告白
あの横断歩道の前で、私の見ていた闇がどんなものか、知る人はいない。
わかる人も、いない。
話そうとも、思わない。
「アーバンリキュガルについて、伝承なども含め研究を続ける中で、確証の持てる資料がないばかりに公表できず、内部の者での考察にしかなっていないものがいくつかあります。
その中に、アーバンリキュガルの発生原因について書かれたものがあります。
その説では、アーバンリキュガルは死んだ人間の心である、というものがあります。ここで重要なのは『人の死後』ではないという点です。心の死、殺された心です。それらは暗い海を彷徨う闇の亡霊、つまりアーバンリキュガルとなりますが、そこにあるとき光がさした。つまり、棲家を奪われたのではなく、差した光に向かっている、というのです」
目の端に映る窓の外は、雨雲の切れ間なのか、明るい日差しの下にある。
「彼らの本質が八割型虫だから、というのが世間の見解ですが、私は違うと思ってます」
彼らは光を求めている。
「だって、温かいでしょう」
それで言えば、炎に焼かれることで消えるのも本望かもしれない。
「ならば、賢人を喰らうのは?」
グラスバードの問いに、ザラスは首を横に振る。
「わかりません。これが、この説がここまでが限界である理由です。人に戻りたいのか、この世界を良いものとして生きていることへの嫉みか、恨みか、あるいは、頭の獣の本能か」
ザラスはクラムへ目を向けた。心はあの言葉に戻っている。
『キミが自分を殺したときに』
先生は思い当たっているのだ。あの頃のクラムを知っているから。そしてクラム自身も、わかっている。
二人にしかない空気の流れがあったが、グラスバードは深くは取り入らなかった。クラムにそういう時期がある、という表面の事実だけに止まったのはクラムが深入りを望んでいないように思ったからだ。
「それで、具体的にどうなるというんだい」
グラスバードの言葉で話は本題へと戻る。ザラスは彼の方を見た。
「戦えないかもしれない上で、件のアーバンリキュガルと戦わなければなりません」
グラスバードは意味がわからないというように眉を寄せた上で片眉を上げる。クラムもそのザラスの言葉には首を少し傾げた。
「件のアーバンリキュガルは燃やしたが」
そうだ。先生の炎に焼かれ、他と同じように消えたはずだ。
その反応になるのがわかっていたように、ザラスは理解してもらうための言葉を何とか伝えようと思索する。
「いえ。終わっていません。それではダメなのです。件のアーバンリキュガルはクラムが倒さなければならない。生み出したクラム自身が倒さなければ、解決しないんです」
「解決?」
「そのアーバンリキュガルは、消滅しないということです。燃やしてもまた同じように発生し、キミの前に現れます。今後もずっと。そして、次も襲ってこないとは限らない」
戦うことはできないかもしれない上で、戦う。クラムが倒さなければならない、過去に殺した、自分自身。
「いつ来るかはわからないのだね」
「ええ」
口にされたのは肯定の言葉だが、グラスバードの方を見るザラスの目は何かを訴える光を持っている。今夜の大奇襲でおそらく来るのだとグラスバードは勘づける。
その場にいる全員が思考し、黙った。時計の秒針の音だけが動き、窓から入り込む鳥の影が数羽通り過ぎていく。
最初にその空間を破ったのはグラスバードだった。
「……ザラス」
初めてグラスバードが名前を呼ぶ。意外に思いながらも、何でしょう、とザラスは返す。
「クラムと隣の部屋に移る」
そのときのグラスバードの目がどんな色をしていたか、ザラスにしかわからない。ザラスは頷いた。それを見てグラスバードはゆっくりとした動作で立ち上がる。白い衣がベールのように椅子の枝をなぞっていく。クラムはじっとそれを見ていた。
「クラム」
名前を呼ばれ見上げる。行こう、と囁くような響きだった。隣の部屋のドアへ向かうグラスバードの後ろ姿を見てから、立ち上がりザラスの方を向いた。ザラスは促すように微笑んでくれる。それを見てから、クラムはグラスバードの後を追った。
隣の部屋は寝室のようで、部屋の中央に一つの机と二つの椅子、奥の壁際には大きめのベッドが一つだけある、簡素な空間だった。グラスバードは中に入ると、部屋の角の対角線上に二つある窓のカーテンを閉めに動いた。締め終わり部屋が薄暗くなると、振り返り、そのまま手のひらを軽く平行一線に動かす。一斉に部屋にある蝋燭の台の火が灯った。
一連の間、クラムはドアの前に立っていた。作業の終わったグラスバードはクラムを見る。久しぶりに見るような気がする紺の目だった。
「座ろうか」
頷いて、テーブルの椅子を引く。グラスバードが正面に座り、力を抜いた様子になる。
外からは正午を示す鐘の音が鳴り始めて、少しだけそちらに二人とも意識をやった。
「話を聞いて、キミが戦わなくても、私が焼き続ければいいだろうと思ったよ」
普段の、二人だけでいる時の声色にクラムがグラスバードを見ると、窓の方を見ていた視線がこちらに来る。優しい目だ。クラムは首を横に振る。
「私は協会の人間です。私にしか倒せないなら、戦わなければなりません」
発生の原因が自分ならばなおのこと。アーバンリキュガルを発生させ続けるような存在として、世界に居続けるわけにはいかない。
グラスバードはその返答になるのはわかっていたように、それ以上はそのことについて何も言わなかった。
「……今、この部屋には魔法がかけてある。外界拒絶の魔法だ」
話しながら、その横顔に蝋燭の光が揺れる。先生が「まじない」ではなく「魔法」と言うのは珍しいことだった。クラムはグラスバードの言葉に集中する。
「これで、話している内容は外の彼には聞こえない。そのうえで、私はキミにある選択を迫りたいと思う」
クラムはそれが何かはわからないが、わからないなりに頷く。それを見て言葉を続ける。
「だか、その選択ための話を私がするには、キミにある条件を飲んでもらわなければならない」
いやに仰々しい前置きをするな、とクラムは感じる。
「……何ですか?」
「磔の魔法を受けることだ」
初めて聞く、だがあまり良い響きでないことはわかる言葉に、クラムは否定も肯定もできない。どんなものかをグラスバードは続けて説明する。
「椅子に座った状態で動けなくするものだ。微動だにできないし、口も動かせない。だから言葉も発せない。呼吸だけはできるけれどね。かつては拷問に用いられたとされるものだ」
淡々と説明されていくが何一つ許容できる要素がない。
「何故、それを受けることが条件なんです?」
当然の疑問を堪らず投げる。先生は一拍おいて何事もないように事情を答える。
「私がキミの反応を見たくないから」
怪訝に思ったが、先生の口が動き、続きがありそうだとわかり、クラムは聞くことにする。
「私が今から話す話に対するキミの反応、応答を聞きたくないし見たくない。話の最中でもね」
私は臆病だから。最後におまけのように付け加えられた言葉で、クラムにはわかった。それが真相だろう。しかし何とも納得し難い。
「もう少し……穏便な魔法はないんですか」
「ないね」
きっぱり言う。
応答が速すぎやしないか、もう少ししっかり考えてほしい。私の身が掛かっているのだから。
クラムは思ったが、グラスバードの自分を見る目が真剣な光を持っているのが気になった。そして少ししてわかる。
そんな魔法をクラムが受けてくれるかどうかも含めて、その話をするかどうかを決めるつもりでいる、と。
クラムは心の中で息をついた。
「わかりました、受けます、その魔法」
グラスバードとしては思ったよりあっさりと返答されたようだった。
「わかっているのかい、磔にされるんだよ」
「説明はさっき聞きました」
「話をするだけなんて嘘かもしれない、何をされるかわからないよ。この部屋にかけた外界拒絶の魔法は絶大だ」
まるでやめるよう説得しに来ているような言葉たちに、眉を寄せる。
「話を聞いて欲しいのではないのですか」
グラスバードが黙る。沈黙が流れる前に、クラムは視線を少し下げて続ける。
「先生がそうしたいなら、私は受け入れます。疑いません。ただ、もし嫌だと思うことをしたら、あとで覚えておいてください」
クラムがそう宣言し視線を上げると、その強い瞳とグラスバードの目が交わった。クラムは驚かせ過ぎたかなと思ったけれど、その後すぐふっと諦めたように笑った。
「なるほど、わかった。それはこわいね」
笑うグラスバードが本当にどこか嬉しさや楽しさを滲ませているように感じて、クラムは疑問に思ったが、次にグラスバードが目を開いたときのまっすぐな力に思考は戻る。
「……では、やろうか」
午後の日差しが窓からカーテンにあたり、防がれている。床に落ちる小さく明るい光に目をやる。テーブルは部屋の壁際に寄せられた。古い木の椅子だけが、少し離れた状態で正面に、向かい合わせに置かれる。クラムはドアから遠い方の椅子に座った。先生がその正面に立つ。
「それでは、やるよ」
クラムは一つ呼吸をついた。ああ言ったものの、やはり緊張してくる。それでも、息を詰めてはいと答えた。
「目は閉じておいておくれ」と声が聞こえて最後、クラムの体は動かなくなった。指も脚も動かない。閉じた瞼も動かない。息だけができる。正面の椅子に先生が座る音が聞こえた。
*
グラスバードは正面に凛とした姿勢のまま座る少女を見ていた。
「あんなことを言ったけれどね、本当に話をするだけだ。そんなこと、わかっているかもしれないけれど。話も、長いものにはしないよ。
……まず、私はね。キミに本当に私の弟子になってほしいと思っている。キミはずっと冗談だとしか思っていなかったんだろうけれど。
ただ、私はどうやって契約をして師匠の弟子になったのか、実はさっぱり覚えていなくて、契約のやり方がわからないんだ。だからもし百が一キミがなりたいといってくれても、弟子にさせてあげられないかもしれないけれど。
でも弟子になれなくても、一緒にいてくれたらと思っている。それが私の望みではある。
昨日、シャンのことを話したろう。昔私が恋をした人のことを。あの話をしたのは、キミが初めてだ。他にする相手も、機会も特になかったのだけれど。初めて誰かに話した。……話して、やっとわかったことがある。
私が今までずっと虚しかったのは……こんなに時間が過ぎるまで、私の中に残っているのは、彼女が去ったのが、私の選択ではなかったからだ。だから、ずっと虚しさを追ってしまっていた。
人間とはなんとエゴな生き物だろうね。彼女が去るのが私の選択だったなら、きっと今よりは納得いった。私が納得いかないのに去ったから、虚しいと思ってきた。自分の胸にぽっかりと穴が空いて。
大事に思っていた人が、その人自身の選択で、あるいは自らの望みや成長、未来を選び取った結果、私から去る選択をするのは、あるいはこの世界では、巣立ちとでも呼ばれるのだろうけれど」
その穴が埋まったのではなくて、わかったから、グラスバードはクラムに向かう。
「私はわがままで利己的で嫌な部分を持つ『人間』という生き物だから、そういうものだと受け入れて、もう開き直ることにしたよ。
だからつまりね、私はキミから去ることにした。自分の選択で。自分の選択で先に去ってしまえば、キミに去られるよりは、少しはマシだろう」
賢人の名が聞いて呆れる文言である。何?とクラムが話を聞きながら思っているのはグラスバードにはもちろんわからない。わからなくしたのだから。
だから、とグラスバードは続ける。グラスバードの目が哀愁に揺れ、苦く笑っているのも、同様にクラムからは見えない。
「キミがもしそれで虚しいと思ってくれたなら、そのときは。キミはキミのエゴでもって、わたしの元に来てほしい。
でも、そのときは、私はキミを離す気がないから、覚悟して来てほしい」
外の風で窓が少しカタカタと揺れている。隙間風が部屋に入り込んでくることはない。厚い雲が近づいてきているのをグラスバードは感じ取る。
「私は灯台に戻るよ。キミにはこのまま、今日のところは夢に落ちてもらう。あの男の元で、少しだけ考えるといい。彼と帰る選択も、やはりキミにはあるのだから。
……さあ、ここはもう夢だ。判別はできない。お眠り」
言葉で夢に落としてから、グラスバードは立ち上がる。クラムの磔の魔法を解いて、眠っているのを確認し、自分より二回りほど小さな肩に手を添える。膝裏も抱えて抱き上げると、そのままベッドに向かう。
白いシーツの上に寝かせると、少しだけその寝顔を見て、グラスバードは背を向けて部屋を出て行った。
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