Lacrimae
椿谷零
Lacrimae
私、葛城 茜(かつらぎあかね)は公立の中学2年生だ。3組だから教室が階段からとても遠くて、朝は特に嫌になる。私は何も得意なこともないし友人も1人しかいない。萩原 澪(はぎわらみお)という子で中原中也の詩とビジュが大好きだそうだ。イケメンな文豪が大好きと公言していて変なやつとよく言われている。彼女と知り合ったのはもう一月も経つが彼女から友達の話題が出たことがない。クラスでどんなことが起こったかも話したことがない。いつも少し歪んでしまっている笑顔を浮かべている。
何故、私たちは友達になったかを話そう。中学の入学式から私は休み時間中ずっと教室の隅で本を読んだり、絵を描いたり、たまに小説も書いていた。他の人と話すことも全くせず。周りが話しかけてくる時は宿題の催促だったり、「〇〇先生が呼んでいたよ」といった内容だった。寂しいとも思わないし、逆に声をかけられるのが鬱陶しいとも思わなかった。周りは私があまりに暗いので近づきたくないと思っていたようだった。
そんな中、同じような波動を感じたのだろうか、彼女は話しかけてきた。確かあれは夏の終わりの頃だっただろうか。ジリジリと私の肌を焦がすように日が照っていた。その日の放課後、私は教室よりも断然クーラーの効いた図書室で本を読んでいた。「二銭銅貨」という小説が分かるだろうか。知らないわけはないでしょう?読んだことがないって人生とっても損してるよ。江戸川乱歩のデビュー作でトリックがとても斬新で絶対に読んだ方がいい。
今のでわかっただろう私は小説が大好きなのだ。女子の皆のやるような料理や裁縫?そんなに無視してしまえ!と、好き勝手している。そのせいなんだろうね。家庭科はもう諦めている。赤点を通り越して0点を取ったことさえある。先生の話では初めて見たとまで言わせるほどだ。話を戻そう、私が「二銭銅貨」をパラパラと捲る音が響く。皆もう帰って図書室にいるのは数人の変人だけだった。読むのに集中していたせいで、横に人が来ているのが分からなかった。強い視線を感じて顔を上げると目があった。私のその時の気持ちがわかるだろうか?びっくりしたのではない。恐怖なのだ。椅子から立ち上がり私はその場を早足で離れようとした。
「ち、ちょっと待って」覗き込んできていた人から声がかかる。私はこの声を知っていた。クラスの人ではない。確か隣のクラスの子だ。名前は…分からない。「どうしたんですか」ちょっと怒ったふうにいうと、啜り泣きが聞こえてきた。顔を見ると泣いてたんだよ。なんて呟いていたと思う?「無視されてない?これは夢 ?」って言ってたんだよ!
私は踵を返そうとしたよ。だって怖いでしょ。「無視されてない」で泣くんだよ。何も言えなくなっちゃって帰ろうとしたら、ガシって肩を掴まれて怨念のこもったようなほんとちっちゃな声で「ね、ねぇ何の本読んでたか教えてくれるかなぁ?」震えたね。うん。怖いどころじゃない。失禁してもおかしくないよあれ聞いたら。なんとか平静を装って「二銭銅貨だけど」って言ったの。彼女、いきなり大きな声で「yes」って叫んだから耳が痛くなった。キーンという音が私の耳を支配し、全く周りの音が聞こえなくなる。2秒くらいしてやっと耳鳴りが止んだ。私の本能がこいつは変な奴だ離れろと叫んでいた。だが、また肩を掴まれるのはごめんだったので動かなかった。いや、足が動かせなかった。
下校時間まで私達は話した。そこでわかったことを短くまとめる。彼女の名前は萩原 澪というそうだ。彼女は2組の生徒だそうだ。詩を作るのが趣味で、中原中也が推しだと言っていた。他にもビジュだけなら中島敦や太宰治、芥川龍之介なども推せると言っていた。彼女はとても早口になって喋ってたんだから。聞きとるのに一苦労だった。私の今日の感想は一つだ。「ヲタク、怖い」
私達は昼休みや放課後に図書室で読んだ本のビブリオバトルのようなことをして遊んでいた。本の借り貸しもした。彼女が貸してくれるのは「山羊の歌」や「在りし日の歌」とかどこが良いのか頭があまり良くない私にはわからなかったが様々な感情が私の心を強く揺さぶってきた。逆に私は「D坂の殺人事件」や「魔術師」などを貸した。彼女、とても真剣に読んだらしく。早口の長文が返ってきた。「「D坂の殺人事件」は、ちょっと不思議な雰囲気の漂うお話だったね、舞台はD坂という実際にあった坂道なんでしょ。そこで起こる殺人事件の謎を、主人公の明智小五郎が解き明かしていったところだけど、その過程が本当にドキドキハラハラしたよ。「魔術師」は、奇妙な手口の犯罪と、それを追う明智小五郎の推理が、まるでジェットコースターみたいに展開していったの。トリックもアッと驚くようなものばかりで、読み始めたら止まらなかった!どっちも、ストーリー展開が面白くて、トリックも凝っていて、登場人物も魅力的。どちらの作品も、一度読み始めると、夢中になっちゃったよ。」私はこんなに一気に話されたのは初めてというか、よく息がもつなぁと逆に感心してしまった。
彼女の作った詩と私の作った小説読み合いをして、ここはこうした方がいいんじゃないと言い合った。互いの作品が良くしていく実感が湧いてくる。私達は積み木を慎重に積み重ねるように一段と仲良くなっていった。彼女は日に日に笑顔が増えていった。私も、昔よりも笑うようになった。
そんな日々を過ごしていた。ある日、彼女が立とうとした時に「痛っ」と足首のところを押さえた。「どうしたの?大丈夫?」と私は言ったが、彼女は「ちょっと足を捻っちゃって」と言っていた。大して気にすることもなく私は「お大事に」と言った。数日後、彼女が図書室に来なかった。おかしいなぁと思って私は彼女を探した。「澪ーどこにいるのー」2組の教室を覗き込むとロッカーがガムテープでぐるぐるに固定されているのを見つけた。中から彼女の声が微かに聞こえる。「待ってて、今解くよ。」そういうと、私はガムテープをロッカーから解いていった。馬鹿みたいに固くて取れるかどうか不安だったが長い時間をかけて私は全てのガムテープを外した。疲労から腕がもげるかと思った。「茜?なんでここにいるの?」彼女は訳が分かってないようだった。私が「澪が来ないから探しにきたんだよおかしいと思ったからね」というと、彼女は暗い顔をした。「私は学校でいじめを受けてるんだ。私は変だからね。彼らの分の宿題をやれと言われたりして、出来なかったら蹴られたり、殴られたり、もう私、嫌だよ。」
私は先生に言うことを勧めた。すると、彼女は「一度言おうとした、でも言おうとしたことがバレていつもよりひどく暴力を振るわれた。あんなことには絶対になりたくない」と言っていた。確かに効果があるとは思えなかった。「それでも、このままでいいわけはないからね。私が言おうか?」私はみかねてそう言ってあげた。議論を交わして結局、私が先生に言うことになった。翌日、私が先生に「2組の萩原さんがいじめを受けているそうなんですけど、どうにかしてあげてください」と言った。先生は「分かったよ。調べて注意しておこう誰がいじめているんだい?」と言ってくれたので、私はあらかじめ聞いていたいじめをしている人たちの名前を先生に伝えた。
その日の放課後、彼女が病院に運ばれたことを噂で耳にした。なんで?どうして?私の心は、迷路に入ったように、出口の見えない暗闇をさまよっていた。詳しく聞くと注意を受けた生徒が逆ギレをして暴力を振るったそうだ。私は先生に言わなければよかったと強く思った。後頭部を鈍器で殴られたせいで頭の皮膚が破れて、血が沢山出たと聞いた。大丈夫か不安になった為お見舞いをしようと思い、先生に病院の位置を教えてもらった。彼女は市立の病院で治療を受けているそうだ。私は走った。全く運動をしていない体ですぐばてたが、精一杯急いだ。病院に着いた時彼女は目覚めていたようだった。病室に案内される間中謝っても謝りきれないと悩んでいた。
「澪!ごめん私のせいで!」私は纏まらない頭の中を精一杯言葉にしようと頑張った。でも、全てを言い終わる前に「大丈夫だから落ち着いて。茜のせいじゃないから」と言ってくれた。その言葉が私の心の枷を解いてくれた。「なんで泣いてるの?」と言われてから私は初めて気づいた、涙が出ていたことに。心臓がバクバクして、まるで体中がバラバラになるような感覚だった。自分が招いた結果だと考え、自己嫌悪に苛まれた。
私は、翌日学校に行くと名前も知らない人たちが険しい顔で待ち構えていた。なんだろうなぁと思っていると突然背中を蹴られた。前につんのめって、頭から地面に突っ込んだ。鼻の頭を擦りむいて血でコンクリートが塗られる。「お前のせいで…」叫ぶ声が聞こえる。間髪入れずにお腹を蹴り上げられた。胃液が喉を焼く。吐瀉物が一部地面にぶちまけられる。意識が遠のいていく。「おい!何しているんだ、止めなさい!」目の前が黒で染まっていった。
目が覚めたらそこは保健室だった。「あら、起きたのね。水を飲みなさい。貴方吐いたそうじゃないの」保健室の先生が声をかけてくれた。高い声が頭にガンガンと響く。「いただきます」そう言って私はコップを受け取った。「助けてくれたのは貴方の担任の先生なんだからね。お礼を言っときなさいよ」なんと、あの意識を手放す前に聞いた声は担任の先生だったなんて。私は保健室で少し休憩を取った後、授業に参加した。昼休みに先生に呼ばれた。私に暴力を振るった生徒達は彼女のいじめのグループと仲の良かった人たちのようだ。私が先生に言ったせいでグループの面々が生徒指導処分になったからそれの報復だったそうだ。
私がその日の放課後、何食わぬ顔で図書室に行くと、「どうしたのその絆創膏!」と聞かれた。私は「いきなり後ろから蹴られて前に転んだ時に擦りむいたんだ」と言った。彼女の顔が一気に白くなった。「ごめんね!ごめんね!私のせいで。こんなことに巻き込んじゃって。」私はびっくりした。謝られるほどのことではないと思っていたからだ。その日は色々なことがありすぎてうとうとしていた。彼女が紙に何か書きつけていたのを見たが中身は知らない。私は下校時間寸前まで眠りの世界へトリップしてしまっていた。校門の前で彼女は「汚れつちまつた悲しみに」という詩篇を差し出してきた。「これ私のなんだけど、読んでみて!」そう言って私達は別れた。彼女の顔の右側が夕焼けに照らされて左側に暗い影を落としていた。
その日家に帰ると母が出迎えてくれた。「大人数に暴力を振るわれたんだって?痛くない?」怒られるのではないかと警戒していたから驚いた。母と喋ることも最近では少なくなってしまっていた。「大丈夫。痛くないよ」私はそう応えた。嬉しかった。心配してくれている、そのことが私の心に染み渡って内側からあたたかい何かが全身へと広がった。その日の夜、私は「汚れつちまつた悲しみに」を読んでいた。この詩は、悲しみや苦しみを抱えながらも、それでも生きていこうとする人間の姿を描写しているものだった。「ああ、わたくしは、なにものも欲しない。」という、すべてを諦めたような、虚無感が私の目から内に入り脳に衝撃を与えた。最後のページに辿り着いた時、一枚の紙がはらりと落ちた。ページが取れたのかと思い。慌てて拾い上げた。そこにはいっぺんの詩が書かれていた。
◆◇◆
真っ暗闇にひとりぼっち
心が叫び、体は震える
もう何もかも嫌だ
この世界から消えたい
誰かの声が聞こえる気がする
「きもい」
「お前なんていなければいい」
でも、その声にどう対処すればいいか
私にはわからない
迷い、苦しみ、そして
決意を固める
私のせいで貴方が傷つくくらいなら
さよなら、茜
さよなら、この世界
◆◇◆
一瞬私の脳は理解を拒んだ。この詩が頭から全く離れなかった。その日の夜は、一睡もできなかった。
フラフラになりながら学校に行く。目の下にはクマができた。睨んでいるようになってしまっている、私は朝礼15分前の教室に荷物を置き、隣の教室に行く。彼女の席は空いていて、そこだけ色が抜けているようだった。朝礼が始まる為、教室に戻る。担任の先生が話し出した。「2組の萩原さんが今朝亡くなっているのが見つかりました。」信じられない。耳から音が離れていった。理解ができなかった。頭の中がぐるぐるしていた。昨日の詩が頭の中で反芻されている。
警察の人に彼女の詩を提出した。警察の人が全てを教えてくれた。彼女は自殺したそうだ。夕陽が差し込む窓際で、彼女の白い肌に紅く染まった血が不釣り合いな美しさを際立たせていたらしい。まるで、彼女の短い生涯を象徴しているかのようだったらしい。春の少し早めの時間の夕陽に照らされて真っ赤な血がより赤くなっていたそうだ。直接見ていない為正確な情景は知らないし、知りたくても知ることは出来ない。ニュースでは彼女の報道を繰り返し報道していた。彼女は手首を切り、壁にもたれて絶命したそうだ。血が部屋の床を染めて壁にまで赤いしみができていた。出会ってから七ヶ月経った水曜日のことだった。
数日が経ち、私は気持ちを落ち着かせることにした。そこで彼女の死を悼んで一編の鎮魂歌を編んだ。
◆◇◆
生きたる影、消えゆく光
冬の夜空、星一つ
ああ、澪よ、貴方はどこへ行ったのか
残されたのは、静けさと
打ち震える冬の息吹
貴方の笑顔、声、それはもう幻か
短い命、儚き夢
なぜ、貴方だけが、こんなにも早く
闇の中に消えてしまったのか
短い生涯だったけれど
貴方の輝きは、私の心に灯をともす
いつか、再び会えるその日まで
私は前を向いて生きていく
◆◇◆
Lacrimae 椿谷零 @tubakiyarei155
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