第2話 禁断の書
私はフライパンに鶏卵と猪の薄切り肉を入れ、焼く。卵と肉が焼けてきたら塩コショウを軽く振り、フライ返しを使って木製の皿に盛り付けた。自家製のパンを沿え、山の湧水を煮沸させた安全な水が入った水差しからコップに注ぐ。
「キアス、私は葡萄酒がいいー」
師匠は朝っぱらからお酒を飲みたがった。お酒は水ではない。
「駄目です。朝はお酒を飲だら駄目だって言いましたよね」
「私はいたって健康体だ。だから、問題ない」
師匠は瓶が大量に入った棚に向かい、手を伸ばす。
私は手に持っていたナイフを投げ、木製の棚に突き刺す。
「駄目って言っていますよね?」
私は精一杯に威圧する。建物がかたかたと揺れ、軽い地震のような現象が起こった。
「うう……、けちんぼ」
師匠は椅子に渋々座り、両手を握り合わせた。食材の命に祈りを捧げ、食事をとり始める。
「ありがたくいただきます」
私は村を助けてくれなかった神は嫌いなので食材を育ててくれた農家さんに感謝して朝食を得た。
「ふぅー。食った食った。じゃあ、キアス、これをお前に渡す」
師匠は私に封筒を渡してきた。良い紙を使っており、がさつな師匠にしては綺麗な字で宛先が書かれていた。
「ウルフィリアギルド? ルークス王都にある一番大きな冒険者ギルドですか?」
「ああ、そうだ。金はそこに行って稼ぐといい。ただの雑用係りなんかよりよっぽど稼げる。今のお前なら大抵の魔物に苦戦しないはずだ。なんせ、私の幻を倒せるくらいだからな」
師匠は無駄に長い脚を組みながら椅子の腕置きに肘を置き、頬杖を突く。
「この手紙に何の意味があるかわかりませんが、助言ありがとうございます。じゃあ、色々と準備します」
「じゃあ、私はちょっと出かけてくる」
師匠は家を出ると忽然と姿を消した。
私は洗い物を終えた後、自分の部屋に向かう。その途中で師匠の部屋の前に来た。
「家を出ていく前に師匠の部屋を一度掃除しないと」
私は家の中で一番汚い師匠の部屋に入った。私がいなかったときは汚部屋で、ゴキブリや鼠の宝庫だった。今は私が管理しているのである程度よくなったが、目をはなすとすぐに汚部屋に戻ってしまう。
「まあ、あれが読めるから掃除も苦じゃないんだけど」
私は扉の取っ手を握り、引く。中に入って魔石の照明をつけた。視界に広がるのは大量に散らかった魔導書や紙。脱ぎっぱなしの服もある。なんなら、隠れて飲んでいたと思われる酒瓶が木製の箱に大量に入っていた。
「この前掃除したばかりなのに。師匠は本当にずぼらなんだから」
私は右腰に付けられている杖ホルスターから三〇センチメートルほどの細い杖を取り出す。
「『除去(クリーン)』」
部屋に落ちている汚いゴミは一掃し、本や衣類は自分の手で片付けていく。大量の本棚に魔導書を一冊ずつ戻していき、散らばっていた紙は麻紐でしっかりと纏めて机の上に置いた。衣類は洗濯し、外に干しておく。酒瓶は洗って日向で乾燥させた。
ある程度掃除が終わったころ、私は師匠のベッドに視線を送る。いつも、この瞬間だけは神に感謝していた。枕元に黒い魔導書のような分厚い本が置かれている。生唾を飲み、息を殺しながら分厚い本に手を伸ばす。泥棒のように本をさっと手に取り、表紙を見た。黒い革製の本の表紙に金の文字で『禁断の書』と書かれていた。
「なーにが『禁断の書』だ。師匠ばっかりずるい」
私は禁断の書を開く。本来は真っ新な状態だった紙の上に縦書きで文章が羅列されていた。
『つっ、ば、馬鹿野郎。勝手にそんなところを触ってんじゃねえ』
『あれあれ、君って案外、こういうのに弱いのかな?』
『く……、ん、んなわけねえだろ。お、俺を誰だと思ってやがる、くっ!』
『はは、面白い反応。ちょっといじめてるだけなのに、そんなに可愛い顏しちゃって。もう、止まれそうにないよ』
私は数文読んで禁断の書を閉じ、ベッドに投げる。
「はわわわわっ! も、もう、読めない!」
私は頭を抱え、胸の苦しみに耐える。この歳になるまで男子との接点はほぼなく、師匠の禁断の書によって私の男の人格象が形成されていた。
「た、確かめたい。男同士があんな風にイチャイチャするのか。も、もしイチャイチャしていたら……、えへ、えへへ……」
私は自分でもわかるくらいにやけ顔が出てしまい、頬を叩く。
「ふぅ。とりあえず、出発の準備。禁断の書は一冊借りよう」
私は師匠が書いた禁断の書の中で一番見つけにくい一冊を手に取り、ローブの下に忍ばせる。
「えへへ、後でじっくり読んじゃおっと……」
私は掃除を終えた師匠の部屋を出て自分の部屋に向かう。禁断の書と出会ったのは約八年前。文字が読めなかったが師匠に何の本か訊いたら痰が絡んだような顔になり『き、禁断の書だ! 絶対に見るなよ!』と大声で言われた。
最初は禁断の書と言われ、禁断の力が手に入り一気に強くなれるのではないかと思い、文字を覚えてからすぐに読み始めた。
理解できなかった。
やはり、禁断の書なのだと思い、解読に取り掛かった。もちろん、師匠に知られたら半殺しで済まない。細心の注意を払い、掃除の時に読み進めて行くと男性同士がイチャイチャし始めてあれよあれよという間に密接な関係になった。
訳がわからなかったが、そんな展開を読んだ私は心臓が妙に高鳴った。私が覚えている男の印象はお父さんとか村にいたおじさん、お爺さんくらいしかない。それも、五歳のころの記憶なので、うっすらとしか覚えていなかった。
屈強な男と綺麗な印象の男がイチャイチャしている場面を想像するだけで胸が熱くなってしまった。娯楽が鍛錬の量に比例していなかったのも影響しているのかもしれない。
おじさんとカッコいい男性、男児と太ったおじさん、カッコイイ男性とカッコいい男性など色々な登場人物が出て来て手に汗握る展開から泣きそうになる場面まで書かれており、読むのが楽しかった。本当に唯一の娯楽だった。禁断の書を全て読み切るまで死ねないと思い、師匠の訓練に生き残れた時は数知れず。
そんな私の命綱だった禁断の書を書いているのが師匠だと考えると訳がわからなくなる。まあ、そんな師匠に育てられた私も禁断の書の話が大好きになってしまい、今では……。
「私もこんな話が書けるようになりたい」
私は師匠の禁断の書に感化され、自分も同じような話を書き始めた。それはつい最近の話。なので自室の机の上に真っ新な分厚い本が置かれている。羽根ペンを使い、文章を書いているのだが師匠のようにうまく書けないのが現状だ。
私に男との接点がないからだと思い、いつか男がいる外へと向かうことを決心した。そんな矢先、師匠から認められ、どこにでも行っても良いと許しが出た。加えて王都の冒険者ギルドに行けるのだ。楽しみでならない。
「えっと下着と服、防具に武器。武器は杖と剣で良いかな。デカい品を持って行くのは億劫だ。異空間に入れてもいいけど、一度入れたら二度と取り出さなそうだし、最低限の荷物にしよう」
私はトランクに下着類を七日分、衣服を上下三枚ずつ入れた。王都に行くために検問を通らなければならないので通行料も必要だ。師匠からのお小遣いを入れた革袋を入れておく。使い道がなく八年間ずっと溜まり続けていた。王都の物価はわからないが三カ月くらい過ごせると信じたい。予備の魔法杖とナイフ。書きかけの本に羽根ペンと黒いインクが入った容器も収納し、出発の準備を終えた。
八年間お世話になった部屋の掃除を進め、気分を新しくする。窓から見える森の景色は八年前と変わらず綺麗で心が癒された。この場所は誰もが認めるド田舎だけど私は嫌いじゃない。むしろ好きな方だ。でも、都会に行った覚えがまいのでどちらが好きかまだわからない。
今のところ私の目的はルークス王国の冒険者ギルドに行って手紙を渡すこと。ついでに男同時の関係の観察も。お金を稼いで悠々自適な日々を過ごすのも良いか。
私は部屋の換気を終え、窓を閉める。そのまま椅子の上に座り、禁断の書を読む。
『や、やだ、おじさん、怖いよぉ』
『安心して。とっても優しくするから……』
私は男児とおじさんものだったと察し、禁断の書を一瞬で閉じる。
「い、いかんいかん。これは頭が一番おかしくなるやつだ。返してこよう」
私は部屋を出て、師匠の部屋にやって来た。だが目の前に耳まで赤くしている師匠がいた。
「師匠、どうかしたんですか?」
「キアス、お前、これを読んだのか」
師匠は私の方を向きながら禁断の書を持ちながら訊いてくる。脂汗をひたいに掻き、小刻みに震えている。
――な、なんで気づかれた……。
「な、何をですか? わ、私は全くわかりません」
私は内心動揺しまくりながら師匠から視線を逸らす。
「ど、どこまで読んだ……」
師匠は禁断の書を抱きかかえるようにして持っており相当大切な物だとわかる。それ以前にずっと男勝りな性格だと思っていた師匠の顔が滅茶苦茶可愛くなっており、同一人物か疑った。
「そ、その……。全巻」
私は手に持っている禁断の書を見られているため、言い逃れ出来ないと思い、正直に呟いた。
師匠は床にペタンコ座りして、しおれた野菜のようになよなよとする。
「すみません、師匠。でも、私、師匠が書いた本が大好きです! 何かわかりませんが、ものすごくドキドキしますっ!」
「な、そうか? やっぱりそうだよな!」
師匠は私の両肩を持ち、揺さぶってくる。
「ああ、キアスもこっち側の人間か。よかったよかった。って! よくないっ! 禁断の書と書いてあるだろうが! かってに読みやがって!」
師匠はいきなり怒り出し、一日中追いかけまわしてきた。
「ぜぇぜぇ、はぁはぁ。も、もう、許してください……」
「はぁ、はぁ、はぁ。いいかキアス、これは禁断の書だ。誰にも見られてはならない書物なんだ。自分で楽しむのはいいが、他の者に見せてはならない。わかったか」
「は、はい。わかりました。私だけで楽しみます」
「はぁ、ならいい。お前がいなくなると寂しくなるが、まあ、いつでも帰ってこい。その時に私がいれば歓迎してやる」
「はは……、気まぐれな師匠と会えるとは思えませんね。逆に師匠の方が王都に来てくれれば会えると思いますけど」
「バカ野郎、弟子に会いに行きたがる師匠とかダサすぎるだろ。お前の方から会いに来い」
師匠は照れ隠しのつもりか、背中を向けながら言った。
私は居間から玄関に向かい、外に出る。服装は出会ったころの師匠とほぼ同じ。胸当てを付け短パンを履き、肩から白い外套を羽織っている。加えて革製のつやつやの靴。茶色のトランクを右手に持ち、左腰に剣を掛けてある。
「では、師匠。八年間お世話になりました」
「ああ。気をつけてな。くれぐれも禁断の書は他人に見せるなよ」
師匠は一冊の禁断の書を渡してきた。
「一番普通の禁断の書だ。なくすなよ」
「あ、ありがとうございます! 絶対になくしません!」
私は師匠から禁断の書を受け取る。厚みがありカッコいい男性同士がイチャイチャしている話のやつだと一瞬でわかった。
足下に魔法陣を展開し、『浮遊(フロウ)』と詠唱を呟く。すると浮き上がる。
「『突風(ウィンド)』」
私は空中に浮いている状態で風を生み出し、推進力にして移動する。南東に向かい、私が生まれた村に足を運んだ。八年もすれば草花が広がり、廃村感が増していた。師匠が村人を埋葬してくれており、至る所に石が置かれている。
両親と共に住んでいた小さな家に向かい、横並びに置かれていた石の前に立つ。実際、両親の顔は厳しい日々の中で薄れてしまっており、あまり覚えていない。でも、助けてくれた記憶は残っていた。両手を握り合わせ、当時は出来なかった感謝を伝える。
「お父さん、お母さん、助けてくれてありがとう。私はなんとか生きています。また、来るからね」
私は地面に手を振れ『花畑(フラワーガーデン)』と呟いた。巨大な魔法陣が村全体に広がり、地面から大量の花々が咲きほこった。花畑が一瞬で完成し、空から見たら一部だけ花で埋め尽くされている。今の季節は春先だから丁度良い。
「良し。王都に行くか」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます