第45話 武蔵国と吉野の盟約

 咲良の足元に、死にかけた蝉が転がっていた。それはジジッと断末魔のような声を出すと、ぴくりとも動かなくなった。


 季節は夏。うだるような暑い日々が続いていた。


 死にゆく者を、引き止めるのは重罪。

 咲良は、それを幾度か聞いていた。


「昴さま……ちゃんと食べてますか? 会いたいです」


 毎日社に来ていた咲良だが、依然隠り世に入ることはできないし、昴が迎えに来ることもない。錦屋の皆とも会えない。

 ここに参拝しても、多分どうにもならない。咲良は決意した。


(青藍さまにお願いしに行こう)


 まだ体調は万全ではないが、長めの泊まりがけでゆっくり休み休み行けばなんとかなるはずだ。昴の故郷。奥多摩。


 武蔵国、御嶽みたけ神社。漆黒と純白のおいぬさまが向かい合って描かれる、名のある狼神社である。

 まるで、昴と青藍のようだ。


 そこの大口真神社おおくちのまかみしゃに青藍はいるのである。


***


 山犬姿の青藍が鋭い牙をむく。


「おい爺さん、出雲で証言してもらわにゃならんのだからもっとサクサク歩いてくださいよ」

「昴と違って弟の方は乱暴だぁのう。心配するな、咲良は山犬の血を引いていると言えばいいのだろう」


 時信ときのぶが亀の姿で山をのろのろ降りていると、焦った青藍がもう待っちゃいられないと甲羅をひょいと咥えて駆け出した。その後ろを、慌てて隆爺が追いかける。


 隆爺は多少風向きも変わるはずだと確信していた。生粋の人間ではなく、山犬の血を引いた娘。しかも将来を誓った仲。


 殺傷事件などにより、若くして死者の国へ踏み込みかけた伴侶を追いかけ連れ戻した山犬は過去にも数件例があった。

 皆情状酌量を認められて、短めの刑期で戻ってきている。


 咲良は一時期昴の社に現れなくなった。おとや粋、隆爺が心配していると、奥多摩の青藍のいる社に参拝しに来ていると一報が入った。


 武蔵国の山犬たちは、昴を釈放するようにと今にも出雲に乗り込まんばかりであったと聞いている。


 出雲で宿に入った一行は、とある男と合流した。


「久しいな」


 西国、いかつい面持ちの彼は、吉野の山犬の副棟梁である。

 名は、あかつき。昴の死んだ元婚約者の兄である。


「早速本題に入ろう。調べた、調べたというより年寄り連中に吐かせた。その西国に逃げ延びた山犬というのは、おれの家系の出だ。ひい爺さんの弟。家系図の写しも持ってきた」


 彼は巻物を皆の前に広げた。


 聞くところによると、暁の曽祖父、末の弟はほとんど神通力がなく一族の落ちこぼれだったらしい。変化の術だけは及第点。

 青藍がニヤリと笑みを浮かべた。


「あの時の盟約を果たそうぜ」

「そうだな……昴どのやそちらのお偉い方が望めば、その娘、一度うちの養女にしてもいい。いずれにせよ、この縁談は吉野と武蔵国との盟約で違いない」


 暁はぼそりと「もう後追いはたくさんだ」と言った。

 

 この夜、吉野の山犬と武蔵国の山犬の副頭領たちは、頭領の名代として盃を交わした。

 幕末、昴と暁の妹の婚姻によってなされるはずだった盟約を、昴と咲良の婚姻で執り行おうということになったのだ。


 翌日、時信を審議の場に連れて行って、咲良は山犬の子孫だと証言させることとなった。「死にゆく人間を無理やり連れ戻したわけではない。山犬の婚約者を追いかけてしまったのである」と理由をつければ、昴の罪は過去の判例から多少なりとも情状酌量の余地があると認められるかもしれない。


 しかし、審議は残念な結果で終わった。

 咲良はあくまで人間の娘。彼女が山犬として認められることはなかったのである。季節は秋を迎えつつあった。

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