第7章 キセキ

(1)

 俺はそのまま、入院することとなった。

 作動した頭の中の時限装置はリミットを迎えなかった。それだけはたしかな事実で、病院で目覚めた俺を、クソガキと親、それぞれがおなじように覗きこんでいたという展開は共通していたものの、二度目に目覚めて以降、ガキの姿は忽然と俺のまえから消えていた。


 俺が置かれている厳しい状況は変わらない。

 再三にわたって来院をうながす病院からの電話をことごとく無視しつづけてきたが、こうして有無を言わさずその病院に放りこまれてしまえば、もはやどうすることもできなかった。


 親と担当医とでグルになって手続きを進められ、強制入院。今後の治療については、おいおい方針をさだめていくということで、当面は検査をしたり、現時点での進行具合について確認をしたり、といった方向で説明を聞かされた。だが、張りつめていたものが完全に切れてしまったいまとなっては、すべてがどうでもよくなっていた。

 親や医者の進言に逆らう気力も、ましてや病院を抜け出す気力もない。ただおとなしく、じっと病室に閉じこもるばかりの日々。



「おはようございます。結城さん、体調は如何ですか?」

 朝一で検温と血圧の測定にやってきた看護師に、とくに変わりはない旨伝える。

「今日の先生の回診は朝食のあとになりますから、なにか気になることがあったら、遠慮なくお尋ねくださいね」

 愛想よくかけられる声に、無言で頷く。さらになにか言うので内容もよく聞かず、それにも黙って頷いた。直後にベッドサイドの棚に手を伸ばした看護師は、手にとったリモコンをテレビに向ける。途端に電源が、オンに切り替わった。


「お好きなチャンネルに切り替えてくださいね。うるさかったら消しちゃってもいいですから」

 言って、枕わきにリモコンを置く。日がな一日無気力にベッドで横になっているか、とくになにをするでなくぼんやりと座りつづける俺を気遣っての配慮らしかった。


 入院して三日目。

 そういえば、一度もテレビの電源を入れたことがなかったことに気がついた。

 どの局も、朝の情報番組やニュースを流している時間帯。

 これといって観たい番組や興味を引かれる特集があるわけでもなかったので、リモコンに手を伸ばすこともなく、看護師がつけていった画面をそのまま見やる。だが。

 カメラが映す、見覚えのある光景に身体が勝手に反応した。

 起床後、ベッドのリクライニングを適度に起こしてもたれかかっていた俺は、はじめて腹筋に力を入れ、身を乗り出すようにして画面に釘付けになった。


 新緑に覆われたひろびろとした土手に整備されたサイクリングロード。その向こうにひろがる河川敷。公園やグランドが設けられているその敷地の一部が、ブルーシートで覆われていた。


『今月七日に遺体で発見された甲斐田かいだりつちゃんは、あちらのブルーシートで覆われた河川敷の一角に埋められており、早朝、犬の散歩で偶然通りかかった地域の住民が――』


 ――なんだ? どういうことだ?


 画面に吸い寄せられた目を、離すことができない。知らぬ間に、うるさいぐらいに心臓が早鐘を打ちはじめていた。

 画面上部に『児童殺害』の文字も生々しく見出しが表示され、眼下のブルーシートを背景に、土手に立つリポーターがやや上のアングルから映し出される。その左下には、子供の顔写真。写真の下に、「甲斐田律ちゃん(8)」の文字が並んでいた。


 内容が、まるで頭に入ってこない。まったくもって意味がわからなかった。

 テレビ画面越しに全国に屈託のない笑顔を振りまいているのは、まぎれもないあのクソガキ。


 混乱する頭で、それでも無意識のうちに手にしたリモコンを使って次々にザッピングしていく。局によって取り上げるニュースはバラバラだったが、時間をズラして根気強くチャンネルを変えていくうち、事件の概要が次第に掴めてきた。

 今月の七日早朝、犬の散歩をしていた地域住民が偶然、地面から人間の衣服のようなものがはみ出ているのを発見した。よく見れば、布地だけでなく、それを身にまとっている身体のようなものも看て取れる。最初は全体が小さいので、捨てられた人形かなにかだと思った。が、それにしては連れている犬の反応がおかしい。気味悪く思った住人は、念のため、その場で一一〇番通報をすることにした。自分の思いすごしであるなら、それに越したことはない。できればそうであることを望んでの通報だった。そしてその結果、発見されたのは、たんなる人形ではなく、人間の子供の遺体であったことがほどなく判明することとなった。

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