初めてのチョコレート

不知火白夜

第1話

 バレンタインデー。それは女の子から男の子に好意を伝える日ということで、私が生まれる数年ほど前から本格的に盛んになってきた文化だ。

 女の子から男の子にチョコレートを渡して告白をする日――ではあるけれど、実を言うと、私にはそれほど縁のない日だった。強いて言うなら、お父さんとお兄ちゃんにあげるくらい。だって、好きな男の子なんていなかったし、言ってしまえば私は不細工だ。だって小さい頃からずっと周りから容姿をを貶されてきたし。お父さんとお母さんは可愛いよって言ってくれるけど、でもどうしてもそうは思えない。私みたいな可愛くないそんな奴に好かれても男の子も嫌だろうし。

 けれど、今年は違う。

 私、佐川さがわ智子ともこは、好きな男の子にチョコレートを作って渡すと決心したのだから! 不細工でも、人を好きになっていいし、チョコレートを渡してもいいはずなのだから!

 渡したい相手は、同じクラスで人気者の市河いちかわ十真とうま君。彼は、とってもかっこよくて背も高くて勉強もできて運動もなんでも出来て、なによりとっても優しい男の子だ。男の子同士ではいつもふざけて遊んでいるし、昼休みなんかはスポーツもしている普通の男の子って感じだけど、女の子にはとても優しい。なんだろう、話し方が優しげというか態度が柔らかいというか。そしてそれに嫌な感じが全くないから、きっと根っからの紳士なのだろう。

 ちなみに何故彼を好きになったのかというと、それは結構単純で、私が前に男の子から嫌がらせをされていた時に止めてくれたからだ。うん、我ながらとても単純。

 ちなみに、私が住んでる地域で『市河』といえば、とても有名で大きな家だ。いわゆる名家って感じ。昔からこの地域で色んな事業をやってて、県外にも会社を持ってるかなりのお金持ちだ。市河君だけ見てると、あんまり超お金持ち! って感じはしないけど、でも立ち振る舞いなんかはとても綺麗だし、ご飯の食べ方はとても綺麗だなと思う。

 そう思うと私なんかでは釣り合いが取れるわけがないのだけど、でも、市河君が好きだから、チョコをあげたいし、告白もしたい。もちろん付き合えるとは思ってないけど。不細工に告白されて嫌だなと思われるかもしれないけど。

 ……正直言うと、怖い。不細工が告白なんかしてと思われるかもしれない。けれど、お姉ちゃんに相談したら応援されたし、チョコレートを渡すくらい許されるはず。

 気持ちを込めてチョコレートを作って、本気度が伝わればそれでいい。

 私は、お姉ちゃんに手伝ってもらいながらチョコレート作りに取り掛かることにしたのだった。買い物に行って、台所でお姉ちゃんと二人で相談しながら頑張って作ったハート型のチョコレートは、シンプルながらも素人にしては可愛く出来たかなと思う。

 願わくば当日ちゃんと学校で渡せますように。



 そう思っていたのに、気づけば市河くんとまともに話すこともできないまま2月14日の放課後になっていた。部活も終わっちゃったし。悲しい。結局私はチョコレートを渡せず終わるのか。頑張って作ったのに。お姉ちゃんに『頑張って』って言ってもらったのに。

 別に何もしなかった訳じゃない。市河君に渡そうとはした。しかし、彼といえば授業前も休み時間中もずっと誰かからチョコレートを貰ったり話しかけられたりしていて渡すタイミングがなかったんだ。まさか、クラスの――いや、学年のマドンナ的存在でアイドル歌手みたいに美人の瀬良せらさんが市河くんにチョコレートを渡しているところを見ちゃったら、その後に私が行くなんて無理だ。周りの人たちに『お似合い』なんて言われてしまっているのを見て、本当にそうだなって思った。格好良くて優しい市河くんと、美人で可憐な瀬良さんはとってもお似合いだ。もしお付き合いをしているなんて言われても納得しちゃう。……まあ、彼は困っている様子だったから、付き合う展開にはならないのかなと思うけど。そもそも、中学生でお付き合いしてる人たちってあんまり見かけないけど。

 市河くんはいい人だから、毎回ちゃんと笑顔で受け取ってお礼も言ってお返しをする約束もしていて、とっても誠実な対応をしていた。しかしまさか彼があんなにモテるとは。大きな紙袋にチョコレートを大量に詰めて持って帰る人なんて初めて見たかも。

――あーあ、市河くんにチョコ渡したかったなあ……。

 しょんぼりした気持ちで駐輪場から門に向けて自転車を押す中、唐突に思いつく。まだ今日は終わってない。学校がダメなら、家に行けばいいのだ! と。幸い、この地域では市河君の家は有名だから私もなんとなく知っているし、細かい場所は誰かに聞けば知ってる。更にクラスの連絡網には住所が載ってる。それを元に行けばいい。それに気づいた私は、高揚した気持ちで急いで自転車のペダルを漕いだ。



「ここが……市河君の家……」


 家に帰って住所を確認しお母さんに場所を聞いてから、私は一人市河君の家に向かった。想定はしてたけど、彼の家は大きい。大きな日本家屋に広い日本庭園みたいな、すごい豪邸だ。本当にここ入って大丈夫なのかな?

 大きな門の近くに自転車を停めてから、近くに呼び鈴なんかがないかと探してみる。ちょっと見つけられなかったので門を数回叩いてから恐る恐る中に入る。周囲に人はいない。ドキドキしながら整えられた小道を歩いて玄関に行って、ごめんくださいと呼びかけた。

 今ので聞こえるかな、呼び鈴とかあるんじゃないかな、と思っていると、はーいと声が聞こえた。割烹着姿の女性が出てきたので事情を話すと、女性は市河君を呼びに行ってくれた。この人は市河くんのお母さんだろうか? そんな風に思いながら少し待っていると、玄関が開いて中から和服姿の市河君が出てきてくれた。黒髪の短い髪と優しげな表情がかっこいい。それに高そうな落ち着いた緑色の着物がとっても素敵だ。……えっ、和服? 市河君家では和服着てるの?

 私の混乱を他所に、彼は優しげに話し出す。


「佐川さん。こんばんは。どうしたの。何かあった?」

「あ、あの、きゅ、きゅキュ急にごめんなさい、えっと、ちょ、チョコレート、を、わ、渡したくて……」

「え? わざわざ持ってきてくれたの、ありがとう」

「いえ、あの、こちらこそ、すみません急に家に来て……部活もあったのに、大変なのに、ごめんなさい……」

「いいよ別に。気にしないで」

「そ、それで、この、あの、これ……!」


 市河くんの言葉にほっとした気持ちになってから、私は真っ赤な顔と震える手で鞄からチョコレートを取り出して、なんとか必死に喋る。


「こ、こここれ……!」

「ありがとう。嬉しいよ。もしかして作ってくれたの? ありがとね、僕なんかのために」

「い、いや、そんな、私が作りたくて作ったので……!」


 市河君と喋ってると緊張して顔が赤くなる。まともに顔が見られない。恥ずかしくて、チョコレートを渡しただけで満足してしまいそうだけど、ここからちゃんと気持ちを伝えなきゃ、と気合いを入れる。


「あの、市河君! あの……私、市河君のこと好きなんです! その、ほんとに……」

「ありがとう。嬉しいよ。……でも、ごめんね、僕今誰かと付き合うとかは考えてなくて……」

「えっ、あ、いや! 大丈夫! チョコを受け取ってもらっただけで嬉しいし、ありがたいし……でも、その、私なんかがお付き合いできるとは思ってないので! そこは、大丈夫……!」

「あ、そうなんだ? ごめんね変なことを……」

「いや、そんなことは……! というか寧ろ私みたいな不細工に好かれてるなんて嫌だろうし、貴方が気にすることでは! ないです!」


 私が余計なことを言ったせいで市河君を困らせてしまった。これは大変だ。慌てて言い訳をすれば、それを聞いた彼は一瞬目を丸くしてからふっと真剣な顔になった。あれ、私なんかしたかな?

 不安に思う私に市河は少し不思議そうな顔をして喋り始める。


「あのさ、佐川さん。君は充分可愛いよ?」

「えっ」

「その、お付き合いできないって言っておいてなんだけど……君は可愛いから、自分で可愛くないって言っちゃうのは良くないよ」

「えっ…………え?」


 この人は何を言ってるんだろう。私が可愛いなんて、そんな馬鹿な。だってずっと周りから不細工不細工って言われてきたのに。

 うまく理解できなくて呆然とする私に、市河君は慌てて言葉を発する。


「あっ、ごめんね変なこと言って! 嫌だったよね、ごめんね!」

「べ、別に、嫌では……」

「本当に? でも、ごめんね、変なこと言って。あ、チョコレートは本当に嬉しかったから! ありがとう! えーと、そうだ、折角だし家まで送るよ」

「いや、いやいや大丈夫! そんなことしてもらわなくても!」

「でも女の子一人で危ないし、何かあったら僕も嫌だしさ」


 私は必死に自分で帰るからと訴えたけど、色々あって結局お手伝いさんが軽トラで送ってくれることになった。もちろん自転車も荷台に積んで。申し訳ない気持ちでいっぱいだったけど『十真さんのお友達に何かあったらこっちも悲しいから』って。色々気を使ってもらって申し訳ない。そういえば、来たときに出迎えてくれた女の人はお母さんじゃなくてお手伝いさんなんだって。お手伝いさんがいるなんて市河くんの家はすごいなあ。

 帰り際、市河君が『また明日ね』と笑顔で手を振ってくれた。それだけで嬉しくて、私も下手くそな笑顔を作って手を振った。

 車に乗せてもらって、男性のお手伝いさんと話ながら、今の私の胸の内はなんだか落ち着かなかった。とても嬉しい気持ちでいっぱいだった。好きな人にチョコレートを渡せたし、喋れたし、しかも可愛いって言ってもらえて、また明日って手も振ってもらえた。最高の気分だ。

 また来年も、市河君にチョコを渡そう。多分まだずっとあの人のことは好きでいる気がするから。

 ……まぁ、そんな浮かれた気持ちは帰宅後親に『市河さんに迷惑かけて!』って怒られたことで砕け散ってしまったのだけど。

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