2. 南の港町

2-1. 監獄

 レナードの朝は早い。ここ三日間は。


「許可が下りたぞ。ほらよ」

 自身の得物である三日月型のダガーが、看守の手から二丁とも床に放り出された。レナードは立て膝の体勢で、目の前に立つ大柄な看守をギロリと睨む。

「乱暴にすんな」

「うるせえ!」

 突然、看守の蹴りが飛んでくる。レナードは上半身を右に倒し、すんでのところで避けた。

「っぶね。朝っぱらから元気すぎだろ」

「朝からおまえらを監視するのが俺の仕事だからな」

「鍵開けて中に入ってまで、か」

「俺は貴族崩れの囚人が大好物でね。何してこんなところにぶち込まれたのか知らねえが、いい気味だ」

「……あのさぁ、武器渡してんのに、俺にられるとか思わないわけ?」

「はっ、足枷付きで何ができるんだよ。しかもおまえ、剣術は得意じゃねえんだろ? なあ、従者さんよ」

 看守は薄ら笑いを浮かべながらレナードを一瞥し、「どうせ明日までの命だ。せいぜい粋がってろ」と言い残して再び鍵をかけた。看守が去っていく足音さえ、レナードにとっては耳障りだ。

「あーあ、めんどくせ。それもこれもフィリップが……」

 言っても無駄なことだと口をつぐみ、禁魔法の術を施された牢監の扉を、レナードは恨めしげに睨みつけた。


 ◇


 ラングハイエン王国では、王国建立けんりつ記念祭が翌日に迫っている。三日間を通して行われる祭りの準備に慌ただしく動いているのは、市井しせいの人々だけではない。

「アロイス、例の件は……」

「はい、全てはフィリップ様の仰せのとおりに調ととのっております」

 王宮内の執務室では、第二王子であるフィリップと従者のアロイスが国内の治安維持に関する協議を行っていた。

「そう、やっぱりアロイスは優秀だね。助かるよ。じゃあ明日は……」

 フィリップはそこで一旦大きく息を吸い、扉近くで控えていた執事に「飲み物を」と言った。

「かしこまりました」と執事が下がると、アロイスは口端を持ち上げてぽつりと一言漏らす。

「……なあ、フィリップ。さすがのレナードでも、あの監獄では……」

「でも……公正な判断、だったんだよ。僕にとっては、恩のある人物なんだから」

「ああ。しかし、きっと明日は……」

「そこは悪く思わないでほしいね」

 アロイスは物憂げに目を細め、フィリップは疲れた様子でハニーブロンドの髪をかき上げた。


 ◇


 記念祭の初日、王都の南に位置する港町の市場には多くの人々が詰めかけ、一層の賑わいを見せている。

「ねえ、闘技場のこと聞いた?」

「闘技場? また傭兵の腕試し大会でもやるの?」

「あたしも詳しくはわからないんだけど、近くを怪しい風体ふうていの人がうろついているらしいわ。それがいつもの傭兵じゃないみたいで、何か開催されるんじゃないかって……何だか怖くない?」

「何それ。そんなの領主様が許すはずないわよ。ただの噂でしょ」

「……そうよね、マイヤー様は公明正大なお方だもの」

 声を潜めていた女性はそう言うと表情を切り替え、露店に並べられている布紐のブレスレットを眺め始めた。

「かわいい模様ね。ここらへんじゃ見ない意匠で素敵」

「ここに並んでいるのはみんな護符チャームで、少々値段は張りますが、効果絶大なんですよ」

 フードを被った露天商は、顔こそ見えないが、柔らかい口調で客の質問に答える。

「何に効くの?」

「これ全部、砂漠の国ヴァハル・カマルの香草が練り込まれていて、赤いのは甘い香り。恋が叶うって評判で」

「まあ、そうなの。でもあたしたち、そんなに若くないのよ」

 女性たちは快活な笑い声を立て、「これは?」と、隣のブレスレットを指差す。

「黄色いのはスパイスの香りで、健康への加護が」

「健康! 旦那に持たせてもいいわね!」

「青いのもきれい」

「ああ、それはサリヤという青い花で染めてあって、効果は『良き風が流れますように』。ヴァハル・カマルでは、運気を上げたい時にそう言って、風の加護を求めるんです」

「あら、あなた青いのつけてるのね」

 一人の女性が、露天商の褐色の手首に巻かれているブレスレットを指差した。

「ええ。この香りが好きで」

「爽やかな香りね。目が覚めるようだわ」

 目の前に差し出された細い腕のブレスレットから漂う香りに女性たちははしゃぎ、どれにしようかと迷っている。露天商は、頭に被せているフードを深く被り直してから言った。

「紐が自然に切れたら願いが叶うといわれています。ラングハイエンの皆さんにも、風のご加護がありますように」

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