弐祓之拾-Ⅰ

2-ⅩⅩⅣ


 「あ、あれっ!」


 綾子が、藍子達が自分たちの居る方向へ向かって駆けて来るのを見つけた。

 前田と斎木が先に立ち、2人を追い立てるように冬花ふゆばなが続いている。

 藍子は、結界を維持しながら一番後ろを行く。


 「み~ちゃん達がいない。」

 「あの子は、従鬼と共に化け蛇に向かっている。」


 香織が、気配を読んで答えた。


 「2人だけで戦うの?あんな大きいの相手に…。」


 明羽あかはが心配げに言う。


 「大きさは関係ない。今、出来る最善のことをやるだけだ。」


 それは白も蒼も関係ない。

 例え敵が強大でも、魔族と戦うのが聖血族の使命。


 「もう、あんなヘマはしない。」


 香織と雷應らいおうは、よっぽど紅蓮に屈したことを悔やんでいるのか、身体が少し震えていた。


 「みな、無事なようじゃの?」


 4人に近付いた冬花が、声を掛けてきた。

 前田は斎木と共に、荒い息をしながら、促されるままに香織の張っている結界に入る。それを見届けて結界を解いた藍子は、来た道を振り返った。


 「これから、翠ちゃんと黎さんが香奈さんの力を削ぎます。その後、私と冬花さまで香奈さんを浄化します。」


 藍子の簡単な説明に、綾子は少し首を捻った。


 「あの、この間のように、翠ちゃんに元に戻してもらうというのは、出来ないのですか?」

 「恐らく無理でしょうね。香奈さんは、翠ちゃんの力の残滓を吸収し、歪んだ想いから魔物に変貌しました。」


 性質は違えど、香奈が持っている力は、翠の龍牙力。

 術は、核となる術者を傷付けないように、術者を保護する。


 大きな術に危険は付き物。


 操作を誤れば、最初に巻き込まれるのは術者本人。

 特に発動に時間の掛かる術は、その術者の集中を切らさない為に、余計な攻撃等から守られる必要がある。その保護は、術者の力にも及ぶ為、例えば、綾子と明羽が持っている翠の気配を発する人形も、保護の対象となる。


 召喚された力とは言え、召喚された時点でそれは翠の力の一部となる。当然、術の保護が及んでしまう。翠もそれが解っているから、藍子に正気に戻してと言ったのだろう。


 「術によっては、その保護が機能しないものもありますが、恐らく“龍皇りゅうこうの光”も“魔性転成ましょうてんせい”も術の規模を考えれば保護されていると思われます。」


 藍子は直接、術を見てはいないから想像でしかないが、まず間違いないだろう。


 「何でも出来る訳じゃないんですね。」


 今まで普通の生活をしていた綾子にとって、翠達は何でも出来そうな超人に思えていた。


 「色々、制約があるのよ。」


 少しは事情に詳しい明羽がよしよしと綾子の頭をさすりながら話を打ち切った。


 「子供扱いしないで~。」


 綾子が、ふくれた顔で明羽の手を押し退けるのを見て、藍子は微笑んだ。




 そうこうしている内にも、戦闘は既に始まっていた。

 化け蛇と化した香奈は、爬虫類の瞳で翠を睨みつけ、大きな口から邪気を吹きつけた。翠は、障壁でこれを防ぎ、呪文を唱える。


  ―聖なる龍牙よ

   鋭き槍となりて全てを貫け―


 正宗の刃が水色の輝き、翠が頭の上に掲げる。


  ―聖修道法術せいしゅうどうほうじゅつ 槍龍そうりゅう


 術の名前を叫ぶと同時に、正宗を振り下ろすと、正宗の刃から光が放たれ、幾筋もの槍となって、化け蛇の身体に突き刺さっていく。槍龍は、突き刺さると同時に爆発するが、化け蛇の身体には大したダメージを与えているようには見えなかった。


 続け様に黎が、鎧に包まれた鬼の爪で身体を引き裂こうとするが、堅い鱗に阻まれて撥ね返されてしまう。


 「~かってぇ~~っ!?」


 黎が痺れる右手を振りながら翠の許へ戻ってきた。


 「まだ鱗に覆われていない人間の部分を狙った方が良いな。」


 邪気を吹きつけた後、避難するように再び6階部分まで身体を持ち上げた化け蛇は、その顔に余裕の笑みを浮かべているようだった。

 化け蛇は両手の平を翠達に向けると、大きく息を吸い、気合を放った。すると両手から、水色の龍牙力が放たれ、翠達に襲い掛かる。


 「!聖龍牙だとっ!?」


 黎が翠を抱えて後ろに飛び退く。聖龍牙力は翠達が立っていた場所を吹き飛ばした。


 「パネルの龍牙力を吸収して変化したからね。」


 その体内には、聖龍牙力が満ちている。だが、力の使い方がよく解っていないのか、化け蛇はまるでボールのように、聖龍牙力の塊を投げつけはじめた。


 「無茶するわねっ!?」


 翠は、黎の腕から降ろしてもらい、急いで結界を張る。

 最初の一撃と違い、むやみに撃ち出される龍牙力に大した威力はない。だが、塵も積もればというように、僅かなダメージが蓄積し、耐えられなくなった柱や天井が崩壊する。

 再び充満する粉塵の中、翠は正宗を下に構え、膝をたたむ。


 「あまり時間を掛けてもいられないわ。」


 上をみると、ガラス張りの天井の向こうは薄っすらと青味がかっていた。


 「またか…。」


 前回に引き続き、また一晩中、闘っていたのかと、黎がうんざりした声を出す。


 「香奈さんが使っているのは、私の力。だったら、それを利用するまでよ。」

 「俺が奴の気を逸らす。その間にやっちめぇっ!」


 黎はそう言うと、翠の結界から飛び出し、大きくジャンプをした。それと同時に身体が3倍ほど大きくなり、再び鱗に向けて鬼の爪を振り下ろした。


 翠も、後を追うように、しかし更に高く飛び上がる。


 黎の爪は、今度は弾かれることはなく、鱗を貫き深く突き立つ。


 「ぐっ!?」


 黎は少し呻いたが、そのまま手を押し込み、鱗ごと鷲掴みにして引き千切った。


 化け蛇は大きく仰け反って、身体を左右に振る。

 化け蛇の傷口から飛び出した血が、黎の鎧にあたり湯気を立てた。


 「何?」


 見ると、血の当たった箇所が少し溶けていた。


 「成程、溶解液か…。」


 だが黎は、まったく気にもならないように、傷口に手を突っ込んで中を抉り出す。傷口からは、大量の湯気が立ち昇り、黎の篭手を溶かしていく。


 「この程度、大したこたぁ…ねぇっ!!」


 気合と共に、更に打ち込んだ腕は、より深い場所まで届いた。


 「悪ぃが、オメェを救うためなんだ、我慢せぇやっ!!」


 黎は打ち込んだ拳に龍牙力を集中させる。傷口の隙間から、紫色の影響力の光が零れ出す。


 化け蛇の体内で、龍牙力が弾けた。


 長い胴体は二分され、弾けた肉片が周囲に飛び散って、壁や床を溶かしていく。

 身体の支えを失った化け蛇は、切れてもなお暴れ回る尻尾の上に落下する。


 「翠っ!」


 黎の呼び掛けに、3階のフロアの手摺り上で待機していた翠が正宗を構えて、化け蛇に向けて飛び降りる。

 その刃は水色に輝き、揺らめいている。


 「香奈さんっ!力を返してもらうわっ!!」


 上体を起こした化け蛇は、翠の声に顔を上げる。


 『邪魔しないでぇ~っ!!』


 大きく開いた口から、邪気が放たれる。

 翠は障壁を張る。

 障壁にぶつかった邪気はそのまま霧散するものの、障壁には粘液が張り付いていた。


 「これはっ!?」


 それは先程、黎の鎧を溶かした溶解液だった。


 「このっ!」


 黎が化け蛇の顔に飛び掛かる。

 しかしその間に二度、三度と溶解液混じりの邪気が翠に吐き出される。


 邪気と溶解液の二重攻撃に翠の障壁はボロボロになり、僅かだが、溶解液が翠の衣服に付着した。その場所は瞬時に溶かされてしまうが、幸いにも肌には到達していない。


 四度目の邪気を吐こうとする化け蛇の顔を黎が脇に抱えて、そのまま床に叩きつけて押さえる。

 黎の全体重を掛けたその攻撃に、化け蛇の動きが止まる。


 その瞬間、落ちてきた翠の刃が深々と化け蛇の胸に突き刺さる。巨大な体躯を持つ為、根元まで突き刺さっても、刃先は背中までは届いていない。


 数秒の静寂の後、黎の脇の下で、化け蛇が咆哮をあげる。

 背を逸らし、暴れ出す。

 黎は振り解かれないように、更に力を込めて、顔を床に押し付ける。

 翠も、正宗を持つ手に力を込め、そのまま上に振り上げて、化け蛇の身体を切り裂いていく。

 切り傷からは水色の光が溢れ出す。


  ―聖なる龍牙よっ!

   古の契約のもと

   我、汝の役目を解かん―


 翠の呪文に合わせて、化け蛇の切り傷から大量の聖龍牙力が溢れ、大気に触れて霧散していく。


 「お願い、優しいお母さんに戻って。」


 溢れ出る聖龍牙の煽りを喰らって、正宗も、その柄を握る翠の衣服も、ボロボロになっていく。


 「正宗、耐えて。」


 翠は正宗の柄尻にそっと口づけをする。

 翠の意思に応えるように、正宗の柄までが水色に光りだした。

 翠の瞳から、一筋涙が零れ、それも溢れ出る聖龍牙力に乗って、舞い落ちていく。

 光は眩しさを増していき、建物内を光で満たす。




 正面玄関の手前で様子を見ていた藍子が、冬花に合図を送って走り出す。

 意を汲んだ冬花もすぐさま、藍子の後を追う。


 「不思議ね。眩しいのに目を射られない。」


 明羽が水色の光の洪水に感嘆の息を漏らしながら呟いた。


 「前の時もそうだったよ。」


 綾子が明羽に答える。

 どれだけの時間が経っただろうか、窓から見える空が明るみはじめた頃、光はやがて周囲から薄まり始めた。


 「そろそろ尽きるようね。」


 溢れ出る龍牙力が無くなるから、光は周囲から薄まっていく。

 いつの間にか、化け蛇の絶叫も聞こえなくなっていた。


 「おい。」


 雷應がうずくまったまま呆然としている斎木を小突いた。


 「!な、何だ…?」


 我に返った斎木が、今にも泣き出しそうな情けない表情で、雷應を振り向いた。


 「最期ぐらい、奥さんを抱き締めてやれ。」


 そう言って斎木を立たせて、結界の外に押しやった。


 「雷應、あまり余計な真似はしないの。」


 香織が軽く嗜めるが、あえて邪魔しようとはしない。


 「もう、逢えなくなるし、謝るなら今よね。」


 明羽も同意見のようで、優しく声を掛けた。

 斎木が弱々しく立ち上がり、歩き出した。

 光は見る間に弱まっていき、辺りは朝の光で満たされていく。


 「朝になっちゃったね。」


 綾子が誰に聞かせるともなく、ポツリと呟いた。




2-ⅩⅩⅤ


 あれだけ大きかった蛇の体は、今や何処にも見当たらなかった。

 翠の腕の中には、正宗の代わりに、人の姿に戻った香奈がいた。


 まだ龍牙力の影響で、肉体が存在している。しかし、それもすぐに崩れて無くなってしまうだろう。


 残るのは香奈の霊体のみ。


 『…わ、たし……。』


 その瞳には、理性が感じられる。


 「戻ったね。良かった。」


 翠はそっと香奈の体を離す。


 『――泣いているの?』


 香奈の言う通り、翠の両目からは涙が溢れていた。


 翠が最後に使った術は、龍牙力の役目を終わらせる術。

 化け蛇の体内にある龍牙力に直接、触れなければ発動できない。その為、翠は正宗を通して、龍牙力に触れることに成功した。


 しかしそれは――。


 その術は、術者ですら、操作を誤れば肉体に宿る龍牙力を霧散させてしまう危険なものだった。

 龍牙の巫女が、混沌を内包する宝珠・禁珠レイジを自然界に還す術。

 本当なら、翠が知っているはずはないのだが――。


 「大丈夫です、あなたが元に戻って良かった。」


 翠は、涙に濡れた顔で、柔らかく微笑んだ。



 そこへ、藍子と冬花、少し送れて斎木がやってきた。


 「香奈……。」


 斎木が恐るおそる声を掛けた。


 『あなた……。』


 香奈の表情が少し強張った。


 「香奈さん、彼も後悔しています。あなたが眠っている間、彼は欠かすことなくこの地を訪れて、祈っていたのですよ。」


 藍子が諭すように声を掛ける。

 藍子の言葉に、香奈はもう一度、斎木を見る。

 斎木は生前そのままの姿に、涙が溢れだした。


 『……不思議…。あれ程、憎らしかったのに…。』


 今の香奈には、斎木への憎悪は見当たらない。

 まるで、役目を終えて霧散していった龍牙力が一緒に持っていってしまったかのように、心穏やかだった。


 「香奈よ、子供が待っておるぞ。」


 冬花が、瓦礫と化した社を指差した。

 一同が振り向くと、そこに朱塗りの扉が現れた。


 「正樹は、あの扉の向こうにおる。」


 冬花が扉に近付き、ポンと叩くと、扉は静かに開き始めた。


 『正樹…。』


 香奈は駆け出しそうな想いを必死に堪え、扉の隙間から中を覗き込む。


 中は暗く、奥を見通せない。


 しかし、ぼんやりと白く光る何かがある。

 よく見ると、それは子供が背中を向けてうずくまっている姿だった。


 「正樹なのか?」


 斎木が一歩前に出る。

 その声に子供の背中がピクッと反応した。


 少し不穏な気配が漂いだす。


 「まずいな、あいつ…。」


 黎が翠の側に戻ってきて、耳元で呟いた。

 扉が開くのに合わせるかのように、子供の霊はゆっくりと立ち上がる。


 「斎木さん、下がってください。」


 藍子が斎木を後ろに押しやる。


 「~~お…おれ、は……。」


 怨まれて当然とはいえ、さすがにショックだったのだろう。

 斎木の顔は蒼白になっていた。


 振り向いた子供の霊は、醜く歪んだ視線を父親に向ける。


 「龍牙の巫女よ、そこを退きなさい。」


 冬花が、斎木の前に立つ藍子に、静かに声を掛ける。


 「冬花さま…?」


 藍子は、冬花が再び怨霊に憑かれたかと、一瞬疑うが、その目には、しっかりした意志が感じ取れた。


 「…解りました。」


 翠と黎の役目は終わっている。

 2人はもしもの時に備えて、静かに動向を見守ることにした。


 藍子が「逃げないで下さい。」と囁いた後、斎木の前から退くと、子供の霊が牙を剥くが如く大きく口を開いて飛び掛ってきた。

 斎木は思わず逃げそうになるのを、必死に堪えた。

 斎木の肩口に、子供の霊が喰らいつく。

 叫びそうになるのを何とか堪え、斎木は喰らいついたまま低く唸っている子供の霊の背中に腕を回す。


 「ごめん。ごめん、な…。」


 肩口から流れ落ちる血に染まりながらも、斎木は謝罪の言葉を投げ掛ける。


 相手は霊体。


 背中に回した腕が子供の霊を抱き締めることは出来ないが、肩には確かに感触がある。

 怨みからくるものとはいえ、二度と触れる事は出来ないだろうと諦めいていた。

 涙を流して謝る斎木に、香奈が近付いていく。

 そして霧散していく腕で、2人を優しく抱き締める。


 霊体と肉体。


 今の香奈は、両方を抱き締めることが出来る。


 『あなた、正樹…。』


 香奈の声に、子供の霊が肩から口を放し、振り返る。

 そこには、優しく微笑む母親の顔と、涙を流す父親の顔があった。


 母親から流れ込んでくる温かな想い。

 父親から押し寄せてくる後悔の念と罪悪感。


 そんな2人から共通して感じられる感情がある。



 優しく、切ない感情。



 醜く歪んでいた顔が、元のあどけない表情を取り戻しだす。


 それを見て、藍子が静かに一歩後ろに下がって、両手を前に突き出した。

 両手に水色の光が集まりだす


 その唇が、静かに呪文を紡ぎだす。


  ―聖なる龍牙よ

   邪なる力に満たされし

   優しき心を 癒し給へ―


 呪文に合わせて、光が抱き合う親子に伸びていく。


  ―神修道法術しんしゅうどうほうじゅつ 清光龍せいこうりゅう


 水色の優しい光に包み込まれ、親子の表情は安らかなものになる。


 香奈の体を構成している翠の龍牙力は、清光龍の光に溶けるように解けていく。


 藍子が軽く両手を左右に振ると、手のひらから光が離れる。


 「香奈、正樹。」


 斎木の呼び掛けに、2人が顔を上げる。

 2人とも、既に生前の姿に戻っている。


 優しい笑みを湛える香奈。

 あどけない表情の正樹。


 そんな2人を見詰める斎木の目は、父親そのもの。




 清光龍に包まれ、緩やかな時間が流れている中、冬花がゆっくりと3人に近付いていく。


 「そろそろいいかの?」


 香奈と正樹は霊体。


 清光龍に包まれているとはいえ、あまりこの世界に留まっていてはいられない。


 『すみません。』


 香奈が静かに振り向く。


 「ようやっと、目を合わせる事が出来たの。」


 冬花が香奈の目線の高さに浮いて、にかっと笑った。


 『ずっと、気を遣っていただいていたのに、申し訳ありません。』

 『きつねさん。今までありがとう。』


 香奈も正樹も、礼儀正しいその態度は、化け蛇でも怨霊でもない。

 冬花のこれまでの努力も報われるというもの。


 「時が経てば、また再び廻り逢えるときも来よう。」


 冬花の言葉は、香奈と正樹だけではなく、斎木にも向けられていた。


 「今は、それぞれの想いを胸に抱いて、新たな旅立ちを迎えるが良い。」


 冬花が両腕を広げると、天窓をすり抜けて、光が射し込んできた。

 それと入れ替わるように、清光龍の光が消えていく。


 「行ってしまうんだな。」


 斎木が名残惜しそうに香奈と正樹の顔を見る。


 『ええ、…またね。』


 香奈は少し戸惑った顔をしてから、優しく微笑んだ。

 正樹も、父親に手を振っている。

 斎木はそれに応えて、涙目ながらも笑顔で手を振る。


 2人の体は静かに浮き上がっていく。

 その体も、次第に光に紛れていく。


 神々しい光は、2人を連れて、空高く昇っていった。




 「ありがとうございました。」


 2人を見送った斎木は、決意の光をその瞳に宿し、冬花達に頭を下げてお礼を言う。


 「決心がついたようじゃの?」


 罪を償う決心――。

 神主として、1人の人間として、そして父親として。


 「今までの行動が恥ずかしいばかりです。」


 怨霊に憑かれていたとはいえ、行った罪は消えない。


 「一つだけ、教えて下さい。」


 藍子が、ずっと疑問に思っていたことを聞いてみる。


 「香奈さんのご両親は、何故、お迎えに来なかったのですか?」


 両親が迎えに来れば、こうはならなかったかもしれない。


 「香奈の両親は、こちらへ向かう途中で、交通事故に巻き込まれてしまい、義父は死亡。義母は病院で寝たきりになっています。」


 幸か不幸か、義母は意識を取り戻すことがなく、斎木が近くの病院に引き取って、面倒を見ていると言う。




 外へ出ると、日は昇り、今日も暑い一日になるだろうと予感できた。


 時刻は7時前――。


 人避けの結界に包まれているため、職員はまだ誰一人も出勤してきていない。と言うより、入り口をいつの間にか通り過ぎて引き返すも、また入り口を通り過ぎるといったことを繰り返しているだろう。


 「前田さん、損害は翡翠が持ちます。後で請求して下さい。」


 藍子の提案に、前田が慌てだす。


 「そ、そんなとんでもありません!そんなことして頂いては…。」


 外壁以外は、ほぼ全壊。


 店子達の商品や備品も、使い物にならなくなっているものも多い。いくら保険を掛けていても、まかない切れるものではないだろう。


 「今回は私達にも落ち度がありますから、どうか、受け入れて下さい。」


 本当なら、写真が撮られていることに気がついて、そのネガを回収しなければいけなかった。処理班がパネルを、展示される前に処分していなければいけなかった。

 更に、予想外に大きくなった風神坊との戦闘に、処理班も対処し切れなかったのも、原因の一つ。


 自分に厳しい藍子は、この地に来るまで、写真の存在に気がついていなかったことにいきどおりを感じていた。


 「……仕方ありませんね。お受けしましょう。」


 頭を下げてお願いをする藍子に、前田はしぶしぶ了承の意を示した。


 「さて、お別れじゃの。」


 冬花が入り口の前で立ち止まり、清々しい声で言った。


 「私たちも、今度こそ帰るわ。」


 香織と雷應も翠達から少し離れて、軽く手を振っている。


 「わらわは、もう暫くはこの地に留まっておる。何かあれば会いに来るが良い。」


 そう言うと、冬花の姿は消えていき、気配も感じなくなってしまった。

 それと入れ替わるように、結界を越えて、数人の人影が入ってきているのが見える。見た目は何処にでもいそうなカジュアルな格好をしているが、処理班である。


 事態終息の気配を察して入ってきたのだろう。


 「後は処理班に任せて、俺らも帰ろーぜ。」


 黎はその姿を見て、伸びをしながら言った。




 良く晴れた空――。



 結界の外には、昨晩のことがまるで夢のように、穏やかな時間が流れていた。







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