第2話 吸血鬼の美少女を助けたら

「死ね」


 男が低い声と同時に、引き金を引き絞る。

 マズルフラッシュが瞬き、銃口から灼熱の鉛玉が吐き出された。


 それを見届けるまもなく、俺は真紅の剣を盾代わりに振りかざす。


 男が驚愕に目を見開く。

 衝撃で真紅の剣が砕け散る。


 金属が砕け散るような鋭い音が耳を刺す。


 飛び散った剣の欠片が俺の頬を掠り、一筋の血が流れた。


「なっ!? 剣で銃弾を弾いた……!?」


 銀髪の少女の驚いた声が聞こえてくる。


 真紅の剣は粉々に砕け散り、次の銃弾を防ぐ盾はもうない。


「焼き殺してやるッ!!」


 気を抜く暇はなかった。


 目の前の男がAK-47を構え、何かを操作するようにグリップを握っている手の指を小さく動かした。

 すると男の肩の上あたりに、薄く光っていて、中に幾何学的な模様が描かれた円が広がる。

 いわゆる魔法陣だ。


 そしてその魔法陣から火炎放射器のように荒れ狂う炎が生まれた。

 身を焼くような炎の壁が俺を多い、肌を刺すような熱波に俺は顔を歪めた。


 どうにか腕を盾にしながらバックステップで炎の中から抜け出したが──


「ハハハッ!! 剣も砕けて、炎を避けるのがやっとだろう! 俺の勝ちだ!」


 炎が晴れた後、男が待ち構えていたように至近距離で俺の頭にAKの銃口を突きつけた。

 目の前に銃口がある。


 もう俺にあの銃弾を防ぐために必要な剣はない。

 当然俺には魔法なんて使えないし、あの銃弾を防ぐすべはない。


「少し予定は狂ったがお前を蜂の巣にした後、後ろの女を手に入れてやる! はは、はははははッ!!」


 男の醜悪な笑い声が耳を逆撫でする。

 しかし俺は口の端を歪め、ニヤリと笑った。


「勝利を確信するには……早いんじゃないか?」


「ハッ、もう死ぬよ」


 バンッ!!!

 銃声。

 男が引き金を引き、銃弾が放たれた。


 その鉛の弾は俺の頭を撃ち抜き、命を刈り取るはず──だった。


「なっ!? 外した……!?」


 銃弾は俺に当たっていなかった。

 なぜなら、銃弾はギリギリで俺の額から外れ、後方へと飛んでいったからだ。


 腕の動き、筋肉の収縮を読むことで、撃たれる直前に最小のステップで銃弾を躱したのだ。


「くっ!?」


 怒りを露わにして男は連射を始める。


 ダダダダダダンッ──AKは止まらず銃弾を吐き出し続ける。

 しかしそのどれもが当たらない。


 まるで武術の型のように、最適化、システム化された動きでその銃弾の雨を避けていく。


 全部、想定通りの動きだ。

 筋肉の僅かな動き、トリガーにかかる指、そして視線──すべてを読めば、銃弾だって躱すことなんて造作もない。


 だから魔法を使ってない、ただの人間の動きなのに、男は俺に銃弾一つ当てることすらできなかった。


 血の滲むような鍛錬の末、反射神経に刻み込まれた動き。

 何千、何万どころか途方も無いほど繰り返した型を、今更俺がミスするはずもなかった。


「なんで、なんで当たらないっ……!?」


 男の腕の筋肉が僅かに動く。

 俺はそれに合わせてあらかじめ身体に染み込ませた動作をとるだけ。

 それだけで虚空を銃弾が切り裂いていった。


 見る見るうちにAKの弾は尽きて、カチッと甲高い音がなった。


「馬鹿な、弾切れだと……!? お前は何なんだ一体……!?」


 カチャリ、と俺は男の顎にグロックの銃口を突きつける。

 少女から奪ったグロックには残り一発。だがそれで十分だ。


「──俺の勝ちだ」

「っ!!」


 男は恐怖に顔を歪める。

 周囲に立ち込める硝煙の匂い。見渡せば周囲は穴だらけだった。

 俺は少しだけ引き金に力を込めてみせる。


「一発だけだが、命を刈り取るには十分だろ」


 脅しの言葉に男は悔し紛れに唇を噛んだ。


「そんな馬鹿な! ありえない……! 一体どうやって銃弾を避けたんだ! 未来視の魔法でも使ってるのか!? お前みたいなやつがただの一般人なわけがない……」


「魔法? そんなもの知らないよ。俺はただの人間だ」


「──っ嘘だ! 異能も魔法もなしで銃弾を避けられるわけが……!」


「おやすみ」


 ガンッ。

 銃床を男の首筋に打ち付け、意識を奪う。

 男は地面に倒れ、静寂だけが残った。


「はぁ……また危険に自分から頭を突っ込んでしまった……」


 俺はぽりぽりと頭をかくと、背後から銀髪の少女のかすれた声で呟くのが聞こえてきた。


「お前、どうやって……」


 答えるのは後でいい。

 まずは目の前の男を無力化しないとだ。


 もし起きたとしても反撃できないように銃を奪いつつも、男の持ち物を漁っているとちょうどロープを発見したので縛っておく。


 持ち物を漁っていると、他にも色々と出てきた。


「にんにくと銀の十字架?」


 ポケットから出てきたものを見て俺は首を傾げる。


 にんにくと銀って確か……まあ良いか。

 今はそれよりけが人を治療することのほうが優先だ。


 毒を喰らわば皿まで。

 助けたいなんてこれっぽちも思ってないが、一度手を出したなら最後までやる。


 爺さんにそう叩き込まれている。

 俺は振り返って銀髪の少女へと話しかける。


「怪我は大丈夫か」

「別に、助けてくれなんて頼んでないんだけど」


 銀髪の少女は俺を睨む。


「そうだな、俺が勝手に助けただけだ。見返りも何も貰うつもりはないから安心してくれ」

「……えっ」


 銀髪の少女は驚いたように目を見開く。


「それで、傷は大丈夫なのか?」


 少女には体中に銃弾が掠めた傷があった。

 傷からは血が流れていて、見ているだけで痛そうだ。


「一応、応急処置の心得はあるから、よければやるけど」

「……お前、何者?」


 銀髪の少女が苦痛に顔をしかめながらも警戒の色をにじませた瞳で尋ねてくる。


「一般人だよ。ただの」


「ハッ、そんな嘘に騙されると思う? アンタが一般人なわけがない。銃の扱いが素人じゃなかったし、魔法を見ても驚かない。しかも銃弾を全部避けてた これで一般人なわけないでしょ?」


 少女の質問に俺は大きくため息をつく。


「何回も言ってるけど、俺はただの人間だ。魔法も不思議な力も使えない正真正銘の一般人。銃が使えるのも魔法を見慣れてるのも、とある組織にいたときに飽きるほど見たからだ。それよりも応急処置を……」


 俺が少女に近づく。不意に近づかれた少女が驚いた声を上げた。


「あっ」


 その瞬間、少女の纏う雰囲気が一変した。

 捕食者に襲いかかられるような緊張感。倒錯的な甘い匂い。


 少女は一瞬で俺に近づくと頬に手を当てて、かすり傷から流れる血を舐め取った。

 そして次に俺の首筋へと噛みつこうとして──。


「ッ!!」


 弾かれるように少女は俺を突き飛ばした。


「はぁ……っ! はぁ……っ!」


 俺を突き飛ばした少女は苦しそうな表情で滝のような汗をかいていた。


 バランスを崩して尻餅をついても俺は衝撃で動けなかった。


 なぜなら少女の瞳孔が蛇のように縦になっていたからだ。


 蛇のような瞳孔。鋭い牙と病的なほど白い肌。そして男が持っていたにんにくと銀の十字架。


 すべてがカチンと嵌る音がした。


「まさか……吸血鬼か?」

「っ!」


 少女が致命的な失敗を犯したみたいに真っ青になる。

 と、そのとき手元になにかカチンと金属のようなものが当たり、俺はそれを持ち上げた。


「これは……」


 地面に落ちていたのはチェーンで繋がれた宝石がはめ込まれたペンダントだった。


「ッ触んな!!」


 少女が爆発するように怒鳴りつけ俺の手からペンダントをひったくる。


「なっ、おい!」


 そして少女はそのまま何も言わずに走り去ってしまった。



***



 すでに空は暗くなっていた。

 その後、少女もどこかへと行ってしまったので俺はそのまま帰宅することにした。

 男の方は縄で縛ったまま放置しておいた。


 危険人物であることは確かだが、町中を人間一人を担いで警察まで持っていくわけにもいかない。

 それに大抵ああいう奴は一般人には手を出さない。


 それよりも俺はイライラしていた。

 原因はあの助けた少女だ。


「くそっ、なんで俺があんな仕打ちを受けなきゃいけないんだ」


 剣の欠片が掠って傷がついた頬を擦りながら俺は帰り道を歩いていた。


「別に見返りを求めて助けたわけじゃないけどさぁ……」


 ぶつぶつと歩いていると、いつも帰る途中に通る公園の前に差し掛かった。

 ふと何かを感じてそちらの方を見てみると……。


「げっ、さっきの」


 公園のベンチにさっき助けた銀髪の少女が座っていた。

 もう夜になるというのにその銀髪の少女はただベンチに座って動こうとしない。


 少女の顔には寂しさと暗い影があった。


 ……いや、関係ない。俺はこのまま帰って自堕落コースへと突入させてもらおう。


『伊織、弱いものを助けろ。けっして見捨てるな。それが村雨の男だ』


 脳裏に爺ちゃんの言葉が蘇る。


「……」


 そのまま無視して過ぎ去っても良かった。

 だが祖父の言いつけと、ベンチに座る少女の表情が家を放り出された子どもみたい寂しげで、どうしても放っておけなかった。


 わしゃわしゃ、と頭をかく。


「はあ……本当に馬鹿だな、俺は」


 こういうときに見捨てられない自分に自己嫌悪を覚えながら俺は少女へと近づいていく。


「おい」


 話しかけらた少女は何故かうんざりした顔で見上げて、目を見開いた。


「なっ、まさか尾けてたの!? キッモ……」


「違うって、たまたま通りかかっただけだ。ここは俺の家までの道なんだよ」


 俺がそっけなくそう告げると少女は目を伏せて顔を逸らした。


「そ。なら早く家に帰ってママにご飯を作ってもらえば?」

「……」


 今すぐにこのまま放って帰りたい衝動をどうにか抑え込んで俺は少女へと尋ねる。


「お前、こんなところで何してるんだよ」

「別にお前には関係ないでしょ。放っておいて」


「もしかして帰る場所がないのか?」

「……」


 少女は黙る。図星のようだ。


「良ければ俺の家に来るか?」

「いや。お前を信じられない」

「ここにいたらまたさっきみたいに襲われるぞ」


 なおも食い下がると少女は俺を睨んできた。


「ねえ、分かってるの? 私は吸血鬼なの。人間の血を吸う化け物なの。化け物を家に招くってどういう神経してるわけ?」

「別になんとも思わないな。前の職場ではそういう奴らとずっと関わってたから、そういうのはもうどうでもよくなってる」

「……」


 少女の目が戸惑うように揺れた。

 しかしすぐに我に戻って俺を睨んでくる。ただ、さっきまでの刺々しい雰囲気はほんの少し和らいでいた。


「……なんでそんなに私に優しくするわけ?」

「あー……困ってる奴がいるのを放っておけない、てきな?」


 これは自分で言ってて怪しいと思ったのでしどろもどろになった。

 銀髪の少女は仏頂面で興味なさそうに顔を戻す。


「信じられない」

「強情なやつ……」


 少女に俺は追加でカードを切ることにした。


「俺に着いてくるなら、ああいう奴らに襲われないようにできるけど」

「…………」


 少女は俺の言葉にぐらりときたようだ。

 それはそうだ。誰だって四六時中命を狙われたくはない。


 少女は迷った後……小さく呟いた。


「……一晩だけなら」


 というわけで、銀髪の少女が俺の家に来ることになった。


 ──だがこのときの俺は、この選択がさらなる災厄を呼び寄せるということに気づいていなかった。


「そういえば名前は? 俺は村雨伊織だ」


 俺の誰何に、少女は驚くべき名を答えた。


「私は薔薇園・バートリ・エリザ。『血の伯爵夫人』カーミラの子孫よ」

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