ハマナスの花が落ちるとき

砂藤もなか

第1話

キーンコーン。

帰りのホームルーム終了のチャイムが鳴る。

それと同時に、教室は一気にばたばたと騒がしくなる。


「今日部活さぼるー」

「駅前のクレープ屋さん行こうよ!」

「カラオケ寄らね?」

「あいつらも誘えよ。合コンみたいな感じで」


授業中とはまるで違う彼らを横目に、私はさっさと荷物をまとめる。


「ねえ、希依きい!今日も放課後……無理そう?」

初音はつね……うん、ごめんね。多分、来週とかなら……親も、いいっていうと思うんだけど」

「そっか。じゃあ行けそうなときは言ってよね?」

「もちろん。いつもごめんね。じゃあまた明日ね」

「うん、ばいばい」


ごめんね、初音。と心の中でもう一度言う。

仕方ないんだ。今は親の機嫌が悪いから。


さっさと家に帰らなければいけないのは頭の中で分かっている。

階段を下りる足が重い。

私もみんなみたいに寄り道したい。カラオケだって行きたいし、クレープだって食べたい。


でもそんなことして待ち受けているのは絶望の二文字。


母の金切り声が蘇って、吐き気がした。



帰りたくない。



気づいたら、私の足は昇降口とは真逆の、生徒がほとんど足を運ばない屋上へ向かっていた。


ここは昔、女子生徒の飛び降り自殺があったと噂される場所で、そのため生徒のほとんどは近寄らなくなっていた。


フェンス際まで行って、そっと身を乗り出す。


あ、あの子たち、手繫いでる。カップルかな。


「いいなぁ……私も、」


私も、そんなこと、できたらいいのに。

いっそのこと、ここから飛び降りて、こんな狭い世界から抜け出せたら。


フェンスをつかむ手に力が入る。


「何してるの?」

「え」


突然後ろから、肩に手を置かれた。

振り向いて手の主を確認すると、それは一番いてほしくない人だった。


「宇野先生っ……」

「飛び降りでもしようとしてた?」

「ちが、そういうわけじゃっ……」


ヴヴ、と制服のポケットの中でスマホが震える。


『帰ってくるの遅いけど、何してるの?』


「やば、お母さんっ……」

「お母さんがどうかしたの?」

「あっ、ちょ……!」


先生が私の手からスマホを簡単に奪い取って、さっききたメッセージの内容を見る。


「何するんですかっ」

「はい、返信しといたよ」

「ちょっと、勝手なことしないで!」


慌てて送信を取り消そうとしたけど、もう遅かった。


『ならいいわ。あまり遅くならないように』


返信が来る。


「あれ……?」


怒ってない?どうして?

先生が打った内容をよく見て、驚いた。


『数学の先生と自習することになって。連絡遅くなって、ごめんなさい』


「先生……」

「さ、詳しく話聞かせてもらおうかな、篠塚さん」


先生の少し後ろをついて、暗い廊下を歩く。

生徒指導室にでも連れてかれると思ったのに、着いたのは、もう使われることのないような古い空き教室。


「ここはね、先生たちすらも通らないようなところなの。最高でしょ?」


先生がちらりと私を見て言った。


「倉庫ぐらいしかない第三棟だし、電気付けても職員室から見えない。死角なの」

「そ、ですか……」

「相変わらず冷めてるねぇ」


ふっ、と先生が表情を和らげる。


「何か悩み事でもあるなら、聞いたげるよ?」

「別に―」

「篠塚さんってさ」


先生が私の言葉をさえぎって、私の目の奥を見つめて言う。


「いつも、に縛られてて、苦しそうな感じする」

「どういうことですか」

「なんか…授業中とかでもそうだけど、ふとした時に、そういう顔してる」

「……」

「正解?」


話してもどうにもならないことを相談するのは嫌いだ。

そんな無意味なことをしたって私の人生は変わらない。もう、この家に生まれたからには、あの母親の元にいるのなら、それは受け入れるしかないことだから。


「帰っていいですか」

「帰りたくない、って顔に書いてあるよ」


いらっとくる。

何がしたいんだ、この人。


「私のこと……信用できない?」

「そういうわけじゃないですけど」

「じゃあ、なんでそんなに話したがらないの?話聞いてほしそうな目しといて」

「っ……」


そんな顔、してない。


「うるっさいなぁもう!ほっといてよ!」


そうやって、分かったような顔して近づいてくる大人も、私の表の顔だけ見て満足してるような大人も、みんな、大っ嫌い。

私のことなんか何一つ理解していないくせして。

勝手に期待されて、勝手に落胆されて。

そんな大人達なんてみんな、


「みんな大っ嫌い!」

「うんうん、全部吐き出しちゃっていいからね」


先生の言葉にはっと我に返る。

気が付いたら、いつのまにか私は先生に抱きしめられていた。

そして、なぜか鼻の奥がツンと痛くて、ぼろぼろと涙をこぼしていた。


「っ……」

「大丈夫だよ、私は篠塚さんの味方だからね」


ゆるゆると背中をさすられると、ささくれだった心がほわりと温かくなっていく。


「私に、話せそう?」


私の涙を手で拭いながら、先生が優しい目で見つめてくる。


この人は、なのかもしれない。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ハマナスの花が落ちるとき 砂藤もなか @monaka_08

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ