第12話 上條咲良という人間

 隆爺はもう腹を括るしかない、と昴を見つめていた。


 昴は彼の目の前のふたり、つまり隆爺とすいに酒をすすめながら、咲良の選んだ白ワインを優雅に傾けていた。


 昴は酒をひとしきり楽しんでから、もったいぶった様子で口を開く。


「さて、言い訳があるのならば、今のうちに聞いてやろう」


 笑みを深めれば、ふたりの肩がびく、とわかりやすく震えた。


「大将、すみません!」

「申し訳ねぇです大将!」


 隆爺と粋は畳に額をつけんばかりに頭を下げた。


「おれは謝れなどとは一言も言ってない。いいから頭を上げて酒を飲め、旨いぞ」


 ふたりはおどおどと昴の方を伺って、恐る恐るグラスに手を伸ばしてそれを傾けるが、今の彼らの舌にワインの味は全くわからなかった。昴が恐ろしくてそれどころではなかったのである。

 それほど格上の相手なのだ。


「どこの娘だ? 手引きしたのはおとだな?」


 昴は唸るような低音を発した。


「はい……上條の娘です。おっしゃる通りで、うちの妻が門の前にいたところを招き入れました。どうも、社の鳥居から入ってきたようです」

「上條の娘……上條咲良か。故にさく……安直がすぎるぞ。おとらしいな」

「大将、粋は巻き込んじまっただけでさぁ、こっちのもの食わして温泉に入れて、それから術をかけて誤魔化そうとおとと画策したのはおれですので、粋に罰は与えねぇでください」


 隆爺の声に、昴はわざとらしいため息を吐いた。ふたりの背が再度びく、と震えた。


「別に追い出したり問い詰めたりする気はない。おとの術の上から隆が術をかけているのだろうが、ある程度高位のものならすぐわかる。昼間俺が更に上から術をかけておいた」

「面目ねぇです! ああ、だから昼間、さくの手を」


 隆爺の言葉に、昴は鷹揚に頷いた。

 わざわざ彼女の手に触れたのは、術をかけるためだ。

 別に下心があって手を握っていたわけではないのである。彼女は実際のところあの時どう思ったのか、隆爺にも昴にもさっぱり検討はつかなかったが。


「よほど高位の神でもない限り、山犬の娘にしか見えないはずだ」


 昴のその言葉で、ふたりは昴の心のうちがわかったようだった。昴は彼女を追放しようとする気はない。


 粋は正直、おとが此度の件を企てたことである意味覚悟は決めていたのだ。山犬は気性が激しい。普段は穏やかに見えても、その矜持を傷つけられれば人が変わったように怒るものも多い。


 最悪、昴におと共々放逐されても仕方あるまいと覚悟を決めていたのだ。

 だがしかし、どうやら杞憂であった様子。粋はひっそりと心のうちで安堵の息を吐いていた。


 胸を撫で下ろしたふたりは、再度昴が酒を注ぐと肩の力を抜いた様子でそれに口をつけた。此度はふたりにも味がわかった。

 酸味がさわやかで飲みやすいワインだ。

 ふと、粋はひとつ気になることがあり昴に問いかける。


「あの、大将、いつから気づいてました? 初日は気づいてらっしゃいませんでしたよね?」

「初日は見事に騙された。鼻がやられていたからな。翌朝には気づいた」


 ああ、そうだ。隆爺と粋は顔を見合わせた。

 あの日、昴は花街で宴会に呼ばれていた。


 彼を呼んだのは八咫烏たち。あの伊達者たちならば絶対に芸者や遊女、それに幇間ほうかんと呼ばれる男の芸人など派手に座敷に呼んでいたはず。昴はおそらく、服に焚き染められた香や化粧品や酒の匂いで鼻がやられていたのだ。


 そもそも、彼はそういったどんちゃん騒ぎを好む男ではない。呼ばれもしなければ、花街にだって行きもしない。


 西日本を主な本拠地とする八咫烏と東日本を主なねぐらとする山犬は東西の横綱にもたとえられるほど力がある。当然相互交流も盛んで、昴のような社を持つ神ならなおのこと付き合いで飲みに行くことも多い。


 仕事上のお付き合い、いわゆる接待というやつである。


「どういった風の吹き回しで? 大将、人間嫌いですよね」

「……あの娘が現世の山犬を滅ぼしたわけでもない。おれだとて、頭ではわかっているからな」


 そう、あまりにも人は身勝手だった。昴の事情を知っている粋は俯いてグラスの酒の水面に視線を落とす。


 幕末、当時南蛮と呼ばれていた西欧から渡ってきた妖怪、虎狼狸が現世で毒を撒いて人々はそれに苦しんだ。注目を浴びたのは大口真神だった。魔除けの力を持つとされた彼らは崇拝の対象となり、大いに栄えた。


 昴は人々の願いを叶えるため、江戸中を駆け回り虎狼狸と戦った。時には起き上がれないほどの重傷を負ったことも何度もあった。

 しかし、骨や毛皮は魔除けになると狩猟の対象となり、その後はやはり西欧からの犬の仲間だけがかかる病気によって数を減らし、また狂犬病によって悪き獣と言われた現世の野に生きる山犬たちは次々と罠や銃で殺されついには滅んでしまった。


 見事なまでの手のひら返しに、あるものは荒御魂あらみたまに支配されて妖怪や荒振神あらぶるかみに堕ちる、我を失い、昴や粋も同族を手にかけざるをえなかったことも多い。


 それからも人間ははちゃめちゃなことをたくさんしでかした。

 再開発だとかいって河川や池を潰し、山を切り開いた。

 当然、行き場を無くしたそこの主は一族で心中したり、荒振神あらぶるかみに堕ちたりした。

 我を失い、人に復讐しようと暴れる彼らを討伐する役割を担っているのは戦闘能力の高い昴たち山犬の一族だった。


 隆爺も社が朽ち果て我を失い、現世の人間を呪おうとし、昴と派手な戦闘を繰り広げてなんとか我に返り、持ち直したそんな経緯があった。

 隆爺も何も言えずに俯くことしかできなかった。


「上條の最後の人間だ。むげに扱ったら、それこそバチが当たる。放り出すわけにもいくまい」


 昴がグラス片手に、独り言のようにぼそりと言葉をこぼした。

 それが彼の本心なのだろうか。

 隆爺は知っていた。幕末、昴は当時婚約者だった西国の山犬の姫君を人間の男に奪われているのだ。

 何か思うところがあるのだろう、それから彼はずっと独身を貫いている。とても聞くことはできなかった。


「そもそも、なぜこちらに来てしまったのだろうか……代々うちの社を守ってくれている一族だからそれ相応に霊力は確かに高いが、だからと言ってこちらに迷い込むなんてなぁ」


 昴の言葉に、隆爺も首を傾げた。


「確かにその通りですな。成人の迷い子なんてめずらしいですよね」

「戻す算段を整えなければ。ちと面倒だな。烏の羽か……それか春まで待って鹿の角をもらうか……」


 人を現世に戻すには鍵となる手形が必要だ。

 格下の手形は、材料を提供した神使や神に手引きされながら鳥居をくぐる必要があり、格上の手形は神具しんぐとも呼ばれ、それ単体で現世と隠り世を行き来できる。


 問題はその手形だ。手形は神や高位の神使のから作られる。

 手形の素材としては、八咫烏の風切羽、それから鹿の角などが比較的手っ取り早いと言われる。

 羽の先まで霊力を宿し、羽ばたいたことで起こる風を操る力のある八咫烏や戦闘に使われる鹿の角と違い、山犬の毛にはそんな力はない。山犬は格下の手形ならば爪、格上ならば牙を使うほかない。


 粋は隆爺の隣で腕を組んで、「困りましたな」と唸る。

 粋は再度口を開いた。


「羽か角をもらってきた方が早いのでは? 烏どもなら大将の頼みなら断りますまい?」

「いや……そうは言っても風切羽は鳥にとっては命。そう簡単にはくれんだろう。やはりおれの爪か。根付けか腕飾りにでもして渡せば、これ以上ない魔除けにはなるな。さくは霊力が強いから、妖怪や邪神のたぐいが目をつけんとも限らん、悪くない」


 爪。山犬の鉤爪なんて根本から切り落としてもどうせ半日で生えてくる。痛みは伴うがまあ仕方ない。切り落とした爪で作った手形を持たせ、昴が手をとって鳥居を通れば現世に帰れるはずだ。


 人が単体で鳥居を手形を作るにはもっと神通力を備えた牙などで作る格上の手形が必要であるが、今回そこまでしてやる必要も無い。


 昴の爪を落とすかという提案に、隆爺が驚きの声を上げた。


「大将、なんでそこまでするんです? 上條の娘って言ったってそんな痛いことしてまで……」

「さくの飯は実に旨い。それに働き者で真面目で健気だ。今日も午前中掃除に励んでいたようだし、それ相応に礼をせねばならない、これはもはや礼儀の問題だ」


 ふいと真面目な顔をした昴がいた。

 人間に受けた恩は返さねばならない。これは彼らに染みついている約束事であった。


「それに、上條の娘に山犬以外の手形は持たせたくない。やはり、爪が最適だろうな」

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