集めたクラスじゃないんだぞ。鬼ヶ島は知らない。

 この狂気じみた時間割表に戦慄しているとクラスメイトがやってきた。


「……おはよう」

 鬼ヶ島だ。


 相変わらず威圧感たっぷりだが、それが彼の自然の姿だと認知したのでそこまで怖くはなくなった。だから彼の名前を呼ぶのも、この通り。


「鬼ヶ島さん、おはよう」

 さん付けだ。

 リスクヘッジは大切だからね。

「……そこで、何をしているんだ?」

「ああ、えっと時間割表があったから見ていたんだ」

「そうか……」

 そう言うと鬼ヶ島も時間割表を見るために前髪の隙間から眼光を光らせる。ひぃ。


「……これは、木町専用のようだな」

「いや、どっちかっていうと鬼ヶ島専用だろ」


 あっ。さん付けを忘れた。不敵な笑みを見せる鬼ヶ島。

「……その呼び方がいい」

 そう言って彼は自分の席に着いて眠りにつく。……次から、さん付けやめるか。

 あの時間割表を見ても冗談を言える鬼ヶ島の寛大さに素直に感服した。


 つづいて左衛門次郎がやってきた。

「あ、おはよう木町くん。鬼ヶ島くんもおはよう」

「おはよう左衛門次郎」


 相変わらず言いにくいな。左衛門次郎は。


 鬼ヶ島は軽く手を挙げ、それに左衛門次郎はニッコリと笑い、「うん……!」と呟いた。可愛い。可愛い。あっ、そうだ。


「左衛門次郎、見てくれ。時間割表が貼られているぞ」

「あっ本当だ!」


 可愛い。

 時間割表に目をむけた左衛門次郎がどんな反応を示すのか観察すると、驚いた様子で手を合わせた。


「すごい! 道徳でいっぱいだね!」

 天使ですよ。これはもう。


 薄々は気付いていたが左衛門次郎には、天然の気質がある。

 だからこんな狂気を見せられても本質を見抜くことよりも先に感性が出てしまう。

 だが、そこがいい。


「そうだな。道徳でいっぱいだな」

「ねえ木町くん、これ見て! ひとつだけ『道路』の文字が隠れているよ!」

「あっ、本当だ!?」

 気付かなかった……、俺は表面すらも見抜けていなかったのか……。


 左衛門次郎は鞄を机に置いて「お手洗い、お手洗い」と言って教室を出ていく。もちろん俺には理性があるのでついていかなかった。いや、ついていっても問題ないんだけどさ。なんかこう倫理的にね。


 そのすれ違いで教室に現れたのは、新茶。

「よっ! はやいな親友」

 今日も頭にアホ毛を生やして、そして学ランだ。おまえは本当にそれでいいのか?


 だがまずは訂正しなければならない。

「昨日も言ったが、俺はおまえの親友じゃないぞ」

「えっ、親友が気に入らないのか?」

「気に入らないとかじゃなくてだな」

「じゃあ親族でいいか?」

「家系図を気安く増設するな」


 新茶のアホっぷり、もとい常識の外から攻めてくる思考に俺の心は狼狽してしまうが表に出すのは癪なのでそこは耐えた。

「てかよー、なんでそこに立っているんだ?」

「これだよ」

 俺は顎を使って、時間割表を示した。

「そういうことかー」

「わかってくれたか」

「アゴをケイレンさせる遊びだな!」

「なんにもわかってねえな」


 逆になんだ。顎を痙攣させる遊びって。


「なつかしいぜー。オレもやろうかなー、アゴをケイレンさせる遊び」

「おい、顎を痙攣させる遊びなんてしていないぞ。そもそもなんだそれ」

「アゴをケイレンさせる遊びだぜー? 小学校のころに流行らなかったか?」

「流行るかよ。そんな親に心配されるような遊び」

「マジか……地域が違うからかなー?」

 多分、IQが違うからだと思うぞ。

 だが新茶の驚きぶりを見ると本当に顎を痙攣させる遊びが流行っていたのかも……いやそんなはずはないね。……一応、聞いておくか。


「どうせ流行ったって言ってもクラスの五、六人がやっていただけなんだろ?」

「え、オレしかやってないけど?」

「流行ってないじゃねえかッ!」


 聞いた俺がアホだった。

 出会ってまだ二日目だというのに新茶はどれだけ俺から『アホ』という単語を引き出すつもりなんだ。もうかれこれ四十回は言ったり思ったりしている。とんでもないペースだ。


「お? 時間割表があるじゃねーか! 親友もいっしょにみようぜ!」

「だから今、それを――」


 ……ちょっと待てよ。


 この時間割表を見た反応で新茶がどれくらいアホなのか見当がつくんじゃないか? なにせ道徳オンリーの時間割表だ。さすがの新茶もなにかしらの反応を示すに違いない。そこから新茶のアホ度を見定められるはず。


 新茶はいったいどんな反応をするのか。おそらく「な、なんじゃこりゃ!? 道徳のオンパレードだ!」と驚く。いや、それは新茶を見くびっている。もっとこうアホになれ。知能を下げて考えるんだ。………………………………だへぇらあ。



 いかん。知能を下げすぎた。でも、わかったぞ。


 新茶は「マジか!? 高校ってずっと六時間授業なのか!?」と驚く。


 ああこれだ。絶対にこれだ。道徳で埋め尽くされた時間割表になんら疑問をもたないところがいかにもアホっぽい。俺は答え合わせを求め、時間割表に顔を近づける新茶に注目した。

そして新茶の口が動く。




「マジか!? 《木曜日》って《水曜日》のあとだったのか!?」



 ……おいマジかよ。


 新茶は、俺の想像の斜め上の、さらにはるか上を飛び越えていった。

 彼は間違いなく生粋のアホだ。むしろ天才にすら思え……いや、やっぱりアホだ。

 世間一般であればこんなイカレた時間割表を見たとき『驚愕』するのが普通。たしかに新茶もこれを見て『驚愕』をした。ただ、その次元がはるか先を行っていた。

 

 曜日の順番を知らなかっただと? 今までか? 


 おまえは曜日の順番も知らないまま十数年も過ごしてきたというのか。いやいや気付けよ。アホでも。アホでもだ。もし木曜日に観たい番組があったときはどうしていたんだ? ……ああ、そうか。番組が違うことに気付かないのか。


「な、なあ新茶」

「んー、なんだ?」

「この時間割表を見て、ほかに思うことはないか?」

「思うことか? うーんそうだな…………体育が少ないよなー」

「……そうか」


 こいつ仏か? 寺が金を積んでスカウトするレベルの胆力の持ち主だぞ。


 この時間割表を見て『体育が少ない』という小学生並の感想で済ませる人間がこの世に何人いるだろうか。それに新茶は『少ない』という表現をしているが少ないどころの話じゃない。そもそも体育なんてひとつも無い。


 はっきり言おう。新茶はアホだ。


 だが、そのアホさを推し量ろうとする者もまたアホだということを思い知らされた。常人にはない底知れない深いアホを、彼は内包している。アホがうつるどころの話ではなくアホに飲み込まれてしまう。新茶をのぞく時、新茶もまたこちらをのぞいているのだ。そうだ、深くかかわるのはよそう。


 俺はふたたび時間割表に目をやった。

 新茶を目の当たりしたあとでは、こんな時間割表なんか――。



月曜日――『道徳、道徳、道徳、道徳、道徳、道徳』

火曜日――『道徳、道徳、道徳、道徳、道徳、道徳』

水曜日――『道徳、道徳、道徳、道徳、道路、道徳』

木曜日――『道徳、道徳、道徳、道徳、道徳、道徳』

金曜日――『道徳、道徳、道徳、道徳、道徳、道徳』



 いや、やっぱおかしいな。どう見てもおかしい。

 自己啓発させるセミナーのスケジュール表かなんかだな、これは。


「なあ親友、聞いてもいいか?」

「なんだ?」

 もう親友でもなんでもいい。訂正するのは無駄だと悟った。


 新茶は目の前の時間割表の『道徳』の文字を指さす。


「この字はなんて読むんだ? 『サンマ』か?」

 仮に月曜日から金曜日まで授業が『サンマ』だったとしよう。俺たちはもはや漁師だ。 

 俺は園児に接するかのように優しく教える。

「それはな『どうとく』と読むんだ」

「へー、これで『どうとく』なのか。また一つ勉強になったぜ。サンクス」

 それでも新茶は俺から目をはなさなかった。

「……まだなにか?」

「『どうとく』ってなんだ?」

「おまえにはまだ早いと思う」

 そんな気がした。



「ごきげんよう」


 高峰アリスの登場だ。


 初対面にして初胸倉してきたAB組で一番の危険人物。 

 すると高峰はすぐに時間割表に気付いた。


「えっ? 何よ、この時間割表……」


 ……意外だ。普通に驚くなんて。


 初対面であれだけ好き勝手やった人間だからてっきり鬼ヶ島のように薄い反応をするのかと思っていたが、一番常識的な反応をしている。

 

 そんな高峰に対して新茶がさも自慢げに話す。

「なんだタカミネアリス。こんな字もよめないのか。しかたねえ、オレが教えて――」

 ――ゴフッ!

「バカにしているの? 殴るわよ」

「お、ぐうぇ……」

 殴ってから言うなよ。


 腹部を小突かれた新茶はすぐさまグロッキーに顔をしかめる。おまえも悪いが同情する。

「し、親友……タッチだ……」

「は?」

 そう言って俺の肩を弱々しく叩いた新茶は自分の席に戻り「うぅ……」と呻きながら、なぜか顎を前後に出し入れして遊んでいた。もうあいつの言動すべてが理解できない。

 

 で、残されたのは……。

「何見てんのよ、コラ」

 少々不機嫌なお嬢様が一人。


 あいつ、俺に爆弾の処理を任せやがった……。

 高峰がキレたらなにをしでかすかわからないことは昨日の出会い頭に思い知らされた。それに昨日の自己紹介や席決めでもこのお嬢様は口を出すわ手も出すわで、たった一日でこの女がどういう人間なのか嫌でも理解した。


 だれの言葉か知らないが、『美しい薔薇には棘がある』とは、よく言ったものだ。

ただし高峰の場合は棘ではなく爆弾であり、そう考えると、かの有名なミロのヴィーナス像の両腕が欠けているのも頷ける。あれはきっと爆発したのだろう。ヴィーナスもさぞ素敵な性格だったに違いない。


 さておき、こういうときは当たり障りのない会話で切り抜けるのが吉だ。


「今日はいい天気だね」

「なに脈絡のない会話しているの。ぶっ殺すわよ」


 はい、『ぶっ殺す』いただきました。


 思い切りミスしちゃったね。というか、今ので逆効果なのかよ。

 高峰の堪忍袋がはち切れんばかりに膨らんでいるのが手に取るようにわかる。これでダメならどうしろと。そもそも頭のネジの外れたお嬢様の機嫌を直すなんて俺にできるのか。いや諦めるのは俺らしくない。もうおだてるくらいしか思いつかないが、できることがあるのならやるべきだ。

 

 俺は今にも胸倉を掴んできそうな剣幕の高峰を目視して褒められそうなところを瞬時に探した。容姿はもちろん褒められる対象だが、そんな手垢のつきすぎたところを褒めたとしても効果は期待できない。だったら逆に人が触れようとしないところを褒めるほかない。


 よし、ここは……。


「高峰ってさ……なんか、人との出会いを大切にしているよね」


 しているわけねえだろ、この女が! いくら思いつかないからって嘘はダメだろ!

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