僧侶と食人鬼
僧侶が最上階の部屋へと戻ると、そこには最低限の家具しか置かれていなかった。小さな机と、畳まれた布団。そして、壁にはびっしりと貼られた紙片が並んでいる。
その一枚一枚には、僧侶が成仏させた子供たちの名前が書かれていた。
僧侶は静かに部屋の中央に座り込み、今夜送り出した五人の名を新しい紙に書くと、壁の空いたスペースにそっと貼り付けた。
「……おめでとう。ようやく家に帰れたね」
呟くように言うと、短く息を吐き、天井を見上げる。
これで、九十五人。
そう考えると、自分がこの屋敷に来てからもう二十年近く経ったのかと、ふと感慨深くなる。
もっとも、自分の体は一切老いていないし、時間の感覚も曖昧だ。
この屋敷にいる限り、自分は死なないし、歳も取らない……それだけは、確かなことだった。
だが、何故なのかは未だにわからない。
……いや、本当はわかっているのかもしれない。
僧侶は壁の向こうに意識を向けた。屋敷のどこかを歩き回る重い足音が聞こえる。
骸骨男。食人鬼。…………自分の兄。
僧侶は、はっきりと思い出しているわけではない。だが、いつからか確信に変わっていた。
彼の声、癖、仕草。どれも、昔どこかで見た記憶がある。
(俺は……あの男を知っている)
手を開くと、指先にはうっすらと血が滲んでいた。
何度も殺され、何度も蘇る。もう痛みには慣れたはずなのに、まだこうして微かに傷が疼くのは何故だろうか。
「……眠れないな」
床に転がった布団を敷きながら、僧侶はぼんやりと考えた。
次の満月で最期だ。残りの子供たちは五人。
その五人を屋敷から出してあげれれば、犠牲者百人全員の成仏が完了する。
……僧侶は死なないだけで、食人鬼を倒せるほどの力は持っていない。もしも何度も戦い続ければ、いずれ完全に殺されてしまうかもしれない……そんな危機感も少しずつ感じていた。
それでも、自分がここにいる意味はひとつしかない。
……殺された子供たちを、ひとり残らず成仏させること。
全員を送り届けることができれば、僧侶はこの屋敷を出られるのかもしれない。
……だが、そのとき、食人鬼はどうなるのだろうか。
僧侶は、薄暗い天井を見つめたまま、静かに目を閉じた。
屋敷のどこかで、水滴が落ちる音がする。
ぽたっ……ぽたっ……
静寂の中に響く、不気味な滴の音。
長い廊下の先に、一つだけ灯りのついた部屋がある。
骸骨男――食人鬼は、その部屋の片隅で膝を抱えていた。
足元には乾いた血の跡がこびりつき、壁には無造作に刃物が突き立てられている。
「……」
骸骨の仮面の奥、暗い瞳がじっと己の手を見つめる。
血がこびりついた指。細い腕。
それは、とても餓えた獣のものには見えなかった。
骸骨男はふと、自分の口元に手を当てる。
舌の上に広がる、まだ生暖かい肉の味。
「……………」
唇がかすかに震えた。
「……もう、やめろってか ?」
誰に言うでもなく呟く。
骸骨の奥の表情は見えない。
だが、その声はどこか、自嘲するような響きを持っていた。
次の満月まで、二百七十五日。
20年間で100人食い殺した食人鬼。VS無限残機の僧侶。 里 惠 @kuroneko12
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