第31話 口説いてくるんだろうな
狩り小屋をもう一度見せてほしいというエルンストの求めを、うまく断ることができなかった。
エルンストは、レトキ族に馴染みのあるクロユリの花をわたしの部屋に飾ってくれ、レトキ族伝統の紋様を刻んだわたし手製の弓を、実に嬉しそうに持ち帰ってくれた。
いや、その前には、わたしがアーヴィド王子をかばう発言を漏らしてしまったとき、助け船を出してくれたこともある。
心に親しみを感じているのは事実だ。
だけど、
――すべては、姉様が裏から手をまわしていて、エルンストは姉様の指図のとおりに、わたしに取り入ろうとしていたのだとしたら……。
という想像には、ヒヤリとしてしまう。
――わたしを口説き、婿となり、幸せにしてやっておくれと、姉様がエルンストに命じたのではないか……?
いまもまたエルンストは、わたしのつくった狩具を熱心に眺めている。
スリムな体格に、眉目秀麗な容姿。
粗末な狩り小屋に立っていても、貴公子然とした洗練されたふる舞いが、実に絵になる。
わたしが抱く部族への愛情と郷愁を、蛮族の習俗と蔑むこともなく、大切に扱ってくれている。
尊重してくれているように見える。
いや、一緒に愛してくれているようにさえ見える。
足元で息を潜めておられるアーヴィド王子と、互いの気持ちを確認し合った後でなければ、わたしの心はグラリときていたかもしれない。
いまはまだ、はかない夢のようなものだけど、アーヴィド王子と将来を誓い合った。
――好きだ。
と、仰ってくださった。
夢みることさえなかったひと言に、思わず「はあ?」と返してしまった自分を殴りたい。
だけど、そんなわたしにアーヴィド王子はイヤな顔ひとつせず、
――このままどこかに逃げて、
とまで、仰っていただいた。
だけど、姉トゥイッカの謀略で着せられた汚名をそのままに、しっぽを巻いて逃げだすようなことをさせたくない。
わたしにはできない。
アーヴィド王子にまた、わたしのワガママを強いているのかもしれない。
だけど、わたしにはどうしてもできない。
「このお部屋なら……」
と、エルンストのむらのない声にハッと我に返った。
「……ほかの者に、話を聞かれることもないかと思い」
「え、ええ……」
正直な、わたしの気持ちとして、
――あ~あ、口説いてくるんだろうなぁ~っ! 面倒だなぁ~っ!
と、思っていた。
先日はミアにからかわれてしまうほど、胸を高鳴らせてしまったというのに、勝手なものだ。
でも、仕方がない。
わたしは、初恋を実らせたばかりなのだ。
できるだけ丁重に、穏便に、波風立てないように、姉からも怪しまれることがないように、お断りしないといけない。
――でも、わたし……、恋愛経験皆無なのよね……、10歳で暴虐の王の奥さんになって、言い寄ってくるような強者、誰もいなかったし……。
「……ちかく、内乱が起きます」
「お断りしまっ……、えっ?」
あたまを下げたまま、固まった。
「誠に申し訳なきことながら……、ヴェーラ陛下の思し召しでありましょうとも、もやは事態を押し止めることは叶いません」
ガクガクと身体が震えた。
内乱――、
戦争への恐怖と嫌悪感が、抑えようもなく身体の芯から湧き上がり、わたしを覆い尽くす。
幼き日々の記憶が、脳裏を焼く。
ぎこちなく頭をあげ、エルンストの黒い瞳を見詰めた。
「……われら旧ヴィルトマーク王国、旧ブロッマ王国、旧スコグベール王国、旧ヴィットダール大公国などから王国に帰順した西方貴族、そして、ギレンシュテット王国に古くから仕える古参貴族たちの忍耐は、すでに限界を超えているのです」
端正な顔立ちの眉間には、これまでのエルンストがわたしに見せたことのない、険しいシワが刻まれている。
そして、真剣な眼差しに濁りはなく、純粋な使命感に燃えていることを示していた。
戦争を……、止められない目をしていた。
「……どうして、
冗談であってほしいと、とおい日の戦火の記憶に怯えるわたしの心が言わせた。
いや――、部族と王国の戦争が終わったのは、まだ9年前。とおくはない。
エルンストは、わたしから目を離すことなく、静かに首を振った。
「もし、ヴェーラ陛下が今すぐ私の首を刎ね、姉君のところに駆け込まれても、もはや止めようがありません」
と、そのとき、エルンストは自分の懐に手を入れた。
短剣でも取り出すのかと、咄嗟にわたしの身体が動いた。
「……失礼」
エルンストがゆっくりと懐から抜いた手には、ほそく折りたたまれた紙が握られていた。
わたしが手にした
「まもなく、ハーヴェッツ王国に潜伏されている第2王子ニクラス殿下が、兵を率いて帰還されます」
エルンストがわたしに渡そうとはしない、その書簡に目を凝らした。
「それに合わせ、……われらも決起します」
その書簡――密書の末尾にあるサインは、たしかにニクラス殿下のものに見えた。
――やはり、ハーヴェッツ王国に潜伏されていたのか……。
ゾクリとした。
エルンストたちは、姉を殺そうとしているのだ。姉を殺し、きっと甥も殺し、ニクラス殿下を王位に就けようとしているのだ。
恐る恐る視線をうごかし、エルンストの目を見た。
「……ヴェーラ陛下は、トゥイッカ陛下がレトキ族に重い貢納を課していることをご存知ですか?」
「さ……、さあ……、どうでしょう?」
「やはり、ご存知でしたか……」
エルンストは、ニクラス殿下からの密書を丁寧に折り畳み、懐へとしまった。
「……ヴェーラ陛下は、心を痛めておられるはずです。トゥイッカ陛下のなされるレトキ族への仕打ちに」
「……ど、どうでしょうか?」
声が震える。エルンストはどこまで知っているのか。いや、それさえも姉の仕掛けた罠ではないか? エルンストは姉の手先なのではないか? ニクラス殿下の密書を偽造し、わたしを罠に嵌めようとしているのではないか?
姉は、自分の告白に心からの賛辞をおくらなかったわたしを、粛清しようとしているのではないか?
カラカラに乾いたのどを潤そうと、飲み込む唾が出ない。
――逃げて!
と、いますぐアーヴィド王子に叫ぶべきではないのか?
「……ヴェーラ陛下が、故郷のレトキ族を想われるお気持ちは、本物であると……、私は賭けました」
「え、ええ……」
「われらが現王政に反旗を掲げれば、トゥイッカ陛下はレトキ族から兵を取るでしょう。いや、必ず徴発されます」
「え…………」
ラウリの痩せこけた顔が脳裏をよぎる。
日々の生活に困窮するほどの重い貢納を課し、婚約者だったペッカを殺してまで自分と妹を王国への人質に差し出した部族への復讐をつづける、姉トゥイッカ。
――悪いやつらは、お姉ちゃんがちゃんと懲らしめておくわ。
わたしの耳元でささやいた姉の、そのときの顔を目にしてはいない。
だけど、きっと笑っていた。
オロフ王が黒狼騎士団長シモンを
姉はやる。必ずやる。エルンストの言うとおり、戦地にラウリたちを送り込む。いちばん厳しい死地に送り込む。
子どもたちに――、
と、そっと隠し持たせてやった飴を大事そうに握りしめ、涙をこぼした心優しき幼馴染のラウリを……、
心優しき同胞たちを、姉は殺す。
身じろぎひとつせずまっすぐにわたしを見詰めるエルンストの瞳を、わたしも見詰め返し続けた。
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