第44話 現世からの恋文(ラブレター)

 昴は咲良の記憶を奪おうと思ったが、どうしてもそれができなかった。

 きっと、もう一生会えない。

 悲しませるのはわかっていたが、覚えていて欲しいと思ったのだ。

 たとえ、恨まれても構わない。


 昴が身体の痛みに耐えながら錦屋に戻ると、即刻、検非違使に拘束された。


「逮捕されたぞ、咲良」


 皮肉っぽく鳥居の向こうにそう呟いた彼は、出雲にまたとんぼがえりすることになった。

 昴は牢へ。あやめとあの山犬たちも別区画の牢に囚われているらしいが昴にはそんなことはどうでもよかった。あやめを見たら、殺してしまうかもしれない。もう二度と会いたくない。


 錦屋の関係者は謹慎を命じられ、現世への行き来を禁じられた。

 術で封じられ、彼らは全国どこの鳥居を通ろうとしても現世には行けない状態だ。これは昴の郷の山犬たちも同じであった。武蔵国の山犬一同、同罪ということである。


 昴の牢は半地下で、天井近くにある小さな格子のはまった窓が外界との唯一のつながりであった。雨は吹き込み、ひどく冷え、食事もろくにもらえない。


 昴にはわかっていた。


 判決はなかなか出ないようだが、咲良が死ぬまでここに囚われるに違いない。

 窓からかぐわしい桜の香りが漂ってきて、昴は顔を上げた。日付の感覚なんてとうにない。もう、春になっていたか。


(身体はよくなったか? ちゃんと食べてるか?)


 一緒になろうと言ったが、もうその約束は果たせそうになかった。彼女は大丈夫だろうか。

 あれほどの傷。癒えても傷痕が痛むだろう。昴の背中のそれのように。


 ひとひら、はらはらと桜の花びらが床に舞い落ちた。

 こぼれ落ちたのは、ため息だった。記憶を消してやるべきだった。

 なんてかわいそうなことをしたのだろう。

 己のことなど忘れて、現世で仕事に打ち込むもいいし、家庭を持つもいい。幸せになってほしい。


「桜は、現世で咲くのが美しい……」

「何言ってんだ昴! お前が娶ってやらないと桜みてぇにすぐ散っちまうぞ!」

「青……」


 双子の弟の姿を認めた。こんなところにどうやってきたのだろう。

 格子の向こうから手を伸ばされた。昴はその手を握り返した。


「間に、日暮が入ってくれた。春日の日暮だ!」

「ああ、変態鹿野郎か……たまには役に立つな」

「そんなことはどうでもいい! 咲良、退院したみたいだ。見ろこれ!」


 青藍は懐から複数の文を取り出した。現世からのものである。

 社で祈ってくれたそれには「咲良です。退院しましたよ、昴さま」「ありがとうございます。連れ戻してくださった恩、一生忘れません」「わたしのせいで、きっと捕まってしまったんでしょうか。処刑とかされてないですよね?」「華道と古典の勉強始めました。頑張るので、迎えにきてください」とある。


 一枚一枚噛み締めるように読んだ。

 これじゃあ、恋文ではないか。乾いた笑いが漏れた。


「毎日毎日来てるらしい……」


 このままではいけない。咲良には、昴のことを忘れてもらわなくては。

 そう考えた昴は青藍に格子越しに縋りついた。


「青……、頼む。現世に行けるようになったら、咲良の記憶を奪ってやってくれ」

「何言ってんだ馬鹿野郎! 出してやるから待ってろ!」

「出られるとは思えない……」


 昴は格子に額を押し付けた。

 息が苦しい、涙で視界が歪んだ。

 青藍がいなければ、おいおい泣いていたに違いない。


「審議が長引いてる。こりゃ、神無月まで引っ張るな」

「だが禁忌を犯したことに変わりはない」

「ダメなら一発で判決が出るはずだ。まだ希望はあるだろ、諦めんな! 郷の親父たちもみんな応援してる」


 一族に顔向できないことをしでかした自覚はあった。


「皆に謝ってほしい」

「謝罪なんて誰も受け入れねぇよ。みんな言ってらぁ、女守ってこそ山犬の男だってな。じゃあな、また来る。長くはいられない」


 昴は牢の湿っぽい床にへたり込んだまま、去っていく彼の足元を見つめていた。 

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