第3話 死人の町

その町は地図には載っていなかった。


旅行が趣味の男が、ふとしたきっかけで訪れた町。観光地でもなければ、特産品があるわけでもない。ただ、山間の古びた町並みに風情を感じ、気まぐれに足を踏み入れたのだった。


町の入り口には年季の入った看板が立っていた。文字は風化しかけていたが、かろうじて「○○町」と読める。男は車を降り、ゆっくりと町の中を歩き始めた。


不思議な静けさが町を包んでいた。聞こえるのは風が建物の間を抜ける音と、遠くで鳴く鳥の声だけ。人影は見えないが、窓辺にはカーテンが揺れ、軒先には洗濯物が干されている。人が住んでいる気配はあるのに、誰ともすれ違わない。


男は小さな民宿を見つけた。入り口には「営業中」の札が掛かっている。試しに戸を引くと、ギイと古い木の音がした。


「すみません、宿泊できますか?」


呼びかけると、奥から静かに女将が現れた。着物姿の初老の女性で、穏やかな微笑を浮かべている。


「いらっしゃいませ。一泊ですね?」


女将の対応は丁寧で、部屋に案内されると、古めかしいが清潔な布団が敷かれていた。男は荷物を置き、ひと息つくと、風呂を借りることにした。


風呂場は湯気が立ち込め、木の香りが心地よい。湯に浸かりながら男はふと、改めて町の静けさを思い出す。民宿に客は他にいないのだろうか? それに、この町の住人たちはどこにいるのか。


夕食の時間になり、食堂に降りると女将が料理を用意してくれていた。郷土料理らしい煮物や焼き魚が並び、どれも美味しそうだ。男は箸を取り、一口食べて驚いた。


味がしない。


何かの間違いかと思い、次の皿に手をつける。しかし、どの料理もまったく味がしなかった。


「……女将さん、この料理、何か変では?」


問いかけると、女将は微笑を崩さぬまま答えた。


「お気に召しませんでしたか?」


その時、背筋に冷たいものが走った。


窓の外を見ると、暗闇の中で無数の人影が揺らめいている。町に誰もいないと思っていたのは間違いだった。そこには住人たちがいた。


彼らは皆、じっとこちらを見つめていた。


男は喉を鳴らし、ゆっくりと席を立つ。


「……町の人たちですか?」


女将はふふっと微笑む。


「ええ、そうですよ。この町の住人です。皆さん、あなたが来るのを楽しみにしていました」


ぞっとして足を引こうとした男の肩に、冷たい手が触れた。


「ようこそ、死人の町へ」


振り返った瞬間、視界が闇に閉ざされた——。


——意識が戻った時、男は冷たい床の上に倒れていた。


体を起こそうとするが、腕が異様に重い。視界はぼんやりと霞んでいたが、うっすらとした光が揺らめいているのが見えた。見渡せば、そこは見覚えのある食堂だった。しかし、先ほどまでとは違う。


壁には無数の古びた写真が貼られており、どれもこの町の住人らしき姿が映っている。よく見ると、彼らの顔には生気がない。


「……何なんだ、ここは……」


呟くと、どこからか囁き声が聞こえた。「新しい仲間が来た」と。


男は恐怖に駆られ、足を引きずるようにして外へ逃げ出した。しかし、町はまるで生きているかのように、迷路のように歪み始めた。


「帰らなければ……」


男は駆け出した。背後では町の住人たちがゆっくりと追ってくる。


だが、どれだけ走っても、町の出口は見つからなかった。


息を切らせながらふと胸に手を当てると、違和感があった。


鈍い痛みが腹部に広がる。服をめくると、そこには不自然な縫い跡があった。


「……何だ、これ……?」


嫌な予感がした。手をそっと当てると、中の臓器が一つ足りないことに気づいた。


——腎臓が、なくなっていた。

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