(2)
甲斐田律。八歳。
遺体の身元はすぐに割れた。近隣の小学校で、該当しそうな児童として浮上した名前とそのまま合致したからだ。
容疑者が絞られるのは、さらに簡単だった。
殺すつもりはなかった。子供が生意気なので、
魚住はあっさり自供し、母親ともども逮捕された。子供の母親である甲斐田朝美――本当に二十五歳だった――は、最後まで容疑を否認しつづけたが、魚住が犯行を認めたことで、みずからの罪を認めたという。
『戒律の「律」なんだって。だからぼく、自分に厳しくしないといけないんだ』
ふたりが子供を殺して埋めたのが二月中旬。俺がクソガキとはじめて会ったのは、三月中旬。
時系列が、まるで噛み合わない。
他人のそら似かとも思ったが、各報道で取り上げられる写真には、いずれも見慣れたクマのぬいぐるみが映りこんでいた。いま現在、間違いなく俺の住むボロアパートに置いてあるやつだ。最初はボロッちくて触るのも躊躇するほど小汚かったが、いまは洗濯されて、多少はマシになっている。
俺はたしかに、あのガキと二回、あの土手で会っていた。それから、この病院で目を覚ます直前にも。
それはちょうど、河川敷であいつの遺体が発見された日――
『おじちゃん、奇跡は起こるよ』
――んでだよ……っ!
どうしようもない怒りと悔しさがこみあげてくる。
『クマゴローはお守りなんだ。すごく頼りになるんだよ。だから、おじちゃんが持ってて』
なにが頼りになる、だ。なにが奇跡を起こせるだ。
おまえ結局、守ってもらえなかったじゃねえかっ。奇跡なんか起きないまま、酷い目に遭わされて、痛い思いして、苦しい思いして死んじまってたんじゃねえかっ!
なんで自分が守ってもらわねえんだよっ。なんで自分に奇跡起こさせねえんだよっ。俺なんかに大事な大事な宝物預けちまって、そんでなんであんなふうに笑えるんだよっ。ありがとうとか、全っ然意味わかんねえっ!
俺はおまえに少しも優しくしなかったし、親切にもしてやらなかった。俺のまえに現れたときから鬱陶しいクソガキとしか思えなくて、さっさと追い払うことばっか考えてた。その俺に、おまえはよりによってあんな大事なもん預けて、励ましてまでくれて。
『ぼくね、思うんだけど、生きてるとときどき、苦しいことも悲しいこともいっぱいあるでしょ? だけど、それでもやっぱり、「ここ」にいられるのっていいなあって思ったりするの』
なあ、おまえ、クソガキ、なんで俺だったんだよ? ほんとはおまえが生きたかったはずだろ? まだたった八つかそこらでさ。なのに、赤の他人のおっさんに酷い目に遭わされて、じつの母親にまで惨い仕打ち受けて。それでなんで、それでもこの世界がいいなんて思えたんだよ? どうして俺に救いの手を差し伸べてくれたりなんかしたんだよ?
『おじちゃん、元気でね。ありがとう……』
テレビ画面の向こうで、クマのぬいぐるみを抱いたあいつが幸せそうに笑う。
「結城さん、おはようございます。朝食、今朝はひとくちも手をつけられなかったそうですね。調子悪いですか? 吐き気がある? それとも痛みかな?」
担当医が、病室に入ってくる。その顔が、不意に大きくぶれた。
「先生っ」
ベッドサイドに立った医師の腕を強く掴む。
「どうしました? あれ、かなり具合悪いかな? 大丈夫? いま、どんな感じ――」
「先生っ、助けてくださいっ」
「結城さん?」
「俺、手術受けます! 手術受けるから、だから頼むからっ、頼むから助け……っ」
死にたくないっ。死にたくないっ。この先も生きていきたいっ!
律、俺はおまえが望んだ世界で、もっともっと生きつづけていきたい―――
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