第2話 麗香の過去


 麗香は神社の社務所と自宅の中間にある小さな空き地で木刀を振っていた。

 木刀と言ってもユスという堅い木の棒で作られた、丸太ん棒の様な大雑把な代物で、本物の刀と同じ重さがある。


 それで立木(たちき)を打っているのだが、その立木も打ちすぎで、かなり削られている。

 平日は学校から帰ってきたら30分、日曜日は朝に1時間やるのが彼女の小学校4年生からの日課となっていた。しかも中学校からは部活動の後だ。


 神社の氏子の一人で、鹿児島で示現流を習ったと言う人から教わった稽古のやり方をそのままやっていた。

 ここまでやるのは、前述の小学生時代の上級生からのいわれなきいじめが大きな原因だった。一度など、どこでこんなに沢山集めて来たのだろうというゴキブリの大群を頭から被せられた事さえあった。


 当然その上級生達は、先生に呼び出しを喰らって叩かれた挙句、卒業まで学校中の便所掃除をさせられた。当初、その上級生達の親や自称反戦平和市民団体が抗議に来たが、事の顛末を聞いて矛を収めざるを得なかった。


 彼等の半数以上が曲がりなりにも女性であり、流石に親といえども上級生達に味方する事は出来なかったからである。

それ以来、麗香は大のゴキブリ嫌いになった。


「ふぅ~……」

 麗香はいつもの日課の素振りを終えて、縁側に腰を下ろした。

 こうして縁側に腰を下ろし、たまに空を見上げて薄明(はくめい)を見る度に、何故自分は男に生まれなかったのかと思う事がしばしばある。


 そうすれば、これまでの悩みの半分以上は気にしないですんだだろうし、小学生の時、自分をいじめた上級生達と、思う存分喧嘩して負かす事も出来たかもしれない。

 そう思うと居ても立っても居られない気分になる。


しかし、現実は残酷である。


 流行りのラノベみたいに異世界転生したり、男の体に乗り移ったりは出来ないのだ。第一乗り移ったのが、ハゲでデブのおっさんだったら目も当てられない。

 ならば今自分が持っているこの体を鍛えるしかない。

 いつもこの考えに落ち着く。


 だから鍛える。


 少なくとも木刀で立木を打っている間は無心でいられる。

 一日事に強く成っていく自分を感じることができる。

 たまに立木に自分にゴキブリの大群を頭から被せた上級生達の顔を被せた。

 そういう時は彼女にペリーが来航した時だった。

 この時程、自分が女である事を呪わずにはいられない。

 ジンジンと痛む苦痛と生理用品の煩わしさが拍車を駈ける。

 だから今最も恨んでる人の顔を浮かべて立木を打つ。


 暫しそうした考え事にふけって何気に気分を悪くした麗香を現実に戻す呼び声が響いた。

「麗香~晩御飯ができたわよ~今日はカレーライスよ~」

「は~い」

 彼女の機嫌は一瞬で直った。



 武田武光は2年D組の中ではいわくつきの人物として周囲から一目も二目もおかれている。

 春に転入してきた転校生で、182センチの長身、彫りの深い端正な顔、無造作に伸ばした髪、ブレザーの制服の下からでもはっきりと判別できる逞しい筋肉、無愛想で無口なためか、やたらと威圧感がある。


 しかも一年留年している。


 理由は不明(誰も面と向かって聞こうとしなかったし、織田もあえて語ろうとしなかった)だが、他校の不良グループと独りで戦って、これを壊滅させたという物騒な憶測が飛び交っていて、周囲からは榊麗香と付き合ってると思われている。


 周囲が麗香と武光が付き合っていると目している理由は、いつも脱靴場まで2人で歩いているからで、彼女以外に彼と話しているのが羽黒剛司ぐらいしかいなかったからである。


 麗香にしてみれば、多少のおせっかいと、たまたま脱靴場に行く時間が重なっただけで、付き合いたいとまでは思っていなかったし、話す内容もたんなる世間話で、脱靴場に行くまでなので、大した事は無い内容だった。

 

 その一方で彼女から見たら武光の肉体は、自分が男だったら、こうなりたいと思っている体の完成品に近い物だった。

 一目惚れと言っても良かったが、武光自身に惚れたと言うより、彼の体付きに惚れたと言っていいだろう。


 その様は、駆け出しの彫刻家がミケランジェロの彫刻を見て、自分もこんな彫刻を作りたいと熱望するのに近い感情だったかもしれない。


 しかし、彼女は彫刻家でも男でもなかった。


 酷な言い方をすれば、無い物ねだりをしていたと言える。

 しかし、なまじ恋愛感情とは無縁だったために、自然体で接する事が出来たと言っていいだろう、少なくとも今までは……



 羽黒剛司は父親が地元の大手暴力団・郷山会の組長と言う事もあり、彼のバックを頼りに擦り寄ってくる連中も多いが、剛司自身はそんな連中を徹底的に無視したし、何よりも彼自身がその手の武勇伝を作る気がなく、「猿山の大将には興味がない」……と言って校内の不良グループ同士の争いには我関せずの態度を取っていた。


 彼自身はデスマスクのような無表情と、花崗岩に人間の皮膚を貼り付けたような顔でお世辞にも美男子と呼べる顔ではなく、顔付きだけはヤクザと間違われてもおかしくなかったが、中身は年相応の少年だった。


 しかし平和主義者かというとそうではなく、自分や友達に手を出したものには容赦のない反撃を加えた。


 同じクラスの池田聡とは小学校からの付き合いで、趣味友達でもあった。


 それを知らなかった4人組と呼ばれていた不良グループが、聡を自分たちの使いっぱしり兼オモチャにしようとして、彼を剛司がいない時に学校の裏庭に呼び寄せて、この学校のしきたり(当然そんな物はない)だと言って彼を4人がかりでボコボコにした。


 たまたまその光景を見た別のクラスで、剛司や聡と同じ中学校出身の女子が剛司に伝えたため、彼はその4人の所へいった。


 事情を知らない4人組は、そのことを自慢げに話し、あまつさえ、これを(彼等専用の)学校のしきたりにするために彼等のリーダーになってくれと頼んだ。


 彼等の目的は剛司のバックに付いている(と彼等が勝手にそう思ってる)暴力団の威を借って、暴力でスクールカーストのトップ=猿山の大将になる事だった。


 聡をボコボコにして、あまつさえ自分達の力ではなく、他人の力頼りでいい思いをしようという、その腐った根性は剛司の最も嫌悪する物だったし、それを自覚していない4人組の鈍感さが何よりも気に食わなかった。


 剛司は無言で話を聞き終えた後、大激怒して彼等全員を再起不能の一歩手前まで追い込む程の殴る蹴るの暴行を加え、彼自身も1ヶ月間の停学処分になった。


 退学処分にならなかったのは彼の父親がねじ込んできた訳ではなく、当時1年D組だったクラスメイトが一人の例外無く彼を庇い、それに勇気づけられた他のクラスの被害者も口々に4人組の悪事を告発したからである。


 皆が4人組に大なり小なり被害を受けていたし、彼等は話し合いに一切応じなかった事もあって、彼らを庇う者はだれ一人としていなかった。


 学校側も生徒指導部が中心となってかなり大規模な調査を行い、その結果彼等の大小の悪事が全部明るみに出て(中には表沙汰にできない物が数件あった)、4人組は入学してから3ヶ月も立たないうちに、因果応報を地で行って学校から追い出された。


 因みに彼のいる2年D組は陰で羽黒組と呼ばれている。


 羽黒組とは2年D組の別称で、羽黒がクラスをまとめているわけではないが、去年彼と同じクラスだった4人組が、彼の逆鱗に触れて最終的に退学処分に追い込まれて以来、誰も2年D組の生徒にちょっかいを出さなかったからだ。



 彼女は良くも悪くも変り者ぞろいの2年D組でも、群を抜いた存在だろう。

 名前はエミリア・クラウディア・土方。

両親が両方ともイタリア人とのハーフで父親は地元の大学でイタリア語を教えている。

 彼女も1年生の時に県外から来た転校生で4人組が退学処分になった穴を埋めるように1年D組にきた。

 

 その一方で写真部から頻繫にモデルを頼まれたりしている関係で写真部員でもある。後、ゴキブリも他の女子みたいに怖がらなかった。


 逆に前述の通り、麗香はゴキブリは超が付くほど嫌いで、授業中に教室にゴキブリが出た時は、麗香が彼女に似合わない悲鳴を上げて、ちょっとした騒ぎになった。

 そのゴキブリを素手で掴み、窓から放り投げたのがエミリアだった。

彼女はその後、顔色一つ変えず、先生に「手を洗ってきます」……と言って洗面所に行った。

 それ以来、男女問わずエミリアに一目置くようになった。

 

 羽黒剛司や池田聡とは、彼女が見ているドラマやアニメ、やるゲームがほぼ同じということが分かってから、一緒にいることが多くなった。

 その時にエミリアは聡から剛司とは幼馴染な事や、彼の家が地元の暴力団の組長でその話をしたら不機嫌に黙ってしまう事を聞いた。


 彼女は1年生の頃に剛司を誘って夏場に東西山動物園に行ったことがあった。途中で休憩のためにアイスを買い、適当な日影を探して並んで座った。 

その時に剛司は自分の家の事を自ら進んで彼女に話した。


「池田から聞いていると思うが、俺の家はヤクザなんだ」

「うん、聞いてるよ。でも剛司君自身はヤクザじゃないし、クラスのみんなからは嫌われてないじゃない。それにみんなから聞いたよ、停学処分になった原因。完全に4人組とやらのジュギョウホウカイじゃない」

 エミリアは時々日本語がおかしくなる。


「ジゴウジトク(自業自得)だろ?それに付いては後悔はしていないんだ。だけどやられたのが聡じゃなくて、他の奴で4人組があんな提案をしなかったら、あの連中は今でも学校で好き放題に暴れてただろうと思ったり、実のところ4人組をボコボコにした時は何とも言えない快感に襲われて、これが自分の本性じゃないかと考えたり……」

 そこまで言って黙り込んでしまった。


 エミリアは少し考えて言った。

「剛司君ってヤクザには向いてないね。半年以上前の事をまだ引きずっているんだから」

 剛司は思いがけない言葉に彼女の方を向いた。

「別に馬鹿にしてる訳じゃないのよ。ヤクザ思考ができない人だと言ってるの」

 エミリアはいたずらっぽく笑いながら言った。


「私の母方の祖父がイタリアンマフィアの顔役でさ、今は母とはケンドウ同然の中だけど、私には時々手紙をくれるんだよ」

 剛司はそれを言うならカンドウ(勘当)だろう。……と言いかけたが、話の腰を折る事になると思って黙っていた。


「それでね、手紙にはマフィアもヤクザも社会の裏側でしか生きられないし、いつも命懸けだし、そうゆう物に憧れてはいけないし、関わったらいけないって書いてあったの。イタリア語で書いてあるから、いつもイタリア語の辞書を引きながら読むから時間がかかるけどね」

 こいつ、さらっと凄いこと言ってるな……

「だから剛司君がそうじゃなくて良かったと思ってるよ」


「……そういえば祖父にはイタリア語で手紙を出してるのか?」

 彼は照れ隠しついでに聞いてみた。

「ううん、まだイタリア語に自身が無いから日本語で出してる。祖父も日本語の勉強になるからそれでいいって言ってるし。……あっ!祖父のいるファミリーが日本進出とか考えてる訳じゃないよ。手紙にもそう書いてあったし」


 剛司の父親がヤクザと云う事を、うっかり失念していたのだろう。慌てて取り繕った。

「心配しなくても、そんなこと思っちゃいねーよ」……と、わざとおどけて野卑な言葉で言った。

どちらともなく自然に笑みがこぼれた。


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