春風に包まれて

ほしのしずく

第1話 生まれ変わっても、また家族に

 私は春野さくら15歳。


 この名前は、私が桜が舞う日に生まれたから、お父さんとお母さんがそう名付けたもので。


 とても気に入っている名前だ。


 他にも小説や漫画、そしてアニメなどが好きで。

 いつも優しいお父さんとお母さんも、もちろん大好き。


 たぶん、どこにでもいる女の子だと思う。


 少し変わった点があるとしたら、重い心臓病を患っているということかな。


 医師が言うには15歳まで生きられたらよくもった方らしい。


 つまり、よくもった方ということ。


 今、願うことはお父さんとお母さんと普通の生活をしてみたいだけ。


 けれど、それもどうやら叶わない。


「大丈夫……大丈夫よ。よく頑張りました。貴女は自慢の子供です。生まれてくれてありがとうね……さくら」


 ベッドの上で横たわる私の隣で母が泣いている。


 体を起こさないと。


 涙を拭ってあげないと。


「ああ……」


 声にならない声が微かに漏れ出る。


 もう、声すら自由に出すことができない。


「大丈夫」と一言だけ。


 ただ、一言……声を掛けたいだけなのに。


 どうしようもない現実に自然と涙が溢れて頬を伝う。


 だが、それを拭うこともできず、涙が枕の部分まで伝っていって。


 そのせいで枕が濡れてしまい冷たくなっていく。


 でも、それを伝える手立てもない。


 無力だ。


 もし神様がいるなら、私の最後のお願いを叶えて欲しい。


 空なんて飛べなくたって、魔法なんて使えなくたっていい。


 自分の涙を拭えなくてもいい。


 この瞬間だけでいいから、私にお母さんを抱き締めるだけの力を下さいと。


 そうやって願いながら、ベッドから起き上がる為、再度力を振り絞る。


 けれど、その願いは神様はおろか、自分の体も応えてくれない。


「さくら……父さんが起こしてやろう」


 お母さんの隣に立っていたお父さんが体を起こしてくれた。


 いつもは仏頂面で怖い雰囲気なのに、お父さんは笑うとクシャっとなって皆を安心させる笑顔を見せる人で。


 その大きな腕で何度も体の弱い私を優しく抱き締めてくれた。


 今だって眉毛をへの字にさせながら、笑顔を向けて優しく抱き締めて。


「よしよし……」


 お父さんがゴツゴツした手で私の頭を撫でた。


 清涼感のある整髪料と柔軟剤が混じった懐かしい香りが包む。


 こうやって顔を埋めると小さい頃の思い出が蘇る。


 小さい頃はよく飛びついた。


 そして、きまって「お父さんのお嫁さんになるとか」言っていた。


 でも、もう口にすることも叶わない。


 それでも――。


 力を振り絞り、お父さんに体重をかけた。


 お父さんは涙を必死に堪えながら口を開いて。

 

「何だか……小さい頃に戻ったみたいだな……グスッ……母さん、手を握ってやってくれ」


 優しく頭を撫でる。


 ごめんね、お父さん。泣かせてしまって。


 これは、都合のいい解釈かも知れない。


 私は免疫力が低下してから、外に出ることは少なく、外を見ては溜息を吐いてばかりだった。


 けれど、この心臓病のおかげでお父さんの優しさに気付けたんだと思う。


 窓を見つめて、退屈そうにする私にたくさん本を抱えて「物語の旅に出ないか?」とクシャっと笑うその寄り添う優しさに。


 だから、言葉にならなくても感謝の気持ちを伝えたい。


 お父さん、たくさん本を買ってくれてありがとう。


 おかげで色んな世界を知ることができたよ。


 お嫁さんは無理だけど、一度くらいお父さんとデートしたかったな……。


 親不孝な娘でごめんね。


「大丈夫だ。伝わっているよ」


 お父さんは頭をポンポンして、抱き締めるのをやめた。


 そして、今度は私の手を引いて。


「さくら……母さんの手を握ってやってくれ……」


 お母さんの少し痩せた手に導いた。


 優しい手。

 間違いなく、一番握ってきた柔らかくて。

 全てを包んでくれる感じのする不思議な手。


 夜の病院で寝られない時、こうやって朝までよく手を握ってくれたね。


 ありがとう。お母さん。


 少し大きくなってからはあーだこーだと欲しい物を言って困らせたり、入院生活に嫌気が差して暴れたりもしたね。


 でも、その度、優しく抱き締めてくれて。


 心強かったよ。


 それに応えてくれるかのようにお母さんの声が聞こえた。


「さくらちゃん……」


 でも、何故だろう。


 前にいるはずなのに。


 しっかりと認識できない。


 真っ白な病室に、お母さんがよく着ていた赤いセーターがあるのはわかる。


 けれど、やっぱり全体的にモヤがかかっていて集中すればするほどに。

 見ようとすればするほどに。


 インクが滲んだ油絵のように、その輪郭がぼやけていって。

 瞬きするたびに視界がカラーからモノクロへと変わっていった。


「だ、大丈夫か? さくら」


 表情を変えたことが心配になったのか、お父さんが声を掛け私の顔を覗き込む。


 だが、目の前にある顔を認識できない。


 どうやら、もう見ることは叶わないみたいだ。


 目に映るもの全てがモノクロで、病室の壁との違いもわからなくて。


 どれだけ目に力を込めようとも動いているものと止まっているものの違いもわからない。


 けれど、不思議。


 視界がなくなったせいか、お母さんの手がより暖かく感じて。


「ずっと……あい……」


 お母さんが言葉を詰まらせながら何かを伝えようとしているのもわかる。


 私は聞き逃さないように、瞼を閉じて耳を澄ます。


 でも、澄ましているはずなのに、途切れ途切れにしか聞こえなくて。


「さ……」


 とうとう「さ」という言葉を最後に何も聞こえなくなった。


 すると、窓から爽やかな春風が入ってきた。


 春の訪れを感じさせる桜の匂い。


 今の季節が春だったのを思い出した。


 じゃあ、もう少しで誕生日のはずで。


 余命宣告を1年こえて16歳まで生きたってことだ。


 よく頑張った。


 よく頑張ったよ……ね? 私。


 それに呼応するように、春風が私を撫でた。


 何を思ったのか、ふと深呼吸をしてみた。


 不思議と苦しくはない。


 空気も美味しく感じる。


 もう見えはしないはずなのに。


 桜の花弁を運ぶ春風が白いカーテンを揺らしている光景、窓から入り込んだ日差しも認識できた。


 そしていつもように病室のベッドに私がいて。


 その横にお父さんとお母さんがいた。


 間違いなく、いつもの光景。


 でも、たぶん。


 もうこれで最後。


 私に抱きついている2人は叫び泣いていて。


 私にはその感覚がなくて。


 ただ、3人を見ているだけで。


 触れることも。


 声を掛けることもできない。


 人は自分の価値観で他人の幸せ不幸せを決めてしまう。


 実際、寝たきりになる前、私もそうだった。


 でも、今の私は過去の私にも、世界中の誰に向かっても言い切れる。


 世界一のお父さんとお母さんを持った私は幸せ者だと。


 だから、願う。


 せめて、この世界一素敵なお父さんとお母さんが笑顔で過ごせますように。


 私に使った時間なんて忘れて幸せに過ごせますようにと。


 そしてもし生まれ変わることが出来るなら、もう一度。


 お父さんとお母さんの元に。


 大好きだよ――またね。


 そう告げると、春風が私を撫でた。

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春風に包まれて ほしのしずく @hosinosizuku0723

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