気功だけで世界を変える:クラスも勇者もいらない

佐藤祐騰久兵衛

プロローグ

プロローグ〜ある武芸者の生涯

「我が生涯に一片の悔い無し!!」


 絶命寸前に格好良いセリフを宣っては見たものの、もし本当に悔いのない人生を送ったのならば、瀕死状態になる度に自分の人生走馬灯を見せつけられ、「早送り機能があればいいのにな」と思うまでにはならなかったと思う。


 ほら、そういう感慨にふけていると、おそらく本番の、そして最後の走馬灯が始まろうとしている。


 今更感が半端ないが、走馬灯をちゃんと最初から鑑賞するか。前見たときからの追加部分が楽しみだ。


 ソの国天聖元年、余は剣術の名門流派の当主の長子として生まれ,6歳で気が発現したことから「100年に1人の逸材」として(主に同じ派閥の流派の間で)もてはやされ、11歳で「下山」 ー 流派の看板を背負って武芸者の世界を生き抜くだけの実力を有すると当主に認められて、流派の山門をくぐること ー を果たした神童。


 しかし江湖 ー 武芸者の世界 ー に出て数年もしないうちに、ただの一流派に限界を感じた余は、手当たり次第に他流派の技を遍く学ぼうとした。時には他の武芸者と切磋琢磨し、時には対戦中に相手の技を分析しては習得し、あげくの果てにいくつかの大きな流派が厳重に保管していた奥義の秘伝書を盗み出した。


 そんなことをしたらもちろん父の流派を含めた自称「清流派」の諸流派が看過するはずもなく、余は破門され、武芸者の禁忌タブーを犯した不届者を抹殺すべく諸流派から刺客を送られてきた。


 当時まだ20代でしかなかった余は、瀕死状態になっては走馬灯を見てしまうという苦境に何十回も陥ったが、習得した奥義の数々に加え、ある遺跡で見つけた秘伝書から学んだ、禁断の邪法と忌避された「他人の気を吸い取る」技 − 栄枯盛衰 − を駆使し、刺客たちを無力化させただけでなく、それを糧に自分の実力がどんどん強くなっていく。


 善悪がどうであれ、桁外れな強さは否応なしに人を惹きつけるものだ。名だたる刺客の数々と死闘を演じていた十数年間、余のことを「諸流を尽く一嚢中にたくわえた武術の申し子」だと勝手に思い込んで慕い集った物好きは少なくなかった。


 侠客を自認する流派の裏切り者である余に群がるくらいだから、脛に傷の三つや四つ持っている輩ばかりなのは言うまでもない。余はそういった輩を「尊武会」なる組織で束ねて、すべての会員に一つだけ絶対守らなければならない戒律を強いた。


「弱き者を虐げることなかれ」


 父を含む「侠客」どもは、「正義」のためなら武をもって禁を犯すことも辞さないという建前こそ掲げてはいるものの、蓋を開けてみれば富商や地方の有力者が朝廷と対抗するための武装勢力でしかなかった。


 余は朝廷にも、富豪にも、そして無頼者にも与しなかった。ただ誰も一顧だにしない持たざる者をこれ以上搾取することだけは看過できなかった。


 余の強さに憧れて集ってきた以上、自分を殺しうる強者をあえて相手にする気概がなければ話にならない。


「何かを奪いたいなら、強い者から奪え。少なくとも弱者から奪うより得られるものは多いはずだ。」尊武会への参加希望者全員に告げる言葉だ。それでも力のない庶民や、武術の基礎しか修めていない村の自警団のような弱者に狼藉を働く輩は、一人として例外なく余の栄枯盛衰の餌食にし、気を一滴残らず吸い取ったあげく、両腕の筋を切ることで搾取される側に落としてやった。そういった見せしめの効果もあって、尊武会には志を同じくする武芸者しかいなくなった。


 尊武会の会員が百人を超えた頃には、もう余を襲う刺客が来なくなった。命を落とすことはほぼないが、余と戦えば確実に気を吸い取られ実力をど素人にリセットされると分かっていて挑んでくる狂人はいない。


 気がつけばもう齢50を過ぎており、ソの国の皇帝も三回世代交替したが、ソの国の首都は変わらず繁華を極めた百万以上の人口を誇る世界最大の都市のままだった。


 余は武術を鍛えながらも、首都で華やかな生活を謳歌していた。「世界の財貨の半分以上はソの国にあり」という謳い文句は嘘偽りなく、金さえあれば東の日出づる国の名刀から西の砂漠の国の豪華絢爛な絨毯を簡単に買うことができ、下町に繰り出せば毎日三食違うものを食べても一年はずっと外食できるほど種類に富んだ料亭や屋台の数々。川沿いの四阿では茶人が腕を競って道行く人に上品な点茶を勧め、商店街に附設された遊び場に子供を預けた親たちは買い物を楽しむ。通貨として紙幣が使われ、商人志向の者は商会から創業融資を受けたり、一攫千金を夢見る者は先物取引に興ずる。


 弟子に囲まれ、尊武会も武術を学問として研究するサークルのような奇妙なものになり、江湖では余の存在そのものが黒歴史扱いしてなかったことにされていた。弟子には余自身が編み出した技か、または遺跡から掘り出した栄枯盛衰以外の秘伝書に伝わる技だけ教え、盗んだ技は一切伝授しなかったことで諸流派に最低限の面子を残してやったのも向こうは善意として受け取ったか、ちょっかいを出して来なくなった。


 このまま隠居じみた生活を死ぬまで続くのではないかと思っていたその時、歴史が動いた。


 写実主義の絵画の先駆者、かつ独特の書体を創出した「芸術家皇帝」と呼ばれるほど芸術の造詣が深いソの国八代目皇帝が登極した。もしどこかの富豪の次男坊として生を受けたなら稀代の芸術家として賞賛を一身に集める素晴らしい人生を歩めたかもしれないが、七代目皇帝だった兄に後継者がいなかった不幸によって皇帝という役が回ってきた。


 自らの芸術の糧とするために、庭園造営に用いる大岩や木を遠く南方より運河を使って運ばせることに国が傾くほどの予算を注ぎ込み、その埋め合わせに民衆に重税を課した。このような悪政によって民衆の恨みは高まり、150年以上続いた繁栄も瞬く間に衰え、帝国の至る所で一揆が相次いだ。それに加え、帝国の弱体化を好機と見て、北方の騎馬民族は虎視眈々と南下の準備を始めた。


 すでに90歳だった余は、いつの間にか他流の技を盗む極悪人から「千の技を持つ最強の武術家」として江湖に名を馳せていたらしい。悪行はすでにソの国の人間の平均寿命より昔のことだった上、弟子たちや尊武会の世直しらしき行いが多いおかげかと思われる。


 そこで弟子たちや尊武会の会員の間に、「外憂に備えるためにも一揆を討伐すべし」という主張と、「朝廷の暴政に抗う民間の義士と共に戦うべし」という主張で意見が二分した。


 自分が宣言した尊武会の本旨から言えば後者一択だが、朝廷を打倒すればおそらく余が生きている内に首都での享楽的な生活はもう二度と味わえない。今更皇帝を暗殺し後継者に期待するにしても、すでに朝廷の腐敗が進みすぎた。


 そこで余は、「そんなことより騎馬民族にケンカ売ろうぜ」という、とても正気とは思えない第三の道を突進することにした。そう宣言しただけで尊武会の会員が二十人以上も脱退したのだから、騎馬民族がソの国の国民にとっていかほど恐ろしいかがよく分かる。


 ソの国は他国の想像すら凌駕する財力を持ってはいるものの、朝廷が意図的に弱体化させた軍は到底屈強な騎馬民族の敵ではない。余が生まれる前から朝廷は(ソの国から見れば小銭程度の)財貨を騎馬民族に献上することで平和を買い続けてきた。


 しかし国の財政が傾いた今、金の卵を産むガチョウは愚かな皇帝に殺されるではないかと危惧した北方の騎馬民族の国、リョの国は、そのさらに北方のキンの国との戦争で敗戦を重ねていたこともあり、苦肉の策として南下を画策していた。


 そんな状況で余は三十にも満たぬ直伝の弟子たちと、余の愚行に付き合ってくれる孫弟子と尊武会の会員たち、そして我々の酔狂に共感を覚える傾奇者たち合計約千人がリョの国に戦いを挑んだ。


 人生がもっとも輝かしい時期が90歳になってから始まるとは、さすがに想像だにしなかった。


 負け続ける朝廷の官兵を余所に、余は少数精鋭でリョの国の牧草地や水源地を奇襲し、大勢の騎兵が迎撃にやってくると速やかに退却し、敵の戦線が伸び切ったところでその戦力を分断し、大打撃を与えると今度こそ本当に撤退する。尤も戦闘員一人一人の戦闘力が高い少数精鋭が大軍を相手にやり合うとなると、こういったゲリラ戦術以外有効な手段はほぼないと言っていいだろう。余らの奮戦の甲斐あって、リョの国力はみるみるうちに衰えていった。


 キンの国によってリョの国の首都が攻め落とされたのはちょうどいい百寿祝いだ。


 しかし、今度はリョの国と正面から戦って打ち破る実力を有するキンの国が相手になった。


 重騎兵と軽騎兵を上手く使い分けるキン軍に対し、数ヶ月もしないうちに余のゲリラ戦術も大した戦果を上げることができなくなった。


 一人、また一人と弟子や尊武会の仲間が命を落とし、ソの国の官兵も無論まったく当てにできない。ソの国の滅亡が避けられぬかに見えた。


 そこで余は捨て身の策を敢行した。


 余を含む最強の武芸者50人でキン軍大本営に潜入し、王族及び主立った指揮官たちを暗殺する作戦。


 結論から言うと、作戦は大成功だった。脱走のタイミングを計り損なって、敵軍に包囲されたことを除いては。


 50人全滅するより、100年以上生きてきた余は、自分が殿を務めて仲間たちを逃すことを選んだ。


 自分で言うのもなんだが、死を覚悟した余は十万の軍勢を怯えさせるほど強かった。敵の主だった武芸者たちはほとんど我々に抹殺されたことも敵の恐怖心を掻き立てた。


 射掛けてきた矢を刀で払い除け、目にも留まらぬ速さで縦横無尽に疾走し、刀が閃く度に何人ものキン軍が息絶える。


 切り捨てたのは百人か、はたまた千人ものキン軍が余の刀の錆になったのか、余には分からない。


 ふと気がづけば周りには円状の死体の丘が出来ており、その外側では余を包囲しているキン軍。近寄ってくる者は一人もいない。


 そこで気を練って死体の丘を飛び越えようとしたところ、もう自分が歴年の修業で積み上げた気も、数知らずの敵手から吸い取った気も使い果たしたことに気づいた。


 疲れたし、眠い。もういいや、適当な台詞を言い捨て、後はどうなろうとちょっと寝てからにしようと思い、余は目を閉じて仰向けに倒れた…


 やはり最後だからか、ついつい久しぶりに走馬灯を最初から最後まで見入ってしまった。前に見たときよりだいぶ追加部分も長かったしな。


 ちょうど走馬灯が終わったところで、余の意識は白い光に包まれ消えてしまった。


 余は、まだ死んだのだ。

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