第2話「妖怪との出会い」

第1話 「赤玉の狐の警告」


夕暮れの神社に、深紅の狐が姿を現した。


千代は境内の掃除を終えたところで、突如として現れた妖気に息を呑む。風一つない空気の中、鳥居の上に佇む狐の姿が夕陽に映え、幻想的な光景を作り出している。


「赤玉の狐...」


千代の呟きに、横で箒を持っていた陽が首を傾げる。


「千代ちゃん、あの狐さんのこと知ってるの?」


「ええ、伝説の妖怪よ。百年に一度しか姿を現さないと言われていて...」


言葉の途中、赤玉の狐は優雅に飛び降り、二人の前に降り立った。その仕草には気品が漂い、長い年月を生きてきた存在であることを感じさせる。


「若き陰陽師よ、そして特別な巫女よ」


狐の声は、まるで風鈴のように澄んでいた。


「警告がある。運命の糸が絡み始めている。そなたたちに定められた試練が、今始まろうとしているのだ」


千代は思わず月詠を呼び寄せようとしたが、赤玉の狐は穏やかな目でそれを制した。


「式神に頼る必要はない。これは、そなたたち二人にのみ関わる事柄」


陽が一歩前に出る。「私たちに...どんな試練が?」


「それを告げることは許されていない。ただ、そなたたちの力が必要となる時が近い。互いを信じ、力を合わせることができれば、道は開かれるだろう」


千代は陽の方をちらりと見た。幼なじみの横顔が、いつもより凛々しく見える。


「私たちの...力」


言葉を反芻する千代に、狐は深い瞳を向けた。


「占いの力を恐れてはならぬ。それはそなたに与えられた導きの糸」


「でも、私の占いは...」


「迷いが見える通りを曇らせている。心の眼を開けば、真実は自ずと見えてくるだろう」


赤玉の狐は陽の方も見た。


「そしてそなたは、その力の意味を知る時が来る。妖怪たちと交わる力は、ただの偶然ではない」


陽は無意識に千代の袖を掴んでいた。その仕草に、狐は穏やかな微笑みを浮かべる。


「互いを想う気持ちこそが、最大の力となる。その絆を信じるのだ」


言い終えると、赤玉の狐の姿は夕陽の中に溶けていった。残されたのは、かすかな余韻と、二人の高鳴る鼓動。


「千代ちゃん...」


「ええ...なんだか、とんでもないことに巻き込まれそうね」


そう言いながらも、千代の表情は以前より凛としていた。陽も、いつもの明るい笑顔で頷く。


「でも、千代ちゃんと一緒なら、きっと大丈夫!」


「もう、そんな楽観的に...」


言いかけて、千代は自分の口元が緩んでいることに気づく。確かに不安はある。でも、陽と一緒なら——。


夕暮れの神社に、二人の笑い声が響いた。これが試練の始まりだとしても、二人で向き合っていく。そう、互いに誓い合うように。




第2話 「陽の秘密」


放課後の図書室で、陽は不思議な光景を目にしていた。


本棚の間を、小さな提灯お化けが数匹、ふわふわと漂っている。その姿は他の生徒には見えないようで、みな普段通りに本を探したり、勉強をしたりしていた。


「もう、図書室で遊んじゃダメだよ」


陽が小声で諭すと、提灯お化けたちは申し訳なさそうに首を傾げた。


「陽、誰かと話してるの?」


千代の声に、陽は少し慌てる。


「あ、ううん、なんでもない!」


が、その時、提灯お化けの一匹が千代の持つ本に興味を示し、近づいていった。


「あら?なんだか急に本が温かい...」


千代が不思議そうに本を見つめる。陽は焦った表情を見せる。


「ご、ごめんなさい!」


陽が手を叩くと、提灯お化けたちはすうっと消えていった。


「陽...?」


千代の問いかけに、陽は観念したように溜息をつく。


「実は、私...妖怪が見えるの」


告白に、千代は目を丸くした。


「見える...って?」


「うん。小さい頃から。最初は怖かったけど、みんないい子たちだから。ただ、誰にも言えなくて...」


千代は月詠を呼び出した。狐の姿をした式神は、陽を興味深そうに見つめる。


「なるほど、だから妖怪たちが陽様に懐いているのですね」


「え?月詠さんにも分かるんですか?」


「ええ。妖怪たちの間で、陽様のことは『特別な巫女』として知られています」


赤玉の狐の言葉が蘇る。千代は思わず口にした。


「だから『妖怪たちと交わる力』って...」


「うん。でも私、この力が何の役に立つのか分からなくて...」


陽の言葉に、千代は優しく微笑んだ。


「私も自分の占いに自信が持てないわ。でも、赤玉の狐が言ってたでしょう?私たちの力には意味があるって」


「千代ちゃん...」


月詠は二人を見つめながら、静かに言った。


「主様の占いと陽様の能力。それは決して偶然ではありません。きっと、これから起こることのために...」


その時、図書室の窓に夕日が差し込み、二人の影が重なって床に映った。その光景は、まるで運命の糸が絡み合うように見えた。


「ねえ、千代ちゃん」


「なに?」


「私ね、この力を持ってて良かったって、初めて思えたの」


「どうして?」


「だって、千代ちゃんに打ち明けられたから」


陽の無邪気な笑顔に、千代は胸が温かくなるのを感じた。月詠は、そんな二人をどこか誇らしげに見つめている。


「主様、これからが本当の始まりですね」


「ええ...」


千代は静かに頷いた。互いの秘密を知り、より近づいた気がする。これが運命の導きなら、次はどんな出会いが待っているのだろう。


図書室の夕暮れに、新しい絆の予感が漂っていた。




第3話 「式神たちの思惑」


神社の裏手、古い楓の木の下で式神たちが集まっていた。


月詠は木漏れ日を浴びながら、他の式神たちに向かって静かに語り始める。


「主様と陽様の関係に、変化の兆しが見えてきました」


一番年長の猿の姿をした式神が、長い髭をなでながら言う。


「ほう、あの内気な主様がようやく...」


「はい。陽様の特別な力のことを知り、さらに距離が縮まったようです」


若い狐の姿をした式神が、尻尾を揺らしながら口を挟む。


「でも月詠様、このままでは危険では?主様はまだ自分の力を十分に理解できていないのに」


月詠は落ち着いた様子で答える。


「だからこそ、陽様の存在が重要なのです。主様の心を開く鍵になるはず」


その時、千代の呼ぶ声が聞こえてくる。


「月詠、どこにいるの?」


「申し訳ありません、続きは後ほど」


月詠が千代の元へ向かうと、境内では陽が座敷童子たちと戯れていた。


「あはは、くすぐったいよ!」


「陽姉ちゃん、もっと遊ぼう!」


千代はその光景を見つめながら、月詠に問いかける。


「月詠、私にはまだ座敷童子たちは見えないのね」


「主様の力が目覚めれば、きっと」


「目覚める...?私にそんな力が?」


月詠は、千代の不安げな表情を見つめる。


「主様の占いの力は、本来もっと深いもの。陽様との出会いが、その扉を開くきっかけになるはずです」


その時、陽が千代に気づき、満面の笑みで手を振る。


「千代ちゃん!座敷童子たち、千代ちゃんのこと気に入ってるみたい!」


「え?本当?」


千代が近づくと、確かに温かな気配を感じる。見えないけれど、確かにそこにいる。その感覚に、千代は少し驚く。


「あら、主様」月詠が穏やかな声で言う。「少しずつですが、感じられるようになってきましたね」


千代は自分の手のひらを見つめる。本当に、自分にも陽のような力が眠っているのだろうか。


「ねえ千代ちゃん、一緒に遊ぼう?座敷童子たち、千代ちゃんに触れたがってるよ」


陽の無邪気な提案に、千代は少し躊躇いながらも頷く。


「ええ...でも、どうすれば...」


「大丈夫、私が案内する!」


陽が千代の手を取る。その瞬間、千代はかすかに座敷童子たちの姿を捉えた気がした。


木陰で見守る式神たちは、その光景を満足げに見つめている。


「始まりましたね」老猿の式神が言う。


「ええ」月詠は静かに答えた。「主様と陽様、二人の力が響き合い始めています」


夕暮れの境内に、見える者にしか分からない不思議な光景が広がっていた。式神たちの思惑は、確実に動き始めているのである。




第4話 「妖怪たちの集い」


夏の夜、神社の境内に妖気が満ちていく。


「今夜は百鬼夜行...」


月詠の言葉に、千代は身を固くする。陽は逆に目を輝かせていた。


「わあ、そうなんだ!私、見たことないの!」


「陽、怖くないの?」


千代の問いかけに、陽は笑顔で首を振る。


「だって、みんないい子たちだよ?千代ちゃんだって、座敷童子たちと仲良くなれたでしょ?」


確かにこの数日、千代も少しずつ妖怪たちの気配を感じられるようになっていた。見えはしないものの、その存在を否定することはもうできない。


「でも、百鬼夜行は違うわ。もっと大きな...」


言葉が途切れた時、境内に風が吹き抜けた。


提灯お化けが空を舞い、一輪車のように回る輪貞が地面を転がっていく。その後に続いて、様々な妖怪たちが姿を現し始めた。


「すごい...」


陽の目が輝く。彼女には全てが見えているのだろう。千代には影のような気配と、時折かすかな姿が見える程度だ。


「ほう、これは珍しい」


どこからか声が聞こえる。千代は思わず陽の袖を掴んだ。


「おや、陰陽師の小娘が怖がるとは」


「違います」


月詠が前に出る。


「主様は今、力に目覚めようとしているところです」


「なるほど」声の主が姿を現す。狸の姿をした老妖怪だ。「それで、この巫女殿と...」


「はい、お初にお目にかかります!」


陽が明るく挨拶する。その屈託のない態度に、妖怪たちの間から笑みが漏れる。


「面白い。人を怖がらぬ巫女か」


「だって、みなさんいい方々ですもの」


陽の言葉に、妖怪たちの雰囲気が和らぐ。千代は少しずつ、それぞれの姿が見えてくるのを感じていた。


「おや、その娘も見えてきたようじゃな」


老狸の言葉に、千代は驚く。確かに、先ほどより鮮明に妖怪たちの姿が見えている。


「私の力で見えるようになったの?」陽が不思議そうに首を傾げる。


「違います」月詠が説明する。「主様の力が、陽様との関係で目覚めつつあるのです」


「そうか、そうか」老狸が頷く。「運命の糸というやつかの」


千代と陽は思わず顔を見合わせる。赤玉の狐の言葉を思い出していた。


「さて、そろそろ行くとするか」


老狸の声に応じて、妖怪たちが動き始める。百鬼夜行の列が形作られていく。


「行っちゃうの?」陽が少し寂しそうな声を上げる。


「また会えるさ。お前たち、面白い組み合わせだ」


老狸は去り際、不思議な言葉を残した。


「力の目覚めは、時に思わぬ形で訪れる。心を開いておくことじゃ」


妖怪たちの列が夜の闇に消えていく。残された二人は、なんとも言えない気持ちで見送った。


「ねえ、千代ちゃん」


「なに?」


「私たち、きっと特別な関係なんだね」


その言葉に、千代は頬が熱くなるのを感じた。月詠は、そんな二人をどこか嬉しそうに見つめている。


夏の夜風が、これからの出会いを予感させるように境内を吹き抜けていった。




第5話 「揺れる心」


百鬼夜行から数日が経ち、千代は神社の社務所で占いの練習をしていた。


しかし、なかなか集中できない。目を閉じると、あの夜の光景が蘇ってくる。陽の手を握った時の温もり、妖怪たちの姿が少しずつ見えてきた瞬間、そして何より——陽の「特別な関係」という言葉。


「主様、お悩みのようですね」


月詠の声に、千代は思考から引き戻された。


「ええ...なんだか最近、集中できないの」


「陽様のことが気になるからでは?」


「え!?そんなことない、わ」


慌てて否定する千代に、月詠は穏やかな微笑みを浮かべる。


「主様の占いの力は、心の在り方と深く結びついています。今の迷いは、きっと...」


その時、座敷童子たちが駆け込んできた。


「千代お姉ちゃん!陽お姉ちゃんが来たよ!」


まだ完全には見えない彼女たちの姿を、千代は薄っすらと感じ取れる。そして確かに、陽の声が境内から聞こえてきた。


「千代ちゃーん!」


陽が社務所に顔を出す。制服姿で、放課後に立ち寄ったのだろう。


「私ね、面白いこと見つけたの!」


陽の手には古い巻物が握られていた。


「お寺の倉庫から出てきたんだけど、これ、千代ちゃんの家のことも書いてあるみたい」


「え?」


千代が巻物を開くと、確かにそこには陰陽寮のことが記されていた。そして驚くべきことに、巫女の家系である陽の家のことも。


「二つの家系の力が一つになる時、新たな道が開かれる...」


千代が呟くように読み上げる。


「ねえ、これって私たちのこと?」陽が目を輝かせる。


千代は答えに窮する。確かに、最近の出来事を考えれば、その可能性は高い。でも、それは同時に陽との関係が運命的なものだということ。その事実に、千代は戸惑いを感じていた。


「主様」月詠が静かに語りかける。「時に運命は、私たちが望むよりも早く動き出すもの」


「でも...」


「千代ちゃん」陽が真剣な表情で言う。「私は嬉しいよ。千代ちゃんと特別な関係だってわかって」


その率直な言葉に、千代は胸が高鳴るのを感じる。


「陽...」


「だって、子供の頃から千代ちゃんのことが好きだったから!」


「え!?」


「あ」陽は自分の言葉に驚いたように口を覆う。「その、友達として...ね」


少し慌てた様子で付け加える陽。しかし、その頬は薄く染まっていた。


千代は自分の心臓の鼓動が早くなっているのを感じる。友達として——その言葉に、どこか物足りなさを感じる自分がいることに気づいて。


「主様」月詠の声が、意味ありげに響く。「占いの結果は、時に予想外の形で現れるものです」


千代は黙って頷く。確かに、自分の心も、予想外の方向に動き始めているのかもしれない。


夕暮れの社務所に、切なさと期待が入り混じったような空気が漂っていた。





第6話 「式神の選択」


月明かりが社務所を照らす夜、月詠は一人物思いに耽っていた。


主である千代の寝顔を見守りながら、式神は今までの出来事を静かに振り返る。主が陽と出会ってから、確実に変化は始まっていた。占いの力も、妖怪を見る力も、少しずつだが確実に目覚めつつある。


「月詠様」


老猿の式神が現れる。月詠は深々と頭を下げた。


「師匠」


「主の様子はどうかな」


「はい。陽様との出会いにより、着実に力が目覚めつつあります」


老猿は月詠の言葉に満足げに頷く。しかし、その表情にはどこか不安の色も見えた。


「力の目覚めは、時として危険を伴う。特に、感情が絡むとな」


月詠は黙って聞いている。確かに、主の感情の揺れは日に日に大きくなっている。特に陽が側にいる時は。


「しかし」老猿は続ける。「それこそが、真の力を引き出す鍵となるやもしれん」


「師匠、それは...」


その時、千代が寝言を漏らした。


「陽...」


月詠と老猿は顔を見合わせる。


「主の心は、既に動き始めているようじゃな」


「はい。ですが...」


「何か心配なことでも?」


月詠は少し躊躇いながら口を開く。


「私は主様の式神として、主様を守ることが使命。でも、時として心が痛むのです。主様の迷い、不安、そして...恋心を見るたび」


老猿は穏やかな目で月詠を見つめる。


「それこそが、お前が選ばれた理由ではないのか」


「え?」


「主を想う気持ちが強いからこそ、主の心の機微が分かる。それは式神として、最も大切な資質じゃ」


月詠は静かに頷く。確かに、主の心の揺れを感じられることは、時に辛い。しかし、それは同時に主との絆の証でもある。


「月詠様」老猿が真剣な表情で言う。「お前には、もう一つ大切な役目がある」


「それは?」


「主と陽様の絆を、見守り導くこと。それこそが、今のお前に課せられた使命じゃ」


月詠は、自分の役割の重要性を改めて感じる。主を守るだけでなく、主の幸せへの道を照らすこと。それは、式神としての新たな挑戦かもしれない。


「分かりました」月詠は凛として答えた。「私に出来ることを、精一杯」


その時、千代がもう一度寝言を漏らす。今度は穏やかな寝顔に、小さな微笑みが浮かんでいた。


月詠は、その表情に心を打たれる。主の幸せのために、自分には何が出来るのか。答えは、既に心の中にあった。


「主様」月詠は静かに誓う。「あなたの道を、しっかりと照らしてみせます」


月明かりの中、式神の決意が静かに輝いていた。




第7話 「月夜の約束」


満月の夜、神社の境内に赤玉の狐が現れた。


千代と陽は、その日も一緒に神社の掃除を終えたところだった。夕闇が迫る中、深紅の毛並みが月明かりに輝く。


「また会えましたね」陽が嬉しそうに声をかける。


赤玉の狐は、いつもの優雅な佇まいで二人を見つめた。


「力の目覚めは、予想以上に早い」


その言葉に、千代は自分の手のひらを見つめる。確かに、妖怪たちの姿が少しずつ見えるようになってきている。


「でも、まだ完全には...」


「焦ることはない」狐は千代の言葉を遮る。「大切なのは、心の在り方」


陽が千代の袖を軽く引く。


「千代ちゃんの力、私にも感じられるよ。前より、ずっと強く」


その言葉に、千代は胸が温かくなる。


「そうじゃ」赤玉の狐が続ける。「二人の力は、互いを高め合う。しかし、それは同時に...」


狐の声が途切れる。その瞬間、境内に冷たい風が吹き抜けた。


「同時に?」千代が問いかける。


「試練もまた、二人で受けることになる」


陽は迷わず千代の手を握る。


「大丈夫。私たち、一緒だもの」


その屈託のない笑顔に、赤玉の狐は深い理解を示すように頷く。


「その想いこそが、最大の力となる。しかし、忘れてはならない」


狐の目が月光を受けて輝く。


「過去との約束を」


「過去...?」千代が首を傾げる。


「百年前、この地で交わされた誓い。その時を、運命は再び巡らせようとしている」


陽が千代の手をより強く握る。


「私たちの...先祖の約束ってこと?」


「それは、自ら紐解くべき真実」狐は神秘的な微笑みを浮かべる。「答えは、二人の心の中に」


月詠が静かに現れ、赤玉の狐に深々と頭を下げる。


「全ては、導かれるままに」


「その通り」狐は月詠に頷きかける。「式神としての役目を、忘れぬように」


そして二人に向き直る。


「若き陰陽師よ、特別な巫女よ。今宵の月を忘れぬように。この光の下で交わした約束を」


「約束...」千代が呟く。


「うん」陽が力強く応える。「私たち、きっと一緒に乗り越えていく」


赤玉の狐は満足げに頷くと、月光の中へと消えていった。


残された二人は、まだ手を握ったまま。


「ねえ、千代ちゃん」


「なに?」


「私、怖くないの。千代ちゃんと一緒なら、どんな試練も」


その言葉に、千代は思わず頬が熱くなる。


「もう、そんな簡単に...」


「簡単じゃないかもしれない。でも、私には千代ちゃんがいるから」


月詠は、そんな二人を見守りながら静かに微笑む。


この満月の夜に交わされた約束。それは、新たな物語の始まりを告げているようだった。




第8話 「妖怪の試練」


夜の神社に、霧が立ち込めていた。


「これは...普通の霧じゃないわ」


千代の言葉に、陽も頷く。境内には不思議な気配が満ちている。


「主様、気をつけてください」月詠が警戒するように前に出る。「妖気が強すぎます」


その時、霧の中から老狸が姿を現した。しかし、先日の穏やかな表情とは違い、厳しい眼差しを向けている。


「若き陰陽師と巫女よ。汝らの覚悟を試す時が来た」


声に応じるように、霧の中から様々な妖怪たちが現れる。提灯お化けや座敷童子たち、普段は友好的な存在たちまでもが、異様な雰囲気を纏っていた。


「みんな...どうしたの?」


陽が困惑した様子で呼びかけるが、妖怪たちは答えない。


「力を示せ」老狸が言う。「されば道は開かれん」


一斉に妖気が強まる。千代は反射的に陽の前に立ち、月詠も守りの姿勢を取る。


「千代ちゃん!」


「大丈夫。私には月詠がいる。陽には妖怪が見える力がある。二人で何とかできるはず」


その言葉に、陽は決意を固める。


「うん。私も、千代ちゃんを守る!」


妖怪たちの動きが活発になる。提灯お化けが空を舞い、座敷童子たちが地面を駆け回る。その動きは明らかに、二人を試すためのものだった。


「主様、陽様の手を!」


月詠の声に従い、千代は陽の手を取る。その瞬間、不思議な感覚が走る。


「この感じ...」


千代の目に、妖怪たちの姿がより鮮明に見えてきた。同時に、陽も何かを感じ取ったように目を見開く。


「千代ちゃんの力が...私に流れてくる」


二人の周りに、淡い光が浮かび上がる。


「ほう」老狸が興味深そうに見つめる。「力が共鳴しておる」


妖怪たちの動きが更に激しくなる。しかし、二人の手を繋ぐ力は緩まない。


「陽、私に見えているものを教えて」


「うん。右から提灯お化けが三匹、左には...」


二人で補い合いながら、妖怪たちの動きに対応していく。千代の占いの力と陽の視る力が混ざり合い、新たな可能性を見せ始める。


「主様!」月詠が叫ぶ。「その調和、保ってください!」


妖気が渦を巻く中、二人の光は消えることなく輝き続ける。そして——。


「よかろう」


老狸の声と共に、妖気が収まっていく。妖怪たちも、普段の穏やかな様子を取り戻していた。


「この試練、見事じゃ」


千代と陽は、まだ手を繋いだまま。温かな感覚が、二人の間を流れ続けている。


「これが...私たちの力」


陽の言葉に、千代は静かに頷く。確かに、何かが変わった。何かが、深まった。


「互いを想う心が力となる」老狸が告げる。「その絆こそが、真の試練を乗り越える鍵となろう」


月詠は、安堵の表情を浮かべながら二人を見守っている。


夜の霧が晴れていく中、新たな力に目覚めた二人の姿が、月明かりに照らし出されていた。




第9話 「明かされる真実」


夜明けが近づく神社の蔵の中で、千代と陽は古い巻物を広げていた。


試練の後、老狸は二人に一つの巻物を手渡した。「汝らの先祖が遺したもの」という言葉と共に。


「この文字...」千代が巻物をのぞき込む。「とても古いわ」


月詠が蝋燭の光を近づける。「主様、この印を」


巻物の端には、千代の家に伝わる陰陽師の印が刻まれていた。そして、その隣には巫女の家系である陽の家の印も。


「百年前の記録...」


千代が読み進める。


『百年に一度、陰陽の力が交わる時が来る。その時、選ばれし者たちの絆が、新たな道を拓く』


「選ばれし者...私たちのこと?」陽が千代の肩に寄り添う。


『しかし、その道は平坦ではない。闇の力が目覚め、世界の均衡を脅かす』


千代は続きを読もうとして、はっとする。巻物の一部が、まるで意図的に切り取られたかのように欠けていた。


「続きが...ない」


「でも、これだけでも重要な情報ね」月詠が静かに言う。「主様と陽様の出会いは、偶然ではなかった」


陽は千代の手を握る。昨夜の試練で感じた温かな力が、また二人の間を流れる。


「ねえ、千代ちゃん。私たち、運命だったんだね」


その言葉に、千代は複雑な感情を覚える。確かに心が躍る。でも同時に、大きな責任も感じる。


「でも、闇の力って...」


「心配しないで」陽が明るく言う。「私たち、もう力を合わせる方法を知ったでしょ?」


その時、蔵の外から座敷童子たちの声が聞こえる。


「千代お姉ちゃん、陽お姉ちゃん!空を見て!」


二人が外に出ると、東の空が白みはじめていた。その中に、一筋の紅い光が走る。


「暁の光...」月詠が意味深げに言う。「新たな時代の幕開けを告げる印」


千代は陽の手をそっと握り返す。不安も大きい。でも、この手の温もりが、何より心強い。


「陽」


「なに?」


「私...あなたと出会えて良かった」


照れくさそうに言った千代に、陽は満面の笑みを向ける。


「私も!それに、これからもっともっと素敵な出会いが待ってるよ」


その言葉通り、二人の物語は始まったばかり。朝焼けの空の下、新たな絆を胸に、二人は未来へと目を向けていた。


月詠は、そんな二人を見守りながら、静かに決意を固める。主と陽様を守ること、それが自分に課せられた使命。闇の力が何であれ、この大切な絆を守り抜かねばならない。


夜明けの光が、新たな物語の幕開けを優しく照らしていた。




第10話 「新たな絆」


朝露に濡れた境内で、千代は日課の掃除をしていた。


昨夜の出来事が、まだ鮮明に心に残っている。巻物に記された真実、そして陽との新たな力の目覚め。全てが現実だったのだと、清々しい朝の空気が教えてくれる。


「おはよう、千代ちゃん!」


陽の声に振り返ると、彼女は両手に紙袋を下げていた。


「おはよう...って、もしかしてそれ」


「うん!おばあちゃんの特製おにぎり。昨日のお礼に作ってもらったの」


座敷童子たちが嬉しそうに陽の周りを跳ね回る。千代の目には、その姿がはっきりと見えるようになっていた。


「あら」月詠が現れる。「主様の力、着実に育っているようですね」


陽は千代の隣に座り、おにぎりを取り出す。


「ねえ、千代ちゃん。私たち、これからどうなるのかな」


その問いに、千代は空を見上げる。


「正直、不安もあるわ。でも...」


言葉を探す千代に、陽は優しく微笑む。


「でも?」


「あなたと一緒なら、きっと大丈夫って思える」


その言葉に、陽の頬が薄く染まる。


「私もそう思う!それに、みんなも応援してくれてるしね」


確かに。座敷童子たち、月詠、そして様々な妖怪たち。多くの存在が、二人の味方でいてくれる。


「主様」月詠が真剣な面持ちで言う。「巻物の予言は、決して軽いものではありません」


「ええ、分かってるわ」


千代は立ち上がり、境内を見渡す。朝日に照らされた神社は、いつもと変わらない佇まい。でも、確実に何かが変わり始めている。


「私たちの前に、どんな試練が待っているのかは分からない」


「うん」


「でも、この力は、きっと誰かのために与えられたもの」


陽も立ち上がり、千代の隣に並ぶ。


「私たちなら、できるよ。だって...」


二人の手が、自然と重なる。温かな光が、かすかに漂う。


「力を合わせる方法を、知ってるもの」


座敷童子たちが嬉しそうに踊り、月詠は穏やかな笑みを浮かべる。


「主様、陽様」月詠が言う。「新しい物語の幕が、上がろうとしています」


「物語...」千代が呟く。「私たちの物語」


「うん!」陽が力強く頷く。「きっと素敵な物語になるよ」


朝日が二人を包み込む。新たな日々の始まりを告げるように。


しかし誰も気付いていない。神社の古い木の影で、一つの闇が蠢いているのを。運命の歯車は、既に回り始めていたのだ。


第2章 終











































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