第4話 美しき次期公爵様

 迎えの馬車で公爵邸に到着した昨日、割り当てられた部屋の掃除をして早々に眠りについた私はかなり早起きをした。


 いよいよ今日から公爵家での勤務が始まるんだ。

 胸が高鳴った私は気合いを入れて意気揚々と部屋を出る。


 今日は厨房のお仕事から開始だって聞いたから、張り切って厨房へと向かっているのだ。



 ――――でも、一向に目的地に着かない。



 厨房は確かこっちだったような。

 しかし、それらしき場所は見えてこない。


 ど、どうしよう!迷った……!!


 昨日、あんなに丁寧な説明を受けたというのに……。

 この家広すぎだよ〜!!


 焦ってぐるぐる回っていると、中庭に出てしまった。


 な、なぜなの…………。


 家の中で迷うという初めての体験に落ち込んでいると、静かな朝の庭園風景からかすかにびゅっ、びゅっという風を切り取るような音が聞こえて来る。


 なんの音だろう?


 そーっと音のする方へ近づいてみると、少し離れた木々で囲まれた場所に金髪の背の高い美しい青年が立っているのが見えた。


 どうやら剣の稽古をしているようだ。


 わあ、なんて素敵なお方…………!


 そこにいた金髪の青年は美しくてとても気品があった。

 真剣な眼差しで稽古をしているその様子からは、不思議な色香さえも感じられる。


 あっ、このお方こそもしかして、ラバドゥーン公爵家の公子様では。

 きっと次期公爵のミハイル様だ。


 確か年齢は22歳、小さな頃から剣の達人と言われていたはず。

 こんな風に毎朝訓練なさっているのね。

 こんなに素敵なお方だったなんて!


 私はミハイル様の想像以上の美青年ぶりに一人で感激してしまう。


 も、もっと近くで見たいな……。


「ちょっと? 貴女そこで何してるの?」


 突然、後ろから呼び止められて私はビクッと驚き振り返った。

 見るとメイド服を着た同じ年頃の女性が立っている。


「あ、す、すみません、お屋敷に慣れていなくて迷ってしまいました」


 そのメイドさんは呆れたように溜め息をついて言う。


「ダメじゃないの仕事もしないで、こんなところをウロウロしては」

「す、すみません。あの、厨房はどちらでしょうか?」


 私はしどろもどろになりながら、そのメイドさんに道を聞いて厨房までなんとかたどり着いた。


 はあ、偶然とはいえ、ミハイル様を覗き見していたことを怒られなくて良かった。

 今度から気をつけよう。


 しかし……本当に格好よかったなあ。

 眼福ってこういうことを言うのね。

 ああ、ここに来て良かった。私の願いもきっと叶うはず。


 いや、もうすでに叶っているもの!うん、うん。


 一人で力強く頷きながら、私は厨房の扉を開けた。

 厨房に入ると、コック服の料理人やメイドたちが忙しそうに働いて活気が溢れている。


 辺りをキョロキョロ見回していると人影が近づいてきた。


「あらあら、可愛いお嬢さんね」

 そう言いながら私を見つめているのは、コック服を着た優しそうな年配の女性だ。


「今日からお手伝いしてくれるアリシアさんね。聞いてるわ。私は料理長のアンヌよ、よろしくね」

「はい! よろしくお願いします」


 ペコリと頭を下げる私に、アンヌさんは他のメイドたちへ私を紹介したり、仕事や厨房について優しく一通りの説明をしてくれた。


「早速なんだけど、皮剥きはできるかい?」


 見ると山のように積まれたジャガイモがある。これをやればいいのね。

 こんなのお安い御用よ!


「はい! 任せてください!」

「あら頼もしいわね、お願いね」


 アンヌさんは優しい笑顔でそう言って、料理に戻る。


 みんな優しそうな人ばかりで良かった。

 私は思わず笑顔になって、腕をまくり山のようなジャガイモを前に気合を入れる。


 よーし頑張るぞ!!


 そうして、ひたすらジャガイモと向き合っている私の耳に、メイドたちの会話が入ってきた。


「あともう少ししたら、公爵様の誕生日パーティーよね」

「ああ、そうだったわね〜」

「今年も公子様はおひとりなのかしら」


 ん? ミハイル様のお話?

 私はひっそりと耳を傾ける。


「なんでパートナーをお決めにならないのかしら?」

「さあ? あれだけ人嫌い女性嫌いじゃあ、見つかるものも見つからないわよね」

「もう心に決めた人でもいらっしゃったりして」

「いやー、あの様子じゃそれはないでしょ」


 ふむふむ、ミハイル様は随分と人嫌いのようね。あれだけの美しさを持っているのになんだか意外。


 でも婚約者候補すらいないらしいという点は安心してときめいていられるってものね。

 私はそう思い、気合いを入れてひたすらジャガイモの皮剥きに専念した。


 初日の仕事を終えてから、その後も洗濯、屋敷内の清掃と、あらゆる場所を日替わりで担当していった。



 新人メイドはまず、そうして仕事を覚えていくのがこのお屋敷のやり方なのだとか。


 それらにしっかりと慣れてから、食事やお茶、着替えなど公爵家の人々の傍でお仕えする業務につくらしい。


 私の場合、仕事はよくできる方だと判断されたらしく、超がつくほどの貧乏子爵家ではあるけれど身分の保証もあってか、早速お食事やお茶の係を務めることになった。



 これまで我が家で鍛えてきた成果が出せて良かった!

 なにより話に聞いていた通り、余程人手が足りていなかったようだ。


 その日はミハイル様へ午後のお茶を執務室まで運ぶ役目を仰せつかった。


 わっ!こんなに早くそんなお仕事が回ってくるなんて。

 ラッキー!


 という気持ちはおくびにも出さず、淑やかに務めよう。


 お茶のセットを持って執務室の前に着き、ノックをするとすぐに返事が来た。


「何だ?」


 美しい低音の中に厳しい響きのする声が返ってくる。

 うっ、ちょっと怖い。


「お茶をお持ちいたしました」

「……入れ」


 私はそっと扉を開けて静かに入室した。

 説明を受けていた通り、端に設置されているテーブルでお茶を注ぎミハイル様の机に置くだけ。


 うんうん、これくらいなんてことない。


 順調に仕事が済むことに安心して、私は辺りを見回す余裕ができた。

 大きな本棚に囲まれたこの執務室は、紙とインクの匂いが漂っていてとても落ち着く。


 私はふと、過去2度目の人生で公爵家の女当主になった時の記憶を思い出した。


 あの時も、こんな立派な執務室で過ごした記憶がある。

 まだ若くして公爵家を継ぐことになってしまって、必死に業務をこなしていたあの日々。


 懐かしいなあ。


 そんなことを思い出して、私は一瞬気が抜けてしまったのだと思う。

 ミハイル様の机へ、お茶を静かにそっと置いたその瞬間。


 ちゃぷん――――。


 カップの中の紅茶が小さな波を立てて少し跳ねた。

 よりによって、まさに今ミハイル様が羽ペンで文字を綴っている書類へ。


 ……………………。


 ひ…………ひいいいいいいい!!!!!!!

 やばい……!やってしまった!!!!


 私は咄嗟にデュバン伯爵令嬢の言葉を思い出す。

 『ほんの些細なミスでも冷酷な主人たちから鞭打ちの罰を与えられるんですって』


「も、申し訳ありません!!」

 私はそう叫びながら頭を下げて、思わず目を閉じた。


 む、鞭打ちだ!

 どうかあまり痛くありませんように――――!



 ……………………。



 あ、あれ?打たれない。


 いつまで経っても何事も起こらないことを不思議に思い、おそるおそる顔を上げてみると、ミハイル様は不機嫌な様子をしているだけで、何もしない。


 あ、あれ、叩かないのかな……?

 ホッとして、噂とは違う反応を少し意外に思う。


「そうやって近づいて来る女は何人もいたが私は決して興味などない」


 えっ。


「わざと気を引こうとしたのだろう?」

 ミハイル様はその美しい顔に、冷たい表情を浮かべて私を見ている。


「と、とんでもございません」

 違う、違う。近づこうとはしてませんて。こっそり見ようとはしてるけど。


「……とにかく、この私には何をしても通用しない」


 言い方は冷たくて怖いけど……、聞いていたほどの冷酷さはないみたい。

 私は鞭打ちにならなかったことに安堵して思わず元気に返事をしてしまった。


「はい! もちろん承知しております!!」

「…………」

 ミハイル様は異様なものでも見るような視線で私を一瞬見た後、黙ってしまった。


 ふむ、こんなお顔をしていても、ミハイル様はドキドキするほど美しいわ。

 それに、こんなにときめいて目が合ったというのに、前世とは違って何も起こらない!


 ああ、やっぱりこの見た目、地位、平凡さをリクエストしておいてよかった!

 思いっきり、ときめきを堪能させていただきます!

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