第2話 領内視察
「さて……」
フィーネを田舎に送り返した後、俺は自室から執務室へ移動した。ここもまた自室に劣らぬ豪奢な部屋だ。日本円に換算すると数千万はするだろう重厚な執務机に、宝石が埋められた椅子。壁にかかっている歴代当主の肖像画は黄金の額に収められている。
「悪役となったからには悪として存分に振る舞いたいが……まずはどうするか」
俺はこの世界……『バゼラント大陸戦記』についてはそこまで詳しくはない。一度プレイしてクリアまで行ったが、細部は覚えていない……といった程度の知識だ。
「ならばまずは現状把握に努めるべきか……?」
そんな事を考えていると、執務室のドアがノックされた。
「入れ」
「失礼いたします」
部屋に姿を現したのは執事服を着た初老の人物だ。髪は全て白髪だが、背筋がピンと伸び動作は折り目正しい。確か、この老紳士は――。
「エヴァンか」
エヴァン・イーストン。クレヴィング伯爵家に……つまり、当家に仕える執事だ。
「何の用だ?」
「はっ……領地の見回りについて、ジークヴォルト様はどのようなお考えか伺わせていただきたく参上致しました」
「領地の見回り、か……」
「はい。ジークヴォルト様が先代御当主様から当家を引き継ぎ、二か月が経過しました。そろそろご領地の視察など行われる時期かと思い……」
「ふむ」
俺はジークヴォルトとしての記憶を呼び起こす。
俺の記憶によると……約二か月前、先代のクレヴィング伯爵家当主、ジグラート・フォン・クレヴィングは心臓発作で急死。すでにジグラートの妻は亡くなっており、子供は俺ひとり。自動的に俺が伯爵家の当主を受け継いだ……という事らしい。
そうか、俺は伯爵家の当主を継いでまだ二か月しか経過していないのか。
「そうだな、王家に対して当主引き継ぎの挨拶も終わった。そろそろ領地の視察に向かう時期だろう。さっそく手配しろ、エヴァン」
「え……よ、よろしいのですか?」
なぜか驚いた顔をするエヴァン。
「どうして驚いている。領地の視察を提案したのはお前だろう」
「い、いえ……申し訳ありません。その……」
「もったいぶらずに言え」
「は……はっ!てっきり、ジークヴォルト様は視察を断られると思っておりました」
「ほう……」
俺は目を細めた。
「なるほど、昔から遊び惚けてばかりの愚鈍な新当主は面倒な領地の視察など行わないと思っていたという事か」
「い、いえ、そのような事は……!」
図星だったのか、エヴァンは申し訳なさそうに顔を下げる。まあ、エヴァンがそう思うのも無理はない話だ。
実際、前世の記憶を取り戻す前の
「エヴァン、お前は正しい」
「え……?」
「俺は確かに、遊び惚けてばかりの馬鹿当主だ。そしてそれは今も同じ。ただひとつ違うのは……今までよりもっと面白い遊びを思い出しただけだ」
「今までよりも、もっと面白い遊び……?」
酒、女、ギャンブル……この世界にも魅力的な遊びは数多く存在する。だが、前世の記憶を取り戻した俺は、そんなものよりもっともっと面白いものを知っている。
「なあ、エヴァン。俺はこの大陸を――つまりこの世界を征服しようと思っているんだ」
「は……?」
エヴァンは、俺が何を言っているのか理解しかねた様子で呆然としている。それもそうだろう。バゼラント大陸はこの世界の陸地の大部分を占めているが、その中には複数の国家が存在している。俺はその数多の国家の貴族のひとりに過ぎない。俺と同等以上の地位を持つ者は、世界に数百人といるだろう。
大国の国王でさえ世界征服など不可能に近いのに、ただの地方貴族が世界征服を企むなど正気ではない。
もっとも、あくまで俺の本当の目的は理想の悪役になる事だ。世界制服というのはそれを分かりやすく表現したに過ぎない。
「ジ、ジークヴォルト様。例え冗談でも、そのような事は口になされぬ方がよいかと……」
「ほう……俺の言葉を冗談と捉えるか?」
「ち、違うのですか……?」
「フッ……どうだろうな。それよりも本題に戻ろう。近々領内の視察を開始する。貴様も同行させるから準備しておけ、エヴァン」
「は……はは!」
◇
視察を開始すると宣言してから3日後。俺は、執事のエヴァンと共に馬車に揺られ領内を進んでいた。
「それでは、これから視察を行うマルクト地方についての概要を改めてお伝えいたします」
エヴァンが資料を読み上げる。
「マルクト地方は我が領内の西部に位置しております。この地方には農村が4つほど点在。このマルクト地方を治める代官はゲスラー・ゲス。ゲスラーの代官屋敷は、この街道から枝道に入り村の中を進んだ先にあります」
「ここ数年の税収は?」
「年々、税収は増加しています」
「という事は農業生産力も年々向上している、という訳だ」
「はい。ゲスラーからクレヴィング家に毎年届けられる報告書にもそのように書かれています」
「クク……報告書に書かれている、か……」
俺は、窓の外の景色を見ながら呟いた。この辺りはすでにマルクト地方だ。周囲には穀倉地帯が広がり、麦の穂が風にそよいでいる。
今の季節は初夏だ。確か、麦の借り入れは夏のはずだからそろそろ収穫の時期という事だろう。しかし、その割に村には活気が無いように見受けられた。時折街道で見かける村人たちの表情には笑顔というものが見受けられない。
「さて……そろそろか」
俺は馬車の中でパチンと指を鳴らす。すると、先ほどまで貴族服を着ていた俺は、
「ジークヴォルト様……い、今、何を……?」
「魔術を使用した。ストックしておいた服装と今の服装を交換する魔術だ」
「そ、そのような魔術、いつの間に……!」
服装変換の魔術を習得するにはそれなりのセンスが必要だ。しかし、魔術の才能に優れた俺にとってみれば、習得はさほど難しいものではなかった。
「そ、それに、いったいなぜそのような恰好を……?」
「視察の準備だ。この服装の方が色々と情報を得る事が出来るだろうからな。よし、ここで馬車を止めろ」
俺は御者に命じ、馬車の扉を開ける。
「では、俺は視察に向かう」
「じ、ジークヴォルト様!お待ちを!」
「エヴァン、ここで3時間ほど待機した後、ゲスラーの代官屋敷に向かえ」
「し、しかし……」
「命令だ」
「か、畏まりました……!」
エヴァンと馬車を残し、俺はゲスラーの代官屋敷がある方へと歩き出した。
◇
「随分と荒れた村だな」
ゲスラーの代官屋敷へ続く村はかなり荒廃していた。壁が崩れかけている家がちらほらあり、道も整備されておらずデコボコとしている。村人の多くは農作業に出ているのだろう、村の中は静まり返っていた。そんな中にあって、俺はフラフラとした足取りで村の中を歩く少女と出くわした。まだ10歳にもならないであろう年頃で、亜麻色の髪を伸ばした利発そうな少女だ。
「お前、名前は?そしてここで何をしている?」
俺は少女に問いかける。
「私はサラ。えっとね、お腹が空いたから森に行って木の実を採ろうと思ったの。でも、全然取れなくて……。ねえ、おにーちゃん、誰?」
サラが首を傾げ、俺の顔を見上げる。
「おにーちゃんの顔、はじめて見た。この村の人じゃないでしょ」
「そうだ。知りたい事があってここに来た」
「知りたい事?」
「ああ。この村での生活はどうだ?食料は足りているか?」
「しょくりょう?」
「ご飯は足りているか、と聞いている」
「……ううん」
サラは首を振った。
「私も、お父さんもお母さんも、いつもお腹ペコペコ」
「どうしてだ?この辺りは麦の取れ高が良いようだが」
「分かんない。でもお父さんは、麦を作っても『ちだい』っていうのが毎年上がって代官さまに取られちゃうから、私たちの所にはぜんぜん残らないんだって言ってた」
「それで、その代官の屋敷はこの道を真っ直ぐ行った先で間違いはないな?」
「うん」
「そうか」
よし、これで知りたい情報は得る事が出来た。次は代官の屋敷に向かおう……そう思い足を踏み出しかけたが、俺はそこでふと足を止めた。そして、肩に下げていたズタ袋の中から紙に包まれたビスケットを取り出す。俺の携帯用の食料にと用意していたものだ。
「腹が減っていると言ったな。これを食べろ」
「食べてもいいの?」
ビスケットに目を輝かせるサラ。
「違う」
「……?」
「食べてもいい、ではない。お前は食べなければならない」
「えっと……どういう事?」
少女は、きょとんとした表情で俺を見上げる。
「俺はこの地の領主……つまり支配者だ。そして、俺に支配されるお前は健康に暮らす義務がある」
「ぎ、ぎむ?」
「そうだ。領民であるお前達が健康であれば、それだけ領内の生産性が向上する。そしてそれは、領主である俺の力が増大する事に繋がる――」
「???」
少女の表情が、『きょとん』から『ぽかん』に変化した。やはり難しすぎたか。
「なんにしてもお前は健康でいろ。俺のためにな」
俺は少女にビスケットを手渡すと、代官の屋敷に向かって歩み始めた。
「無論、このビスケット程度で終わらせるつもりはない。近いうちお前に腹いっぱい食わせてやろう」
そして――健康な生活を送り、せいぜい真面目に働くがいい。悪の領主たるこの俺の力を増大させるためにな。
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