第12話 公爵軍、王宮へ突入せよ!

 夜が明けきる前、王都を取り囲む公爵軍の野営地では、既にざわめきが広がっていた。獣の咆哮ほうこうのような男たちの声が響き、馬蹄が地を打ち鳴らす音が混じって聞こえる。兵たちの表情には、どこか期待に似たたかぶりが漂っていた。城壁を越えて王宮に突入するという、かつて誰もやったことのない大仕事が目前に迫っているからだ。


 リディアは天幕を出ると、深呼吸をしながら周囲を見回した。地平線から薄紅色の朝日が昇りつつある。王都の城壁は先端がうっすら明るく照らされ、夜間とは違う威圧感を漂わせていた。しかし、リディアにはむしろその姿が弱々しく映る。なぜなら、これまで見せられてきた王都の守りは、貴族同士の責任の押し付け合いでほとんど機能していないとわかっているからだ。


「お嬢様、兵の準備が整いました。いつでも攻め込めます」


 副官がそう声をかけると、リディアはうなずき、朝露に濡れた外套を払った。


「わかりました。ではまず、最後の警告を出しておきましょう。もし門を開けるつもりがないのなら、こちらも手段を選ばないということを」

「承知しました。弓兵と攻城兵器の隊を城壁に配置します」

「ええ、怪我のないように、そして迅速に。こちらが万全だとわかれば、敵も下手な反撃はしてこないでしょうから」


 リディアの声に迷いはない。今や王都を包囲している公爵軍の数は何千にも上り、攻城装備もすでに戦闘態勢に入っている。彼らが本気で叩けば、外壁を崩すのも難しくはないだろう。


 リディアは愛馬にまたがると、馬首を軽く返し、周囲の兵たちをぐるりと見渡した。どの顔にも隙がなく、いつでも指示を待ち受ける構えができている。その結束力こそ、公爵家の何よりの強みだとリディアは再認識する。幼い頃から、父ギルベルトが戦場を通じて育んできた兵たちとの信頼。それが今、形となって結実しているのだ。


「では、全員注目!」


 リディアが声を張ると、兵のざわつきは瞬く間に収まり、視線が一斉に集まった。


「今から王都の城壁に最後通牒を突きつけます。もし相手が降伏するなら、混乱を最小限に抑えて済むでしょう。けれど、もし門を閉ざしたまま抵抗を続けるなら――わたくしたちの全力で突破あるのみです!」


 その言葉に、兵たちは一斉に「おお!」と声を上げる。ときの声に近い響きが朝の空気をふるわせ、周辺の城下町の人々は思わず足を止めた。


「いよいよだな、リディア。散々引っ張ってきたが、やっとフィナーレだ」


 父ギルベルトが馬を寄せながら不敵に笑う。分厚い胸当てを身につけ、その手には重い騎兵槍が握られていた。何度も戦場を駆け抜けた男の姿に、周囲の兵たちも勇気づけられる。


「そうですね。父上がお望みの大騒ぎを、最後まで盛り上げてみせます」

「ははっ、言うじゃねえか。それなら、俺は後ろで見物してるとするか?」

「それは困ります。父上には、いざという時の突破力が必要ですから」


 ギルベルトが豪快に笑うのを合図に、騎兵隊が動き出した。リディアは兵数をやや抑えた先遣隊を率いて城門の正面へと進む。大通りには既に通行人の姿はほとんどなく、張り詰めた空気が漂っている。城壁の上には王都守備の兵が見えるものの、まとまりなくうろつくばかりだ。


「開門せよ! 公爵家のリディアが到着した!」


 先頭の兵が叫ぶと、城壁の上から混乱した声が返ってくるだけで、はっきりした返事はない。やがて一人の役人風の男が顔を出し、震える声で「こ、ここを立ち去れ……!」とわめくが、それだけではどうにもならない。


「わたくしは待ちました。けれど、あなた方は何も返事をしてくれない。これで最後です。門を開くか、黙って城壁もろとも破壊されるか、二つに一つ」


 リディアがそう宣言すると、城壁の上でまたしても怒声や悲鳴が入り混じる。まるで指揮官がいないかのようだ。何度か通して感じているが、もはや統率らしきものは全く見られない。


「門を開けられないなら、それだけの覚悟があるということですね」


 リディアはあきれるように小さく首を振り、背後に控える兵に目配せをした。


「投石機、準備完了です!」

「破城槌も待機中です!」


 それぞれの隊長から声が上がる。リディアは剣を掲げ、「投石機、第一弾を放って」と静かに告げた。すぐに大きな木製の投石機がしなり、積み上げられた石弾を城壁へ向けて放つ。大気を裂くような唸りとともに石弾が飛び、衝突の衝撃音が王都の朝に轟いた。


「うわあっ!」

「ひ、ひいいっ……!」


 城壁の上から悲鳴が降り注ぎ、巻き上がった破片や砂埃が飛び散る。何百年もの間、滅多に大きな戦火を浴びることのなかった王都の城壁は、あっさりと亀裂きれつが入り、一部が崩れ落ちた。それを見て、リディアは鋭い声で再び叫ぶ。


「もう一度聞きます。門を開けなさい!」


 しかし、返事はない。その代わり、上から矢が何本か飛んできたが、ほとんどが精度を欠いて地面に突き刺さるだけだ。やがて投石機の第二弾、第三弾が放たれ、城壁に大きな崩落箇所ができ始めると、守備兵は完全に怖気づいたのか矢を放つことすらやめてしまった。


「お嬢様、ここまでやれば十分でしょう。門をこじ開けるなら破城槌はじょうついで一撃です」

「そうね。これ以上攻め続けて、民衆が巻き込まれるのも好ましくないわ。破城槌を前へ」


 リディアの指示に合わせ、十数名の兵が担ぐ大きな破城槌が城門に取り付く。分厚い木製の門には飾り錠がいくつも施されているが、こんな造りは昔の時代の名残で、現在の攻城装備には耐えられないだろう。案の定、一発目の衝撃で門全体が大きく軋み、金属の装飾ががらがらと落ちていく。


「よし、もう一度!」


 声と同時に破城槌が振りかぶられ、衝撃音が響く。すると、門が完全にねじ曲がり、板材の継ぎ目から大穴が生じた。そこへさらに別の兵が斧を叩きつけて破断を広げていく。崩落した木片の隙間から、城壁の内側がちらちらと見え始めた。


「開いたわね。さあ、王都へのご入場よ!」


 リディアは馬の鼻先をぐっと上げ、兵たちに突入の合図を送る。待ち構えている守備兵がいるかもしれないが、先ほどの投石機の威力を見せられた以上、まともに抵抗しようとする者は多くないはずだ。


「うおおおおっ!」

「行くぞ!」


 騎兵たちが気合いの声を上げ、一気に門から飛び込む。崩れ落ちた残骸を踏み超え、城内の大通りへと雪崩れ込むと、そこには驚きに固まる人々の姿があった。王都の市民が呆然と見守るなか、公爵軍の馬蹄が石畳を鋭く打ち鳴らす。


 やがて、脇道から慌てて飛び出してきた数名の守備兵がいたが、その顔色は死人のように青ざめ、整列どころか散り散りに後退していく。リディアは騎兵たちに「余計な殺生は無用よ!」と声を張り上げ、無理に追撃しないよう指示を出した。戦意のない相手をわざわざ潰すほど、彼女は血に飢えていない。


「ここまで混乱してるとはね。もう王都の防衛は成り立たないでしょう」

「そうだな。あとは王宮の中がどうなっているか、だ」


 隣を走るギルベルトが、露骨につまらなそうな顔をしながらやりをたたく。さすがに敵が全くいないのでは、彼の腕の振るいどころがないということだろう。リディアはさっと周囲の地形を確認し、王宮へ通じる大通りを指し示した。


「父上、兵を二手に分けます。片方は城下の警戒、片方はわたくしと一緒に王宮へ」

「いいぞ。お前の好きなようにやれ!」


 公爵軍が大通りを突き進むと、道端の店は全て戸を閉ざし、人々は窓の隙間からこちらを伺っている。中には「公爵様だ……!」と声を上げている者もいれば、「これで王太子の横暴が終わるかもしれない」と囁く者もいる。リディアはちらりと視線を向けながらも、やがて王宮の門が見える地点で馬を止めた。


 王宮を囲む塀はそれなりに高く、重厚な門が閉ざされているが、先ほどの城門ほどの規模ではない。もし同じやり方で攻めかかれば、あっという間に破壊できるだろう。しかし、リディアは一瞬考える素振りを見せたあと、副官へ言う。


「まずは呼びかけましょう。もしここで逃げるなら逃げてもらって構わないし、降伏するなら大人しく開けていただくと助かりますから」

「承知しました。兵たちを展開させますね」


 そう言って副官が動くと同時に、ギルベルトが「先に俺が行ってやる!」と馬を飛ばす。リディアは慌てて「父上、無茶はやめて!」と声をかけるが、当の本人は笑いながら槍の石突で門をがんと叩いた。


「おーい、中にいる連中、聞こえてるか! 公爵ギルベルトだ! さっきみたいにここもぶち破られたいのか? さっさと開けて顔を見せろや!」


 まるで隣家の扉を叩くかのような気軽さに、兵たちは苦笑いを隠せない。しかし、その強引さが功を奏したのか、門の裏でバタバタと人の走り回る音が聞こえ始める。


「だ、誰だ……! 公爵家が本当に……?」

「早く中の偉いさんを呼んでこい! さもなくば一瞬でぶち破るぞ!」


 ギルベルトがどなり声を上げた次の瞬間、門の上部からちらりと役人らしき男が顔を出した。昨日、城壁の上にいたのと同じように、ふるえた口調で言う。


「こ、ここは神聖な王宮である! 勝手に近づくことは許されない……!」

「そんな形式ばった言葉はいらねえ! 王太子はどこだ? オレたちが探しに入ってもいいんだぞ?」

「ま、ま、待ってください! 殿下はまだ……その、お支度が……」

「支度だあ? たかが寝ぼけたお坊ちゃんにどんな支度が要るんだ!」


 ギルベルトの声に合わせるように、破城槌が再び運ばれてくる。門上の役人はその様子を見て目を剥き、手を振り回している。どうやら本気で破壊されると察したらしい。


「わ、わかりました、わかりましたから! い、いま開けます! どうかお静まりを……!」


 あまりの勢いに耐えかねたのか、内部の鍵が回され、ぎい、と金属の音を立てて門が開いた。リディアはそれを確認して馬を進め、ギルベルトと共に先頭を走る。すると、王宮の中庭には数十名ほどの兵が列をなしているものの、その表情は戸惑いと不安に満ちていた。


「むっ、これが王太子の近衛兵か……ずいぶんやる気なさそうじゃねえか」


 ギルベルトがそうつぶやくと、先頭の兵が槍を床に置き「降伏します……」と力ない声を漏らした。王太子がどんな命令を出しているのか知らないが、もはや形勢は最初から絶望的だと悟ったのだろう。


「余計な抵抗をしないなら、それでいいわ。無闇に血を流したくありませんから」


 リディアがそう告げると、兵たちは深く頭を下げて武器を捨て始める。守るべき主君が内側で何も指示を出さずに逃げ回っているとあれば、兵としてもやりようがない。


「さあ、あとは王太子を引きずり出すだけね。……殿下はどこにいるのかしら?」


 リディアがあたりを見回すが、姿が見えない。慌てふためく役人が小走りに駆け寄ってきて、「殿下は王宮の奥に……」と尻すぼみに答えると、ギルベルトは「行くぞ!」とばかりに靴音を立てて進んだ。

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