デート

第8話 東西山動物園その1

 きっかけは一学期の期末テストが終わってすぐの昼休みの司の何気ない一言だった。

「東西山動物園に行かない?」

「えー?そこはプールか海水浴場でしょう?」

 麗香が牛乳を飲みながらダメ出しをした。


「お父さんが取引先から東西山動物園の半額券を大量に貰ったのよ。近所の人や他の取引先にも配ったらしいわ」

「う~ん……動物園かぁ~微妙ね~」

「武田君を誘えばいいじゃない」

 麗香は危うく飲みかけの牛乳を吐き出すところだった。

「なんでそこであいつが出てくるの?」

「こないだ助けて貰ったんでしょ?プールや海水浴場よりは敷居が低いと思うけど?」

「まあそりゃそうだけど……」


「なになに、何の話?」

「……」

 声のした方を振り向いたらエミリアと、今年の春に転校して来た相馬美杏がいた。

 彼女らは同じ転校生同士、気が合う所があるらしく、その縁でエミリアはしばしば美杏に現代国語を教えてもらっている。

 因みにエミリアの現代国語の成績は、転校して来た当初は赤点ギリギリだったが、今ではテストで60点から70点をキープしている。


「実はねえ……」

 ……と言って司は東西山動物園の半額券を貰った話をした。

「まだあるの?あるなら私も欲しいわ」

「……私も……」

「じぁあ、みんなで行きましょう。そう言えば羽黒君て武田君と仲がいいでしょ、彼からも誘ってくれるよう頼んでくれない?」

「いいわよ」

 エミリアは気軽に請け負った。


「……ちょっと、勝手に話を進めないでよ」

「果断速攻が麗ちゃんの持ち味でしょ。恋に限って奥手はらしくないね?」

「いや、それとこれとは話が違うと……」

「一年生に剣道と恋は果断速攻が一番て言ってたじゃない」

「あれは物のたとえで……」

「そう言って逃げ出すの?」

「誰も逃げるなんて言ってないでしょ!」

「じゃあ、いつにする?」

「今度の日曜日」

 麗香は即答した。ほぼ売り言葉に買い言葉だった。

「じゃあ10時に東西山動物園の正門に集合ね」

 しまったああああ!

 後悔と自責の念で、麗香の頭の中では地獄の運動会がエンドレスで流れだした。


 近くで聞き耳を立てていた弘明は思った。

 司は榊にとってハリガネムシの様な存在だと。

「ヒロ君、聞こえたよね?聞き耳立ててたの知ってるんだから」

「ちょっと待て、俺も行くのか?」

「当たり前じゃない。一応私の彼氏でしょ?」

「一応って……大体俺の予定も聞かずにか?」

「だって部活も塾もバイトもないし他に予定も無いでしょ。ちゃんと知ってるんだから」

「ぐっ……」

 司は考え無しに見えて意外と下調べはしっかりやっている。

 こうなったら、もう逃げられない。


 彼は助けを求める様に大貫修一の方を見たが、修一は「リア充らしく爆発してこい」

 ……とニヤニヤしながら言うのみであった。

 俺はリア充じゃなく苦労人だと、つねづね思っている弘明にとっては、別な意味で爆発したい気分だった。

 久し振りにゆっくり休んで、まったり過ごそうと決めていた弘明の頭の中では地獄の運動会がエンドレスで流れだした。



 そして日曜日、雨も槍も降らず、怪獣もUFOも攻めてこず、地球も滅亡しなかった。勿論司の部屋から見えるように、これ見よがしに掲げたフレフレ坊主の効果もなかった。

 弘明は青空を恨めし気に見つめながら身支度を整えた。

 

 8時に迎えに来た、おめかしした司を見た弘明は多少機嫌を直した。

 まあ、可愛いからいいか……と思いかけた時……ぱんっと頬を叩かれた。

「これ見よがしに掲げたフレフレ坊主のお礼よ」

 ……と、司はわざとらしく手をパンパンと叩きながら言った。

 

 東西山動物園は地下鉄星が丘駅から地下鉄東西山動物園前の中間で国道を挟んで反対側にあり、正門はその先の地下鉄東西山動物園前のすぐそこにある。

 集まったのは女子が榊麗香、神谷司、エミリア、相馬美杏。男子が武田武光、曾根弘明、羽黒剛司、そして男子クラス委員長の古田正信。


 正信は美杏が連れて来た。これは当人達を除く全員から驚きを持って迎えられた。

 学校ではそんなそぶりを、ついぞ見せなかった事もそうだが、邦栄高校の綾波レイと男子から言われている美杏が普通に笑顔を見せているのを見たのは、この場にいる全員が初めてだった。

 正信はやや居心地が悪そうに控えめに挨拶した。


 みんなが揃ったところで司が……

「私の普段の行いがいいから、雲一つない晴天に恵まれました。大変いい事です」

 ……と悪びれもなく宣言した。

 弘明は空を見上げて幾つかの雲を発見したが、とても太陽を隠す程ではないし、ここまで来たら抵抗しても徒労に終わるだけなのでやめた。


 入ってすぐの所にグッズコーナーがあり、女子連中は早速見に行った。

 男子連中は彼女等を待っている間、正信を質問攻めにした。

 いつから付き合っているのか?

 一体どういう切っ掛けがあったのか?

 学校ではそんなそぶりを見せなかったじゃないか。

 等々……

 正信は今更隠しても意味がないと観念したのか、話し始めた。



 事の起こりは四月の末、当時から評判になっていた美杏が、たまたま調子を崩して休んだ時に、重要事項を書いたプリントが配られた。

 本来なら女子クラス委員の北条恭子か、近くに住んでいる榊麗香が持って行くところだが、二人は部活(面倒臭かった)を理由に、同じく近くに住んでいる男子クラス委員の正信に押し付けてしまった。


 正信はぶつくさ文句を言いながら彼女の住むマンションに行った。

 オートロックだったので、インターホンでプリントを彼女の家の郵便受けに入れたことを伝えて、さっさと帰るつもりだったが、たまたま気分が良くなって近くのコンビニエンスストアに行っていた美杏と鉢合わせした事が切掛けで彼にとっての、その日のプチ地獄が始まった。


「ねえ、お茶飲んでかない?」

 ……と美杏はやや照れ気味にいった。

 この言葉がプチ地獄への案内状と知らず、まあ美人のお誘いだからと軽く考えたのが彼にとってのプチ不幸だった。

 彼女の家の一室に通された正信は、びっくりした。

 お茶菓子が出る程度と思ってたら、本格的な茶の湯の部屋に通されたからだ。

「うちは織部流っていう書院式の武家茶道なのよ」

 ……と美杏は控えめながら、自慢気に言って上座を進めた。

「はあ……」

 はっきり言って何を言っているのか全然わからなったが、とにかくも彼女なりに気を使っているのは(いろいろな意味で)痛いほどわかったので、その辺は黙っていた。

 とりあえず美杏の勧めに従って正座で座って、一旦部屋の外に出た美杏を20分程待っていた。


……これは、ひょっとしたらひょっとするかも……と邪な期待をしたり、そんなエロゲみたいな展開はないと思いなおしたり、メイド喫茶みたいな有り得ない事を期待したりと考えながら20分程を待っていた。

 

 やがて姿を見せた美杏は、わざわざ学校のブレザーに身を包み、恐らくは作法に従って菓子を勧め、盆と鉄瓶を使った簡略的な点茶を入れ、正信に勧めた。

 正信は茶の湯の作法など全く知らなかったが、兎に角も一息で飲み干さないで彼なりに味わって飲んだ。少し苦かった。

 取り敢えず「ごちそうさまでした」といって頭を下げ、美杏も「お粗末でございました」と返して頭を下げた。

多分俺に合わせてるんだろうなと思ったが、口には出さなかった。

 

 ここまで約一時間。

 普段滅多に正座をしないので痺れてしまって中々立てなくなっていた。こうして彼にとってのプチ地獄が終わり、それから場所をリビングルームに移し、雑談をした。


 今度はコーヒーが出た。

 美杏も武光と同じ転校生で、以前は東京の名門の私立の小中高一貫校に通っていたが、親の転勤で邦栄市に越してきた。

 それが四月の始業式の前で、武光と同じ時期である。


 両親が茶の湯友達で知り合った事、母親が中学校の頃に交通事故で死んでしまった事や、それ以来、父親が以前にも増して仕事に没頭していつも帰りがいつも遅い事、前の女子高では茶道部に入っていた事を聞いた。

 正信は学校では寡黙な印象しかない美杏がここまでお喋りだったとはと、やや驚いたが、或いはこちらが本来の姿で、母親の死と転校が彼女を変えてしまったのだろうと推測した。


 次の日、彼は吹奏楽部の北条恭子が茶道部部長の3年の山名千秋と同じ中学校で、親しくしているのを、何かの折に聞いたことがあるのを思い出して、恭子に山名千秋と美杏との仲立ちを頼んだ。

 千秋も部員不足で悩んでいる所に、恭子から他校出身の茶道経験者がいると聞いて会ってみたいと言ってきた。


 結果的にこれは、双方にとって幸運な出会いとなった。

 美杏は学校では基本的に寡黙で、取っつきにくい所はあったが、自己主張すべき所はしっかりそれをしたし、協調性もあった。

 千秋もそんな美杏を気に入って茶道部に迎えた。


 そんな事があってから、美杏は恭子のグループに入り、正信と交際するようになった。

 表沙汰にしなかったのは、周りからの、からかいから正信自身と美杏と守るためと、彼が見たところ、彼女が情緒不安定気味だったからで、それは交際するようになってから分かった事だった。


 付き合い出した当初は、いきなり訳もなく泣き出したり、癇癪を起こしたり、酷いときには引っかいたり、挙句の果てには肉体関係を求めたりした。

 しかし、いずれも一瞬のことだったので、正信は美杏が彼女なりに抑えようとしてるのは分かった。


 彼も律義な所があって、美杏が心の中にタイマー無しの、とんでもない時限爆弾を抱えているのを承知で、交際を続けた。

 その甲斐あってか、一学期が終わるこの頃には彼女は大分落ち着いた。


 学校で邦栄高校の綾波レイと呼ばれる程無表情だったのは、そんな事情があった。

 だから正信も学校では美杏との接触は必要最小限に抑え、その一方で恭子と千秋には彼が知る限りの事情を話して協力を求めた。

 

「……と、そういうわけなんだ」

 実際には、かなり端折ったが、要点だけを強調して出来るだけ解かりやすく話したので、皆も納得した。

「彼女も苦労してたんだな……」

「多分、俺達の想像以上にな。クラスメイトに隠れて俺と合うのが一番の楽しみだと言っていたし、その時は意外とさっきみたいに、いい顔で笑うんだぜ」

 

 のろけ話に移行した正信の話を適当に聞いていた一同だったが、次の問いかけに剛司と武光はいささかギクッとした。

「そう言えば羽黒と武田って割と仲がいいじゃないか。どうゆう切っ掛けがあったんだ?」

 正信にそう聞かれて彼等は困ったように顔を見合わせた。

 そこへグッズコーナーに行っていた女子連中が戻ってきたので、自然と話は立ち消えとなった。


 彼女達は東西山動物園の見取り図を人数分貰ってきていた。

「遠足じゃないから、ここで自由行動にしましょう。3時に東西山スカイタワーの1階の無料休憩所に集合ってことでいいかな?」

「異議なし」

 弘明が気の抜けた声で賛意を示した。

 ここまでお膳立てが出来てるなら敢えて逆らう理由もないし、元々は榊麗香と武田武光の為にセッティングしたような物だから、後は野となれ山となれと彼自身は思っていた。


 少なくとも女子連中は、麗香以外は無言の連携が出来ていたようで、早々にそれぞれの彼氏と共に目的の地に去って行った。

 神谷司と曾根弘明はコアラを見に行き、エミリアと羽黒剛司は自然動物館に、相馬美杏と古田正信は植物園にそれぞれ向かい、正門前には手持ち無沙汰な榊麗香と武田武光が残された。


「……取り敢えず園内を見て回るか……」

「そうね……」

 そのまま会話が進まず、しばらく無言で歩き続けた。

 互いを意識はしていたが、お互いに共通の話題が無いに等しかったので、会話の切り口が見いだせなかったのだ。

「ねぇ……」

「なんだ?」

「……あの時さ、宮沢賢治の注文の多い料理店の話をしたじゃない」

 麗香は彼との唯一の接点とも言える、あの日の話から入る事にした。

「その時に私の事、山猫みたいな女って言ったじゃない」

「ああ……」

 ひょっとして怒ってるのかな?……と武光は思った。

「非公式だけど私の二つ名にする事にしたの」

「へ?」

「人呼んで山猫の麗香!」

「……」

「何よ、その薄い反応は。あなたが名付け親みたいなもんでしょ、もっと喜びなさいよ」

「それじゃ、これからそう呼べばいいのか?」

「……いや、普通に麗香でいいわよ」

「取り敢えず東西山スカイタワーに行かないか?眺めもいいらしいし」

「そうね」

 麗香は何となくデートらしい事をしてるなと思った……というか普通にデートコースをなぞっているのだが、当の本人達にデートをしているという意識が全くといって無いので、やや硬い印象があるのは仕方なかった。



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