あなたの町の篠原くん

黒神

篠原くんとクラスメイトの高橋くん①


 俺はよく先生にあることを相談される。


「高橋くんは友達がいっぱいいるよね。その中に○○くんを入れてあげることはできないかな」

「○○くんっていつもひとりでかわいそうでしょ? 高橋くんならきっと○○くんとも仲良くできると思うの」


 そういった類の相談を耳にタコができるほど聞いてきた。そしてたいていの場合断らず、相談されてから数日くらい話しかけに行って、やっぱり駄目でしたと報告する。それで丸く収まる。


 先生はめんどくさがりだが馬鹿ではない。


 俺が声をかけにいく姿を見て、それでうまくいかなければ、それなら本人に問題があるのだと判断してそれ以上のお願いはしてこなくなる。せいぜい修学旅行の班分けが同じになるぐらいだ。


 そもそも『友達になってあげて』なんてお願いが間違っているのだ。あげてという言葉の中に、同情や、相手を可愛そうに思う感情を見せてしまっている時点で友達関係なんて成り立たなくなる。


 誰しもが気が付くと友達になっていてさも簡単であるかと思いきや、それは奇跡的な歯車の嚙み合わせが起きてこそ成立する。


 友達はできるまでが早いだけで簡単に作れるようなものじゃない。そんなことも忘れてしまった教職員しか社会人経験のない人間の頼みを、一度ならず二度三度と聞いている俺は相当お人好しだ。


 高校生にもなればようやく解放されると思っていた。学区の違う生徒の家に行って様子を見に行くなんてことは絶対にしなくていいと思っていた。それなのに——


「高橋、それではミルクが熱すぎる。もっと冷ましてくれ」

「……(かちゃかちゃかちゃかちゃ)」

「そんなに振ってしまっては攪拌してしまう。ボウルの中にお湯を張って水で調節するんだ」


 篠原の指示通り手を動かす。赤ちゃん用の哺乳瓶を斜めに傾け、子猫の口元にそっとあてがうようにして飲ませやる。


「違う、仰向けではなく腹ばいの姿勢で飲ませるんだ。そうだ、頭を支えてあげるようにだ」


 なぜこんなことをしているのだろう。

 お人好しだからだろうか? いや違う。こいつが変人なのだ。


 年齢と共に等しく生え際の後退した新しい担任教師は、中学での俺の評価を耳にしてか「高橋、篠原のやつにプリントを持って行ってやってくれないか。それと、できれば少し話をしてきてやって欲しい。なに、お前なら難しいことじゃないだろう」、そう言ってプリントを渡すと返答を待たずに一学年職員室へと消えて行った。


 またか、と思った。


 幸いというかなんというか、ソイツの家は高校からほど近くにあり歩いて十分の団地のアパートに一人で暮らしているという。通学のために一人暮らしでもしているのだろうか。もし気の合う奴なら遊び場所としてもってこいの友人になれるかもしれないと思ったが、すぐに被りをふって淡い期待を捨てた。


 これまで先生の保護観察対象となった生徒で友達になれた生徒などいなかったからだ。俯きながらぼそぼそと喋る、視線が合わない、声を掛ける度にいちいちキョドって反応が大きい。少し話をしただけで犬のしっぽのように後をつけてくる奴なんかもいた。


 別にそういう人種がいることも理解しているし、排斥しようなんてみみっちいこと企てた覚えもない。


 ただ、合わないのだ、俺と。


 スポーツ全般が好きで、車の車種なら見ただけで答えられて、歌番組を毎週録画して、少年誌に連載している漫画を交換しあって読み合うようなことを、そいつらとはしたことがない。


 唯一漫画の話ができそうな奴もいたにはいたが、登場人物のモデルになったギリシャ神話の話とかツギハギの音を面白おかしく仕立て上げたアニメMAD動画だとか、よくわからに話にばかり転がっていき、こっちが話に乗れないとみると自然に距離を置くようになった。


 ネットミームなんて言葉を知らなかった俺に落ち度はないだろうけど、先生に無理やりくっつき合わされ、あまつさえ俺がハードルを越えられずに失望されるなんて状況が腹立たしかった。


 今回も期待なんてしていない。だが後々面倒になることを避けるため、休んだ理由だけ訊いて帰るつもりだった。


「……留守かよ」


 これはこれで理由ができたか。そう思ってポストにプリントだけ投函して帰ろうとした時だった。


「うちに何か用か」


 ドキッとした。思わず出そうになった声を飲み込み、喉につかえたそれを静かに吐息と共に吐き出す。

 ここはアパートの二階で、『203』号室はちょうど真ん中で、趣とか歴史を感じるにはいささか錆びれている階段があって、それなのに俺は


 動物用の手提げ籠を持った男は寝巻か部屋着のようなゆるっとしたジャージ姿で、制服を着ていれば中々の好青年に見えなくもない爽やかな風貌をしていた。堀が深く、女子が憧れるぐらいのまつげを携えている。額にうっすら汗を浮かべているのはおそらく、小諸駅まで続く長い下り坂を上ってきたからなのだろう。


「えっと、篠原……であってるよな」

「おかしなことを訊くやつだな。同じクラスだろう?」


 高校生活始まって一か月も経っていないクラスメイトの顔と名前が一致しているほど俺の記憶力はよくないし、お前との関係性なんて無いにも等しいのだから当然だ。

 心にとどめた言葉を、俺はなるべく友好的に変換して伝える。


「悪い、まだクラスメイトの名前が覚えられなくてさ。篠原とはあんまり喋ったことなかっただろ? だからまだいまいち自信がなくってさ」

「……そうか、ならしかたないのかもしれない」

「篠原はもう覚えてんの?」

「高橋正樹。全国苗字ランキング三位の『高橋(たかはし)』に、正しい樹と書いて『正樹(まさき)』」


 だいぶ余計な付加情報もそなえつけられていたが、正解だった。

 そうなると俺も篠原の下の名前を呼んでやるべきなのだろうが、まったく浮かんでこない。

 そんな心情を察してか、篠原は「プリントか」と俺の手に持つプリント指して訊いた。


「今日学校休んだから持ってけって、先生が」

「そうか、わざわざすまなかった」


 篠原は空いている方の手でプリントを受け取り、そのままプリントの読み始めた。読み終わるまで待つべきか、いや用事も終わったし帰ろう、少しだけど話もできたしと、篠原の横を通り抜けるため足を一歩前に出そうとしたとき、「みぃー」と弱弱しいくもハッキリとした強い生命の意思の声を聞いた。


 思わず足を止めた手前、訊かずに通り過ぎるのも変かなと「それ、もしかして猫入ってる?」、と言った。


「ああ、推定二週間といったところらしい」

「らしいって、野良ってことか」

「というより捨て猫だな。登校する途中の路地に段ボールと一緒になって捨ててあった」

「そりゃあ……ひでぇな」


 猫は一度の出産で3、多くて8匹もの子供を出産するらしい。最近では売り目的で多頭飼いをするブリーダーもいると、午後のワイドショーで報じていたのを思い出した。

 ケージの中を覗き込むと、まだ毛並みの揃っていない雑種と思われる子猫が一匹、奥の方で黒い真珠のような瞳をぎらつかせていた。


「それ、篠原が飼ってんの」

「俺は一人暮らしだし、バイトもするつもりだから飼えない。だから里親が見つかるまでの間だけうちで飼っている」

「そっか。あ、もしかして最近学校を休んでたのって……」


 察しのとおりだ、と右手のケージを持ち上げて言う。

 これで担任の気にしていた『高校に馴染めていない生徒』の懸念が一つ解消された。

 だが話を聞く限り、里親が見つかるまで篠原は学校に来れないという。それは結局のところ、『高校に馴染めない生徒予備軍』であることに変わりなにのではないか。


「里親は、もう見つかってんの」

「ああ。さっきまで候補だったが、ついさっき面接で里親になることが決まった」


 里親探しにそぐわない文字の羅列に、俺の頭の理解が遅れる。


「面接って、お前がしたのか?」

「そうだ」

「なんでまた、そんな面倒なことしたんだ」

「面倒? これからみー助が暮らしていく家族になる人間を選ぶんだ。手間はかかれど、面倒などと思うことはない」


 さっきより少し強張った声で答えた篠原の眼は、俺の眼を張り付けて逃がすまいとする。初めて感情をあらわにした篠原に、俺は少しだけ恐怖を感じた。だけど、彼の頑固で潔癖がゆえの正義感に触れたことで、篠原という人間の本質を感じ取れた気もした。硬質で、使いどころの選択が重要なハサミのように鋭利だが、思わず触れてみたいと思わせる魅力をそなえた、そんな奴だった。


「ん? ちょっと待て。篠原さっき猫には名前はないって言ってなかったか?」

「ああ、当然だろう。これから里親に渡すのに変に情を移しても困るからな」

「でもさっきお前、そいつのこと『みー助』って呼んでたぞ」

「……呼んでいない」

「いやいや」


 いくら俺の記憶力があれだからって、今さっき喋っていた内容を思い出せない程馬鹿じゃない。それも、さっきまで威勢が嘘のように目をそらしていたのでは『私は嘘をつきました』と言っているようなものである。


「へ~ほ~ふ~ん、みー助ね~。そういえばさっきも『みぃ~』って鳴いてたもんな~」

「(ギロ)」

「んな怖い顔すんなって。な、みー助~。お前の現飼い主はお前と違って愛想ってやつがたりねぇよな~」


 子猫に語り掛けながら、その実篠原に聞かせるようにいじってやると、あの鋭利な視線を向けられて背筋が震えたりもするのだが、今はそれも心地よくて楽しい。


 気づけば出会いが嘘のように会話が弾んでいた。これまで打算でやり過ごしてきた先生の保護観察対象と、今はもっと話してみたいと思った。今まで出会ってきた奴とも、こうなる未来があったのかなって一瞬頭をよぎったけど、多分無理だったろうなと思う。


「立ち話をしすぎた。これからミルクの時間なんだ、高橋も来い」

「は? いやなんで……」

「いいからこい、レクチャーしてやる」


 こんな頑固で、いい意味で潔癖な奴はいなかった。

 初めてプロファイルを間違えた担任の保護観察対象と、こうして俺は友達になった。

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