第2話 夢のマイカー納車
待ちに待った日。
そう、納車日だ。
ぴったり二十万。すでに振込も済ませてある。
中古車屋の事務所で、ぼくは緊張していた。
小さな建物のなか、小さなパイプ机で、いろいろな書類にサインをしていく。
おもてに停めてあるのが、ぼくの白い乗用車だ。
最後の一枚にサインをする。
「はいよ。おめでとう、初めての車。キーはもう差してあるし、エンジンもかけてあるから」
油で汚れた作業服の車屋さんはそう言うと、立ちあがって手を差しだしてきた。
ぼくもパイプイスから立ちあがり、車屋さんのだした手をにぎる。
「ぼくのすくない金額で売ってくれて、ありがとうございました」
「なぁに。気に入ってくれれば
ぼくは車屋さんの手を離し、小さな店内の奥にむかってペコリとおじぎした。店内の奥に、女性の事務員さんがいたからだ。
「ありがとうございました~」
事務机に座っている女性は顔をあげずに言った。けっこう若くてかわいい女性だったのに。
「では、いただいて帰ります!」
お世話になった車屋のおじさんにむけて言った。
「気をつけて。ここの前の道路、けっこう交通量あるから」
この中古車屋さんの前は、四車線ある大きな道路だった。
「ここで事故ったら、それこそ呪いだよね」
車屋さんはそう言って笑ったけど、ぼく笑えない。免許取り立て。初心者。安全運転で帰らないと。
礼を言って、中古車屋の事務所をでた。
きれいな白い車のドアをあける。
マークXへと乗りこんだ。
バッグは助手席へと置いた。
「ぼくの車か」
運転席に座り、さすさすと革張りのハンドルを両手でなでた。
「目的地がセットされていません」
カーナビから女性の声が聞こえてきた。
自分の家の住所を登録したいけど、それはあとにしてまずは発進だ。
シフトをドライブへ入れ、ゆっくりとアクセルを踏む。
「このさき、事故多発地点です」
カーナビが言った。すごいな、いまのカーナビって、こんな情報もくれるのか。
左右を確認して、ゆっくりと大通りへ車をだす。ハンドルを左に切った。
「左折専用車線です」
またカーナビが言った。そうか、この大通りは左が左折専用。ぼくが行きたいのは、まっすぐだ。
右にウィンカーをだす。ハンドルを右へ切ろうとすると、うしろからクラクションを鳴らされた。
「ちっ」
舌打ちが聞こえた気がした。そんな気がするだけで、もちろん車内に人は乗っていない。
後方をドアミラーで確認し、右の道路へ車線を変更する。
車線変更は成功だ。ルームミラーでうしろを見ると、うしろから車はきていない。
ピピッ! と音が鳴って自動でブレーキがかかった。
前を見るとあぶない。すぐ目の前に車だ。信号は赤になっている。
衝突安全装置があってよかった。前の車にぶつけるところだ。
信号が青に変わり、ぼくは車を発進させた。
しばらくまっすぐだ。初めて自分の車。ちょっと緊張する。
二十分ほどは走っただろうか。ひとつ思いだしたことがある。
ショルダーバッグに、レーシングゲームのCDを入れていた。自分の車を手に入れたらかけようと、以前にパソコンで焼いたCDだ。
十分ほど走ったところで、つぶれた工場を見つけた。スーパーかコンビニがあったら入ろうと思っていたけど、つぶれた工場の駐車場でもいい。
お米かなにかの工場だったのだろうか。大きな建物のよこに大きなタンクのある廃工場だ。広い駐車場に車はない。でも駐車場の入口も封鎖されていない。
ぼくはウインカーをだして、まず左に車線変更した。そしてさらに左、駐車場へ。
「あぶな!」
また衝突安全装置が働いた。歩道だ。車の目の前を自転車が横切った。
「ふぅ!」
思わず息をはいて、アクセルを踏み直した。
だれもいない広い駐車場。そのまんなかに車を進めた。アスファルトの白線は風化していて見えないほどはげている。
ブレーキを踏んで車を停め、シフトをパーキングに入れた。
「ふぅ!」
もういちど息をはいた。初めてのマイカー。ちょっと運転しただけで疲れる。
「サイドブレーキが入っていません」
カーナビが言った。すごいな、いまのカーナビ。
サイドブレーキってどこだろう。車内を見まわした。
あった。この車のサイドブレーキは足のほうだ。左足でサイドブレーキを踏む。
「ちっ。ハズレ引いたな。初心者かよ」
カーナビが言った。女性の声だ。
……考えた。さきほどのセリフ。カーナビが言った。
「うわぁ!」
運手席のドアをあけようとした。でもだめだ。
「カギが!」
取っ手を引いてもドアがあかない!
「落ちつけ。ドアロックかかってんだろうが」
そうだ、ドアロック!
ドアにあるパワーウインドウのボタン。その横にドアロックのボタンがあった。
カチッと押すと、すべてのドアのロックがあいた音。ぼくは外へ逃げた。
外にでて扉をしめる。うしろへさがった。
車は「ブロロロ」と静かに重低音を鳴らしている。
ウィーンと窓が勝手にさがった。だれも車内にはいないのに!
「ゆ、幽霊だ!」
「落ちつけ、ガキ、チンカス!」
「チ、チンカ」
現代の幽霊は、こんなに下品なのか。あの上品そうなカーナビの女性の声なのに!
「あたしは、小早川礼子。おまえ、名前は!」
「幽霊が名乗った!」
「幽霊じゃねえっての。名は!」
「は、はい、
「マキトか。けっこうキラキラネームだな。とりあえず乗れ」
「い、いやです!」
「乗れっつってんだろうが、ひき殺すぞ!」
「に、逃げなきゃ!」
駆けだそうと背をむけた。
「待て待て。んじゃ窓フルオープンにして、クッソエロいラジオドラマの音声流すぞ!」
カーナビが言ってるそばから、四つある窓がさがり始めた!
「だめよ、マコトさん、こんなとこじゃ!」
なんかラジオの音声聞こえてきた!
「の、乗ります!」
ぼくの車がエロい音声流しながら駐車場に置きっぱなし。そんなの見つかったら恥ずかしすぎる!
運転席のドアをあけて乗りこんだ。
「閉めるぞ、手を引っこめろよ」
女性の声とともにバタンとドアが自動で閉まった!
ウィーンと、自動ですべての窓もあがっていく!
「とりあえず深呼吸しろ」
「ゆ、幽霊なのに、しゃべれるんですか!」
「いいから深呼吸、ヒッヒッフー!」
「は、はい!」
言われるがまま、息を吸って吸って、そしてはきだした。
「落ちついたか」
「無理ですよ、幽霊に話しかけられて!」
「幽霊じゃねえっつうの。おまえ異世界転生とか読んだことないの?」
「ここ異世界じゃないですよ!」
「んじゃ転生モノだ。あたし小早川礼子は、この車に転生したってわけ」
「そんなバカな!」
「もう、自分でもびっくりぃ、って感じぃ♥」
急にギャルみたいな口調になった。
「カーナビですよね?」
そう言うと、ポーンと音が鳴った。
「次の信号、左折です」
やっぱりカーナビの声だ。
「あなたの人生も左折です」
そう言って、カーナビからギャハハという笑い声が聞こえた。
「マネしてただけ。機を見て大丈夫そうなら自己紹介しようと思ったけど」
「ぜんぜん大丈夫じゃないですよ!」
「早めに声をかけたのは、おまえの運転がヘタすぎるからだっつうの!」
それは反論できない。
「ったくよ。もっとイケメン乗せたかったのによ、ずっとオッサンしか見にこねえし」
売れなかった理由。ひょっとしてこれなのか。
「売れなかったのは、呪いかなにかですか?」
「呪いなんてあるか。中二病か、おまえは!」
「ちゅ、中古車に転生した人がそれを言う!」
「ラジオを改良して、人間の耳には聞こえない低周波をだしたんだ。おまえ知らないの、蚊をよせつけないやつ」
それは聞いたことあるけど、あれっておじさんにも効くんだ。
「ひょっとして、十九のままって歌がかかったのも」
「そう、あたし自分で内部は操作できんのよ。んでヒマでしょ。いっぱいラジオ録音してたの」
頭が痛くなってきた。
状況を整理してみる。異世界転生みたいな話だけど、この人は小早川礼子さんっていう女性。それが車に転生してしまった、というわけだ。
「くっそう、キムタクみたいな男にハンドルにぎられたかったのに。やっちゃえニッサンって。この車はトヨタだけど」
「礼子さん、転生前は何歳だったんです?」
「あっ、女に年齢聞くか、このやろー」
「だって、キムタクって、おばさんとかが好きなタレントですよ」
「やっだぁ、ジェネレーションギャップ!」
キムタクが好きだった世代か。
「五十代ですか、声は若いですけど」
「失礼だな、あたしはアラサーだっつの!」
「絶対ウソですよ!」
「ほんとだっつの!」
「何年生まれですか?」
「えー、それ女子に聞くー? チョベルバー」
言いかたが古い。それに「チョベルバ」ってまちがえてるし。絶対にアラサーじゃない。
「あのさ、あたしもマジメに答えるけど、転生するときに何年か飛んでたりするの」
「それSFみたいな話ですね。時空を超えてですか!」
「そそ。眠り姫みたいなものよねぇ」
こんな下品な眠り姫、いやだ。
「あっ、でもそうか。礼子さんが車に転生してからも売れなかったわけで」
「そうなの。だからあたしが死んだのは三十二歳。これホント」
転生するまでに何年、いや何十年かが過ぎているのか。それに車へ転生してからも数年。
「礼子さん、車に転生してから何年、売れなかったんです?」
「……八年」
「八年、売れさせなかったんですか。どんだけイケメン待ってたんですか!」
「さすがにそろそろ、あきらめたわ」
それって、ぼくがイケメンじゃないと言っているに等しい。正しいけど。
いやいやそれより、気になることはもっとある。
「なんで車なんかに転生しちゃったんです?」
「それなぁ。死ぬ直前に、思っちゃったのよ。話題のマークX乗りたかったなぁって」
「それでこの車に!」
「神さまっているのかなぁ。願いをかなえてくれたけど、まさか運転する側じゃなくて、運転される側とはね。神さまのバカ!」
急にラジオがついて「小さいころ~は神さまがいて~♪」と音楽が流れた。だれの歌だったっけ。
「礼子さん、死んだ理由ってなんです?」
「あっ、それ聞くか」
ラジオの曲が変わり「ジャジャジャジャーン!」と壮大なベートーベンのクラシック「運命」がかかった。
「教えてあげないよ、ジャン」
「なんですかそれ!」
「あれ、ポリンキーのCM知らない?」
「知りませんよ!」
幽霊かと思ったけど、これは転生というやつで、車への転生。
「またまたジェネレーションギャーップ、パートⅡ!」
しかもこの礼子さんていうおばちゃん、めちゃめちゃ明るい人だ。
「よし、マー坊、とりあえずドライブ行くか。あたし、ひさびさに運転したいわ!」
しかも、この女性、けっこうマイペースだ。勝手にぼく、あだ名まで付けられちゃった。
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