ハマナスの花が落ちるとき
砂藤もなか
第1話
キーンコーン。
帰りのホームルーム終了のチャイムが鳴る。
それと同時に、教室は一気にばたばたと騒がしくなる。
「今日部活さぼるー」
「駅前のクレープ屋さん行こうよ!」
「カラオケ寄らね?」
「あいつらも誘えよ。合コンみたいな感じで」
授業中とはまるで違う彼らを横目に、私はさっさと荷物をまとめる。
「ねえ、
「
「そっか。じゃあ行けそうなときは言ってよね?」
「もちろん。いつもごめんね。じゃあまた明日ね」
「うん、ばいばい」
ごめんね、初音。と心の中でもう一度言う。
仕方ないんだ。今は親の機嫌が悪いから。
さっさと家に帰らなければいけないのは頭の中で分かっている。
階段を下りる足が重い。
私もみんなみたいに寄り道したい。カラオケだって行きたいし、クレープだって食べたい。
でもそんなことして待ち受けているのは絶望の二文字。
母の金切り声が蘇って、吐き気がした。
帰りたくない。
気づいたら、私の足は昇降口とは真逆の、生徒がほとんど足を運ばない屋上へ向かっていた。
ここは昔、女子生徒の飛び降り自殺があったと噂される場所で、そのため生徒のほとんどは近寄らなくなっていた。
フェンス際まで行って、そっと身を乗り出す。
あ、あの子たち、手繫いでる。カップルかな。
「いいなぁ……私も、」
私も、そんなこと、できたらいいのに。
いっそのこと、ここから飛び降りて、こんな狭い世界から抜け出せたら。
フェンスをつかむ手に力が入る。
「何してるの?」
「え」
突然後ろから、肩に手を置かれた。
振り向いて手の主を確認すると、それは一番いてほしくない人だった。
「宇野先生っ……」
「飛び降りでもしようとしてた?」
「ちが、そういうわけじゃっ……」
ヴヴ、と制服のポケットの中でスマホが震える。
『帰ってくるの遅いけど、何してるの?』
「やば、お母さんっ……」
「お母さんがどうかしたの?」
「あっ、ちょ……!」
先生が私の手からスマホを簡単に奪い取って、さっききたメッセージの内容を見る。
「何するんですかっ」
「はい、返信しといたよ」
「ちょっと、勝手なことしないで!」
慌てて送信を取り消そうとしたけど、もう遅かった。
『ならいいわ。あまり遅くならないように』
返信が来る。
「あれ……?」
怒ってない?どうして?
先生が打った内容をよく見て、驚いた。
『数学の先生と自習することになって。連絡遅くなって、ごめんなさい』
「先生……」
「さ、詳しく話聞かせてもらおうかな、篠塚さん」
先生の少し後ろをついて、暗い廊下を歩く。
生徒指導室にでも連れてかれると思ったのに、着いたのは、もう使われることのないような古い空き教室。
「ここはね、先生たちすらも通らないようなところなの。最高でしょ?」
先生がちらりと私を見て言った。
「倉庫ぐらいしかない第三棟だし、電気付けても職員室から見えない。死角なの」
「そ、ですか……」
「相変わらず冷めてるねぇ」
ふっ、と先生が表情を和らげる。
「何か悩み事でもあるなら、聞いたげるよ?」
「別に―」
「篠塚さんってさ」
先生が私の言葉をさえぎって、私の目の奥を見つめて言う。
「いつも、何かに縛られてて、苦しそうな感じする」
「どういうことですか」
「なんか…授業中とかでもそうだけど、ふとした時に、そういう顔してる」
「……」
「正解?」
話してもどうにもならないことを相談するのは嫌いだ。
そんな無意味なことをしたって私の人生は変わらない。もう、この家に生まれたからには、あの母親の元にいるのなら、それは受け入れるしかないことだから。
「帰っていいですか」
「帰りたくない、って顔に書いてあるよ」
いらっとくる。
何がしたいんだ、この人。
「私のこと……信用できない?」
「そういうわけじゃないですけど」
「じゃあ、なんでそんなに話したがらないの?話聞いてほしそうな目しといて」
「っ……」
そんな顔、してない。
「うるっさいなぁもう!ほっといてよ!」
そうやって、分かったような顔して近づいてくる大人も、私の表の顔だけ見て満足してるような大人も、みんな、大っ嫌い。
私のことなんか何一つ理解していないくせして。
勝手に期待されて、勝手に落胆されて。
そんな大人達なんてみんな、
「みんな大っ嫌い!」
「うんうん、全部吐き出しちゃっていいからね」
先生の言葉にはっと我に返る。
気が付いたら、いつのまにか私は先生に抱きしめられていた。
そして、なぜか鼻の奥がツンと痛くて、ぼろぼろと涙をこぼしていた。
「っ……」
「大丈夫だよ、私は篠塚さんの味方だからね」
ゆるゆると背中をさすられると、ささくれだった心がほわりと温かくなっていく。
「私に、話せそう?」
私の涙を手で拭いながら、先生が優しい目で見つめてくる。
この人は、信じていい人なのかもしれない。
ハマナスの花が落ちるとき 砂藤もなか @monaka_08
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