第7話



 飛縁魔に腕を引かれて、いづるは、『どくろ亭』ののれんをくぐった。飛縁魔の話では軽食屋だという。

 店の中は多種多様な妖怪たちで賑わっていた。

 グラスでビールを飲んでいる猿の妖怪、狒々を始めとして、どちらかといえば陽気な妖怪たちが集まる店らしい。

 辛気臭くもなければおどろおどろしくもない。

 ちょっと見た感じでは、気合の入った仮装パーティに紛れ込んだようなものだ。

 飛縁魔は「ごめんよごめんよ」と妖垣(あやかしがき)をかき分けて、カウンター席にいづるを引っ張り上げた。

 

「すごいね、大繁盛だ」

「ここはメシ出てくるの早いんだよ。なァおやじ?」


 服のシワを伸ばし終えたいづるが面をあげると、ハチマキを巻いた白骨死体が腕組みをして、鐘のようにでかい鍋でぐつぐつしているスープを睨んでいた。肉はないが骨太である。枯れ木というよりはバットのような白い骨は崩れもせずに人型を保っている。

 白骨死体がこっちを見た。いづるは反射的になぜか背筋を伸ばした。


「飛縁魔の姉御か。ウチに来るってこたァ勝ったかい」

「ふっふっふ。常勝無敗とはあたしのことよ。脳漿ラーメンふたつ。あと茶な茶」

「よく言うぜ」と白骨死体は鍋に注意を戻しかけ、見慣れないブレザーがちょこんと座っていることに気づいた。

「兄さん、死人かい」

「らしいね」

「ここに来た連中はだいたい震えておどおどしてるんだが、あんたしっかりしてるね」

「そうかな。でも、おじさんのことは見たことあるから」


 カタカタカタ、と白骨死体の顎が震えた。笑っているらしい。

 

「あんた桜高の生徒だろ?」

「知ってるの?」

「その制服、見たことあるよ。前にもあんたみたいなやつがウチに来たよ」


 のっぺらぼうの少年は、一瞬、電池が切れたように動きをぴたりと止めた。

 

「――どれくらい前?」

「半年くらい前かな。なに、知り合いか? どっちにしろ、とっくに両替されてるだろうがな」


 店主はおたまでスープをごりごりとかき混ぜた。なかに硬いものがいくつか混じっているらしい。


「俺もたまにあっちに遊んでいって、あんたみたいなのを捕まえてくるけど、あんたの声は聞いたことないな。どこで会ったかな?」


 いづるは自分の考えに集中していたので、うっかり返事をし忘れそうになった。先ほどまでの会話を反芻して、

 

「――えと、学校の理科準備室」


 カタカタカタ。

 

「たまにね、バカが標本壊したりするとさ、俺が頼まれて代理でいったりするんだよ。でも、あんな薬臭いところはもうゴメンだね。いまはまだマシだけど昔のガキはひどかったよ。標本にアンモニア嗅がせてどうしようって言うんだろうね。おかげであれから鼻が利かないよ」


 冗談のつもりだったのに話が通じてしまって、いづるはどうしようかと思ったが、ドクロ店主はそれきり鍋にかかりきりになってしまった。

 飛縁魔と肩を並べて、脳漿ラーメンとやらができるのを待つ。

 仮面というのは便利だ。どこを見ても怒られない。

 いづるは改めて飛縁魔の顔をまじまじと見つめた。

 黙って俯いているととてつもない美少女である。

 青ざめた肌に妖しい光を宿した双眸。

 許されるなら、頭を何発か殴ってもっとバカにして大人しくさせてから、部屋にずっと飾っておきたい。

 飛縁魔は、カウンター下の雑誌置きからジャンプを取り出してパラパラめくった。

 そのめくり方がどうも不自然だったので、飛縁魔が横から注がれる視線を居心地悪く思っていることが判明した。

 けれどどうしてか、飛縁魔は文句も言わずにそわそわとあっちの漫画を読んだりこっちの漫画を読んだりしているのだった。

 何度も座りなおしたり髪の毛を梳ったりしている。

 とうとう聞いた。

 

「どうしたの?」

「は?」

「落ち着きがないけど。あ、おなか痛いの? トイレいく? 正露丸あるよ」


 飛縁魔はなにか口でもごもご言ったが、背後から怒涛のごとく押し寄せてくる妖怪たちの喧騒にまぎれて何も聞こえてこなかった。

 いづるは何度も「なに?」と聞き返し、そのたびに飛縁魔は怒って早口にまくし立てるのだが、やっぱりその声も要領を得ないのだった。

 とうとうカウンターに丼がドンと置かれて、その件はうやむやになった。


「へいお待ち。脳漿二つね。980炎になります」


 飛縁魔ががま口財布から札を取り出し、端を千切ってカウンターのザルに放り込んだ。いづるからはザルの中は見えなかったが、紙片を投げ込んだはずのザルからはなぜか小銭のぶつかる音がして、それに気をとられているうちにいつの間にか、飛縁魔が千切った札の端は二枚の小銭になっていた。

 どうやら銀行に両替をお願いする必要は、あの世では存在しないらしい。

 

 飛縁魔が自分のどんぶりを手元に降ろし、いづるを横目に見やった。

 

「のびるぞ」

「え?」

「麺」

 

 いづるは自分も丼を手元に降ろして、中を覗き込んだ。

 ふつうのラーメンである。

 太めのコシが強そうな麺が、軽油のような色をしたスープにぎっしりと詰まっている。

 代わっている点といえば、ところてんみたいな灰色のゼリーが浮いているところと、卵があるはずの位置に小さなドクロが麺に半分埋まっているところくらいだ。美味しそうである。

 けれどいづるはすぐ割り箸に手を伸ばさなかった。

 飛縁魔はますます怪訝そうに、いづるを小突いて、自分だけはとっとと麺をすすり始めた。


「ふぁひまっふぇんふぁお(何やってんだよ)?」

「猫舌なんだ」


 いづるは肩をすくめた。


「ちょっと冷めないと食べられない」


 飛縁魔は眼を丸くした。けれどモノが口にあるうちは喋れない。

 口いっぱいにほおばった麺と灰色ゼリーを咀嚼し終えるのを、いづるは辛抱強く待った。

 ごっくん。

 

「なっさけねー」

「そんなこと言ったって」


 飛縁魔は身をこちらによじって、


「熱いと思うから熱いんだよ。オラ、口あけろ」

「あ、ちょ」


 手甲をはめた手が伸びてきて、いづるの仮面を少しだけずらした。口元と鼻先だけが露にされる。ちょうどいい量の麺を箸で挟んで二、三度上下させ、飛縁魔はいづるの口元に箸を近づけた。

 

「へーきだって。心配すんなよ、火傷なんかしないって。もう死んでんだし」


 いづるは必死に麺から顔を背けた。

 

「い、いいからきみは勝手に食べててくれよ! いつ食べようと僕の自由だろ!」

「見られながら喰えるかっ! ほれ、あーんしろ、あーん」

「やめろってば、ちょ、やーめーろーよーやーめーてーよー」

「うりゃ」


 ずぼっ、と麺の塊が口に押し込まれた。思わず一噛み。

 じゅわっと旨みが広がった。けれどその何倍も、



「あっづッ!!!!!!」



 反射的に首をのけぞらせ、かけていた丸椅子が傾いた。やばいと思ったときには重力の手がいづると飛縁魔の全身をがっしりと絡めとって、そのまま引きずりこんでいた。

 あッと二人の口から同時に声が出て、周りの妖怪たちを巻き込んで盛大に倒れこんだ。皿が割れて誰かが怒鳴って天井のカンテラが揺れていた。

 

 いづるは起き上がった。

 起き上がるときに、カウンターのすぐ後ろの卓の長椅子に頭をぶつけて呻く羽目になった。

 なぜこんなことに。やっぱり弁償だろうか。僕は絶対一文だって払わないぞ。

 ふらふら立ち上がるとすぐそばで飛縁魔が膝を抱えてウンウン唸っていた。

 倒れこんだ時にどこかにしこたまぶつけたらしい。いい気味だ。

 カウンターのスイングドアから眼窩の奥を怒りで赤く燃やしたガシャドクロ店長にボッコボコにされるといい。

 いづるは何の気なしに、振り向いて、

 

「ふん、ざまみろ」と毒づいた。


 振り向いた先の卓には女の子が一人ちょこんと座っていた。

 青い着物を着たその女の子は、

 金髪、

 碧眼、

 そしてその胸元は、ガラスの容器とそこから零れたアイスがべっとり。

 いまの毒づきは、さて少女に正しい意味で伝わっただろうか。

 ヤバイ。

 そう思ったところで逃げ場はない。

 わなわなと両拳を握り締めた女の子は、いづるを親の敵を見るように睨んだ。

 

「信っじらんない!!」


 僕もです。

 いづるはよっぽど言いたかったが、潤んだ女の子の眼がそんな弱音を許さなかった。

 いづるは両手をあげた。全面降伏するほかなかった。

 ようやくふらふら立ち上がった飛縁魔が、店長の握ったフライパンに脳天をガツンと一撃され、再びバタリと昏倒した。




 あの世横丁三番路地左手

『どくろ亭』――年中無休、出前なし、茶のみ談義お断り。


 脳漿ラーメン980炎、

 ――どんぐりアイス、130炎也。

 

 

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